脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

悲しい事件 3

2008年09月29日 | つぶやき

福岡小1男児殺害事件に感じたことの続きです。

私だって、

1歩間違えば、何らかの罪を犯していたかもしれません。

 

こうして今、ただの患者でいられる事は

幸運以外のなにものでもありません。

 

なぜなら、

思考力低下や、判断力低下、

手足の急な脱力で、

クラッチ操作ができにくくなったり、

ハンドルから手がすべり落ちたことや、

異常な眠気や、一瞬意識が飛ぶ症状で

交通事故を起こしそうになったことは

何度もありますし、

縁石乗り上げや、自分でぶつけた小さな事故は、数限りなくあります。

 

記憶障害やもの忘れで、

家族を災害やトラブルに巻き込みそうになったこともあります。

 

ぼんやりしていて、まるで夢うつつの中で行動しているようで、

社会のあたりまえのルールすら、

一瞬思考が混乱してわからなくなり、

お店で、お金を払うのさえ、

うっかり、忘れそうになったこともあります。

 

また、怒りが自分の意思では止まらない感じで、

周囲に対し、暴力的になったり、

性格が変わったように今まで使ったこともないような

暴言を吐いていた時期もあります。

 

今思うと、これらの症状は、

脳脊髄液減少症による、

高次脳機能障害や前頭葉の機能低下のよるもの

だと想像できますが、

 

当時はどうして自分が、こんなにキレやすくなったのか?

どうして思考がこんなに混乱するのか?、

何が原因でこうなるのか?

まったくわかりませんでした。

 

見えない体の症状と、

見えない精神症状と

でも、

あきらかな自分の異常を、いくら医師に訴えても

わかってもらえません。

 

周囲に相談しても、

いつも「考えすぎ、気にしすぎ、」

「誰にでも多少はそういうことがある」と、

笑い飛ばされるだけです。

 

病名がつかないから、治療法もわからず、

いつまでたっても治りません。

 

医師が異常なしといえば、

周囲も異常なしの人間と、私を判断し扱います。

 つまり、

怒りっぽさも、物忘れも、判断力のなさも、ミスが多いことも、

性格の悪い人、人付き合いの悪い人、

とっつきにくい人、

使えないダメな人間、と評価されてしまうのです。

 

思うようにならない自分の、

あきらかな異常を感じていても、

 

重病のような体調や

何かの難病のような症状を感じていても、

ことの重大さを感じているのは自分だけなのです。

 

誰も真剣にこの症状の相談にのってくれません。

そんな状態で生き続けることは、

非常につらいことです。

 

私も、今までに何度か死に逃げたくなりました。

 

いえ、正確に言えば、

「生きたいし、やりたいことはたくさんあるのだけれど、

自分ではどうすることもできない症状の苦しみから

逃れたい」とただその一心です。

 

楽になりたい、イコール

自分の肉体を脱ぎ捨ててしまいたい

ということです。

精神的にも現実から逃げたい、というだけです。

本当は元気になって、

思い切り生きたいのです。

 

 

無理解な家族に怒りを通り越して、

激しい恨みを感じたこともあり、

やりきれない思いは、やがて復讐心に変わって

いったこともあります。

 

今もうらみが完全に消えたわけではありません。

完全には許す気持ちにはなかなかなれません。

心の傷が癒えるのには

まだ、時間がかかりそうです。

 

脳脊髄液減少症とわかってからも、

ブラッドパッチ後の症状の波に耐えていたころも、

血縁の無関心は続きましたから、

 

私も、やけになったり、自制心がきかなくなって、

自分の血縁には、

泣きわめいたり、物をなげたり、

怒りを言葉でぶつけたりもしていました。

 

これはブラッドパッチ治療後のことですが、

体がきつくてできないことを、必死で頼むと、

手伝ってくれるどころか、

「それはアンタの仕事でしょう?」と、

血の繋がった健康な人間に

言われたこともあります。

 

確かに私の仕事かもしれない・・・。

 

でも、健康な人には簡単なことでも、

脳脊髄液減少症患者にとっては

重労働に感じてしまということが、

脳脊髄液減少症の激しいだるさや脱力を体験したことのない健康人には、

決して理解してはもらえません。

 

ひどいことを言われても、

当時は声を出すのもしんどいし、

言い返す気力もでませんでした。

 

私たち患者の必死のSOSは、SOSとしてではなく、

自分の仕事を

「人に押し付けてやらせようとする

怠けものの言動」としてしか、

周囲には受け取られないのです。

 

医学に認知された重病なら、

そんな冷たい仕打ちを受ける患者は

あまりいないと思うのです。

 

 脳脊髄液減少症の、症状の苦しさや深刻さが

社会はおろか、

身近な人間にさえ伝わらないから、

こんな仕打ちにあうのだと思います。

 

交通事故から数年後、症状が一時とてもひどくなった時があります。

激しい頭痛、手足の脱力、不眠、朝起きられない、

疲れて疲れて動けなくなり、

日常生活もままならない、

そんな時、

必死で母に助けを求めても、

 

母はやらなくてもすむような道楽に近い仕事や、

友人知人の頼みごとや世話やつきあいを優先して、

いつも

私の頼みは後回しでした。

だから、私の番になるころには

母はいつも疲れきっていて、

充分助けてもらえない状態でした。

私の必死の訴えは、いつも母には「甘え」としてしか

伝わらなかったようで、

 

このことは、今も私の心の中に

深い悲しみとなって沈んでいます。

それに、

この病の症状の深刻さが伝わらないことは、

病名判明後も続いています。

 

いまだに

心から母を許すことができません。

いつか母も体が弱った時、

少しは私の当時の気持ちをわかってくれるかもと思っています。

元気なうちは、多分母娘でわかりあえるのは

無理だとあきらめています。

 

脳脊髄液減少症は親子や夫婦や、家族や

すべての人間関係にも溝をつくるのです。

 

私は、この

親にも第一に思いやってもらえなかったほどの

健康そうに見える外見の、

脳脊髄液減少症という病が憎いです。

 

積極的にわかろうとしてくれない親も憎いです。

 

今も癒されない傷が残り、

なんともいえない悲しみと怒りが消えずに残り

苦しんでいます。

  

さまざまな見えない体や精神の苦しい症状に加え、

周囲がまったく理解してくれないこと、

病人と認められず、力を貸してくれないこと、は

患者をこれほどまでに追い詰めるのです。

これほどまでに患者を苦しめ傷つけるのです。

 

「理解されないこと」その絶望感は

脳脊髄液減少症のどんな激しい症状よりも患者を追い詰めます。

 

どんな体の症状よりも、

理解されないこと、

病人と認められず、周囲の対応が冷たいこと、

 

周囲に快く手をさしのべてもらえないこと、

思いやってもらえないことが

患者にとって一番つらいのです。

 

医師にも家族にも周囲にも

社会にも、

「理解されないこと」

「暖かく、心よく、周囲に支援してもらえないこと。」

「助けてもらえないこと。」

それどころか、患者自身のせい、交通事故とは関係ないだろうと、責められたり、

冷笑されたり、説教されたりすること。

それが

脳脊髄液減少症患者の

最大の苦しみなのです

  

これが、症状が見えない、

とても病人になどに見えない、

脳脊髄液減少症の本当の恐ろしさ であり、

 

この病の苦しさが社会に認知されていないために巻き起こる、

脳脊髄液減少症の二次被害だと思います。

 

医師にも、保険会社にも、加害者にも、

家族にも、職場の人にも、地域の人たちにも、

周囲の人間にも、友人にも

誰にも

思いやってもらえないこと、

 

それが、病名のない時代、何の罪もない交通事故被害者に

現実に起こっていたということを

どうかわかってください。

 

おそらく、脳脊髄液減少症の病名が広まりつつある今も

起こり続けていると思います。

 

どうか、どなたか、

そういった方がたを、早く、早く、助けてあげてください。

お願いします。

 

参照:「病人にとっての3つの不幸、飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」より

    :怒りと復讐心

     つたわらない

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ささやかな幸せと、深いゆううつと、

2008年09月28日 | 心の葛藤

きのう、あれから
この巨大きゅうりを食べてみました。

お味は、意外なおいしさでした。

皮をところどころむいて、

種をスプーンでえぐって、

薄切りにして、ビニール袋に入れて、浅漬けの素で漬けて、

お昼におにぎりと一緒に食べたら

うりの浅漬けのようで、あっさりとして、とてもおいしく
いただけました。

巨大きゅうり=「うり」や「スイカの皮」の味ですね。

さらに、夕食も、

夏ののこりの「冷やし中華のたれ」を利用して漬けこんで

食べたら、これもおいしかった。

巨大きゅうりは1本で
普通のきゅうりの4本分はゆうにありました。


食べられないかも?と思ったきゅうりが、

以外においしかったことと、

今日は朝から一日体調もよく、とても体が軽く、
自転車で近所を一周してくることもでき、

背中に重苦しさがでないことと、
手の指のシビレがなく、
手の指の先々まで、自分の意思が伝わるような
神経が伝わっているような、

「手が自分の手」になったような、当たり前だけど、ひさしぶりの感覚で、

脳脊髄液減少症になる以前の、これが健康な普通の体なのかと、

大昔の記憶がよみがえり、

このまま完治してしまいそうで、

とても、幸せな一日でした。

 

しかし、ささやかな幸せ気分は、長くは続きませんでした。


夜になって、

深いゆううつが私を襲いました。

普段、考えないようにしている
過去のことに、
手続き上、向き合わねばならないできごとがあったからです。

過去のつらい出来事を、思いだしているうちに、
だんだんと心は沈み、

なんで私はこんなことになったのか?

あの事故にさえ、あわなければ、

あの日あの時、車ででかけなければ、

私の人生はこんなはずではなかった、

せめて、脳脊髄液減少症の病名がこの世にできた後に

交通事故にあっていれば、こんなひどい目には

あわなかったのに・・・

などと思いはじめてしまい、
つらくて、いたたまれなくなりました。

そんな時、母に、

たまに弱音を吐きたくても、なぐさめの言葉がほしくても、
ゆっくり話しがしたくても、あたたかな励ましがほしくても、
頼みごとをしたくても、

いつもいつも母は「忙しい、忙しい」
「毎日が忙しくて、楽しくてしかたがない」で、
私はとりつくしまもありません。

母はあいかわらず、元気で、

私のことなんかおかまいなく、自分の人生を、

元気に楽しく生きています。

健康に恵まれ、年をとってもなお、

自分の人生を、自由に謳歌できる、

健康に恵まれた幸せな人たち・・・・。

うらやましさと、ねたましさを感じ、

自分がミジメになってきます。

 

結局は、
交通事故被害者になってしまった自分のやられ損、

結局は、そんな事故にあってしまった私の運の悪さだから
自分のせい?

自業自得?

そう自分を責めて、納得させてみようとする。


病名が判明してもなお、

今までの私の経過を、

すべて身近で見てきた親でさえも、

私の抱えてきた深刻な苦しみには、いまだにわかるはずもなく、

今も無関心なまま・・・・、

 

そういうことを、改めて知る時、
深い孤独感に苦しめられるのです。

 

さまざまなゆううつな気分が、ふつふつと湧き 

そうなると、
歯止めがきかなくなり、

やききれなさと、
なにもかもやめてしまいたくなる思いとで

やけになってきて、

自分の人生をも、もう、すべてリセットしてしまいたいほどに
落ち込んしまいました。

体はやっと回復してきても、
心は、いつも危うい状況にあります。


過去を振り返ることは、
私にとって、とてもつらいことです。

できれば避けたいことですが、

どうしても、これからを生きていくために、

過去を、ふりかえらなくてはならないこともあります。

脳脊髄液減少症が、長く放置されればされるほど、
よけいに、交通事故との因果関係を周囲は認めてくれなくなり、

たとえ生き残って、脳脊髄液減少症と後にわかっても、
心残った傷はなかなか癒えません。


せっかく今日感じた、小さな幸せも

過去を思いだすことや、
厳しい現実に直面すること、

悩みの相談ももちかけられないほど、

弱音も吐けるスキもないほど、とりつくしまもない、

忙しく元気に生きる母の対応で、

一瞬にして、
深いゆううつの底に
沈んでしまいました。

私の苦しみを
心からわかってくれる人は、この世に一人もいない。

そんなことは、

人は誰でもあたりまえのことなのですが、

改めて、そう感じると、

とてもつらいし、悲しいのです。

それでも、なお、死ぬわけにはいかず、
生きなければなりません。

それがまた、つらいのです。

いっそ死んでしまえたら、

どんなに楽かと思ったりもします。

 

 

脳脊髄液減少症とは、なんて残酷で

被害者をさらに傷つけ、追い詰める
見えない交通事故後遺症なのでしょう

もう、二度と、

過去の交通事故被害者のような悲惨な思いを、
今後の事故被害者には

繰り返さないでほしいと思います。

否定派医師の方がたと、
後遺症と認めない保険会社は、

もうこれ以上、

本当の被害者をさらに苦しめる行為は、

お願いですから、
やめてほしいと思います

あなた方に、

もし、人間の血が通っているなら、

わずかでも人を信じる気持ちがあるのなら、

どうか、真の被害者の苦しみは、信じて、

わかろうとして助けてあげてほしいのです。

 

それができないなら、
医師も、保険会社もやめてほしいのです。

 

善良な真の被害者の苦しみにも耳を傾けず、

最初から詐欺師のような犯罪者と

同様に疑ってかかる方がたは、


医師にも保険会社にも、ふさわしくないと、私は思います。

自分には何も落ち度のない交通事故で
脳脊髄液減少症になっていたのに、

医師や周囲の無理解にさらされ、傷つけられ続け、

自分には何の落ち度もないことで、
病名がわからず申告できなかったのに、

さらに保険会社に、無視され、
保険金めあての詐欺師のように扱われるのでは

交通事故で脳脊髄液減少症になって、健康を奪われ、

働けなくなり、

さらに無理解と誤解にさらされ、

性機能が落ちたり、

怒りっぽくなったり、

付き合いが悪くなったりで、


すべての人間関係も悪化させ、失い、

今までの日常や将来の夢をすべて断たれた被害者が

絶望して、自殺に追いこまれても

不思議ではありません

 

この病の、

見えない症状と悲惨さを体験して知っている私は

そう本気で思っています。

 

何の罪もない被害者を、

さらに苦しめ、
追い詰めることに加担した人たちの行為は、

犯罪に近いものだと、私は思っています。


これ以上、この病を否定する行為は、

被害者を詐病扱い、詐欺師扱いする行為は、

人権侵害だと思います。

 

これ以上の患者、被害者いじめは
絶対に、許せません

交通事故で、
脳脊髄液減少症になることは

まぎれもない事実です。

 

「ありえない、そんなバカな」

と疑うのなら、

自分が実際にこの病態になってみればいいのです

 

脳脊髄液を大量に抜いてみるとかすれば、

この病の症状のいくつかを体験できるのではないでしょうか?

また、なんらかの激しい衝撃を体に受けるか、

首を激しく前後に揺さぶられれば、

見える体の傷はなくとも、症状が

体験できるのではないでしょうか?

 

まあ、症状はすぐ体験できるとは限りません。

症状は、時間差で出てくることもありますから、

 

水道漏れが1ヶ月2ヶ月過ぎて、

請求書が来て、いつもより水道代が高いことで、

やっと水漏れ被害に気づくように、

 

脳脊髄液減少症の症状はある程度、

脳脊髄液漏れの閾値が過ぎてから、

現れるのです。

 

水道管の水漏れに後で気がつくように、

症状も時間差で出てきますから、

 

症状体験まで、数ヶ月から数年、お待ちいただくかもしれませんが・・・

本当に実際に体験でもしていただかなければ、

この後遺症の存在を、否定する方がたには

信じてもらえないのでしょうか?

 

私たちの言っていること、訴えていることが

いつまでたってもこの世の方がたに、

信じて、助けてもらえないのでしょうか?

 

どうか、もうすでに、

この見えない後遺症で充分苦しんでいる被害者を、

さらに傷つけ、いじめることはやめてください。

これ以上、交通事故被害者をどうか苦しめないでください。

お願いします。

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9月27日(土)今朝の収穫

2008年09月27日 | 小さな幸せ

 

きゅうりがなったまま、

巨大化しているのをきのう見つけ、けさ収穫しました。

 全長39センチ、

一番太いところで、周囲が23、5センチもありました。

はたして、このきゅうりは食べられるのか

 

なすはちょうどいい大きさで収穫できました。

 

すがすがしい、さわやかな秋の、朝の空気と、

 

早朝のラジオ体操までできてしまった、

今までより、ずっと軽やかな体と、

なす1個、

きゅうり1本の 朝の収穫が、

私にささやかな幸せを感じさせてくれました。

 

「生きていてよかった」・・・

 

そう、しみじみと感じる、瞬間でもありました。

 

生きていると、

苦しい事もあるけれど、

楽しい事も、幸せな事

たくさん日常にちらばっているものです。

 

でも、脳脊髄液減少症の症状を抱えて生きることは、

あまりにも一瞬一瞬を生きるのが苦しすぎて、

つらすぎて、

そんなことにも、なかなか気づけないのです。

 

脳脊髄液減少症という、

こんな苦しい見えない怪我を負ってしまって、

 

長い間、健康で過ごすはずだった、私の貴重な人生の時間は、

あの加害者によって奪われてしまい、

 

世界中の医師の誰も気づかなかった当時、

脳脊髄液減少症になってしまったがために、

 

私が受けた、

誤解、無理解、ひどい言葉、ひどい扱いのすべてが、

 

私の心をズタズタに傷つけ、

その傷ついた心は、いまだに充分癒えていませんが、

 

ただ、

とにかく今まで、生きてこられた、すべての偶然と幸運に

感謝したいと思います。

 

こんな誰にも理解されないような、

病名もなかったような、

こんなにも残酷な交通事故後遺症

かつてないと思っています

 

でも、

長い、長い、なが~い間、誰にも理解されず、苦しんだおかげで、

回復するにつれ、

当たり前の事や、小さな事にも

感動や幸せを感じられるようになりました。

 

病名もない時代、

この病態を抱えて今まで生き抜くことの過酷さは、

体験した自分以外は誰も知らないから、

見た目では患者の抱える苦しみなんか、周囲にわかりっこないから、

ここまで生き抜いた私を、

誰もほめてくれないけれど、

 

この後遺症のおかげで、

あたりまえの小さな事に、幸せを感じられるようになったのは、

 

今まで耐え抜いた私に

唯一、神様が与えてくれた

ごほうびかもしれないと思っています。

 

生き抜くことは、

たとえその経過がどんなものであったとしても、

それだけで、すばらしいことだと

今なら思えます。

 

だから、かつての私と同じように、

何かの理由で死にたいほどに苦しんでいる方がたも

どうか生きてください・・・・

 

とにかく、

生き抜いてみてください・・・

 

人生、最後まで

生きてみないとわかりませんから・・・。

 

とりあえず、でいいですから・・・・

 

 

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悲しい事件 2

2008年09月25日 | つぶやき

福岡の小1男児を母親が殺害してしまった悲しい事件に

私が感じたことの続きです。

ろくろさん(この記事のコメント欄)の情報によると、

このお母さん、交通事故後、歩行障害、

体調不良になったのだそうですね。

でも、テレビの画像では、歩行に支障があるように見えませんでした。

 

もしかして、もしかして、

脳脊髄液減少症がこのお母さんを追い詰めた?

もしかして、もしかして、

息子さんも一緒に交通事故に遭った車に同乗してた

 

もしかして、

脳脊髄液減少症が、息子さんの集中力低下や注意障害の原因?

 私の疑念は続いてしまいます。・・・・・

 

犯してしまった罪は決して許されるべきではないけれど、

でも、もし、

脳脊髄液減少症に似た症状で苦しんでいたのであれば

できれば、脳脊髄液減少症かどうか検査してあげて、

 

もし本当に、脳脊髄液減少症なら、

その症状で絶望し、「死のう」と思いつめていたのなら、

 

せめて、ブラッドパッチ治療をしてあげて、

それから刑務所で子殺しの罪を

償わせてあげてほしいと思います。

 

あの症状を抱えたまま、刑務所生活をするのは

あまりに過酷だと思いますから・・・。

 

ネットで見つけた

母親のいう難病って何ですか?

 ・・・・誰も脳脊髄液減少症かも?なんて考えないのでしょうね。

体験した患者だけが、脳脊髄液減少症の見えない苦しい症状が招く、さまざまな危うさを知っているのでしょうね・・・。

 

念のため、言っておきますが、

私は、

「脳脊髄液減少症患者が殺人犯になる」と言っているのではありません。

 

脳脊髄液減少症の診断と治療の全国普及が遅れることや、

ブラッドパッチ治療の健康保険適用が

まだまだ遅れることや、

否定派医師によって脳脊髄液減少症の研究が

なかなか進まないことなど、

医学界や社会の無理解が今後も続けば続くほど、

このお母さんのように、

追い詰められて絶望する、

脳脊髄液減少症患者がでても不思議ではない、

と言っているのです。

 

脳脊髄液減少症は

私の過去の体験を振り返っても、

診断がつきにくく、

自律神経失調症とかうつ病とか、精神的ストレスとか、

「脳脊髄液の漏れ」や「脳脊髄液の減少」という、真の原因を見逃した別の病名や

「異常なし」とされて

そのまま放置されれば、放置されるほど、

 

新たな悲劇や不幸を連鎖させる恐ろしい後遺症です。

 

だからこそ、

その悲劇や不幸の連鎖を、早い段階で断ち切るために、

早期診断、早期治療が必要だと言っているのです。

 

早く、早く、早期診断、早期治療の確率と普及

そしてブラッドパッチ治療の保険適用を

実行してください。

 

事故被害者の脳脊髄液減少症患者を

事故から早い段階で助けてあげてほしいと

言っているのです

 

国と医学界と社会の

一刻も早い、

脳脊髄液減少症患者の救済策の動きを望みます。

 

いつまで私たちを見て見ぬふりするつもりでしょうか?

もうかれこれ

脳脊髄液減少症という病態が発見されて8年がすぎますが・・・。

 いまだに医学界で病と認められず、

保険会社は交通事故後遺症と認めてくれず

治療費を打ち切り、保険金目当ての仮病まで疑われます。

 

訴訟にふみきらざると得ない被害者は

精神的にも経済的にもさらなる負担が増します。

 

それでも、訴えを起こせる人は恵まれた人たちで、

 

多くはその環境にはなく、

症状でそんな気力も体力も失われ、

支援してくれる家族もなく、

 

とても一人では

それらの膨大なエネルギーと経済力を継続できるわけもなく、

多くの交通事故被害者は

泣き寝入りせざるを得ないのが実情だと思います。・・・・・。

 

脳脊髄液減少症の病名は広く国民に認知されておらず、

知っている医師も少なく、

本人すらも、自分のこの不可解な症状の原因が何なのかわからない状況で、

やっと脳脊髄液減少症に症状が似ていることに気づいても

医師は近くで見つけられず、

一人ではいけないほどの遠方だったり、

交通費がかさんだり、

ブラッドパッチ治療は自費で、予約は一杯・・・。

 

治療が遅れて症状が進んだり悪化すれば、

自力で動けなくなり、

もちろん稼げなく、

手足の脱力と激しいだるさで、

トイレも、着替えも、入浴も自力でできなくなっていき、

日常生活も支障をきたすようになり、

そうなってもなお、

 

見た目なんともなさそうなので、

家族を含め、周囲には健常者と同じことを求められ

できないと責められ・・・・・

 

地域の人たちには「(元気そうに見えるのに、)

ずいぶん長くご病気なのね」

「調子よさそうだけど、毎日何やっているの?」とイヤミのひとつも言われ、

なかなか治らず、今までのように動けない自分にいらだち・・・・・絶望し、 

自らを追い詰め・・・・・

 

こんな脳脊髄液減少症患者の置かれている現状では

いつ誰が、危機的な状況に追い込まれてしまっても

いつ悲劇が起きてしまっても

不思議ではないと思うのです。

 

そうなる前に、

これ以上患者や家族がさらなる苦しみに巻き込まれる前に、 

いますぐ、患者救済策を実行してください。

よろしく、お願いします

 

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悲しい事件 1

2008年09月24日 | つぶやき

否定派医師への反論はまだまだ続きますが

気になった事件があるので、 そちらを先に書きます。

 福岡男児殺害事件

公園で男児を殺した犯人が、

母親だったなんて、あまりに悲しすぎます。

 

何が真相かわかりませんが・・・・

母親が苦しんでいた病とは何なのかわかりませんが・・・・

 

殺人犯を擁護するつもりも全くありませんが・・・・、

 

殺された男の子や、

殺してしまったお母さんや、

残された家族を思うと、

 

ここまで追い詰められる前に、

最悪の事態を回避するために、

何か手立てはなかったのかと、残念でなりません。 

 

ともかく、こうなってしまった以上、

お母さんには病気を癒しながら、生きぬいて、

一生罪を償ってほしいと思います。

亡くなった男の子のご冥福をお祈りいたします。

 

報道で、

母に殺された男児が、

情緒が不安定になりやすく

ひとつのことに集中できない傾向があり、

授業を落ち着いて受けられないことから、

特別支援学級に入っていた。」

とか、

 

母親が

6月ごろから体調を崩していた。とか。

「手足に力が入らず、疲れやすく、

立ち上がるのも困難で、

自分が病気を抱えて将来を悲観して、

子供を殺して、自分も死ぬつもりだった。」とか

 

犯人の母親に接見した弁護士の

「 死にたい死にたいと言っている。

どうでもいいやと追い詰められて

犯行に及んだようだ」

 などということを

新聞、テレビ報道などで伝え聞くと、

 

 

まさか、まさか、

 

このお母さんと息子さん、

 

過去に、

一緒に車に乗っていて、

追突事故などの交通事故になんかあって、

母子で遭っていないでしょうね?・・・・

 

まさかまさか、

脳脊髄液減少症なんていう、見えない怪我を

親子で負っていないでしょうね・・・・・? と

 

ついつい

考えてしまうのは、私だけでしょうか? 

 

 

(私の体験では、脳脊髄液減少症でも

立ち上がり困難、

手足の脱力、

歩行障害、

慢性的な激しい疲労感、

全身に及ぶさまざまな痛み、

などの数々の体の症状。

うつ状態、

思考力低下、判断力低下、

情緒不安定、などの精神症状と、

感情のコントロールができないなどの、社会的行動障害や、

ひとつのことに集中できない注意障害などの高次脳機能障害がでます

 

 

とても、人事とは思えません。

 

 西日本新聞 親子間の悩みあった

西日本新聞 育児悩み悲観

西日本新聞 男児の言葉に絶望 

 

    

 

その後の調べで

「病気のお母さんなんていらない」と言われたのが

殺害の動機とか・・・・

わずか6歳の子供のいう言葉です。

そこは、こらえてほしかった・・・・・・

 

でも、こらえきれない精神状態まで、

すでに追い詰められていたんだろうなぁ・・・

 

ただただ、やりきれません・・・。

 

       

さらに追加・・・・

読売新聞記事

↑脳脊髄液減少症のお母さんも授業参観なんか行けません。

症状は個人差がありますが、

立位、座位で症状が悪化する状態の患者さんは

自力で車を運転したり、電車に乗ったり、

バスに乗ったり、徒歩で行ったりと、

どの方法でも、学校までまず一人でいけないし、

たとえ、行けても、

1時間も授業を後ろで立って、見続けることができません。

 立位の時間経過とともに、呼吸困難や痛みやシビレや

脱力や心臓の圧迫感や動機などさまざまな症状がだんだんと出てきて、

苦しくて、最後まで立ち続けることができないはずです。

しかも、見た目病人に見えません。

その上、調子のいい時はスタスタ歩けたりします。

周囲に理解されるはずがありません。

とても残酷な見えない怪我なのです。

 

本当に人事とは思えません。

 

(この際、以前からなかなか書けなかったことをついでにお伝えしますが、

人によって、座位や立位になってからも

数時間症状が悪化しない人もいます。

私も日により、また、回復するにつれ、だんだんと

立位から苦しくなるまでの時間が、5分から、1時間、3時間、6時間とだんだんと延びてきました。

この事実は国際頭痛学会の、

「立位から15分以内で悪化する」という診断基準では、

15分以内にかっきり症状が悪化しない患者は、

みな「異常なし」にされてしまいます。

だから、この診断基準は事実を把握していないと

私は思います。・・・・・・余談でした。)

 

      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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否定派先生への反論 3

2008年09月22日 | つぶやき

医学の教科書にも書いていない、

医学部でも、その詳しい症状について教えていない、

多くの医師も知らない、

新しい概念の「脳脊髄液減少症」の病名を

新聞やテレビ、あるいはネットで、偶然見つけた

あるいは、耳にした患者さんと、

偶然似た症状の他の患者さんや、たまたまこの病名を知っている医師に

この病名を教えられて、

自分の症状との類似性に気づいた患者たちだけが、 

次のステップである「医師探し」ができるのです。

 

次の、医師探しの困難な道のりを

詳しく書きたいところですが、

 

病院を受診した段階で

患者がすでに選抜されている ということを、

たとえでもう一度、説明したいと思います。

 

 たとえば、 

Aグループの

オリンピック100メートル走決勝戦に出た経験のある選手グループと

 

Bグループの

ごく一般人のさまざまなタイムの100メートル走のグループが

 いたとして、

グループごとに走らせて計測して(検査して)みたら、

 

Aグループの選手の9割が、9秒を切った。

しかしBグループはそんな早いタイムの選手は

ほどんどいなかった。 (当然ですが)

 こんな時、

否定派先生のご意見は、

「なんでAグループは9秒台が9割もいるんだ。

選手からそんなに多くの9秒台のタイムはでないはずだ。

タイム計測がおかしいんじゃないのか?

と言っているようなものだと私には感じます。

 

さらに、たとえるなら、

Aグループ

学力偏差値 80の学生集団と

Bグループ

学力偏差値 50の学生集団がいたとして、

 

同じ学力検査テストを同時にしてみたら、

100点とった人数が

Aグループは全体の9割を越えていたのに、

Bグループは全体の3割にも及ばなかった。

 

「Aグループだけが100点を取った人数が9割に及ぶのはおかしい、不正があったのではないか?」

といっているようにも感じます。

 

つまり、

もともとの調査対象者集団のレベルが

はじめから違っているということ

考えから抜け落ちているのです。

  

Aグループを以下の患者集団に置き換えてみてください。

「体調不良を抱えながら、どこの何科を受診しても、

さまざまな検査をしても異常なしと言われ続け、

それでもなお、治りたくて受診しつづけ、

 

こんどは、異常なしなのに受診し続ける患者と

いうことで、

冷たい扱いを受けたり、

精神科にまわされたり、

患者の人権を踏みにじるような

ひどい言葉を医師から投げつけられ

心が深く傷つけられながらも、

 

それでもなお、治りたくて必死でドクターショッピングを繰り返していて、

 

ある日、脳脊髄液減少症という病名を知り、

その症状と自分の苦しんできた症状との類似性に気づき、

この症状と、過去の事故経験の因果関係も知り、

 

自分とのさらなる類似性にも気づき、

脳脊髄液減少症の医師を探しだし、

やっと予約を取り、医師を受診した患者グループ。」と。

 

Bグループを

体調不良を感じて病院を受診した

ごく普通の患者グループ」と

置き換えてみてください。

 

Aグループの方が、脳脊髄液減少症と

診断される確率が高くなるのは

当然だと思います。

 

 

もともと脳脊髄液減少症の可能性が高い、

自然に選びぬかれたような患者しか

脳脊髄液減少症研究会の医師のいる病院には

たどりついていないのですから、

 

一般の病院での一般患者での診断比率と

比べること自体が、おかしな話です。 

 

ましてや

正常人が数多く脳脊髄液減少症に詳しい医師を

受診しているとは、とうてい考えられません。

 

なぜなら、

本当に異常もないような正常人が、

脳脊髄液減少症の病名すら知らない医師がいるほど、

情報が少ない中で

脳脊髄液減少症かもしれない、と思い、

 

幸運にも病名を知った患者が、

数々の苦労をして、やっと医師を探しだし、

苦しい症状に耐えながら、初診まで

最長2年の予約待ちをしてまで、

しかも

さらに交通費と時間をかけてまでして、

 

健康保険も適用されないような

自費での高い治療を受けに、

わざわざ脳脊髄液減少症研究会の医師を

訪ねるわけがないからです。

 

それに、正常人が

痛みやリスクも伴うRI検査を受けてまで、

自分の不調の原因を突き止めようなんて、

まず、考えないと思います

 

つまり、正常人が

脳脊髄液減少症研究会の医師を受診する確率は

かなり低いと思われます。

 

第一、本当になんでもない気のせいだけの正常人が

ドクターショッピングなんてしませんよ

 まして、ドクターショッピングの末に、

こんな大変な思いまでして、

脳脊髄液減少症に詳しい医師を訪ねたりしませんよ。

 

そんな体力と、時間と、お金があったなら、

正常人なら

もっと楽しいことに、使うはずです。   

 

受診する患者の気持ちになって、冷静に考えれば、

そういうことに、誰でも気づくはずだと思うのですが・・・。

 

つづく

 

 

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否定派先生への反論 2

2008年09月20日 | つぶやき

「患者たちは、

脳脊髄液減少症治療に詳しい医師を

受診した段階で、

すでに、選抜されているようなものです。」

こう私が考える理由を

少し詳しくお伝えさせてください。

 

脳脊髄液減少症の医師を受診した段階で、

患者は

脳脊髄液減少症の可能性が極めて高い

患者だけが、

自然に選抜されて

受診しているようなものだ。

と私は思っています。

 

なぜなら、

「脳脊髄液減少症」なんて、医学の教科書にものっていない、

家庭の医学書にも書いていない、

聞きなれない病名を偶然知る幸運に恵まれ、

自分の症状の類似点に気づいただけでも、

 

すでに、患者たちはフルイにかけられているからです。

 

しかも、そのフルイはひとつだけではありません。

 

フルイの網の目は大きなものから

中ぐらいのもの、

小さなものへと、どんどん小さくなっていき、

幾重にも、幾重にも続きます。

 

受診できた患者たちは

その幾重にも重なるフルイにかけられてもなお、

残った患者たちなのです。

 

最後の最後に残った患者だけが

脳脊髄液減少症治療に取り組む医師を

受診しているようなものです。

 

原因不明の病の森に迷いこみ、

その森の迷路の中で、他の患者たちが、

次々とすでに認知されている病名が判明していく中で

 

どこにもあてはまる道を探せず、

迷いに迷って、

右往左往し、迷って迷って

病名不明の森から出られなくなり、

 遭難してしまう患者もいます。

つまり、

症状と無理解とドクターショッピングに疲れ、

自力で病名をつきとめることに

力つきていく患者たちもいて、

 

症状に耐え切れず、自らの命を絶ってしまう患者や、

高次脳機能障害での不慮の事故で

命を落としていくものもいたと

思われます。

 

自分の病名を突き止めることをあきらめたり、

医師がつけてくれた、既成の病名を信じ、

その治療を続けていこうとする患者もでてくる中で、

 

偶然の幸運が重なって導かれ、

今まで草に隠れていて見えなかった、

深い森の奥のいばらの道を見つけ

歩きすすめたものだけが、

新たな病名への道につながるのです。

 

森は深く、道は荒れて、草に隠れ、

道を見失いそうになりながらも、

そこを手探りで、道を切り開いて、

必死で歩いていったら、

 

やがて遠くに光が見え、

 

を目指して、さらに必死で歩き進めていったら

いきなり視界が開け、

 

やっと森の出口にたどりつき、

暗い森から明るい外に出てみたら、

 

その出口のところに

「脳脊髄液減少症の

治療への道はあちら

との

道案内の看板を

見つけたようなものです。

 

少なくとも、私の体験では、

そんな感じです。

 

しかし、

そこがゴールではありません。

 

そこからさらに、

新たな迷路が待っているのです。

 

こんどはそこから、

脳脊髄液減少症治療に取り組む医師までの道のりが

さらに遠く、

さらなる迷路が待っているのです。

 

その迷路を抜け出たものだけが、

脳脊髄液減少症の医師のいる病院にたどりつけるのです。

 

つまり、患者は

さらにフルイにかけられるのです。

 

(つづく)

 

 

 

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否定派先生への反論 1

2008年09月19日 | つぶやき

せっかくの脳神経外科学会ですし、

会長さんも、

会長あいさつのお言葉の中で

「今何が必要か、受療者とともに考え、歩む姿勢、

社会の発信なしには、

脳神経外科医療の向上にはつながらない」

とおしゃってくださっていますから、

現実に存在する患者の生の声も聞きいれながら、

医師や否定派保険会社や

司法関係者や、

見て見ぬふりしている国のお役人の皆様方には

この機会に、

患者と一緒に、いろいろな角度から

脳脊髄液減少症について考えてほしいと

願っています。

 

否定派先生の以下の疑問ですが、

 

「脳脊髄液減少症研究会の医師のいる病院を受診した 2763名の患者のうち、2455人にブラッドパッチが行われていた。」

「つまり、受診した90%の患者が同症と診断されたことになる。」

「脳脊髄液減少症研究会の医師たちは

脳脊髄液減少症は多いと主張するが、

単に、正常人を脳脊髄液減少症と診断している可能性が高いのではないだろうか?」

って、・・・・・ねえ・・・・

ひどいことをおっしゃる・・・。

 

お言葉を返すようで申し訳ないですが、

患者の私の意見を聞いてくださいますか?

 

私より頭のいい先生方が

本当に、「その理由」に気づいてないとは

私にはとうてい思えないのですが・・・ 

 

知らないふりをしなければならない、お立場なのかもしれませんし・・・・。

 

 

先生それはね~・・・・

簡単なことです。

 

理由は二つあると私は考えます。

 

ひとつめは、

私たち患者は

脳脊髄液減少症研究会の医師のいる 

病院を受診をした段階で、

 

すでに選抜されているからです。

 

ふたつめは

  「ブラッドパッチを行ったこと」=「脳脊髄液減少症と診断したこと」

とは限らないからです。

従って、

「つまり、受診した90%の患者が同症と診断されたことになる。」という先生のお言葉は

間違っている と思います。

(詳しくは後日・・・・。)

 

あと、正常人を脳脊髄液減少症と診断する確率は

低いと思います。

(そう思う理由も後日)

また、

脳脊髄液減少症研究会の医師の

「脳脊髄液減少症は多い」という主張は正しいと

私も思います。

 

そう思うからこそ、

今も気づいていないであろう多くの方がたに、

気づいていただきたくて、

こうしてブログで脳脊髄液減少症のことを書いてきました。

 

私の体験からも、

ありとあらゆる症状が出るため

その症状に隠された脳脊髄液減少症の存在に気づくことは

本人でさえ難しく、

素人の患者には「家庭の医学」にも載っていないような、

認知度の低い脳脊髄液減少症などという

病名が思いつくはずもなく、

 

さらに、見た目元気そうな患者の訴えに、

医師も気づきにくく、

医学の教科書にものっておらず、

認知度が低いため、

医師でさえこの病の存在を

症状から見抜くことが難しく、

 

見逃されていたり、誤診されているケースが

かなりの数であると思います。

 

脳脊髄液減少症に気づき、診断がついた患者は

氷山の一角だと思います。

 

長年放置されて数々の症状を体験してきた

 

患者の私も

「脳脊髄液減少症は多い」と

主張させていただきます

患者が、自分の症状の真の原因に、

気づくことができないだけだと思います。

 

(つづく・・・・)

 

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脳神経外科学会 2

2008年09月18日 | つぶやき

脳神経外科学会の、

ここの6ページに書かれている文章を読んで

患者の私が感じたことです。

私は医学的知識がないただの患者ですが、

でも、私が自分の体験から、

気づいたり、感じたり、疑問に思って、考えたりしたことですから、

素直に感じたこと書かせていただきます。

何かの参考にしていただければと思います。

 では、最初に、

1、髄液は脊髄部でも吸収されるため、RIが3時間以内に膀胱内に認められても、髄液漏とは診断できない。

というご意見ですが、 

私、膀胱内RI集積、1時間以内なんですけど・・・・

1時間なら認めてくださるんですか?

3時間ちかくだと、たとえ症状があっても、髄液漏れだと

診断できないということですか?

私、ものすごい頻尿で1時間ももたないの必死で耐えてやっと検査したんですけど・・・。

もし、耐え切れず、尿が漏れ出て排尿しまったていたら、

1時間後にもRIが映らず、「異常なし」とされたのですか?

つまり、私を先生が診断したら、

いくら症状を訴えても、

脳脊髄液減少症ではないと診断された可能性があるわけですか?。

「異常なし」と放置され、RI検査後の予防的ブラッドパッチもしてもらえず、放り出されていたら、

今ごろ私はどうなっていたのでしょうか?

おそらく、あの症状には耐え切れず、周囲の無理解に絶望し、働くこともできず、生き続けることはできなかったかもしれません。

脳脊髄液減少症の症状を訴えて受診した患者と

そういう症状を全く訴えていない健康そのもの方の

RIの膀胱内集積を比べてみれば、

正常と異常の違いが見えてくるような気がしますが・・・。

まったく何の症状もなく、医師を受診する必要もない

健康そのものの方に、研究のためだけに、協力してもらい

リスクを伴うRI検査をするなんてことは難しいから、

患者が症状を訴えて受診してきたので、

脳脊髄液減少症を疑い、検査してみたけれど、漏れが認められなかった例で比べるしかないと思うのですが・・・・

2、穿刺針による、医原性の髄液漏の頻度は10-20%

私、針なんか穿刺したことのないまったく想像もしない場所から漏れてる画像があるんですけど・・・。

そこにブラッドパッチしてもらってから、こんなに元気になったんですけど・・・。

だから、一度も針刺したことのないところからの漏れは、

医原性ではないと思います。

それに、医原性だけでは説明しきれないほどの割合で、

髄液漏れ患者が実際に存在しているはずです。

(どうかご自分で調べてくださいね。)

 

また、交通事故などで、すでに脳脊髄液漏れを起こしている患者が、

体の不調のため、ドクターショッピングを繰り返す中で

私のように神経難病そっくりの症状が出て、

別の病気を疑われ、その検査の過程で、

腰椎穿刺を伴う検査が行われることも考えられます。

 

また、交通事故、スポーツ事故などで、怪我などを負っていている患者たちは、

その怪我や後遺症手術のため、穿刺を伴う麻酔を行う場合も、

かなりの確率であると思われます。

 

また、もともと学生時代部活でのスポーツ事故や、

以前の交通事故などでの衝撃を受けた後、

慢性的な不調を抱えていてドクターショッピングしていた方が、結婚し、なんとか妊娠し、

帝王切開の際に、腰椎麻酔をして、

それで劇悪化する場合もあると思います。

 

そういった場合、

なんらかの事故の後遺症ですでに脳脊髄液減少症を発症していて、すでにさまざまな自覚症状があり、その症状で医師を受診している状態で、

さらに、医療行為により、

穿刺針穴からのわずかでも、脳脊髄液漏れが新たに加わったらどうなるかわかりますか?。

 

もともと脳脊髄液が減少して症状があったところに、

穿刺針からの1ccでも漏れて脳脊髄液がさらに減ると、

患者はみるみる症状がひどく悪化する事実を、

どれだけの脳神経外科の先生がご存知なのでしょうか?

 

そういう場合、

もともと「以前から」原因不明の体調不良があったのに、症状の劇的悪化のきっかけとなった、

「その後に加わった」医原性の髄液漏れ

だけが注目されすべて

「医原性の漏れ」として計算されるのは

全くおかしいと思います。

 

つまり、それまで健康そのもので症状がなにもなかった方が

医療行為によりはじめて発症した、純粋な医原性と、

 

もともと脳脊髄液減少症の症状があって、

その症状の検査のためや、事故後遺症の手術などのため

何らかの理由で医療行為を受けた結果、

その穿刺針からの漏れも新たに加わって

さらに症状が悪化したようなケース、

「事故プラス医原性」が実際に存在しているのです。

そのことを医師の皆さんは

知ってほしいと思います。

 

と、いうことは、

医原性と言われている10-20%の中にさえ、

真の原因は、

医療行為より以前の

「事故が原因」のケースも含んでいる可能性があるわけです。

 

そう考えると、

「純粋な医原性の髄液漏れ」は言われている10-20%より

さらに低くなる可能性があると考えます

 

よくよく患者に症状のことを問診してみれば、

事故後から少しずつ症状が出ていて、

すでにドクターショッピングを繰り返している事実があって、

悪化したきっかけがその医療行為の穿刺であった。

ということが実際にあるのです。

この現実をどうかご理解いただきたいと思います。

そして事実は事実として目をそらさないで直視して

ほしいと思います。

 

 とにかく、

「純粋な医原性」の脳脊髄液漏れと、

「何らかの体への衝撃」プラス「医原性」を一緒に計算してもらっては困るのです。

 

くれぐれも、

「発症が純粋な医原性のケース」と、

「もともとあった症状をさらに悪化させた原因が医原性

にすぎないというケース」

の症例数は、わけて、計算してほしいと思います。 

 

、24時間後のRI体内残存率30%以下の正常の人の報告 

そりゃ、そういう人もいるでしょうね。

脳が萎縮して、明らかにアルツハイマー変化がある脳でも、

異常なく生活している人がいると、先日のためしてガッテンでも言っていましたし・・・。

どんなケースにも「正常」と「異常」にきちんと線引きできない方が一定数はいると思われます。

生身の人間ですから、規格にそった機械じゃないですから・・・・。

要は、多くの患者に当てはまる事実を見抜いて、

診断基準に取り入れ、修正しながら、より確実なものにしていくことが大切だと思います。

RI残存率に関しても、これからの研究が待たれる事柄だと思います。

先生方の議論の中から、より真実を見抜く方法が生まれることを期待しています。

また、RI残存率に関しては、

脳脊髄液減少症データ集の147ページからの文章に詳しく書かれています。

否定派の先生方はこれでは納得できないのだと思いますが。

否定するなら、RI残存率について、具体的に否定できる研究をして発表してもらいたいものです。

さらに議論が深まり、逆に研究が進むかもしれませんし・・・。

 

「など、(上の1,2,3の内容の)否定的な基礎データが多いにもかかわらず、脳脊髄液減少症研究会は自らの診断基準の根拠を示していない

では、否定派先生方が

脳脊髄液減少症研究会の診断基準を完璧に否定するだけの、確固たる根拠を示してほしいです。

否定することにばかりエネルギーを使うのではなく、

まず、

どうしたら、患者を救えるのか?

を一番に考えて、そのご経験と知恵とお力を貸してほしいと思います。

さらに、

「脳脊髄液減少症研究会の医師のいる病院を受診した 2763名の患者のうち、2455人にブラッドパッチが行われていた。」

「つまり、受診した90%の患者が同症と診断されたことになる。」

「脳脊髄液減少症研究会の医師たちは

脳脊髄液減少症は多いと主張するが、

単に、正常人を脳脊髄液減少症と診断している可能性が高いのではないだろうか?」

 

ですってぇ・・・?

なんてことを・・・・おっしゃる・・・

 

何にもご存知ないんですね・・・。

私たち患者の置かれてきた実態を・・・。

私には、なぜそういう数にのぼるのか、

 

その理由が、すぐに検討ついてしまいますがね・・・。

 

先生、それはね~。

とすぐにでも説明したいところですが、

また、長くなりそうなので、

 

また次回・・・ 

 

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脳神経外科学会 1

2008年09月16日 | 情報

病気仲間のろくろさんが、見つけてくださった情報です。

 10月1日から、日本脳神経外科学会が開催されるそうです。
 

その中で、脳脊髄液減少症について、
何人かの医師が

演題にある内容を発表するようです。

私は まず、大会会長の
岩手医科大学の 小川 彰先生の

 

お言葉のひとつひとつが私の胸に響きました。

 

特に以下の
 

『医療は患者中心に組み立てられるべきです。

多くの不確定要素を含み

人間を相手にする医療において、


効率中心の「流れ作業」や

「オートメーション」は決してなじまないことを認識すべきです。』

 

『病める患者がいるからこそ医療があるのであって、

病める患者を少しでも良くするために

医学の研究に努力しているのです。

「患者中心」が基本の中の基本であると

考えます。』


『脳神経外科医療の実態を国民に理解し

ていただき、

患者さん・国民福祉のために今何が必要

なのかを、

医療者側のみならず受療者と共に考え、

国民とともに歩む姿勢、「社会への発信」

なしには

脳神経外科医療の向上につながらない

のではないかと思います。』

との小川先生のお言葉が、

私にはまるで,

脳脊髄液減少症患者の置かれている、

厳しい現状を知ってのお言葉のようにも感じました。

おっしゃっていることは、
医師の心がまえとして当たり前のことなのに、
医師が忘れがちなことだと思いました。

小川先生、患者をおもいやる

やさしい言葉をありがとうございました。

この言葉を読んだだけでも、

脳脊髄液減少症患者の私は今後に

少し希望がもてる気がしました。

ありがとうございました。

また、『脳神経外科の専門家のみならず、多くの方々のご参加を得て、脳神経外科医療の今後の在り方を示すことが出来ればと考えております。』と先生の言葉が結んであるけれど、専門家以外の方も参加できるんですねぇ。・・・・マスコミ関係者?

まさか、患者はダメでしょ?聞きたいなぁ・・・。

どなたか、内容を取材して報道してくれませんかねぇ。

岩手医科大学

 

プログラム

学術プログラム

 

私は個人的には以下のプログラムに興味がわきます。

だって、脳脊髄液減少症に関する演題はもちろん、

それ以外の演題も脳脊髄液減少症に無関係とはとても思えないことがらだから、聞いてみたいです。 

脳はひとつでつながっているのだから、自分の専門外のことも

医師たちは興味を持ってほしいです。

でも、時間が重なっていると、

自分の会場の発表内容しか聞けないんだろうな~。

もったいないな~。

2A-SO5 10月2日(木)8:30~10:30 A会場

脳脊髄液減少症研究の現況

座長 吉峰 俊樹 大阪大学

    佐藤 慎哉 山形大学

(私のつぶやき:否定派医師も参加しているようですが、

こうやって、土俵にのって、いろいろ討論されるようになったことは感無量です。今まで脳脊髄液減少症は土俵にも乗せてもらえなかったのですから)

3-S10 

頭部外傷後高次脳機能障害の評価と対応

座長 榊 寿右  奈良県立医科大学

    重森  稔  久留米大学

10月3日(金)8:50~10:50  A会場

(私のつぶやき:どれだけの医師が、脳脊髄液減少症の高次脳機能障害の深刻さを知っているのでしょうか?今回も脳外傷の高次脳機能障害だけのようです。脳脊髄液減少症はまだまだ認知度が低いからしかたないか・・・)

橋本圭二先生って、先日NHKで見た、パラリンピックの自転車選手の主治医の慈恵の先生ですね。

関心のある方は、お問い合わせはこちら  

たぶん、脳脊髄液減少症のリハビリにはまだ取り組んでないかもしれないけれど・・・。)

3D-S11 

長期転帰から見た先天性水頭症に対するマネジメント
     

     (私のつぶやき:先天性水頭症があるのなら、先天性脳脊髄液減少症もあるような気がします。でも、それはまだあまり、専門医にも気づかれていないかも・・・。

気づかれないまま、発達障害などと、されていないかと心配です。)

 

★頭部外傷データバンク

★スポーツ頭部外傷

 特発性正常圧水頭症

座長: 橋本 正明 公立能登総合病院
石川 正恒 洛和会音羽病院
10月3日(金) 13:10 ~14:30 B会場
 ★重力可変式シャントによる最新の水頭症治療

★脳神経外科手術における脳機能画像の役割

★SPECTによる臨床研究

★脳神経外科における人工髄液の役割

★パーキンソン病に関する脳深部刺激療法

(私のつぶやき:実は私はパーキンソン病に似た症状もいくつか経験しています。脳脊髄液はもしかしたら、パーキンソン病にも関係しているのかも?早く脳脊髄液の仕組みを研究して~。きっといろいろなことがわかるはず。)

★ADの病理学的兆候の早期発見を!

 

 

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花火が見られた!

2008年09月14日 | ブラッドパッチ後の変化
今年の夏、

私は夜空に咲く、
花火を見ることができました。

しかも、夜、駐車場から花火会場まで歩いて行くこともできました。

不調で動けなくなりやすい夜、
駐車場までは車で行っても、そこからは歩いて会場近くまで行き、

頻尿や、切迫性尿失禁にも悩むこともなく、
外出時の尿取りパットも、紙オムツも必要なく、

体も苦しくなく、
ずっと1時間以上座っていられ、

最初から最後まで花火をみられたのは、悪化して以来、数年ぶりです。

自分でも驚きでした。

見終わって、また歩いて駐車場まで、歩くこともできました。

昨年は、車で近くまで連れていってもらい、
助手席を倒して、横になりながら、窓から夜の空を短時間ながめて見ました。

時には、車から降りて見た年もありましたが、
長く立っていたり座っていることが苦しくてできず、

横になる場所がなければ、その場にいることさえ難しく、
車に戻って、すぐ後部座席で横になるしかありませんでした。

最初から最後まで座って見ることなど不可能でした。

また、頻尿のため、トイレが近くて、
そういう意味でも、長くその場にはいられませんでした。

その日の体調にもより、夜も歩けることもあるのですが、
夜はたいていヨレヨレになっていて、

数百メートル以上杖なしで歩くことなど、ほとんど無理でした。

悪化する以前は、
さまざまな、原因不明の精神的、肉体的不調は抱えてはいても、

そのころはまだ、自力で外出することも、働くこともできましたから、
花火を見に行ったこともありますが、

悪化して自力外出不能になって以来、
最初から最後まで座って花火を見たのは、今年がはじめてです。

改めて、再ブラッドパッチの効果を感じました。

ブラッドパッチ治療後、
恐ろしく激しい体調悪化のような波もありましたが、

私は頼れる医師も病院も、近くになかったため、
また、主治医以外の病院不信、医師不信、薬不信のため、

薬にも病院にも医師にもほとんど頼らず、
ひたすら自宅で、自己流の療養生活を送りながらなんとか耐え抜きました。

本当に生き地獄で、死にたいほど苦しかったけれど、

気づけば、花火が見られるまでに回復していました。

私はブラッドパッチ以外、治療らしい治療は
ほとんど何も受けていません。

点滴治療も、薬も、ブラッドパッチ以外の代替療法も、
医療行為らしい治療は
ほどんど何も受けていません。

内臓痛や頭痛があまりにひどく耐え難い時に
ごくごく、たまに以前もらった鎮痛薬を飲むくらいです。

ただ、横になることと、

無理のないほどよい自己流リハビリ運動と、
栄養と、
塩分と糖分と、水分補給と、
さまざまな自己流の療養生活を、

自分の体調の要求に合わせて、繰り返していただけです。

ほどんど、寝たりおきたり、ひきこもり状態であった時でも、
体調のいい時には短時間でも、外出して、脳にいろいろと刺激も与えてきた
つもりです。

自己流の努力は、病名不明時代もしてきました。

でも、ブラッドパッチ治療前は、どんな自己努力をしても、
どんな民間療法をためしても、
どんな健康食品、薬酒、漢方、市販薬をためしても、
どんな規則正しい生活習慣を
送っても、

いろんな医師の、どんな処方をためしても、あくまで対症療法に過ぎず、
根本的には症状は何も改善しませんでした。

症状は繰り返されました。

だから、ここまで私を回復させた最初のきっかけをつくったのは、
ブラッドパッチに他なりません。

私の全身を動き回る不可解なさまざまな痛みや
激しいだるさや、記憶障害、怒りっぽさなどの多彩な
精神症状、身体症状の根本原因を

脳脊髄液減少症と的確に見抜き、
ブラッドパッチ治療をしてくださった主治医に、深く感謝申し上げます。

まだまだ、回復途上ですが、
たとえ、この後の人生で症状が悪化することがあったとしても、

一時でも、花火が最初から最後まで見られるようになったということだけでも
心から、感謝したいと思います。

何十年もの原因不明の体調不良や、
長い長い泥沼につかったようなだるさや激しい疲れや、

現実感の希薄な世界から救い出してくださり、

現実感のあるこの、生き生きとした世界に戻してくださり、

一時は、車椅子にも苦しくて長く座っていられず、
リクライニング機能付きの車椅子をレンタルしていたほどの私を、
ここまで回復させていただき、

救っていただいた医師とその医師をささえる病院スタッフの皆様に、
心から感謝したいと思います。

救っていただいた私が、
今度は皆様に何ができるのか、考えています。

こうしてこの病のことを伝え続けるだけでいいのかと考えています。

医学から見捨てられていた私を、
救ってくださった医師とスタッフと病院関係者の皆様、

どうか否定派の方がたからの、バッシングに負けないでください。


世の中の無理解に、負けないでください。

否定派の医師も、
無理解な世の中も、
私のような患者の存在を、知らないだけなのだと思います。

交通事故後、数十年放置されたあげくの、ブラッドパッチ治療で回復途上の
生き証人の患者がここにいますから・・・。

もっと回復して見せますから、

待っててください。



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動画と情報

2008年09月12日 | 情報
過去の議事録の情報など、
今までブックマークに貼ってあったものと、

過去の動画や最新の動画を、
ここに整理しようと思います。

動画サイトをクリックする時は、

音が出ますので、聴覚過敏の方は音量にご注意ください。

患者さんからのメッセージ

患者会からのメッセージ

こどもの脳脊髄液減少症に関するメッセージ

和歌山県知事会見動画(7月15日のところをご覧ください。)


ニューススクランブル 2007年8月29日
「クローズアップNEWS」→「バックナンバー」→「8月29日」の「再生」をクリックで動画開始します。

同じように、「バックナンバー」から「2006年9月27日」のところにももうひとつの動画があります。

NHK教育「きらっと生きる」
「番組を見る」をクリックしてください。

日テレニュース24 右下の動画を見るをクリックしてください。
内容は過去のものです。

過去の情報も貼っておきます。

国会議事録検索システムで 
検索してみてください。
・キーワードは「脳脊髄液減少症」
「平成18年3月8日」
発言者「渡辺孝男」 キーワードに検索してみてください。


出てきた画面の文章の続きを読むには、発言者の横の「次」というところをどんどんクリックして
お読みください。444~458までが脳脊髄液減少症関係です。

・同じように、国会議事録検索システムで、
2007年12月4日、
第168-参議院ー厚生労働委員会ー9号 
足立信也議員 (民主党緑風会)と入力して検索してみてください。


茨城県議会

NHKクローズアップ現代
↑右の過去の放送の「2007年」の「4月」をクリックし、画面の「これまでの放送」の「第3週」の「17日」をクリックしてお読みください。

過去の報道ステーションの放送内容

YOU TUBEで「脳脊髄液減少症」で検索したもの 

(上に張った動画と一部ダブっていますが、このまま貼ります。)

新しい情報が出次第、過去の情報を整理次第、
ここに貼り付けていこうと思っています。


2009年3月17日 追加動画
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思いを伝えてください。

2008年09月10日 | つぶやき
今日は自殺予防デーです。

今日から16日まで自殺予防週間です。


あなたの思いを伝えてください


今の苦しい自分を、誰かにわかってもらうために・・・。

死に急ぐ人を、これ以上増やさないために・・・。

助かる命は、救ってもらえる社会にするために・・・。




あなたの思いを伝えてください。


伝えなければ、人には伝わらない。

そう思って、
私もこの見えない脳脊髄液減少症の症状を
書きつづってきました。

脳脊髄液減少症で自殺も起こりえることも
今も伝え続けています。


今の悩みだけでなく、経験、

自殺をなくすための提案、情報提供、要望、

何でもいいと思うのです。

関係機関なら、どこでもいいと思うのです。


思いを伝えなければ、何も伝わらないし、

世の中も、何も変わらない・・・。


あなたの思いを伝えてください・・・。

そして、どうか生きてください・・・。


とりあえずでも、いいから・・・・。



  


東京自殺防止センター

自殺防止に取り組む、NPO法人ライフリンクへのメールはこちら

内閣府へのご意見はこちら
(共生社会のところをクリック)

国立保健医療科学院自殺予防研究グループへの

メールはこちら

各地での関連行事はこちら

全国の相談窓口は こちら

自殺予防総合対策センターへのご意見、メールは、
こちらのページの一番下の連絡先を参照


脳脊髄液減少症の患者の生の声を、どうか届けてください。
私だけでなく、他の患者さんの声も、自殺対策にかかわる専門家の方がたに
聞いてもらいたいです。

おそらく、この方がた も、脳脊髄液減少症と自殺との因果関係について
まだ、ご存知ないかもしれません。

どなたか伝えてください。

また、自殺対策にかかわる構成員の方がたが、もし、
脳脊髄液減少症と自殺との関連を、全く気づいておられないとしたら、
自殺予防には片手落ちです。

また、構成員の中に、脳脊髄液減少症に詳しい人がひとりもいないのは、とても危ういと思います。

脳脊髄液減少症に詳しい医師や、脳脊髄液減少症と自殺の問題に詳しい、
患者代表の方に自殺予防のための構成員に参加してもらいたいところですが、

脳脊髄液減少症患者と医師の置かれている今の過酷な現状では、
それぞれの立場でのことで、毎日が精一杯で、

自殺予防にまで取り組む余力はないのが現実でしょう。

だから、せめて、この現実を関係者に伝えて、知ってもらうしかないと
私は思っています。


   

線維筋痛症
脳脊髄液減少症の痛みの症状はあまりにも似ています。
とても無関係とは思えません。

同じ病態につけられた「違う病名」ではないかとさえ、感じてしまいます。

線維筋痛症で自殺されたとされるあのアナウンサーも、
私はいまだに、真相は「脳脊髄液減少症だったのではないか?」と
思う気持ちが消えません。

ただただ、残念でなりません。
早く、早く、皆さんの知恵を集めて、研究を進めて患者を助けてほしいです。



検索していて、こんな記事見つけました。

他の党は、いったい何しているんですかね?
この病気には自分には関係がないと思って、関心がないんですかね?



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自殺予防週間

2008年09月09日 | つぶやき

今日は9月9日で救急の日だそうです。

 

さらに明日9月10日から16日まで、

自殺予防週間だそうです。

以下、

内閣府からのおしらせです。

新聞広告です。

『「自殺は予防できます。」

身近な人の心のサインに気づいてください。

「死にたい」と思っていませんか。

あなたの思いを伝えてください。』・・・・・

ですって・・・。

 

・・・そう簡単に言われてもねぇ・・・

 

脳脊髄液減少症なのに、長年病名もわからず、

苦しみを誰に訴えても訴えても、

得たいのしれない難しい症状を、医師に

必死で伝えても伝えても、

 

苦しみの深刻さを信じてもらえず、

まともにとりあってもらえなかった私からみたら、

 

「あなたの思いを伝えてください。」なんて言葉は

形式的なそらぞらしい言葉に感じます。

 

自殺してしまうような方は、

苦しい思いを誰かに伝えたってどうせ伝わらないと思いこんでしまったり、

伝えようとして努力しても、

いくらSOSを発しても、

実際にはなかなか人に苦しみが伝わらず、

 

「助けてもらえない。」

「自分ではもう、どうすることもできない。」

「生きていることに耐えられない、もうダメだ。」

と、思いつめて力尽きてしまうから、

自殺してしまうのではないでしょうか?

 

自殺者は年間3万人を越えるそうですね・・・

一日に90人もの人が毎日自殺している計算になるそうですね。

未遂者はその10倍くらいいるそうですね。

 

私も脳脊髄液が漏れているとは知らず

原因不明のさまざまな症状に、さんざん苦しみ、

生きたいけれど、あまりのこの重苦しい肉体を

死んで脱ぎ捨ててしまいたいと思ったことも

ありました。

 

病名がなかった時代だから、仕方がないとはいえ、

苦しみをいくら周囲や医師に訴えても、相談しても、

誰もわかってくれませんでした。

 

だから、

私は、この3万人の自殺者数の中に、交通事故被害者で、

本人も知らないうちに脳脊髄液減少症を発症している人が

きっと含まれていると思っています。

 

なぜなら、

自殺者の自殺原因の調査で

うつ状態や精神疾患とされたり、自殺動機では、上位に

健康上の悩み、病苦、

仕事上や経済的な悩み、

家庭上の悩み、

が挙げられており、

それらは皆、脳脊髄液減少症でも、かなりの確率で

2次的に引き起こされることがあるからです。

 

私も交通事故後、さまざまな心身の苦しみに

次々と見舞われ、

何とかしようと、 医師めぐりもしましたが

検査で異常が見つからず、精神的なものにされたこともあります。

 

医療相談機関の電話相談にもかけて相談しましたが、

当時では脳脊髄液減少症という病名はこの世にまだ存在せず、

真相にはたどりつけませんでしたから、

何の解決にもつながりませんでした。 

 

私はその時、自分の抱えたこの苦しみは人には伝わらない種類のものだと悟ってしまいました。

 

NPOライフリンクの方がたが、自殺者の調査をもしてくださったそうですね。

ぜひ、これからは脳脊髄液減少症と自殺の関連性についても視野に入れて、

声なき声に耳を傾けて詳しく調査してほしいと思っています。

どうかよろしくお願いします。

  

 交通事故で見えない怪我を負ったために、

本人も気づかない間に、脳脊髄液減少症の病魔がしのびより、知らない間に病によって人生をだいなしにされているのに、

死にたいほどの状況に追い込まれているのに、

まるで本人のせいにされている人も

私以外にも、きっと大勢いるはずです。

 

よく、自殺者は交通事故志望者数の何倍とかいう比べられ方をしますが、

軽症も含めた膨大な人数の、交通事故負傷者の存在も忘れないでほしいと思うのです。

 

私の経験からしても、

それらの交通事故負傷者の方の中にも、

(見えない怪我がもたらす苦しみによる)

自殺予備軍が発生する危険があると感じています

 

軽症とされた人も含めた膨大な負傷者の中には

知らない間に脳脊髄液減少症を発症している方もきっといるはずです。

交通事故で、目だった怪我がないために、軽症と判断されてしまい、

それ以後出てくる症状を、誰もまともに受け止めてくれず、

私のように、時間差で脳脊髄液減少症の症状が現れたために、交通事故との因果関係に本人も気づきにくく、

死に逃げ出したいほどの心身の苦しみや、

うつ病や精神疾患のような状態に、2次的にさせられ、

 

原因のはっきりしない体の不調と精神の不調のために、

医療からも見捨てられ、放置されている方も

きっといるはずです。

 

自分でどんなに克服しようと努力しても、

脳脊髄液減少症の身体症状、精神症状は改善せず、

次第に日常生活まで侵しはじめ、

仕事がうまくいかなくなったり、職場を追われ失業したり、

それで経済的に追い込まれ、それで家庭もおかしくなったり、

 

高次脳機能障害で、忘れっぽくなったり、物忘れしたり、

怒りっぽくなったりで人間関係もおかしくなり、孤立し、

大切な人との人間関係にもヒビが入ったりと、

次第にすべてが狂いはじめるのです。

 

交通事故死亡者数にばかり気をとられることなく、

事故負傷者として命があり、生きているからこそ

いつ、自殺につながる事態に追い込まれるかもしれないことに

気づいてほしいのです。

 

事故負傷者の方がたの中に潜む、

脳脊髄液減少症を早期発見、早期治療することは、

自殺者を予防することにもつながると

私は思っています。

逆に、脳脊髄液減少症を早期発見、早期治療しないことは

人の命を軽視した行為だと思っています。

 

否定派医師の行為は

人命軽視の行為と同じだと思います。

 

脳脊髄液減少症になっていることに気づかず、治療も受けず、放置されれば、

体の症状も精神の症状も次第にひどくなり、

その心身の苦痛はやがて耐え難いものになります。

 

しかも、頼みの医師にすら、脳脊髄液減少症を知らないために、冷たい目で見られ続ければ

八方塞がりになり、

もう、自分ではどうすることもできず、出口を見つける気力も

助けを求める気力もなくなります。

 

幸い、私は生き延び、病名にたどりつき、治療も受けられ、

かろうじて現在がありますが、

自分の過去を振り返ると、

交通事故で同じような目に逢い、

脳脊髄液減少症にさせられて、自分でも苦しみの真相を知らないまま、

自ら死を選んでしまった方もいるような気がしていたたまれません。

 

脳脊髄液減少症問題に、医師や国や行政が真剣に取り組むということは、

ひいては、自殺予防にもつながってくると私は思っています。

 

だいたい、国や社会が自殺防止に

本当に真剣に取り組もうとしているのなら、

自殺者もでるほどの、脳脊髄液減少症患者の

必死の叫びを、こんなに長期間、ほったらかして、

否定派医師をはびこらせ、

何の具体的な支援対策もたたないまま、

こんなに長く、患者を救済しないままなのはおかしいと思います。

 

否定派医師がいる限り、

患者に国からの救助の手はさしのべられず、

患者や死にたいほどに追い詰められている人の

必死の叫びなんか、

生の患者がいくら声をあげても、

国にも社会にもなかなか伝わらないじゃないですか!!

 

こんな体験をしている脳脊髄液減少症患者の私から見たら、

自殺予防週間だからって、

「あなたの思いを伝えてください。」なんて

表面的な言葉は

白々しいメッセージに聞こえます。

 

こんな社会では、

「苦しみを訴えても、助けてもらえない、

訴えても助けてもらえないなら、思いを伝えるだけ無駄だ。」

そう思いこんで絶望してしまう人がでても、仕方がないじゃないですか?

 

キャンペーン的な掛け声だけではなく、

形式的な呼びかけではなく、

 

実際に、死にたいほどに苦しくて、

自分ではもうこれ以上どうすることもできなくて、

生き続けることが苦しくて、耐えられなくて、

でも、

助けてもらえるなら、この苦しみから、助けてもらいたくて、

必死で耐えている状態の方がたを、

 

少しでも楽にしてあげられるような、

もっと、具体的な自殺防止対策を望みます。

 

たとえば、自殺に導かれやすい病の対策を急ぐとか・・・。

何もそれはうつ病だけではないのです。

 

自殺原因になりうる数々の苦しいを生み出すばかりか、

うつ病を引き起こす原因病でもある、

脳脊髄液減少症の対策も急いでほしいと思います。

 

死にたいほど苦しいけれど、生きたい

この苦しみさえなくなれば、生きられるかもしれない。

 

死にたいほどに苦しんでいる人が、そう

最後ののぞみを託して、勇気を出して、

 

「誰かに思いを伝えたら、助けてもらえるかもしれない。

誰かに相談したら、

苦しみから抜け出せる糸口が見つかるかもしれない。」・・・・

そう思えるような

国や社会にしてほしいと思います

 

そのためにはまずは、現実を知ってください。

脳脊髄液減少症患者がどれだけ自殺を考えたことがあるか、

脳脊髄液減少症患者に数多く接している医師に直接聞いてみてください。

 

 

19年度の自殺者の概要

NPO法人 ライフリンク自殺白書

産経新聞

解説委員室

日本心理カウンセラー協会

NPO法人 ライフリンク

毎日新聞

茨城警察

つけたし

毎月の自殺者の推移

自殺対策基本法

 

おまけ・・・       

先ほど、高次脳機能障害のパラリンピック選手の

テレビ放送見ました。

なんというか、脳に傷が認められ、れっきとした後遺症と世に認められた病と

そうでない病の脳脊髄液減少症は、

同じ高次脳機能障害があっても、

こんなにも世の中の扱いが違うのか、という思いで

複雑な思いがわきました。

脳脊髄液減少症の病名では、障害があっても、パラリンピックにはおそらく出られませんものね・・・・

 

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けさの収穫

2008年09月07日 | 小さな幸せ
けさの収穫

ゴーヤ    1本

きゅうり   1本

三つ葉    3本

ミニトマト  25個

ピーマン    1個

パセリ     少々

ナスは・・・・残念ながら、なっていなかった。



これも、自分のための園芸療法だと思っています。

この楽しみのおかげで、

だるくても、毎日、早朝、
外に出るようになりました。

朝の光を浴びることは、

脳脊髄液減少症によって乱れた自律神経のリズムを整えるのにも、
脳の機能回復のためにも、
大切だと思っています。

うつ病や、睡眠障害の治療に
光療法があるほどですから・・・・。

また、葉の繁みの中に、
実っている野菜を見つけた時の、
驚きや喜びは、

脳にとって,
いい刺激になると思っています。

脳脊髄液減少症の生き地獄のような体の症状も

まるで精神病のような精神症状も、
深刻な高次脳機能障害も、

全く経験のない人や、専門家が考えたリハビリ法を
医療施設で義務的に受けるよりも、

実際に病で苦しんだ自分が、自分のために考えた

自分の脳が心地よく楽しめる、
生活の中の、自然なリハビリの方が

案外、

自分の脳にとっては、
効果的なのかもしれません。

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