今日の朝は霧に包まれて幻想的な朝でしたが、
だんだん晴れてきました。
今日は、朝血圧も、90台/40台と低く、体がだるかったのですが、
何時間かして、調子が上がってきた感じがして
散歩に行きたい気持ちになり、大丈夫そうなので行ってきました。
でも、判断力の落ちた頭で
自分の体が発するメッセージを読み取りながらの
自力のリハビリは、なかなか判断が難しいです。
専門家の判断で、安心してリハビリがうけられたらなぁと思います。
ただただ、運転が怖いです
。
昨日も行ったので、今日で6回目です。
だんだん、普通の歩きに近づいてきました。
脳血管障害による麻痺と違って、調子がいいとスッスッと足が出ます。
今日は、目のまぶしさもなく、サングラスをかけずに散歩できました。
やはり、景色の、自然のままの色はきれいです
。
さて、今日は私の聴覚過敏の症状について書きます。
私は耳の聞こえが過敏になる症状があります。
「聴覚過敏」と言われても、健康な方はピンとこないと思います。
なにがどう聴覚が過敏になるのか、
私の体験で説明したいと思います。
普通の光を「まぶしい!
」と感じてしまう、光過敏の症状と同じように、
聴覚過敏とは
音♪に対しても、普通の人がなんでもない音が、
ものすごく不快に感じてしまう事があるのです。
聴覚過敏といっても
私の場合
「音が大きく感じてしまう。」という症状のほかに
「音♪の周波数が変化したかのように、非常に不快
な音に感じる。」という
2種類の聴覚過敏の症状があります。
たとえば私は
「食器がカチャカチャと触れ合う、普通の生活音がとても不快」に感じます。
長時間の座位、立位の体勢を続けると、特に感じます。
食器がカチャカチャ触れ合う音
が
まるで「黒板を爪で引っかいている音」の
「ギーギギギ、キー」という
あの鳥肌が立つような音に感じてしまうのです。
あの音なら、誰でも、あまり気持ちのいい音ではないでしょう。
動物を不快音で追い払うように
人間の聴覚にとって、不快な音があるものです。
健康な人にとって、ごく普通の生活音が、
その不快音に変化して聞こえてしまうのです。
「非常に神経にさわる不快な音に変化して聞こえる。」といった感じです。
単に、普通の音が大きく大音量の騒音のように聞こえる不快感とは
また違った感じの不愉快な感じ。
もちろん、普通の音量が
「大きくうるさく感じる。ささいな音が大きな音に感じつらい。」
という症状もありますが、
こちらは普通の方に説明でき、理解されやすいと思います。
しかし、もうひとつの
「音の周波数が変化したかのように不快に感じてしまう」という感覚と
この特殊な苦しさは
なかなか人には理解されない苦しさです。
音によって、脳がストレスを感じて、悲鳴をあげているような苦しさです。
「神経を逆なでする音」に脳が痛めつけられるといった感じです。
事故以来、音が大きく聞こえつらい感じは自覚していたのですが、
当時、交通事故との因果関係に、誰も気づいていない時代でしたから
私もこの聴覚の異常に耐えるしかありませんでした。
いつも症状があるわけではないので、
なんとか耐え続けてこられました。
音の周波数が変化したように不快に聞こえると
はっきり自覚したのは
交通事故から実に数年後です。
当時、私はすでに人生が
この症状に振り回されて、苦しい状況に追い込まれていました。
数々の症状を抱えながらも、
バイトで働かざるをえない状況でした。
「脳脊髄液減少症」が立位で悪化するとは、
当時の私は気づくはずもなく、
ずっと立ち続ける仕事を選んでしまいました。
ある日長時間の立位の姿勢で、
心臓の圧迫感や呼吸の苦しさと、半身のシビレともに
聴覚過敏の症状がでました。
その日はお客が多く、
半身のシビレを感じながらも、すぐには病院へ行くこともできず、
たくさんの食器洗いをした時のことです。
自分の洗う食器の触れ合う音のカチャカチャとした音が
あの、まるで「黒板を爪で引っかくような不快な音」に変化して
私の耳と脳を直撃しました。
それは、それは不快です。
吐き気がするほど、鳥肌が立つほど不快な音に変化して聞こえるのです。
しかし、仕事をやらなければなりません。
本当に拷問のように感じました。
耐え難い苦痛でした。
音の周波数が変化するような、
音のキーが上がるような、そんな感じに聞こえる苦しさを
はっきりとこの時、自覚しました。
その日のうちに、半身のシビレもあったので、
脳外科に駆け込んだのですが、
検査をしても「異常なし」で返されました。
(今思うと「脳脊髄液減少症」が
長時間の立位により、症状が悪化したのだと、納得できます。)
それ以前にも、音がつらいという症状があったのですが、
「私は音が人より大きく感じるんだ。」ぐらいにしか思いませんでした。
以来、不快な音をシャットアウトするという耳栓を
常に携帯するようになりました。
普通の人がなんでもない音が
自分には苦痛に感じてしまう世界で生き残るには
耳栓による自己防衛しかなかったのです。
仕事の時も、お店に入っても、
家で家族と同じテレビを見るときも、電車に乗るときも
どこにいても、音が不快だと感じたら、
耳栓がすぐできるよう、いつも携帯していました。
そうすることで、周りの音を調節するしかありませんでした。
まだ症状をかかえながらも、自力で動けたころ、
テーマパークのアトラクションに行きましたが
あまりの音響に、耳栓の上から、手で耳をふさがなければならないほどでした。
健康な人にとって、楽しい刺激的は音響も、
BGMもひどく苦痛に感じてしまうのです。
自分で工夫して音を調節しなければ、
とてもこの世界で生き残ることができないと感じる日々でした。
昨年、悪化して、この症状もひどくなりましたが
BP後、半年たった今、かなりこの症状はやわらいでいます。
それでもなお、少し聴覚過敏の症状が残っています。
食器の音は今でも耳に障ります。
この夏、光過敏の「まぶしさ」で、昼間も暗く静かな部屋にいつもいたのですが
時々、静寂を破る、元気な母の大きな声も不快に感じました。
元気なパワーある年代の女性の声は、妙に頭にひびくのです。
母にとっては、普通の話し声なのでしょうが、
私にとっては、テレビの大音量のように頭にビンビン響いくのです。
「もう少し、小さな声で話してくれない?」
と
何度か言ってしまいました。
静かに、声のトーンを落として話してもらわないと、
聴覚の中枢をガンガン刺激される感じです。
男性の低い声ではあまり聴覚過敏症状は出ないのに
母の声では症状が出るのは、周波数の関係かもしれません。
どなたか音響と聴覚の研究者の方がた、
「脳脊髄液減少症」患者の脳が、普通の生活音をどう感じているのか、
調べていただけないでしょうか?
外国では、若者だけが嫌う周波数の音が出るスピーカーが商品化されて
話題のようです。
日本でも、音響関係の専門家なら
患者の脳波などを調べれば、
「脳脊髄液の減少」と「聴覚過敏の症状」の因果関係や
なぜ起こるのかが解明できると思います。
たぶん、まだ、だれもこの研究には取り組んでいないと思います。
どうかよろしくお願いします。
音の大きさも、音の質も、
健康な時とは明らかに違った音
に、
脳が感じてしまう「聴覚過敏」という症状。
これも、見た目ではわからない、
体験した者にしか理解できない、非常に苦しくつらい
「脳脊髄液減少症」の症状のひとつです。
ここからは2008年12月2日追記しました。
この症状は、「音恐怖症」と本人も周囲も思い込んでしまい、心の病と誤解されることもあると思います。
また、過去のピアノ殺人事件の犯人は、鳥の声やわずかな音が非常に苦しく感じる症状を抱えていて、引越しまでしていたとのことで、
私はこの方も、聴覚過敏の症状を抱えていたのではないか?と思っています。
殺人にまで到らなくても、
身近な家族が出す生活音が苦しくて、
テレビの音を小さくしてと頼んでも、苦しさを理解せず、応じてくれない時に、
家族との間でトラブルになった患者さんは、私以外にもいると思われます。
聴覚過敏をそのまま放置されることは、人を追い詰め、
人間の正常な理性すらも奪う危険もあると思います。
精神科医も、聴覚過敏や音恐怖症を訴える患者さんに遭遇したら、
いつも一度は、脳脊髄液減少症の可能性についても考えてほしいと
思います。