脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

世界禁煙デーに思うこと。

2009年05月31日 | つぶやき
本日 5月31日はWHOが定めた世界禁煙デーです。

最初に言っておきますが、
私はタバコは大嫌いです。

百害あって一利もないと思っています。

なぜ、健康に悪いとわかっているもの、発癌性のあるとわかっているものを
国が許しているのか私には理解できません。

消費者も、食品添加物などの発癌性物質には非常に敏感なのに、
なぜにタバコには寛大なのか、理由がよくわかりません。

昨日から今日にかけて各地で禁煙促進のためのイベントがあるようです。

健康に害を及ぼすおそれのある悪い習慣がなくなる社会は
私も望ましいことだと思います。

何もわざわざ害のある物質を体内に摂取して、
脳をニコチンという薬物依存状態にし、
体の細胞を傷つけ、痛めつけ、がんのリスクを高めることはないと思います。

ですから、
喫煙の害を訴え、さまざまなイベントなどで
国をあげて国民に禁煙を呼びかけることは私も賛成です。

循環器学会はじめ、さまざまな医師の学会や団体も
禁煙にはとても力を入れているようです。
(脳脊髄液減少症でも循環器の症状が出るのですからもっとそのことにも
気づいてほしいものですが・・・。)

ニコチン依存症になってタバコをやめたい人や、
タバコが原因での病になってしまった患者さんたちには
現代は、健康保険での手厚い医療が用意されており、
そういう意味では、
愛煙家に優しい社会、優しい時代だと思います。

でも、
私はかねてから疑問に思っていることがあります。

それは、

なぜ、嗜好品であるタバコを体に悪いと知りつつ、吸い続けた結果起こった、

COPDや肺がんになり、
その検査や治療や、タバコをやめたい人の禁煙外来の治療には健康保険適用

自分に何の落ち度のない交通事故で、
脳脊髄液減少症という体の内部の見えない怪我を負い、

症状に苦しむ患者の、ブラッドパッチ治療は健康保険適用外なのか?ということです。

タバコで肺がんになった患者様、
遅ればせながら、タバコの害に気づき、自分のためにも、家族のためにも
タバコをやめようとされている患者様は

どうぞ、医師や国が推進してきた
健康保険適用の治療で、タバコの害から解放され、
お体を回復され、健康をとりもどしていただきたいと思いますが

でも、なぜ、脳脊髄液減少症患者はこれほどまでに社会から軽視され、
健康保険の適用もないのか?納得できないのです。

絶対におかしなことだと思います。

その昔、
副流煙で周囲のタバコをすわない人にまで健康被害を出すことまでは、
知られていなかったかもしれませんが、

タバコが体に悪いということ、周囲にも迷惑をかけるということぐらいは、
少なくともここ数十年前からの愛煙家の大人なら、誰でもわかっていることだと思います。

現代では子供達にも薬物教育がなされ、
その中で、アルコールやニコチンの依存症についてや
それがもたらす恐れのある健康への害についても、詳しく教育されているはずです。

昔の子供達は学校でそこまで教育されることはなかったにしても、

大人になってから、
タバコを吸い続ければ体を壊すことぐらいの認識は
少なくとも多くの大人たちにはあったと思います。

それなのに、
体に悪いということがわかっていながら、自らの嗜好で自らの意思でたばこを吸いはじめ、税金をとられながら自らの体を不健康に導くなんて、
愚かなことだと思います。

やがて、ニコチン依存症になり、
自らの意思だけではなかなかやめられなくなり、

こんどは健康保険でタバコをやめるために禁煙外来にかからなければならなくなる。

寝タバコでの火事のリスクや、副流煙での家族や周囲への害を与えるリスク、肺がんなどのリスクをしりながらも、
なかなかやめられず、、結果、自らの体を病に蝕まれて重大な健康被害がでれば、多大な医療費がかかります。

タバコ税で国が得られるお金より、
タバコによって国民が失う健康で、国が失うお金の方が多いのではないかと
私は思います。

患者本人はタバコによってお金を失い、健康を失い、
お金に替えられない大切なものをたくさんタバコによって失うと私は思います。

ニコチン依存症という病により、深刻な病におかされ、
命の危険があり、医師に禁煙を勧められても、
なかなかやめられない。
病床で隠れてまで吸う。
そして、ついには、死に到ってしまう。
そんな悲しい結果を、私は現実に間近で見たことがあります。

その人は、私からみてあきらかに、ニコチン依存症とアルコール依存症と思われましたが、ご自身も家族も、
体を病んだ元凶である、その二つの病の存在には最後まで気づけないまま、

禁煙にも断酒の必要性にも全く気づけないまま、
医師のつけた体の病名を治そうと必死になりましたが、
結局逝ってしまいました。

闘病中、その人はタバコやお酒はやめられないのに、わらにもすがる思いで
さまざまな高額な健康食品にすがっておられました。
奥様は宗教にもすがっておられました。

当時の無力な私にはどうすることもできず、ただ近くで見ているしかありませんでした。

それでも医療はその人を救おうとしていたし、
その人は患者として医療にきちんと向き合ってもらっていました。
ただ、病気の本性である、アルコール依存症とニコチン依存症については
治療の必要性にさえ、医師も家族も本人も気づいておられないようでしたが、

コチン依存によって引き起こされて体の病気に関しては、
しっかりと治療の対象者として、医療に向き合ってもらっていました。

このように、自らの意思でタバコを吸いはじめ、
その結果ニコチン依存になり、タバコがやめられなくなり、
やがて肺がんのような病におかされた人でも、
治療にも検査にも健康保険がききます。

最近では、ニコチン依存症になっってしまった方が、
タバコをやめるための禁煙外来でも
健康保険がききます。

それなのに、なぜ、自分に何の落ち度もない交通事故で
脳脊髄液減少症になった患者は、
治療にも検査にも健康保険がきかず、

自腹をきって、10割負担で治療を受けなければならないのでしょうか?

交通事故で加害者の一方的な「事故という暴力」によって脳脊髄液減少症になった
患者たちは、

自分から病になるきっかけをつくったわけではありません。

自ら悪い生活習慣のせいでこうなったのではありません。

体に悪いと知りつつも、自ら体に害のある物質を摂取し続けたわけでもありません。

それなのに、愛煙家の方がタバコを吸い続けたことによって
COPDや肺がんになっても、検査にも治療にも手術にも健康保険が効き、

自らの意思でタバコを吸い続け、ニコチン依存症になってしまった人がタバコをやめたいと思うことで受診する禁煙外来でも、最近では健康保険がきくのに、

なぜ、交通事故が原因での脳脊髄液減少症被害者たちは、
損害保険会社には事故との因果関係さえ否定され、

脳脊髄液減少症患者の検査も治療も健康保険を認められないような
残酷なことが、この日本で繰り返されているのでしょうか?

もういいかげん、被害者いじめはやめてください。

もういいかげん、損害保険会社も否定派医師も目を覚まして、真実をよく見てください。

なぜ、
タバコに関しては、
どんなに患者本人の生活習慣や悪癖が一因となっていると思われても、
健康保険で手厚い医療が用意されているのに、

自分には何の責任もなもらい事故の交通事故被害者で
脳脊髄液減少症になっら最後、
なぜ、患者は自腹で治せ!と冷たく社会から突き放されるのでしょうか?

この国は何かおかしいと思います。

私にはそれがどうしても納得がいかないのです。

非常に不公平に感じます。

これが、人体に対する害が広く認知された病と、まだ広く認知されていない病の
扱いの違いなのでしょうか?

厚生労働省はいつになったら脳脊髄液減少症についても
たばこの害を国民に知らせるように
脳脊髄液減少症についても国民に情報を流し、注意を呼びかけてくださるのでしょうか?

タバコの害の恐ろしさ、健康被害を国民に伝え、
注意をよびかけるように、

ありふれた不定愁訴に隠されている恐れのある、脳脊髄液減少症のことや、

それが悪化した時の症状の恐ろしさや、
早期発見、早期治療の大切さについて、

いつになったら、全国民に注意を呼びかけてくれるのでしょうか?

そして、
いつになったら、
脳脊髄液減少症かもと思ったら、全国いつでもどこでも、どの病院でも、
健康保険適用で、検査も治療もしていただける日がくるのでしょうか?

働けなくても学校へ行けなくても、患者に対しなんらかの社会支援があり、
安心して闘病できるようなシステムが整う日は
いつくるのでしょうか?

早くなんとかしてもらいたいものです。


追加、
脳脊髄液減少症患者様で、なおかつ今もタバコを吸っておられる方がいるなら、

ご自分の体をこれ以上苦しめないためにも、
私はぜひとも、この機会に禁煙に真剣に挑戦していただきたいと
私は個人的に思っています。

ご自身の体や脳がかわいそうじゃぁないですか?
ただでさえ、脳脊髄液減少症で弱り痛めつけられている脳や体を
タバコまですっちゃって、わざわざ不健康になるようなことをしちゃあ・・・。

この機会に、禁煙にぜひ挑戦してみてほしいです。

禁煙外来は、保険がきくようですから・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五月病?

2009年05月29日 | 心の葛藤
(リンク先はパソコンでご覧ください。)

もうすぐ5月が終わります。

5月は精神的にとてもつらい月でした。

1ヶ月がとても長く感じました。

4月に環境が変わった社会人や新入生たちが、
今までの緊張やがんばりが一段落して、どっと疲れが出て
うつになりやすい5月。

5月は、人にとって精神的な疲れが出る月のようです。

それは新入生でも新社会人でもない
病人でしかない私にとっても、同じようです。

5月は世間はゴールデンウィークでウキウキする月だというのに、

私の気分は沈んでばかりでした。

いろいろなことが重なって、気持ちがいったんブルーになると、
なかなか気分が回復してきませんでした・・・。


体調や天気の悪化も加わると、それは自分のせいではないのに、
自分を責めて最悪な気分になります。

過去のことを思い出したり、
健康で楽しそうな親子づれや、
幼い子を連れた若いお母さんを見ると、
なぜか、とてもとてもつらくなり泣きたい気分になりました。

テレビで活躍する自分にはない健康と成功を、
若くして手にいれている人の姿は、
見ていてどうしてもつらくなりました。

人と自分を比べても仕方がないことは頭ではわかっていても、
どうしようもありませんでした。

石川遼選手や、浅田真央選手を見ると、
つらくてたまらなくなり、見続けることができず、
チャンネルを変えてしまうほどでした。

以前はオリンピックがつらくて見ていられなかったことがありました。

その時は軽やかに動く選手を見るだけで、落ち込んで涙がでましたが、
その時ほどひどくはないのですが、やはり健康な精神状態ではないようです。

脳脊髄液減少症になりながら正しく診断もされず、
病名もなく、治療もされてこなかった月日は

「患者として生きる」ことさえ許されず、
「病人としてさえ」認めてもらえず、

ましてや「被害者として救済の対象としても」認めてもらえず、

昔の事故での脳脊髄液減少症患者は
人としての、あらゆる権利を奪われ続けていたのです。

いまさら、病名をもらったところで
今ごろブラッドパッチという治療に出会ったところで、

私の貴重な人生の時間は戻ってきません。

私以外にも、長期間病名ももらえず、医師にまともにむきあってもらえず、
助けてもらえなかったことで
体の苦しみのみならず、心にも深い傷を負っている患者様もいると思われます。


5月は
私も過去を思い出したり、
いろいろあって後半泣いてばかりでした。

かなり精神的にうつになっていると自分でも感じましたが、
自分ではどうすることもできませんでした。

思えば今年になってから、いろいろとつらいことが重なり、
なんとかそれを乗り越えようとがんばり続けてきました。

それらが峠を越えたところで、

季節の変わり目も重なり、いろいろ現実の世界での出来事が
新たに起こり、

今までの張り詰めていた心の糸がプツンと切れて、
がんばりと忍耐の精神的な疲れが、一気に出てしまったのかもしれません。

今週の25日になって、気持ちが少し明るくなりましたが、
気分の波はまだまだです。

こんな時は精神科医を受診して
少し抗うつ剤でもためしてみれば、元気がでるのかもしれないけれど、

医師に相談するにも受診するにも時間もお金もかかり、
待ち時間も考えると受診する気さえ、おきません。

気持ちが自然に回復するのを待つしかないと思います。

季節の変化も無関係ではなさそうです。

数人の知人がこの季節にいっぺんに亡くなりました。

病人には季節の変わり目は心も体も何かと危険なようです。
私を今支えてくれている人たちも、いつかは死んでしまうのかと考えてしまい、
ました。

こんな5月、心を癒し支えてくれたのは、
自然界の植物、動物たち、そして、
ネット上の同病の患者さんたちの存在でした。

闘病中の病人にも容赦なく押し寄せる
大人としてこなさなければならない日常の数々の事、
大人としてやらなければならない、さまざまな役割と与えられる課題。

それを、目に見えない本人しかわからない障害をかかえつつ、
こなしていくことの困難さ。

それが思うようにできない自分。
そのできない自分、人に迷惑をかけている自分が自覚できるから、よけいにつらいのです。

決して怠けているわけではない。
決してさぼっているわけではない。
わがままなわけじゃない。

決して依存心が強いわけではない。
決して不真面目なわけでも、
ふざけているわけでもない。

「できない」のです。

しかし、そうは見てもらえない。

脳脊髄液減少症は
他の病に比べて、残酷な病態だとつくづく思います。

脳脊髄液減少症で悪化する前は、
こんな私ではありませんでした。

人を待たせたり、迷惑かけたり、義理を欠いたり、
なんでも人の助けを必要とするような、そんな人間ではありませんでした。

子供のころから、人の気持ちを先まわりして読んで、
必要以上のことまでこなし、なおかつ人の面倒も見るような
人を困らせることのほどんどない子でした。

ほめられることはあっても、叱られるような、非難されるようなことはほとんどないまじめな子でした。

大人になってからも、
こんなに悪化する以前は、がんばりやのまじめな義理がたい人間でした。

症状を抱え人生を翻弄されながらも、必死で人生を立て直そうと
努力してきました。

それが、この病になってから、時間も守れず、約束も守れず、
がんばろうと思ってもがんばれず、
やらなければならないことがわかっていても、なかなかとりくめず、
優先してこなすべき問題も後まわしになり、

片付けもできず、整理整頓もできず、オシャレもできず、
服のコーディネートもできず、

お歳暮もお中元も年賀状も苦痛になり、社会一般のおつきあいもできず、

着替えも、歯磨きも、洗髪も、
疲れと気力がなく、まともにできないこともあり、
自分の世話が満足にできないこともあり、

はたからみれば、
日常生活も労働も、大人としての義務も、常識も、
冠婚葬祭の人間関係のおつきあいも、
満足にできない、

「ただのだらしがないひきこもり人間」にみられるようになってしまいました。

脳脊髄液減少症とわかるまでは、
なぜ自分がこんなにも「ダメ人間のように」なりさがってしまったのかわかりませんでした。

でも、病名が判明して、
私をそうさせた脳脊髄液減少症という原因がわかり、少し気が楽になりました。

でも、今も、この知られざる「脳脊髄液減少症」という真犯人に気づかないまま、
周囲から責められ続け、叱られ続け、ダメ人間扱いされ続け、
自分も自分を責め続けている患者さんたちがこの世にいるかもしれないと思うと
いたたまれません。

自分のこともきちんとできなくなり、
大人として周囲から、ダメな人間。
礼儀しらず。
付き合いが悪い。
自分勝手。
調子がいい。
怒りっぽい。
感情に波がある気分屋。
大人として常識がなっていない人。
忘れっぽい人。
だらしがない人間。

時間を守れない人間。
約束を守れない人間。と

病の症状のせいで私と同じように、
ダメ人間と誤解され続けている患者さんが
この日本にどれだけいることでしょう?。

できないことは本人のせいではなく、症状のせいなのに、
しかも本人に落ち度のない交通事故によるものなら、
なおさら本人のせいではないのに、

人からも自分自分からも、「ダメ人間のレッテルを貼られ」責められ続けることは
あまりに悲しいことです。

私も、あの交通事故にさえ遭わなければ、
こんな見えない理解されにくい、
脳脊髄液減少症という障害を負うこともなく、

私という人間の評価もこれほど下がっていなかったでしょう。

悔しさと悲しさとでやりきれなさで、心も体も固まってしまい
動けなくなります。

過去は変えることはできない、
未来は変えることができる、
悩んでもしかたがない。そう自分に言い聞かせても、心の葛藤はなかなか消えないのです。

ただ、泣いて泣いて、気のすむまで泣いて、
自分で自分の心が自然に立ち直るのを待つしかないのです。

自分の意思ではどうしてもできないことを、
健康な人から理解されず責められることは本当につらいのです。

できない自分、人に迷惑をかけている自分が自覚できるから
よけいつらいのです。

患者はどんな世界に住んでいて、
どんな風に日常生活を障害されているのか?といった、
ひとつひとつを詳しく説明しなければ、世間の健康な人たちにはわかってもらえないと思います。

でも、説明するには多大なエネルギーがいるし、言葉にするのは非常に難しいのです。
今は書く気も説明する気も起きません。

でも、後に続く患者さんのためにも、
大人以上に表現できないと思われる、子供の患者さんの誤解を解くためにも、
いつか、詳しく書かなければと思います。

ただ、
脳外傷の高次脳機能障害ほどではありませんが「発動性の低下」があることや「成人ADHDにみられるような、常識では理解しにくい、できることとできないことの落差」に似た状態
似た状態があることは私自身が自覚しています。

ですからこれらの障害について学んでいただければ、
脳脊髄液減少症患者の置かれている状況が、少しは理解していただけるかもしれないと思っています。

脳脊髄液減少症でこれらの誤解を体験した患者様だけは、
うまく言葉で表せなくても、
私の言っている意味がわかっていただけるかもしれません。

でも、自分のそういう異変に気づいているのは、ごく一部の患者だけかもしれません。

本人すらもこれらの症状は、激しいからだの症状に隠れて
なかなか自覚できないと思います。

体の症状も精神症状のダブルパンチ、しかも
どちらも理解されにくく、表現しづらいものばかり。

おそるべき病態です。

しかも、ブラッドパッチしたからといって、
これらの見えにくい脳機能障害が、一気に改善するわけではありません。

私の経験だと、体の症状同様、改善にはかなり時間がかかり、
数ヶ月単位、年単位でよくなる感じがします。

でも、その間、

患者は、
見た目普通の人に見えるから、
患者だからといっても、
大人は大人としての当たり前の対応を常に求められます。

子供はこどもで、治療したのだからもう大丈夫でしょう?と
普通の子供達と同様のことを求められるかもしれません。

しかし、脳脊髄液減少症患者は見た目に反してすべてが
健常者のようにスムーズに運ばないことが多いのです。

日によっても、時間によっても、お天気によっても、
まるでパーキンソン病の患者さんのように、症状が変化します。

周囲の理解と支援が絶対必要なのです。

物事をするにも、
自分が気が向いた時に調子の良いときに自分の体調に合わせてすることと、
自分の調子とは関係なくきめられた予定をこなすこととは
できる内容も量も全然違ってくるのです。

自分の好きなことと、嫌いなことをするにも、
健常者以上に意欲や発動性に差が出てしまうのを自覚しています。

精神状態にも体調にも波があります。
それは自分でコントロールすることはできません。

天候や生理周期などに翻弄され、
患者個人の努力や自己管理でとうなるものでもありません。

思うようにできない自分が自覚できるから、よけいつらいのです。

いくら病のせいだと頭でわかっていても、
かつての自分と今の自分を比べて
なんて自分はダメなやつなんだって・・・・自分をさらに追い詰めます。

「ブログは書けるくせに!」
「書いている病状とやっていることが一致しない。」などと
かつてコメントで批判されたこともありますが、

健康な人から見たら、そう思われてもしかたがないと思います。

私が逆の立ち場だったら、同じように疑問に思うと思います。

「関心のあることはできるくせに。」
そういう言葉が自分の中からも、
「他のことがまともにできない自分」を責めたてます。

そういう思いがいったん起こりだすと、
唯一の私の逃げ道である、このブログすら、
書くことに、罪悪感を感じてしまいます。

他のことが満足にできないのに、
こんなことをしていてはいけない、

「書いてはいけない」、と思うと余計にストレスがたまり、
さらに精神的につらくなります。

書いてはいけないと思いつつも、
ここしか自分の思いを吐き出すところがないから書き続けていますが、

こんなことばっかりやって、他がまともにできないダメ人間、優先順位が違うだろう、という自分の中からの声は止まりません。

自分で自分を責め続けて、自己嫌悪に陥ります。

この、悪循環に陥ると這い上がるのがかなり難しくなります。


こんな私から
世の中の皆様にお願いがあります。

脳脊髄液減少症の患者ができないことがあったら、

それがまるで好きなことはできて、都合の悪いことはできないような、
常識的に理解できない怠け者のような、
依存心が強い人間の甘えのように見えても、

もしかしたら脳脊髄液減少症患者が
脳外傷ほどの低下ではないくても
「健常者よりは意欲や発動性が低下しているような状況」や
「成人ADHDでおこりがちな、できることとできないことに差があるような」ことと似た状態にあるせいかもしれませんから、

どうか、頭ごなしに叱らないで、怒らないで、
さりげなく、フォローして手助けして、できる方向へ導いてあげてほしいのです。

患者の好きなこと、関心のあることはできているように見えて、
都合の悪いことはできない患者が自分勝手なように見えても、
すぐさまあきれたり、軽蔑したり、叱ったりせずに、
なかなかとりかかれない、できないように見受けられることは
さりげなく助けてあげてほしいのです。

グズグズしていると思えることは、もしかしたら、
「なかなかとりかかれない障害」かもしれないですから、

「手伝うよ。」「一緒にやろう」と声かけして
やる「きっかけ」をつくって、患者を励ましながら
患者の自尊心を傷つけないようにしながら、
手伝いながら一緒にやってあげてほしいのです。

脳脊髄液減少症の脳機能障害は
いつか、治療効果がじわじわ出てきて脳機能が回復する可能性があるのですから、

いつか年齢相当に、自分一人ですべてテキパキ物事をこなせる日がくることを信じて、

その日まで
寛大な気持ちで、脳脊髄液減少症患者を見守って助けてあげてほしいのです。

長年放置された後に、脳脊髄液減少症とわかり、さまざまな経験を通して、

他の病にはない脳脊髄液減少症の
誤解されやすい特異な特徴にいろいろ気づきつつある患者の私からの お願いです。




こんなうつうつとした5月でしたが、

お天気が晴れるのを待つように、
自然に気持ちが晴れてくるのをひたすら待とうと思います。

でもまもなく、
脳脊髄液減少症患者には試練の
低気圧ばかりの毎日の梅雨時なんですよね・・・・・


追加

きのうの朝日新聞にまた、「患者を生きる」へのご意見の募集記事がのっていました。
締め切りは5月末日だそうです。

詳しいあて先はこちらの記事内に書いてあります。
脳脊髄液減少症患者様の、この機会にマスコミへのご意見の投稿を、
再度この場でお願いさせていただきます。

どうかひとりでも多くの脳脊髄液減少症患者たちの声が、朝日の「患者を生きる」担当記者様に
伝わりますように・・・・。
コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本日の朝日新聞記事

2009年05月24日 | 情報
本日5月24日日曜の一部地域の朝日新聞生活面に

「脳脊髄液減少症」についての記事が載っています。

(記事が読みたい方、
新聞のバックナンバー購入の問い合わせはこちら。)

高橋浩一先生のブログ

記事で脳脊髄液減少症のことを訴えてくださった患者様、
記事にしてくださった朝日新聞の及川綾子記者様、
本当にありがとうございました。

そして、この病のことを
今も何らかの方法で伝え続けて訴え続けてくださっている皆様方も、

本当にありがとうございます。

私はこうして、
ブログにこの病で実際に経験したことや
気づいたこと、感じたことなどを書くことぐらいしかできませんが、
休み休みでも、書き続けたいと思います。

こうして、少しずつでもマスコミの皆様にご理解いただき報道され、

今も、原因不明の多彩な症状に苦しんでいる方がたの中から
原因が「脳脊髄液の減少」とわかり、

治療により回復し、救われる人たちが出ることを願っています。

引き続き、患者様お一人お一人が
無理解に負けないで、この病のことを伝え続けてくださることを
心からお願いいたします。

「朝日新聞、患者を生きる」へのご意見のあて先は

こちらの記事の中に書いていあります。



追加

朝日新聞記者、及川様へ

ただ、
記事内にひとつだけ気になる書き方がありました。

「原因はよくわかっていないが、
交通事故やスポーツでの怪我など、
衝撃が原因とも言われている。」との書き方です。

いまだに否定的な意見の医師が存在している以上、
こういう書き方しかできなかったのも理解できますが、

交通事故後、症状に長く苦みぬいた患者の私には、
「人体への衝撃が原因となることは、間違いない。」と断言できます。

私はスポーツでの怪我での発症ではないので、スポーツの怪我については
断言できませんが、
交通事故で起こることは絶対に間違いないと断言できます

さらに、「原因不明」「突発性」とされている脳脊髄液減少症の中にも
何らかの衝撃が原因の患者が必ずいると思われます。

衝撃を受けてからすぐ症状が出れば、その事故との因果関係に気づきやすいのですが、
事故後じわじわと1ヵ月後など、時間差で症状が次々出てくる場合は、
本人も事故との関係に気づけないことも多々あると思います。

交通事故の場合、相手側や損害保険会社とのかかわりなどで精神的苦痛まで加わり、さらに悲惨なのです。

最近の交通事故であっても、保険金目当ての仮病、詐欺師扱いまでされる事故被害者もいるのです。

それに、脳脊髄液減少症はありふれた不定愁訴に隠れています。
したがって、潜在患者さんが多数いると思われます。

不定愁訴の病であるということ、その不定愁訴の症状の内容を記事にして、
世間に伝えてくださり、今もなお、ただの不定愁訴、原因不明の症状と
されていない方がたへの気づきになるような記事を書いていただけたらと
思います。

どうかもっと多くの患者の生の声を聞いてください。

お願いします。



   

検索で、はじめてこのブログに来てくださった皆様へ

脳脊髄液減少症は「不定愁訴」病です。

私は長引く体調不良に、さまざまな診療科で
どこをどう検査しても「異常なし」と言われた経験があります。

また、精神的にも気分的にも、身体的にも、
さまざまな症状が出るため、
医師によっては、それらの症状に「なんらかの病名」がつけられてしまうと、
「脳脊髄液減少症」という本当の原因が隠れていても、
それはそれで、患者も医師も、その真の原因には気づくことが
できなくなり、
真の原因から遠ざかってしまいます。

つまり、脳脊髄液減少症とはそういう病です。

原因不明の体調不良、検査で異常なし、

または検査でたまたま異常がひっかかって、「何らかの病名」がついたとしても、
「その病名」の治療を受けても、何年たっても、改善しない。

こんな時には、脳脊髄液減少症がかげに隠れている可能性があると
思います。

長年真の病名がわからず、脳脊髄液減少症の出す、さまざまな症状にだまされ続けてきた患者の経験からそう思います。

症状から病名にたどりつくには、
まずは、患者や周囲の人や家族が「脳脊髄液減少症では?」と
気づくことがまだ必要なのが現状です。

診断にはRI検査が今のところ一番確実なようです。

この病に関する集めた情報はブックマークに貼ってあります。

ご参考ください。

一人でも多くの脳脊髄液減少症患者様が
適切な診断治療に至り、少しでも回復して体も心も楽になりますように・・・


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝日新聞の患者を生きる「線維筋痛症 」を読んで

2009年05月20日 | 他の病名との関連性
朝日新聞の「患者を生きる」
繊維筋痛症についてのネット記事が
昨日で全部そろったので、
書き溜めておいた記事をUPします。

線維筋痛症が脳脊髄液減少症とまったく違う病態なのか?

それとも
たとえば、「脳」というようなキーワードで繋がっているような、
何かが関連しあっているような病態なのか?
素人の私にはわかりませんが、

症状のひとつひとつも、
なかなか診断がつかず無理解にさらされることも
似ていることもかなりあります。


痛みの意味 1 跳び箱で着地後、脚が砕けた

痛みの意味 2 極度の睡眠不足、幻覚や幻聴も

痛みの意味 3 病名診断、治療は進まず

痛みの意味 4 ネットで体験談、悩み共有 

痛みの意味 5 「あきらめないで」伝え続ける

痛みの意味 6 情報編 的確な診療へ


ひとつ、気になったのは、線維筋痛症の患者さんたちは、

さまざまな病を疑って、さまざまな検査を受けて、
他の病の可能性についての除外診断は受けていらっしゃるようですが、

脳脊髄液減少症についての除外診断は
受けていらっしゃるのか?という点です。

脳脊髄液減少症の私は、
特に、朝の手の関節のこわばりはひどく、関節の炎症や
指先の感覚障害まで起こりました。

指関節の動きにくさと痛みで
日常生活もままならなくなったことがあります。

整形外科では、「関節リウマチ」と複数の医師に疑われましたし、
何度も検査も受けました。

しかし、原因ははっきりしませんでした。

当時、脳脊髄液減少症という病名は
まだ世界中のどこにも存在していませんでしたから、
まさか、私の体が脳脊髄液漏れを起こしていたなんて、

自分では気づけるわけもありませんでした。

パーキンソン病のような歩行障害、カクカクとした動きもでたこともありますし、

表情も無表情になりました。

膠原病のように涙や唾液がでなくなりましたし、
手足の不可解な脱力や神経症状は、
神経内科医には
重症筋無力症とか、多発性硬化症など、神経難病も疑われたことがあります。

今までの自分の経過からみても、脳脊髄液減少症は、
患者も医師も症状から脳脊髄液減少症の病名には
非常にたどりつきにくい病だと感じます。


現実に、線維筋痛症と一度は診断された方の中に、
脳脊髄液漏れの人がいたのは事実のようですから、

線維筋痛症を疑う前に、
まずは原因も治療も判明しつつある、「脳脊髄液減少症」か?どうか?ということをしっかりと確認し、
「脳脊髄液減少症」の除外診断したほうがいいのではないか?と感じました。

脳脊髄液減少症ではないと除外診断されてから、
線維筋痛症治療専門医の門をたたいても、
遅くはないような気がしました。

今までもこの場で書いてきましたが、

患者会も、病態の研究、治療に取りくむ医師たちも、

「病名」ごとに閉鎖した世界にこもることなく、

「病名」の枠を越えて、さまざまな情報を交換しあい、
風通しのいい、患者たち、研究者の医師たちの集団であってほしいと
思います。

人間という同じ生物に起こっていることが、
大病院の細分化された診療のように、
病名も専門家ごとに細分化すればするほど、

かえって病の本性が見えなくなることもあると思います。

総合診療科のような、人間まるごと一人を見るような、
そんな広い視野での視点も、
未解明の病に関しては
患者にも医師にも必要だと思います。

たとえ「違う病態」であったとしても、
「何かが関連する病態」であったとしても、

互いの研究を持ちよって情報を共有しあうことに、

互いに得はあっても、
何の損もないと思います。

ぜひとも、病名だけにこだわらず、

患者救済、「患者の人生の質の向上」という同じ目的で
いろいろと情報を交換しあって、
互いに協力しあって互いに得ている知識を
いかせるものは患者救済に生かしてほしいと思います。

これは「慢性疲労症候群」の患者さんや治療や研究にかかわっている医師の皆様にもお願いしたいことです。

患者や医師たちが、
病名のわくを越えて、風通しよく、情報を交換しあうことで、

互いの視野も広がり、今まで見えなかったものが
見えてきたり、
今まで気づけなかったことに、気づくことができるかもしれないと、
期待しています。


さて、

朝日新聞の連載「患者を生きる」では、1000回を向かえるにあたり、

患者の皆様からのご意見を募集しているようです。

以下
朝日新聞5月14日生活面からの記事の転載です。

   

『「患者を生きる」近く1000回どう読んでいますか?

連載、「患者を生きる」はまもなく1000回を迎えます。

病気と向き合う患者と家族の姿を通して、医療現場における
様々な問題を考えようと、06年4月にスタートして
3年余り。

「がん」「うつ」「脳卒中」「妊娠・出産」「糖尿病」
「認知症」
などをテーマとして、取り上げてきました。

患者や家族の立場にたった、医療記事とは。
読者のみなさんからの意見、提案を募集します。

また、これまでの連載を家庭や職場でどのように読まれたか、

感想や活用法なども教えてください。

あて先は
〒104・8011

朝日新聞、東京本社、編集局 医療グループ
「患者を生きる  1000回」 係。

ファックスは03・5540・7354、

メールは iryo-k@asahi.com

住所、連絡先の電話番号、
名前を添えてください。

しめきりは5月末日です。』

   

とのことです。

ぜひとも「患者を生きる」を読んだ感想、提案、ご意見を
送ってみてほしいと、私からもお願いします。

できれば、
脳脊髄液減少症患者や、家族、
その他この病に関わる皆様にも
この機会にぜひともご意見やご感想を送っていただけたらと思います。


脳脊髄液減少症の患者さんたちは、
患者の素直な思い、本音、この病で受けた侮辱、屈辱

この病の症状の見た目では理解されなさ、
症状の多彩さ、症状の激しさ、生活の質が
いかに低下するか?、

健康保険がきかないことの経済的厳しさ、

この病の症状のせいでおこった、実際のトラブル、不幸、失業、離婚、
学業の中断、

それらがもたらす、心の葛藤、悲しみ・・・。

ましてや、10年、20年、30年と診断が遅れれば、

いかに人の人生をメチャクチャにしていくか・・・。

知っている患者が力を振り絞って、

メールでも、ファックスでも、手紙でも、

できることで、伝えてくださいませんか?

もしかしたら、
「患者を生きる」の医療グループの記者様たちの心に

脳脊髄液減少症患者たちの必死の叫びが
届くかもしれませんから・・・。


わかってもらえなくても、
理解してもらえなくても、

ダメでもともとですから、

脳脊髄液減少症という、この理不尽で、残酷な
事故後遺症、病について、
体験して知っていることを伝えてくださいませんか?



オマケ・・・

最後に、痛みの意味 6 情報編に書いてあった、

線維筋痛症の患者会からのアドバイスの

「症状が重い時は思い切って仕事や家事を休む。」

「できないことは周囲の助けを借りる。」とありますが、

それができたら脳脊髄液減少症患者も苦労はないんです。

それが簡単にできないからつらいんです。

「休む、助けてもらう。」とそう言葉でいうのは簡単ですが、
実行は難しいのです。

私も5分も立っていられないほどの重症の時でも、
必死で毎日「健康な」家族の食事作りを続けてきました。

病気の症状が社会にも医師にも家族にも周囲にも
充分認知されていないということは、

調子が悪いからといって、仕事や家事を休むこともなかなかできないし、

見た目病人に見えない人が、
症状の深刻さもまだまだ社会に認知されていない人が
たびたび仕事や家事を休んでは
単に周囲のヒンシュクをかってしまうだけの苦しい立場の患者もいると思うのです。

自分にできないことをできないからと人に助けを求めても、

「助けが必要な人」には全く見えないし思ってもらえないために、
健康な人と同じことを終始求められ続け、

できないと、単にダメな人、怠慢な人、
だらしがなく、自分勝手な人に思われてしまうことが多いのです。

心よく助けてもらうことも、
症状が重い時に仕事や家事を休んで周囲から助けてもらうことも、

まずは病の苦しさ、症状がどんなもので、どんな風に日常生活や
仕事ややるべきことに支障がでるのか?を
社会に広く知ってもらい理解してもらうことが先決であると感じました。

社会に病の理解なくして、
患者が助けを求めた時に簡単に助けてもらうことなど無理です。

理解なくしては、
助けが簡単に得られないことは、どんな病名のどんな病人であっても、
どんな障害であっても同じだと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

改訂出来事インパクト尺度

2009年05月17日 | つぶやき
先日書いた記事
紹介させていただいた、

朝日新聞記事の中にでてきた、

PTSD(心的外傷後ストレス障害)の診断指標として世界的に普及しているという、

「改訂出来事インパクト尺度(IESーR)」を見つけました。

参考までに貼り付けます。

出来事インパクト尺度改訂版

IESRとは「Inpact of Event Scale Revised」だそうです。

私がブラッドパッチ前の自分の状況を打ち込んでやってみた結果、
とても高い得点でした。

この結果から、
脳脊髄液減少症による精神や体の症状を、「PTSD」と精神科医によって誤診されている人もいる可能性があると、私は思いました。


さらに、脳脊髄液減少症なのに、正しく診断されず、
「異常なし」「精神的なもの」と
されて、体の症状の苦しみを長く医療から無視されたり、

「この病特有の症状や、それによって思うようにならない心や体の状態」が
周囲には全く理解されず、
責められたり、非難されたりしたことが長期間続き、

友人知人が離れていったり、離婚や家庭崩壊に到ったり、失業したりすることで、

脳脊髄液減少症の長期放置、周囲の無理解にさらされ続けたことによって、
二次的に心的外傷を負い、
「PTSD」になっている患者も多数潜在している可能性もあると思いました。

特に脳脊髄液減少症の女性は、
生理周期によって、気分や体調に激しい症状の波があり、
それは自分でコントロールすることさえできません。

あまりにひどい症状の波のために、日常生活さえ困難になり、
婦人科疾患と間違われたりもします。

自分の努力や意思ではどうにもならないことがあることが、

脳脊髄意液減少症になったことがない健康な人たちや、
脳脊髄液減少症についてよく知らない男性医師にはなかなか理解されません。

なった人だけがわかる、症状の波に振り回される日常と、
それが周囲に理解されにくい現実。

この病の理不尽さ、悲しさ。
正しく診断されにくいことや、たとえ病名がついても症状が理解されにくいこと。
伝えにくく、表現しにくい複雑な症状の組み合わせ・・・・。

患者の感じている症状が理解されにくいことで、
さまざまな誤解やトラブルに巻き込まれていくという、

こんな病は、他に類を見ないように思います。

脳脊髄液減少症で長期間ほったらかされつつ生き延びた患者は、
無理解には、慣れっこにはなっていて、
現在はいちいち傷ついてはいないように自分では思えてはいても、

長期間「脳脊髄液減少症」と正しく診断されなかったことで、
この病のせいで受けた誤解や無理解によって負った心の深い傷は

つもりつもって、純粋な意味での
PTSD(心的外傷)になってしまっている患者も必ずいると思います。

脳脊髄液減少症で長期間放置され、
ドクターショッピングを余儀なくされ続けた患者の、
「心のケア」の必要性については

今はまだ専門家の支援もなく、手つかずの状態だと思います。

一刻も早く
福祉関係者、心理関係者、精神科の医師、など、トラウマケアに詳しい皆様に、
脳脊髄液減少症患者としての「心のケア」の必要性、重要性に
気づいていただきたいと思います。

体をブラッドパッチ治療を受けて、
体の症状が改善して、「はいおしまい」「治ってよかった。」
というような経過の、
患者ばかりではないということをわかっていただきたいと思います。


脳脊髄液減少症という目には見えない怪我を負ったことによって、

体とは別に、心にも深い傷を負っている患者もいるという現実を知っていただき、
関心を持っていただき、

理解や、カウンセリングなどで患者の心の傷にきちんと向き合っていただき、


親や先生にも理解されなかった子供の脳脊髄液減少症の患者たちや、
10年、20年、30年以上と、仮病怠慢扱いされ続け、
病人として医療にまともに相手にされず、
人として扱われてこなかった
脳脊髄液減少症患者たちの、深い心の傷に向き合っていただき、

脳脊髄液減少症患者の心の面からの回復のためにも、
お力を貸していただきたいと願っています。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書くことは生きること

2009年05月16日 | 心の葛藤
世界中の誰にも自分の苦しみが理解されないと感じてしまう時、

私はいつも柳澤桂子さんの本を開く。

こうしてブログを
不自由なく読み書きしているように見える私だから

文章の読み書きに関しては
普通だと思われているかもしれないけれど、

本というものは、
最初から最後まで連続して読めるほど、
いまだに集中力も読解力も持続力もないから、

たまたま開いたページや
パラパラと見て興味のわいたところだけを部分的に1行だけとか
1ページだけとか調子に合わせて読んでいる。

それを何度か繰り返す。

そうしているうちに、
本全体に書かれていることが、なんとなくわかってくるような

いまだにそんな読み方が多い。

本でなくても、
難しい文章だと、そんな風になることが多い。

つらい時、孤独を感じるとき、私と同じ
脳脊髄液減少症で長年放置されて生きてきた
柳澤さんの本を開き、

そんな飛ばし読み、気まぐれ読みで、
自分と同じ気持ちを現した柳澤さんの文章をひとつ見つけては、
涙をポロポロこぼしながら、

彼女の本を抱きしめて泣く。

柳澤さんだけは、
脳脊髄液減少症という病の無理解の苦しみをいやというほど体験し、
恐ろしい数々の症状を体験していると思えるから・・・。

しかも、脳脊髄液減少症の診断がつくまで
30年以上も耐えてきた方だから、

この病の無理解も、数々の症状のつらさも、

医師が正しく診断できないことで、
「病人としてさえ、認められないこと。」
治療されないことが招く恐ろしさも、絶望感も、

家族や周囲の人たちからさえ、
疑惑の目を向けられることのつらさを、
彼女なら知りつくしていると思えるから・・・。

脳脊髄液減少症が早期に診断されず、
何年も放置されることで起こる、
失業の悲しみや、
家庭崩壊の危機も、

脳脊髄液減少症が引き起こす数々の症状も
さまざまな誤解も、
失業や、家庭内でのことや、この病によって
二次的に起こるさまざまな問題による苦しみも、

この病がもらたす「本当の恐ろしさ」の数々を
彼女だけは知り尽くしていると思える人だから・・・。

そんな彼女だけは、

私の苦しみをきっと理解してくれる人だと、
思えるから・・・。

本を開いて、
自分と同じ思いを見つけては、
本を抱いて横になりながらオイオイと泣いていると、

彼女だけが私の苦しみを理解し、
そっと寄り添って抱きしめてくれるような気がして

こういう苦しみを抱えて生きてきた患者は
ひとりじゃないと思えてくる。

ひとりじゃないと思えてくると、

だんだんと、
今までここまで、生きてこれたのも、
ひとりで生きてこれたわけではないことにも気づく。


悲しみが涙とともに流れていくと、やがて気持ちも落ち着いてきて、

恵まれている自分にも気づきはじめる。

家族や周囲の支えがあったからこそ、
現在の自分が存在することにも気づけるように
なってくる。

それに、ふと気づくと涙がちゃんと出ていることにも気づく、

ブラッドパッチ前は
涙も何年も全くでなかった私の体。
感情が凍結したような表情のない顔。

感情も表情も豊かになり、
涙も出るまでに、回復している自分にも、同時に気づく。

家族の支えによって生かされ、

先ゆく患者さんたちが必死の思いで
マスコミを通じて伝えてくれた「脳脊髄液減少症」という病名を知り、

それにやっと気づき、

脳脊髄液減少症の専門医を探し当て、

医師という人によって助けられ、治療もうけられ、

改善しつつある私を
今もさまざまな側面から支え続けてくれる人たちの存在があって

今の私がある。

その自分の幸運にも気づくことができるようになってくる。



「誰にも理解されない」と感じてしまって、
布団に倒れこんで本を抱いて泣いて泣いて、

泣きつかれ、やがて自分の幸運にも気づきはじめ、

周囲に支えられて生きている自分を感じはじめた後は、


また、ゆっくりと体を起こし、涙を拭く。

そしてまた、気まぐれに本を開く、

偶然開いたページでたまたま目にした、

やがて幸福の糧になる」のあとがきの文章の

柳澤さんの言葉。

「それでも私は書き続けました。

書くことは生きることだったのです。」の一文。




「書くことは生きること。」・・・・・

そう、
私も「書くことは生きること」だったのだと気づいた。


私もここでありのままの思いを吐き出し「書くこと」が

孤独な闘病生活の中で、

唯一の、セルフへルプの場のようでもあり、


自分の気持ちを整理する場所でもあった。

苦しい症状を抱え、良くなったり悪くなったりの症状の波に翻弄されながら、
その波のせいで周囲に誤解されながらの、
何年もかかる苦しくつらい闘病中の
思いを吐き出すことで
今まで気づかなかった自分の心のうちを見つめることで、

「生きる支え」になっていたように思う。

苦しければ苦しいほど、
追い詰められれば追い詰められるほど、
ここに逃げ込んでしまうこともある。


だから、

「ブログが書けるのに、なぜ、他のことができない?。」

そう人に疑問に思われてもしかたがないけれど、


私にとって、
「書くことは生きること。」


今も続く、
この病に対する無理解に対する「激しい怒り」や「悲しみ」

脳脊髄液減少症の本当の恐ろしさを伝えたいという「思い」
そして日々の気持ちや小さな喜び、

それを自分自身で見つめ、気づくことが、
私の日々の生きるエネルギーにつながっているような気もする。

明日を生きるためのエネルギーになるなら

「怒りや悲しみ、伝えたい思い、」
そんなエネルギー源でも、

私はいいと思っている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

がん患者 心もケア

2009年05月15日 | 情報
本日5月15日の
一部地域の朝日新聞医療面に、
「がん患者 心のケア(病気と向き合うため グループ療法)」についての和田公一記者の記事が載っています。

「がん」という病については、
世界中の多くの研究者がその病の深刻さに気づき、
その撲滅のために、さまざまな研究に熱心に取り組み、

医療や社会でも、さまざまな理解や支援の輪が広がっています。

しかしながら、
脳脊髄液減少症については、

病が人にもたらす、さまざまな悪影響の深刻さに
気づいている医師がまだまだ少ないのが現状です。

そのため、
この病が人にもたらす深刻な事態も社会は
いまだに無関心で、

脳脊髄液減少症が長年放置され続けた患者の心のケアの必要性どころか、
体の症状のケアさえ充分な医療体制が整っていません。

ブラッドパッチ治療の必要性さえ、充分理解されていないからこそ、

私が著しい効果を体験した、ブラッドパッチ治療が
いまだに健康保険適用外で自費治療なのだと思います。

なぜ、交通事故で
健康体からいきなり脳脊髄液減少症という
見えないひどい怪我を負った私のような被害者が

簡単には診断にも治療にもたどりつけない上、
治りたくて受診しつづけても相手にされず、

病人としてさえ、なかなか認めてもらえず
放り出され続け、

何十年も苦しみぬいた末

やっと診断治療できる医師にたどりついても、
高額な自費治療で自分の体を治療しなければならないのでしょうか?

その理不尽さが、
そういう経験のない方がたに、わかっていただけるでしょうか?

心のケアどころか
体のケアさえ、充分でない上、

闘病中の寝たきり患者の生活支援などの、
福祉の分野での支援体制もまだまだ整っていません。

でも、
体のケアも大事ですが、同時に患者の「心のケア」にも、
なるべく早く、福祉関係者やカウンセラーや
臨床心理士、精神科医の、心のケアの専門家の皆様の
救いの手がさしのべられる日が来ることを祈っています

なぜなら、
私自身の経験からも、

特に長い間、脳脊髄液減少症の病名ももらえないまま、
長期間放置されてきた患者たちは、心に深い傷を負っており

ブラッドパッチ治療で症状が改善しても、
心の傷まですぐさま癒されるわけではないからです。

体が治ったことでかえって、
自分の置かれてきたあまりにも理不尽な今までの状況、しうちに
改めて気づかされ、

回復したことで感じる、楽になった体と
今までの重くだるく苦しい自分の肉体との
あまりの差に驚き

今までの人生はなんだったのだろう?
今まで怠け者、ダメ人間扱いされてきたことはなんだったのだろう?と、

次第に思い始め、

自分に落ち度がない事故でこのような仕打ちを受け続けてきた
あまりの悲しみと怒りで、心が激しく動揺し、

それによって、新たな葛藤や苦しみが生まれることがあるからです。

体が治れば、自分で外出や何か行動を起こすこともできるようになりますから、
うつ病患者の回復期と同じような危険も
起こりうると、

私自身の経験から思います。

脳脊髄液減少症患者は
「認められない病」によって
人生の貴重な時間も、失った人間関係や仕事などももどらない上、

自分のせいでないのに、
自分の落ち度、怠慢のように責められ続けたことでうけ続けた心の傷は、

想像以上に深いものです。

脳脊髄液減少症は、がんと同様、

診断と治療には専門の医師の力と、
闘病中は家族の協力が必要で、

早期発見が遅れると大変なことになる病です。

体のケアの治療体制を整えるのが急がれるのはもちろんですが、


脳脊髄液減少症で長期間放置され
誤解され続けた患者たちの心のケア(トラウマケア)についても、

関係専門家の方がたの
ご理解とご支援の輪が広がることを
心から願っております。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「患者を生きる」 線維筋痛症

2009年05月12日 | 情報
本日から

朝日新聞「患者を生きる」で

繊維筋痛症について、6回の連載がはじまりました。

記事はこちらで会員登録すれば
読めるようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

番組のお知らせ。

2009年05月10日 | 情報
(リンク先はパソコンでご覧ください。)

本日、午後4時から、
一部地域の民放局で
漫画家
西原理恵子さんの出演される番組が再放送されます。

[以下番組HPから]
『西原理恵子その壮絶なる人生と生き方
先日放送され大反響を呼んだのが、数々の大ヒット漫画を世に送り出す漫画家・西原理恵子の生き方=エチカ。
彼女が貧困、家庭崩壊、家族の自殺、離婚などなど多くの不幸に見舞われ続けながらも、たくましく「しようがない」という精神のもと歩み続けてきた感動の生き方をお送りする。
スタジオゲストとして登場した西原本人から発せられる言葉のひとつひとつは、迫力をもって他出演者のココロに迫るのだった。
運命の人、夫との出会い、そして永遠の別れを経た今、彼女の目に映るものとは。』





西原理恵子さんは、番組HPにも説明されているように、
毎日新聞で、「毎日かあさん」を連載し、

夫のアルコール依存症との闘いや、そのために離婚、
夫のアルコール依存症の治療への取り組み、
そして、帰ってきた夫・・

そして、夫をガンによって奪われるなど壮絶な人生を、
西原さん流に「しょうがない」と乗り越えてこられたお方です。

4月には、NHKの福祉番組「ハートをつなごう」の
「依存症 第3弾」にも出演され、

彼女の作品の「毎日かあさん 4 出戻り偏」
から、一部内容が番組で紹介されていました。

それは、
「アルコール依存症は、ガンと同じ大変な病気で

その治療のためには、
家族の強い協力と専門の医師の力がいるのに、

彼は私をはじめまわりのすべての人に
なまけ者と言われ続け、

たった一人で10年近くこの病気と戦わなければなりませんでした。」
という漫画のくだりでした。

「アルコール依存症はガンと同じ大変な病気」

この言葉の意味が理解できる人は、どれだけいるでしょうか?

この言葉の意味がすぐ理解できる人は、
アルコール依存症について深く学んで知識のある人か、

自分か、家族がアルコール依存症で、その恐ろしさを体験した上で
アルコール依存症という病について、
正しい知識を得た人かのどちらかだと思います。

脳脊髄液減少症患者さんで長年「怠け者」扱いされたきた方なら、

たとえアルコール依存症についてあまり知識がなくても、
西原さんのこの「言葉の意味」が
なんとなくわかる方もいるかもしれません。


詳しくはまた・・・。

NHK ハートをつなごう。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

除斥期間 改正の時 

2009年05月09日 | つぶやき
リンク先はパソコンでごらんください。

報道ステーション

(番組ホームページから)
【特集】専門家も“根拠”を疑問視…「時効見直しを」現場の訴え
現在、見直しが進められている『時効』。フランスのナポレオン法典の制度を受け入れ、明治時代に制定された。その後、法改正を経て、時効は25年になっているが、「なぜ時効が必要なのか」という本質的な論議はされないまま、現在に至っているという。大阪の看護師は、人違いで刺され、ほぼ寝たきりの生活をしている。来年1月に、事件は時効を迎える。凶悪事件に時効があっていいのか。時効が迫った被害者、そして時効になった事件の指揮をとった元刑事を取材した。

その動画です

(左上 古館さんと時効の文字の画面のところの動画をご覧ください。)

凶悪犯罪でなくても、
毎日毎日日本のどこかで起こっているありふれた交通事故でも、
この動画の女性とまったく同じような状況にある
脳脊髄液減少症患者さんもいます。

しかも、脳脊髄液減少症の傷は、目には見えないから、医師にも理解されず、
医師から「異常なし」といわれれば、家族も
「医師が異常なしと言っているのに、いつまで寝てばかりいるんだ。」と
責められていた脳脊髄液減少症患者もいたはずです。

ありふれた交通事故であっても、
凶悪犯罪の被害者と同じ様に苦しむ人たちがいる現実を知ってほしいです。

人の命が失われたり、人の体が傷つけられるのに、
たしかに凶悪犯罪のほうがひどい話で、被害者や家族の受けた
心や体の傷は深いものでしょうが、

発生件数の多い交通事故がありふれたものだからといって、
軽視されたくはないと思います。

人の命が失われたり、人の体が傷つけられるという点では
交通事故も犯罪であり、被害者や家族が苦しむことは同じだと思います。

だから、凶悪事件でなくても、
今から10年前、20年、30年以上も前にも、交通事故は起こっていて、
当時も脳脊髄液減少症になった被害者は存在していたのに、

それに気がつく手段がなかったために、被害者たちが
加害者に対して権利を行使することさえできなかった
交通事故被害者たちの悲惨な現実も忘れてほしくはないです。

時効というものは、被害者のためにあるものではなく、
加害者の逃げ得を許すだけのように私は常々感じています。


(以下は4月に書いた記事です。上の動画に関連した記事だったので
本日一緒にUPします。)

4月29日、読売新聞に、

「除斥期間 改正の時」と題して、記事があります。

以下の記事は、

長い時を得て、近年になって、
脳脊髄液減少症という交通事故後遺症という「真犯人」が
ようやくわかった患者たちには、
とても無関係な記事だとは思えませんので、

犯人を(脳脊髄液減少症)という真犯人に置き換えながらお読みください。
リンク切れにそなえて記事コピーも貼っておきます。
ご了承ください。

読売オンライン除斥適用せず

以下読売オンライン記事

殺人時効後自首の男への賠償命令確定、除斥適用せず…最高裁
 1978年に東京都足立区立小の女性教諭・石川千佳子さん(当時29歳)を殺害して自宅の床下に埋め、殺人罪の時効成立後の2004年に自首した元警備員の男(73)に遺族が損害賠償を求めた訴訟の上告審判決が28日、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)であった。


 同小法廷は、被害者の賠償請求権が20年で消滅すると規定した民法の「除斥期間」を適用せず、男の上告を棄却した。男の殺害行為に関する賠償責任を認め、計約4255万円の支払いを命じた2審・東京高裁判決が確定した。

 原告代理人によると、支払額は、殺害時からの遅延損害金を含め1億円を超える。

 通常、除斥期間の規定は被害者の事情に関係なく一律に適用される。最高裁がこれを適用しない例外を認めたのは98年の予防接種禍訴訟の判決に続き2度目。

 判決によると、男は78年8月、小学校の校舎内で石川さんの首を絞めて殺害。自宅の床下に遺体を埋めて隠したが、04年8月に警察に自首した。遺族は05年4月に計約1億8600万円の賠償を求めて提訴。上告審では、殺害から提訴まで27年かかった事件に、除斥期間を適用するかどうかが争点となった。

 判決はまず、〈1〉加害者が被害者の死を知られないような状況をわざわざ作りだした〈2〉そのために相続人(遺族)が犯行を知らないまま20年間が経過した――という場合に、除斥期間を適用すれば、「相続人が一切権利行使ができない原因を作った加害者が賠償義務を免れることになり、著しく正義・公平の理念に反する」との判断を示した。

 そのうえで、「相続人が確定した時から6か月間は被相続人の持っていた損害賠償請求権は消滅しない」とした民法の規定を準用。遺体が石川さんと確認され、遺族が相続人と確定した04年12月から約4か月後に提訴していることから、賠償請求権は消滅していないと結論づけた。

 1審・東京地裁判決は除斥期間を適用して殺害行為の賠償責任を認めず、遺体の隠蔽(いんぺい)行為のみ責任を認め、330万円の支払いを命じたが、2審は殺害行為の責任まで認めた。

(2009年4月29日00時11分 読売新聞)

読売社説

時効殺人賠償 除斥期間を超えた最高裁判決(4月30日付・読売社説)
 殺人罪の公訴時効が成立した後に自首した男に対し、最高裁が約4200万円の損害賠償を命じる判決を言い渡した。

 時効のため刑罰を科すことはできない。民事訴訟でも、遺族が提訴できる期限が過ぎていた。だが、例外として、賠償金の支払いで罪を償わせるべきだ。そう判断しての判決といえよう。

 事件があったのは1978年のことだ。東京都内の小学校の女性教師が行方不明になった。2004年になって、この小学校の警備員だった男が、自分が殺害したと自首したが、殺人罪の時効は成立しており、不起訴となった。

 女性の遺族は男に損害賠償を求めた。だが、民事訴訟でも「除斥期間」が壁となった。不法行為から20年が過ぎると損害賠償請求権が消滅する民法の規定である。

 男が自首するまで、遺族は損害賠償を求める相手が分からなかった。特定できた時には、事件から既に20年以上が経過していた。

 「加害者が損害賠償義務を免れることは、著しく正義・公平の理念に反する」。最高裁がこう判断したのは、提訴できない原因を作ったのが犯人の男であることを重視した結果である。

 除斥期間は、権利の乱用を抑制する観点などから必要な規定だ。遠い過去の出来事に対する損害賠償請求などに一定の歯止めをかける役割を果たしている。

 その一方で、除斥期間を杓子(しゃくし)定規に適用せずに、被害者救済を図った司法判断もある。

 98年の東京予防接種禍訴訟の最高裁判決は、その典型である。原告が後遺症により提訴できなかった事情を考慮して、除斥期間を適用しなかった。

 今回の判決は、この考え方に基づくものといえる。

 除斥期間の起算点を柔軟に解釈した判決もある。ハンセン病国家賠償請求訴訟で熊本地裁は、らい予防法が廃止された96年を起算点として、国に賠償を命じた。

 こうした解釈を適用するのは、真に被害者救済が必要なケースに限られるべきだろう。

 法務省は、刑罰の時効の見直しに着手している。殺人罪などの時効の撤廃や延長を検討しているが、捜査機関の負担増などを考慮し、慎重な議論が必要だ。

 民法の見直しも進められている。生命が侵害された不法行為の除斥期間を30年に延長する案も一部に出ている。

 事情があって提訴できなかった被害者を救済するには、それも方策の一つであろう。

(2009年4月30日01時44分 読売新聞)


その他新聞社情報

asahi.com 26年後に殺人遺体、賠償4200万円確定、最高裁

26年後に殺害遺体、賠償4200万円確定 最高裁
2009年4月29日3時4分

 東京都足立区で78年に小学校教諭の石川千佳子さん(当時29)が殺害され、26年後に遺体が見つかった事件で、時効成立後に殺害を認めて自首した男(73)に対して遺族が損害賠償を求めた訴訟の上告審判決が28日あった。遺族が提訴した時期は賠償請求できる期限を過ぎていたが、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は例外的に請求を認め、支払い命令を不服とする男の上告を棄却した。約4200万円の賠償を命じた二審・東京高裁判決が確定した。

 損害賠償を求める権利は、不法行為から20年を経過すると一律に消滅するルールがあり「除斥期間」と呼ばれる。最高裁が除斥期間の例外を認めたのは、予防接種が原因で重い心身障害になったことをめぐる国家賠償訴訟の判決(98年)に次いで2例目。

 男は石川さんの遺体を自宅床下に隠し続けていたため、遺族が殺害の事実を知ったのは04年になってからだった。男は時効成立で起訴されなかったが、遺族は翌年、殺害に対する損害賠償を求める民事訴訟を起こした。もっとも、殺害から20年以上過ぎていることから、ルール通りならば除斥期間が適用され、請求が認められないはずだった。

 しかし、第三小法廷は、遺体が見つからないために遺族にとっては相続人すら確定できないまま20年以上が過ぎたことを重視。被害者遺族が相続人として賠償を請求できない一方で、その原因をつくった加害者が除斥期間を理由に責任を免れるのは「著しく正義・公平の理念に反する」と述べ、このような場合には例外を認めるべきだとした。(中井大助)


時効の殺人、遺族への賠償確定へ、最高裁28日に判決

時事通信社 
「時効殺人」賠償確定へ=26年後自首の元警備員に-28日判決・最高裁
 1978年に殺害された東京都足立区立小学校教諭石川千佳子さん=当時(29)=の弟2人が、公訴時効成立後に自首した元同校警備員の男(73)に約1億8000万円の損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は17日、判決期日を28日に指定した。
 結論見直しに必要な弁論が開かれていないため、殺害行為への賠償責任を認めた二審東京高裁判決が確定する見通し。不法行為から20年で請求権が消滅する民法の除斥期間の適用について、判断を示すとみられる。(2009/04/17-19:47)

時事通信、時効の殺人賠償が確定
「時効殺人」賠償が確定=除斥期間適用せず-26年後自首の加害男に・最高裁
 1978年に殺害された東京都足立区立小学校教諭石川千佳子さん=当時(29)=の弟2人が、公訴時効成立後に自首した元同校警備員の男(73)に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は28日、「被害者の死亡を隠し続けた加害者が賠償義務を免れれば、著しく正義に反する」として、20年で請求権が消滅する民法の除斥期間を適用せず、被告側上告を棄却した。男に約4200万円の賠償を命じた二審東京高裁判決が確定した。
 除斥期間の適用除外を最高裁が認めたのは、98年の「予防接種禍訴訟」判決以来で、2例目。
 遺体を自宅の床下に26年間埋めたまま、被害者の死亡を隠し続けた行為に対し、除斥期間を適用すべきかどうかが争点となった。同小法廷は「被害者の死亡を相続人が知り得ない状況を、加害者があえて作り出して20年が経過した場合に、相続人が一切の権利を行使できなければ、正義、公平の理念に反する」との判断を示した。(2009/04/28-17:39)

   

ここからは私の記事です。


「除斥」とは
「除斥」と打ってみると
「良くないものとして除き、退ける。」という意味がでました。

「良くないもの?」


朝日新聞の4月29日付けの、中井大助記者の解説によると、
「除斥期間とは、損害を受けても20年が過ぎれば相手に賠償を求める権利が
自動的に消えてしまうというルールだ。
いつまでも損害賠償を求められるような状況が続くことは、社会の安定にとって望ましくないとの考え方に基づく。
もっとも、民法で明文化されているわけではなく、

最高裁が89年の判決で示した解釈が根拠とされる。
一連の戦後補償裁判など、さまざまな訴訟で、この「時の壁」を越えられずに
「被害者」らが救済を阻まれた。
しかし、どんなケースでも請求を退けてしまうのは
画一的すぎる、との批判は根強く、
最高裁自身も98年の予防接種訴訟で
「著しく、正義、公平に反する」ことなどを理由に
例外があることを示していた。」と書いてあります。

被害者がやっと真犯人に気づいて、
訴えでることがやっとできるようになった時、
すでにある一定の期間を過ぎてしまっていたら、

被害者の訴えを聞き入れることは一様に、「良くないもの」として、
「除き、退けられる。」というのが、除斥期間ということでしょうか?。

つまり、「除斥期間」とは、

「犯罪が起きてから一定期間が過ぎたら、
そんな昔の犯罪の真犯人が20年過ぎて今頃わかったからって、刑事でも時効なんだし、民事でだって、除斥期間が過ぎていれば
、あきらめなさいよ。
次々起こる新しい犯罪でこっちは手一杯なんだから・・・
いつまでも古い事件にお金をつかってられないし・・・。
未解決の事件はさっさと水に流して、あきらめてもらわなきゃ、
こなしきれないんだよね。」という意味の
ルールなんでしょうか?

そんな加害者の権利を守るだけの、被害者軽視の
著しく正義、公平に欠けると思うのは
私だけでしょうか?

被害者やその遺族が、訴えられなかったのは、
犯人が誰かわからなかったからで、

わからなかったのは
被害者や、その遺族の怠慢や、責任ではないと思うのです。


読売新聞記事には、

「被害者が損害が発生していることに気づかなかったり、
加害者を特定できなかったりして、

被害回復のための行動を起こせなかったケースにまで、
画一的に除斥期間を当てはめるのは、被害者にとって酷だ。」

とありますが、私もその通りだと思います。

行方不明で、殺人の被害にあっていることさえ、わからなかった被害者遺族や、

脳脊髄液減少症のように、
病名もこの世にない事故後遺症などで、訴えでることさえできなかった時代の被害者まで、

一様に、除斥期間を適用するのでは、
あまりに被害者軽視だと思います。


(昨日の記事に書いたように)

23年前の事故での後遺症の件だって、
高次脳機能障害という概念は当時なかったはずだから、
私と同じように、仮病扱い、気のせい扱いを
相当されていたはずです。

医師に症状を訴えても検査で異常が見つからないために、
異常なしと放りだされ、保険会社にも相手にされず、

事故から1ヶ月とか3ヶ月とか、時間差で症状がじわじわ出てくれば、
被害者本人も事故との因果関係も気づかない状態で、

訴えでなかったのは被害者が悪い、
除斥期間が過ぎるまで気つかなかったのは、被害者本人の責任だ、とするのは、

あまりに被害者がかわいそうすぎるのではないかと思います。

権利行使ができない原因が、加害者の不法行為にある場合だけではなく、
脳脊髄液減少症のように、
被害者が権利行使しようと思っても、数々の不可抗力によりできなかった場合もあると思います。


今年になって、殺人の時効の撤廃を求める遺族の会
「宙(そら)の会」のニュースを興味深く見ていましたが、

どうしてこれほどまでに、
犯人の逃げ得や、
加害者にやさしく、被害者に冷たいルールばかりが
社会に存在するのでしょうか?

そろそろ加害者より、被害者にやさしい社会になっていってほしいと思います。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無理解との闘い 1

2009年05月08日 | つぶやき
先日
「きになるニュース」の題名でUPした記事。その後、リンク先の記事が消えてしまったので、
あらためてネット上の記事内容を貼り付け、
関連ブログ記事も紹介させていただきました。



4月17日付け、読売新聞の以下のような記事でした。
新聞掲載記事内容です。

「23年前の事故、後遺症認定」

東京地裁 脳に障害、記憶力低下、

23年前の交通事故が原因で脳に傷を負い、
記憶力低下などの後遺症が残ったとして、東京都内の女性と母親が、
事故の相手方の男性に損害賠償を求めた訴訟の判決が16日、東京地裁であった。

八木一洋裁判長は「事故による後遺症が認められる。」と延べ、
約2300万円の賠償を命じた。

判決によると、、女性は中学生だった1986年、自転車にのって、栃木県内の交差点を通過中に、出会い頭に自動車と衝突し、頭蓋骨骨折などの大けがを負った。

その後、女性は疲れやすく、記憶力低下などの症状が出て、
2005年には事故が原因で、脳機能障害になったと診断されたが、自動車損害賠償責任保険の審査では、事故との因果関係が認められなかった。

訴訟で被告側は、「原告は事故後、有名大学に進学しており、
障害は回復している」と主張したが、判決は「本人の努力で大学合格を果たしたが、事故後の高校・大学時代は寝ていることが多く、
現在は整理整頓ができなくなっている。」と指摘。

現在の体調不良は、事故で発症した脳機能障害が一因と認定した。


以上読売新聞2009年4月17日記事より。



そうなんですよ・・・・
脳脊髄液減少症の記憶障害は、無理をすれば、
新しいことは学習することもできるんです。

ただし、脳の
油の切れた歯車をきしませながら、無理やり力づくで動かすような感じて
集中力も持続力も続かず、新しいことを学ぶにも、
事故前の何倍ものエネルギーを使います。

脳脊髄液減少症の記憶障害は、新しいことは努力すればなんとか学べますし、長期記憶に入った記憶は比較的保たれているんですが、
無意識にちょっと置いたもの、手に持っていたものなどを次々なくすとか、
さっき無意識に歯磨きしたのを忘れてしまうとか、

無意識に行ったような短期記憶、直前記憶が消えてしまうような記憶障害が出るのです。
有名大学に進学したから障害は回復しているなんって言い分は、こういった記憶障害の知識のない人たちの言い分です。

それに、私も、「かたづけ」ができない障害に今も苦しんでいます。

これについては書くと長くなるので今回は書きません。

整理整頓ができないのはつまり、そういう高次脳機能障害なのです。

でも、たんなる「だらしがない人間」と誤解されます。
脳の障害なのに、今でも家族に責められ続けています。


前回の「気になるニュース」の記事でも
追加でご紹介させていただきましたが、

以下のブログ記事やコメントに、
同病の脳脊髄液減少症患者の皆様はどうお感じになりましたでしょうか?
プーサンのぼやき

私は脳脊髄液減少症がまだまだ世間に理解されていないと感じ、
これから先も、また私のような悲劇が繰り返されてしまうような危機感も感じ、

とてもとても、悲しくなりました。

別に保険やさんたちにケンカを売るつもりはありません。

保険やさんたちにはぜひとも、

脳脊髄液減少症ガイドライン2007

脳脊髄液減少症データ集 1

脳脊髄液減少症データ集 2
を熟読されて勉強なさって、正しい知識を持っていただいて、

脳脊髄液減少症についてご理解いただきたいだけなのです。


保険やさんたちが、ただでさえ、体が傷つき身体的にも痛み、働けなくなり経済的にも苦しんでいる真の、詐欺師ではない被害者を

さらに精神的にまで苦しめ追い詰め、自殺にまで追い込むようなことは
もう絶対にあってはならないと思っています。

参考までに過去記事「脳脊髄液減少症の質問主意書」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

復活した脳の力

2009年05月07日 | 情報
復活した“脳の力”~テイラー博士からのメッセージ~
チャンネル :総合/デジタル総合
放送日 :2009年 5月 7日(木)
放送時間 :午後10:00~午後11:00(60分


  


脳って回復力も未知ですから、

脳脊髄液減少症でダメージ受けた脳だって、
きっとやがて回復してくれるはずです。

脳の回復力を皆で信じましょう・・・・。

人間は、生き残るように、生き残るようにとできているはずですから・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生き残ってなお…JR脱線事故の負傷者たち

2009年05月06日 | 情報
ホリデーにっぽん「生き残ってなお…~JR脱線事故の負傷者たち~」

(番組案内より)

チャンネル :総合/デジタル総合
放送日 :2009年 5月 6日(水)
放送時間 :午後6:10~午後6:45(35分)
ジャンル :ドキュメンタリー/教養>社会・時事

乗客107人が死亡し、562人が負傷したJR福知山線脱線事故から4年。
負傷者の30%がPTSDを発症している恐れがある実態がわかった。
その深い傷を見つめる。




   



本当に「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」ですか?

脳脊髄液減少症が見逃されている患者さんはいないのでしょうか?

あれだけの脱線事故ですから、
脳脊髄液減少症患者が出ないほうがおかしいと思います。

脳脊髄液減少症によって二次的に、
精神的不調が起こっている可能性もあります。

そのことに気づいている支援者や医師はおられるのでしょうか?

脳脊髄液減少症が見逃され、「PTSD」とされているそちらの治療のみをされている被害者がいるなら、大変なことです。

以前この事故後、PTSDとされた被害者が自殺で命を落としてしまったように、

せっかく助かった命が、後遺症と思われる症状に苦しみぬいた末に、
自ら失われることだけは絶対に防がなくてはなりません。

脳脊髄液減少症患者がいるなら、周囲が早期に見つけ出してあげなければ、
患者は自らこの「事故後遺症」の存在の可能性にも気づけないと思います。

「PTSD」とされている方の中に、
「脳脊髄液減少症」が疑わしい方はいないのか?

被害者のまわりの健康な支援者や医師の皆様が
脳脊髄液減少症について詳しく学んで、
どうか充分注意をしてあげてください。

少しでも似た症状があれば、
迷わず、脳脊髄液減少症の専門医を見つけ出して受診させてあげてください。

特に身体症状が目立たず、
不安やうつや、不眠や、パニック障害、過呼吸発作に似た症状などがめだつと、

よけいに脳脊髄液減少症が見逃されやすいのです。

ましてや大事故の被害者なら、よけいにPTSDとされる可能性は
一般の事故の場合より高まると思います。

それは、PTSDと似たような症状のでる、
脳脊髄液減少症という事故後遺症を
知らない精神科医もまだまだ多いと思います。

患者は見た目ではわからない、ものすごいさまざまな身体症状や精神症状を
自分でも「PTSD」のせいだと思い込んで
じっと耐えているかもしれません。

脳脊髄液減少症の症状は
身体症状も精神症状も、
とても表現しがたい、説明しがたい複雑怪奇な症状ばかりなのです。

患者は自分の置かれている状況や症状を、
簡単に周囲に説明することすら難しいのです。

事故で起こる脳脊髄液減少症という病で
二次的にさまざまな「精神的不調」がでるという事実を
私は体験して知っています。

ですから、このことを充分頭において、
くれぐれも、この見えない後遺症の存在を
疑い過ぎるくらい疑ってください。

それぐらい疑って、
脳脊髄液減少症の早期発見にはちょうどいいと思います。

今の医学界の状況では、
脳脊髄液減少症に詳しい医師でない限り、

一般の医師や精神科医が自ら患者の症状から脳脊髄液減少症を疑って、
患者に教えてくれることは難しいのが現状です。

患者や家族が自ら調べてこの病に気づくしかないのです。

とにかく
この見えない後遺症、見えない怪我の存在に、充分ご注意ください。


NHK神戸へのご意見は こちら

4.25ネットワークへのお便りは こちら

兵庫県立大学看護学部の方がたが
PTSDにお詳しいようですが、
PTSDと間違われやすい、脳脊髄液減少症の症状については
どれくらいご存知なのでしょうか?

ご意見はこちら



ホリデーにっぽん、今見終わりました。
PTSDとされて、苦しんだあげく自殺して亡くなった男性の

詳細を初めて知りました。

取材に応じてくださったお母さまに感謝いたします。

男性の死を無駄にしないためにも、同じ様な苦しみの患者を早急に適切に
支援する必要を感じました。

もし、脳脊髄液減少症と似たような症状が出ている被害者が他にもまだいるなら、
至急適切な医療機関で脳脊髄液減少症の検査を受けていただきたいと思いました。

この男性は症状をブログに書き残していたのですね。

事故当時は軽症で、事故後2ヶ月後に
アリが壁から這い出てきたのを見て
パニックになり、医師を受診したら、「PTSD」と診断されたというけれど、

医師の診断名なんて、医師の数ほどあるものだと、

脳脊髄液減少症の病名不明時代を生き残ってきた患者さんなら
体験してわかっていると思います。

たった一人の医師がPTSDと診断したからといって、
あの亡くなった男性がPTSDだったと決め付けることは
非常に危険だと思います。

亡くなった男性がブログに書き残した症状、
「途中覚醒で、気持ちよく眠りにつけない」
などの睡眠障害、

「思い出した情景が頭に浮かぶ」などのフラッシュバック、

「頭がオーバーヒートし、キレたような状態になる。」
の表現にあるような状態は

脳脊髄液減少症の私も経験しています。

しかも、ブラッドパッチ後改善しています。

つまり、脳脊髄液減少症でも、それらの症状が出るという証拠です。

(睡眠障害は私も事故後まもないころから数年にわたり苦しみました。眠り
が浅く、夜中に寝ていても宇宙遊泳をするような、平行感覚の異常にとらわれたり、脳脊髄液減少症でいろいろな睡眠障害が出ることは、多くの患者が経験していると思います。)
過去の情景が突然浮かんで苦しむひどいフラッシュバック
私も経験しています。
ブラッドパッチ後にも脳が急な変化にびっくりしたのか、一時的にひどいフラッシュバックもでました。
その画像を頭から振り払うべく、思わず口から「いや!いや!」という言葉が出てしまうほどでした。

フラッシュバックは確かに心的外傷など心の病でも起きるとは思いますが、
脳脊髄液漏れなどによる脳の機能障害でも起こりえると、私自身の体験から確信しています。)

さらに、この男性は自殺で亡くなる前には
「体が重たい」と話していた・・・・そうです。


(脳脊髄液減少症で慢性疲労症候群状態になることは、患者の皆様ならご存知だと思います。
異常なほどの慢性的なだるさ疲労感に頻繁に襲われ、
自分の手足の重さ、髪の毛の重さ、衣類の重さまでしんどく感じるほど、体が重たく感じました。)

亡くなった男性が苦しんでいたこれらの症状は
脳脊髄液減少症でも起こりえますし、

実際に私もそれらを経験し、
ブラッドパッチ後改善も経験しています。

従って、亡くなった男性はPTSDではなく、
脳脊髄液減少症という事故後遺症だった可能性も否定できないと思います。

NHK神戸は、事故被害者たちにPTSDの調査項目を含んだアンケート調査をしたそうですが、
それだけではなく、

脳脊髄液減少症の調査項目を含んだアンケート調査をして、
今もなお本人も家族も気づいていない、
被害者の中の脳脊髄液減少症の潜在患者を見つけ出すことに
協力して欲しいと思います。

亡くなった男性が死ぬまぎわに残した言葉

「つかれた。もう死にたい。」

亡くなった当日数時間前のブログの言葉・・・
「生きるのにつかれました。
だけれども、とりあえず、生きています。」

私とまったく同じ心境です。

きっと限界まで、「とりあえず、とりあえず」と
自分に言い聞かせていたのでしょう・・・。

もう少しがんばっていたら、
誰かが脳脊髄液減少症のことを教えて、
もしそうで、治療で治っていたら、と考えてしまい、残念でなりません。

脳脊髄液減少症患者の私は、
症状を抱えて医師めぐりをした末に、
どこに行っても症状の原因らしい原因が見つからず、
最終的には精神科領域の病だと判断され、
投薬治療を受けても、何年も一向に根治に到れなかった時期、

症状にただ、まるで野生動物のように
ひたすら症状に耐えることだけを強いられ続けました。

それはものすごい孤独な経験でした。

集団の中にいながら、症状の苦しみを誰にもわかってもらえない、
医師にも関心をもってもらえない、

誰一人真剣に向き合ってもらえず、助けてもらえないと感じることは、
本当に空恐ろしい経験でした。


それは、この医学の発達した現代社会において、
医学の恩恵にあずかれず、
そればかりか、「アンタの性格が作り出した幻の症状だよ」という
ニュアンスで蔑視さえ感じ、

医師にも真剣に向き合ってもらえず、助けてもらえず、

ただ、孤独に無人島に流れついて生きることを強いられているような
恐ろしいほどの孤独感と絶望感でした。

病と認められないことの恐怖を、いやというほど味わいました。

だから、
医学の教科書にすでに載っている病で、

医師が一度は医学部で学んでいて、

一応病名も、検査法も、診断法も、治療法も
学んでいる病になった人たちは、
もうそれだけで、恵まれています。

症状を訴えると検査でその症状が本当である原因が見つけられ、
患者の訴えはウソでも精神的なせいでも、保険金目当ての
さびょうでもないと、科学によってお墨付きが得られ、

晴れて、正真証明の病人と世間に認められ、

医師にも医療スタッフにも「病人」と正式に認められて、
手厚い医療を受けることができる方がた、
しかもその医療に健康保険がきく方がたは、
もう、それだけで、恵まれています。

私は当時、そういった
当たり前に病名が判明し、
あたりまえに病人として認められ、

病人としての当たり前の権利を与えられ、
手厚く保護される、

そんな普通の患者さんたちを
心の底からうらやましいと思いました。

脳脊髄液減少症の病名も、病態も、世界中の誰もが知らなかった
ほんの数年前まで、
脳脊髄液減少症患者たちは、医療にも福祉にも無視され続け、
放り出されていたのです。

やっと病名がこの世に生まれても、
いまだに否定派医師によって、研究すら妨害され、
健康保険の適用すら認められていないのです。

こんなに世の中にさげすまれた病があるでしょうか?
しかも、
脳脊髄液減少症は、その症状によって、二次的に、
自殺や不慮の事故や突然死によって、亡くなっている人もいると思われるのに、

事故から数年以内に病名が判明したとか、症状が軽いとか、
で、おそらくこの病によって生きるか死ぬかのどん底まで経験せずにすんだような
幸運で恵まれた脳脊髄液減少症患者さんたちの発信する情報によって、

「死ぬことなどない病、たいしたことのない病」という、誤った認識まで広がりつつあることに、非常に危機感を感じます。

私と同じようなことを経験した脳脊髄液減少症患者様なら、

この男性と同じように
「疲れた。もう死にたい。」「生きるのにつかれた。」と
いう同じような感情を一度ならず、何度も、何度も
感じたことがあるはずです。

しかし、病ではなかなか死ぬ気配もないから、
病によって死という形で、この生き地獄のような苦しみと
世間に理解されない、医療に助けてもらえない絶望感から
逃れることさえできないとしたらと、

自殺を考えるほど、

精神的に限界のところまで
追い詰められてしまう脳脊髄液減少症患者さんも
少なくないと思います。

ただ、何十年も苦しんだ方がたは、高齢になっていたり、
病が悪化して寝たきりになっていたりして、ネットの患者社会にも
来れない状態で、

本当にこの脳脊髄液減少症の怖さを知っている人ことが、
声をあげられない状態にあるのではないか?と私はいつも案じています。

私は自殺で亡くなった彼の
「生きるのにつかれた。もう死にたい。でも生きなければ。」と揺れる気持ちが
痛いほどよくわかります。

彼のSOSを誰かが別の視点で見て、助けてあげられなかったかと思います。

今となっては、この男性が
脳脊髄液減少症だったのか確かめようがありませんが、

せめて、生きている被害者様たちで、
現在PTSDと診断されている方、
またはその疑いがある方の中に、
脳脊髄液漏れを起こしている被害者はいないか?
徹底的に調査してあげてほしいと思います。

同じような犠牲者をもう絶対に増やしてはなりません。

脳脊髄液減少症の発見については
一般の医師の診断まかせでは絶対にダメです。

脳脊髄液減少症の専門医を複数まわるぐらいの
覚悟がなければダメです。

患者自身か、周囲の方がたが脳脊髄液減少症の可能性に気づかなければ、
医師のほうから
脳脊髄液減少症の可能性に気づいてくれる確率はまだ低いと思います。

なにしろ、医師の教科書にも載っていない病態、症状なのですから・・・
医師が医学部で学んでいない分野なのですから・・・・




以下、asahi.comの関連記事です。
asahi.com 1

asahi.com 2

「首のねんざだけですんだ・・・?」ですって??
私もその軽症だと思われた事故被害者なんですが・・・・・

脳脊髄液減少症という何十年も精神的身体的不調の苦しむ重い重い後遺症だったんですが・・・・見た目で軽いと思わないでほしいです。

やっと真の病名「脳脊髄液減少症」にたどりつき、
まともの病人扱いされ、治療を受けられたのは

事故から長い長い年月が過ぎてしまっていました。
私の輝くべき人生の貴重な時間は、誤解と軽蔑と冷笑の中に消えてしまいました。

だから、

体の異常を感じて、
すぐその症状が医学的に証明されて、正しい病名がついて、
症状を医師にも家族にも職場にも信じてもらえ、
病人として認められ、向き合ってもらえるだけで、

もうそれだけで患者として幸せな患者さんだと思います。




リンク先の記事はすぐ消えてしまうと思うので、コピーを貼っておきます。

朝日新聞記事

JR宝塚線事故、負傷者2割PTSD症状 朝日新聞調査(1/2ページ)
2009年4月23日5時44分

  
 発生から25日で4年を迎えるJR宝塚線(福知山線)脱線事故の負傷者を対象にしたアンケートで、回答者の約2割が現在も、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の可能性が高いとみられる症状を訴えている。朝日新聞の調査でわかった。けがが比較的軽かった人や、事故時に恐怖を感じていなかった人の中にもPTSDの可能性が疑われる人がいる。今の生活に何らかの支障を抱える人が全体の3割近く、家族に精神的影響があったとする人も4割を超え、いまだに心の傷が癒えていない様子がうかがえる。

 負傷した乗客562人のうち、連絡が取れた126人に3~4月、アンケートで心身の状態を尋ねた。面談による聞き取りと郵送で、68人(54%)から回答を得た。

 PTSDの診断指標として世界的に普及している「改訂出来事インパクト尺度」(IES―R)を使用。最近1週間のストレス障害など22項目で、症状の強さを5段階で尋ねて点数化した。「PTSDの可能性が高い」とみられる結果が出たのは全体の約2割にあたる13人。このうち4人は専門医による治療やカウンセリングを受けていなかった。

 13人は、事故の場面がいきなり頭に浮かんでくる(再体験)▽事故を思い出させるものには近寄らない(回避)▽眠れない、過度の警戒心(過覚醒(かくせい))――などの症状を訴えている。13人の中には、比較的けがが軽く、事故で入院しなかった26人のうち4人と、救出されるまで「危険や恐怖を感じなかった」と答えた6人のうち1人も含まれている。

 PTSDは、事故時のけがが軽くても症状が深刻になるケースがあり、昨年10月、首のねんざですんだ兵庫県宝塚市の25歳の男性負傷者が自宅で命を絶った。事故の負傷者の自殺が確認されたのは初めて。

JR宝塚線事故、負傷者2割PTSD症状 朝日新聞調査(2/2ページ)
2009年4月23日5時44分
印刷
ソーシャルブックマーク
  
 負傷者のほぼ半数が、けがは「回復した」と答えたが、「後遺症が残った」は15人いた。いまも「治療やリハビリを続けている」は9人だった。

 自身の今の生活について、全体の3割近い19人が「かなり支障がある」か「多少支障がある」と回答。家族については、「付き添いや介助のため影響があった」「精神的な影響があった」と答えた人がそれぞれ半数近くに上り、家族の心身両面での負担をあげた。その一方、心の傷の回復に家族の支えが必要とする声が8割近くに達し、家族も含めた心のケアが求められている。


   

気になる文書も見つけました。

交通外傷患者の外傷体験に対する認知とPTSD症状との関連だからぁ・・・・

交通外傷後に起こるさまざまな一見PTSDに見える症状の中には

脳脊髄液減少症という体の内部の見えない怪我が原因の
脳の機能障害による症状の場合があるってば~。

これは、一刻も早く精神科の医師の皆様にも、
脳脊髄液減少症の精神症状について学んでもらわなければ、
脳脊髄液減少症を見逃される患者さんたちがいますね。

でも、ブラッドパッチで精神症状まで、ケロッと治ってしまわれては、
商売あがったりで、困る方がたが

また、脳脊髄液減少症なんて病はこの世に存在しないと、
ムキになってこの病名の認知も、検査法も診断法も
否定して、研究も妨害したりして・・・

そんなことは、まさかないですよね。

世界中のだれもが、企業や個人の営利より、

人類の幸せと健康を第一に考えて力を貸して救助の手を
さしのべてくださる真心があり、

どんな人にもその気持ちは
必ずあると信じています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脳脊髄液減少症に関する質問主意書

2009年05月04日 | 情報
平成21年3月23日提出 脳脊髄液減少症に関する質問答弁経過

平成21年3月23日提出、脳脊髄液減少症に関する質問主意書本文

答弁本文(PDF)

答弁本文(HTML)


過去の質問主意書
平成20年3月17日提出 脳脊髄液減少症に関する質問主意書

平成19年12月10日提出 脳脊髄液減少症に関する質問主意書


なかなか鋭い質問内容ですね・・・。
何かで脳脊髄液減少症のことを勉強なさったのでしょうか?

それとも患者さんたちの生の声に真摯に耳を傾けたとか?


過去の質問主意書を見ても、

経歴を見ても

医療福祉に関心が深い議員さんなのですね・・・。


これからもよろしくお願いします。

この議員さんや答弁者は、

脳脊髄液減少症ガイドライン2007

脳脊髄液減少症データ集vol1

脳脊髄液減少症データ集vol2

3冊は熟読されているのでしょうか?


読んでいなければ、ぜひ読んでいただきたいと思っています。

データ集の2のM先生の序文にも以下のように書かれています。

「患者、医師、看護師、医療従事者、弁護士、裁判官、マスメディア、など
脳脊髄液減少症に関係する方がたは、インターネットで安易に得られる情報だけではなく、脳脊髄液減少症ガイドライン2007、脳脊髄液減少症データ集VOL1、に加えてじっくり本データ集を読んでいただきたいと切に希望する。」

患者の私もそう思います

患者さんたちはもちろん議員さんたちにも、
否定派医師の皆様も、疑心暗鬼の医師の皆様も、

まだ病名もわからず不定愁訴に苦しんでいる患者さんも、

他の別の病名がすでについていても、
その病名が「原因不明、未解明、分野」の病名である患者さんも・・

患者を助けたいけれど、どうしたらよいのかわからない先生たちも、
議員さんたちも、
学校の先生も、弁護士さんも、新聞の医療面担当記者さんも、
医療ジャーナリストの皆さんも、

「インターネットで安易に得られる情報」だけではなく、

ぜひ、この3冊をじっくり読んでいただきたいと思います。

患者の私からもお願いします。

専門用語があっても、用語はネットで調べながら少しずつ読めば、
素人でも読みこなせると思います。

医学書にしては3500円は安い方だと思います。
1万円以上から数万円する医学書だってざらなのですから・・・。

3500円の服や靴を3品     買ったと思って、

これらの本3冊    を買って、
多くの人にじっくり読んでいただきたいと思います。

値段以上に得るものや気づきがあるはずです。

特に、患者の皆様とそのご家族には、
自分達のことですから、誰よりも関心を持って、
真っ先に読んでいただきたいと思っています。

社会の多くの人たちに脳脊髄液減少症のことを伝え知っていただくためにも、

まずは患者たちが、
臨床現場で脳脊髄液減少症と悪戦苦闘しながら
治療に取り組んでくださっている医師の先生たちの経験談や考察を
知っていることは
患者としてのせめてもの礼儀だと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする