脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

JR脱線事故、被害者の皆様方へ

2007年04月25日 | つぶやき
私は、交通事故被害者です。

自分には、何の落ち度もない事故で、
目に「見えるケガ」と目に「見えないケガ」を負い、

この、「見えないケガ」のせいで、長い時間、無理解に苦しんできました。

二年前の、4月25日に起きた
JR福知山線の脱線事故は、今も心が痛みます。

亡くなった多くの皆様方のご冥福をお祈りするとともに、
体や心に傷を負った皆様方の、
一日も早いご回復を、心よりお祈り申し上げます。



あの日の朝、

私は、交通事故後遺症の悪化で、
職場復帰のめどがたたず、
仕事をやめるあいさつに行くため身支度をしていました。

歩けず、自力で移動もできず、
車椅子を母に押してもらい、
出かける直前でした。

何気なく見ていたテレビで、JR脱線事故
信じられない映像を目にしました。

驚きつつも、時間が迫り、そのまま
職場に出かけました。

その後、入院、手術、リハビリ。
しかし、もうひとつの事故以来の「不定愁訴」という症状については、
いくら入院中医師に訴えても、まともにとりあってもらえませんでした。

退院後、交通事故以来続く不調の原因を調べていた時、
偶然、テレビで「脳脊髄液減少症」の病名を知りました。

早速、別の病院と医師を探しあて、
予約日を待って、RI検査し、
やっと「髄液漏れ」と診断され、ブラッドパッチ治療を受けました。
交通事故から、長い長い年月が過ぎ去っていました。

この2年は、
私にとっても激動の2年間でした。

悪化してからのこの2年間は、
私にとっても、闘いの日々でした。

JR脱線事故被害者の皆様方の苦しみとは、
比べ物にならないかもしれませんが、
私も同じ時期に、事故後遺症で苦しみ続けていました。

ですから、被害者の皆様がたのことが、
とても人事とは思えないのです。

亡くなられた方のご冥福をお祈りし、
その家族の方がたのご心労を思い、ご健康を願い、

お怪我をされた方がたのご回復をお祈りすることしか、
今の私にはできません。

でも、ひとつだけ、できることがあります。

それは、事故によって引き起こされた
「見えないケガ」である「脳脊髄液減少症」の存在をお伝えすることです。

私は、一見軽症の事故被害者の皆様方の中に、
脱線衝突の衝撃による見えないケガを体の内部に負い、
「脳脊髄液減少症」になっている方がいるのではないか?
ととても心配です。

もしかしたら、この病気の存在を知らないまま
苦しみ、「精神的なもの」、とされている方がいるかもしれない、と
思っています。

ご本人も、家族も、医師も気づいていない可能性もあるのではないか?と
不安です。

2年前の4月25日の段階では、
私自身も、交通事故以来の体調不良の原因が
交通事故の後遺症としての「脳脊髄液漏れ」によるものであるとは、
全く気づいていませんでした。

私が、「検査しても異常なし」の
原因不明の症状を
「精神的なもの」とされていたように、

事故の心的外傷ストレス症候群(PTSD)などと、
間違って診断されている方がいるのではないか?

方向違いの治療を受けさせられて、
治らず、苦しみ続けている方が、もしかしたらいるのではないか?

と思うと、心配で、いてもたってもいられません。

「脳脊髄液減少症」でも
急に苦しくなって、立っていられなくなったり、
呼吸が乱れたり、急な動悸がしたりします。
思考力が低下し、やる気がなくなり、うつ状態にもなります。

脳脊髄液減少症の症状は
一見、パニック障害のようにも、
PTSDのようにも、うつ病のようにも思われます。
いつも異常なだるさが続き、慢性的に疲れている感じは
「慢性疲労症候群」と同じようです。

外部との接触に得たいの知れない不安を感じる、
「社会不安障害」のような症状もでます。

繊維筋痛症のような、触れるだけで痛い症状も
体験しました。

それらの症状が、
決して事故のショックのせいや、精神的なものではなく、
別の原因で引き起こされることがあるのです。

しかし、事故の後だと、
すべて事故のショックによる「精神的なもの」と
みなされてはいないかと、心配しています。

でも、私は「脳脊髄液減少症」の治療(ブラッドパッチ)を受けてから、
それらの症状も現在、改善傾向にあります。

体と心の両面の不定愁訴は、
脳脊髄液減少症でも起こるのです。

事故のショックのせいではなくても、
いろいろな症状が出ることもあるのです。

脳脊髄液減少症の研究はこれからですが、
今のところ、体に何らかの衝撃が加えられた時、
その衝撃で、起こると考えられています。

私も、自分の体験から、そう思います。

事故後の長引く心身両面の不調を
「心の問題」と、決め付けるのは大変危険だと思います。

私が交通事故の衝撃で、「脳脊髄液減少症」を発症したように、
脱線事故の衝撃でも、
「脳脊髄液減少症」になる可能性があると思います

しかし、そのことに気づく医師、医療関係者は残念ながら、
まだまだ、とても少ないのです。

じわじわと出現し、出たり消えたり、移動したりする、
多彩な症状はないでしょうか?

首の痛み、ひどい肩こり、吐き気、
頭痛、頭重感、
ふわふわゆらゆらめまい、耳鳴り、異常な眠気、
異常なだるさでいつも疲れている感じ、
過眠、不眠、両腕の脱力、歩行障害、
口の渇き、舌のシビレ、口の中の違和感、
味覚の異常、顎の外れる感じ、口があけづらい、
飲み込みづらさ、
便秘、下痢、頻尿
虫歯もないのに歯が痛む、
肩甲骨下あたりの痛み、
顔面のシビレや違和感、
移動する体の痛み、内臓痛、
突然の動悸、呼吸の苦しさ、心臓の苦しさ、
低体温や微熱の体温調節障害、原因不明の腹痛、冷え性、
目のまぶしさ、目のぼやけ、視力低下、音がつらく感じる聴覚過敏、
生理不順、生理痛、
物忘れ、思考の混乱、やる気がおきない、うつ、などの症状が

日によって、症状の組み合わせもかわりながら、延々と出現します。

症状が全部一度にそろうことはなく、
いろいろな症状が日替わりで組合わさって、
出たり消えたりもします。

ひとつの症状が続くこともあります。

私の場合、交通事故をきっかけに、さまざまな症状が次々と
湧くように出てきました。

私は最初は、異常な眠気と、異常な肩のこりだけでした。
それらの症状と事故との因果関係には、気づきませんでした。
無念です。

じわじわと時間をかけてさまざまな症状が出現しました。
本人医師も、家族も、
気のせい、疲れのせい、ストレスのせい、「精神的なもの」
などと思い込んでしまいがちです。

全身に及ぶ、違和感、不調、
精神的にも肉体的にも、なにか以前と違う、
前の自分と違う、と感じ、治療をうけても治らない方は、

脳脊髄液減少症のに詳しい専門医に、
ぜひ一度、ご相談なさることをお勧めします

最初は、それほど、ひどい症状でなくても、
何年も放置すると私のように、動けなくなるほど、悪化することもある
恐ろしい体の内部の「見えないケガ」です。

どうか、それらしい症状のある方は、
「脳脊髄液減少症」の可能性も視野に入れ、

今の主治医とは全く違った視点から、不定愁訴を見てくださる医師の、
セカンドオピニオン、サードオピニオンを参考にして、

ご自分の症状をもう一度検証してみてください。

何の罪もない事故被害者が、
見えないケガである「脳脊髄液減少症」を見逃され、

さまざまな理解されない症状や、高次脳機能障害で、無理解にさらされ、

苦しみ続けることが、もうこれ以上、繰りかえされてはなりません。

皆様が
一刻も早く、回復され、お元気になられることを、祈っています。


この病態に関することは、左のブックマーク欄にまとめてあります。
ご参考ください。



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高次脳機能障害(下)

2007年04月24日 | つぶやき
今日は、気分はお天気のくもり空といっしょです。
でも体のしめつけもなく、呼吸も楽です。

昨日の月曜も楽で、一日ほとんど横になることなく過ごしました。

夜、家族にも言われました。
「いつもと違って楽そうだね。」と・・・・。
「いったい、何がこの症状の波の原因なんだろう。?」って不思議がってました。

私も知りたい。なんでこんなに楽な時と、苦しい時に差があるのか・・・・?

主治医によると、
「良くなっていく過程の中で、「髄液量が上下するためではないか?」
とのことです。

さきおとといの土曜は、
朝半身マヒ状態で、両手の脱力もあったのに、午後から次第に回復し、
呼吸困難や体のしめつけは起きず、
一日体を起こしていられました。

おとといも、夜に限界になるまで、
なんとか一日起きて過ごせました。

よくなったり、悪くなったりの波が、
自分でも読めません。

この病態をよく知らない医師が診たら、
まさに「適応障害」のように見えるかもしれません。

あまりの症状の激変ぶり
普通の人には「仮病」と思われてもしかたがないと
思います。

さて、高次脳機能障害の話の続きです。

今までは
「脳脊髄液減少症」という病名がなかったのでしかたがありませんでしたが、
患者がこの病気とわからず、医師も正しく診断しないで放置されることは
患者自身の身に、不利益や危険を及ぼす場合があるとと思います。

知らないうちに、高次脳機能障害が忍び寄り、
さまざまな悪影響を人生に与え、
患者をさらに、つらい人生に迷いこませる恐れがあります。

「見えない完全犯罪者」ともいえる、
じわじわと正体がわからないように忍び寄る「脳脊髄液減少症」は

全身にさまざまな症状が出るため、
なかなか本当の原因に気づきづらく、
医師の誤診病名を、ついつい信じてしまいやすい病態なのです

この病態が人生に巻き起こす、悲劇の連鎖を、
早期発見、早期治療で、断ちきらなければなりません。

脳脊髄液減少症によって引き起こされる、
離婚、家庭崩壊、解雇、学業断念、高次脳機能障害によるミスや,

事故の加害者になってしまうなど、2次的、3次的被害に苦しむ患者を
これ以上出してはなりません

もし、この病態を見逃され、放置された患者が
医師の「異常なし」や
その医師の思い込みによる「別の病名」を信じてしまい

「判断力や思考力低下が「高次脳機能障害」によるものと気づかず、
無理して、生活や仕事や運転を続け、
ミスや事故を起こしてしまったり、
人間関係上のトラブルに巻き込まれてしまうとしたら

それは、
患者のせいではなく、
医師や周囲の無理解と診断ミスのせいだと思います

早い段階で、脳脊髄液減少症と診断され、
自分の判断力低下や思考力低下、物忘れ
病的なものであると気づけば

治療する手段も探すことができ、
防げる事故もあると思います

そういった、誤診が
交通事故被害者に過失を「起こさせて」、
さらに事故被害者に不幸の連鎖を引き起こすことのないように、
早期発見、早期治療が急務と思われます

私が、もし、あのまま
思考力低下による症状で、新たに事故を引き起こし、
死んでしまっていたら、

自分をそこまで追い込んだ、本当の犯人を知らず、
さぞかし無念だったと思います

この気持ちについては、過去記事にも書きました。
「死者からの伝言」
「続、死者からの伝言」

私も、何らかの過失の加害者になってしまったり、
症状による不注意で、家族や他人を巻き込んでしまっていたら、と思うと、
ぞっとします

幸い、大きな事故は避けられ、生き残りました。

病気のせいと気づかなければ、
その過失を周囲から責められたことでしょう。

あのまま死んでしまったら、
脳脊髄液減少症に殺されたことに、
自分も、家族も気づかないままだったでしょう。

死してなお、過失を責められ、
「自業自得」と思われてしまったかもしれません。

運転していて「ぼんやりして子供の列に突っ込んだ。」とか
「睡眠時無呼吸症と思われる異常な眠気で」「不注意で」
事故を引き起こしたとされる方をテレビで知ると、
かつての自分と重なって、「もしや・・・?」と思うことがあります。

私には、そういう体験が何度もあるからです。

被害者でありながら、
その症状による過失によって、いつのまにか、
「加害者」にまでされてしまうこともありうるとしたら、
本当に恐ろしいことです。

「脳脊髄液減少症」でも「高次脳機能障害」が起こり、
それにより、仕事上も、人間関係上も、
日常生活上も、社会生活上も、
不幸や、困難、トラブルを招くことも、実際あるのです

本人は、そういう自分を責めぬきます。
おかしな自分に気づいています。
でも、自分では、どうすることもできないのです。

周囲の理解と、適切なフォローと、医療支援が必要なのです。
なのに、何も、理解も助けもない状態です。

少しでも、2次的被害を防ぐために、
一刻も早い病態の解明と支援体制の確立、
早期発見、早期治療の大切さを、
多くの人にわかっていただきたいと思います

一刻も早く、すべての医師がこの病態について学び、
その多彩な症状を認識し、真剣に治療に取り組んでほしいと思います

また、交通事故による
「脳脊髄液減少症」の「高次脳機能障害」についてのきちんとした補償、
リハビリ、治療などの体制が整うことを
心から望んでいます。

何の罪もない交通事故被害者を、
どうかこれ以上苦しめないでください。




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高次脳機能障害(中)

2007年04月19日 | つぶやき
今日も寒いです。
寒いのは応えます。  

おとといの続きです。

ブログになかなか「高次脳機能障害」の体験を書けなかった理由は
いくつかあります。

ひとつは、
高次脳機能障害による数々の、自分の過去の失敗を思い出すのがつらかったから

次に、
生きるために、隠し続けた症状や過去の自分の失敗を、今さら思い出しながら
世にさらす事に対する抵抗感

最後に、なにより、
私の「高次脳機能障害」による失敗の数々や
周囲の人に与えた迷惑の数々を書くことで、

高次脳機能障害の症状の軽い「脳脊髄液減少症」患者さんまでが
一括して
「高次脳機能障害も出る、脳脊髄液減少症患者は恐ろしい。」とか、
「高次脳機能障害でミスをする可能性のある、
脳脊髄液減少症の患者に、重要な仕事は任せられない。」と思われてしまうのではないか?
という不安があったからです。

脳脊髄液減少症で、恐ろしい体験のある
私が「高次脳機能障害体験」を書いて、
もし、他の患者さんに迷惑をかけたら・・・?

ただでさえ、理解されない症状で苦しみながら、
社会復帰をしようとがんばっている、同病の患者さんたちが、
もし、社会から新たな誤解や偏見の目で見られるようなことになったら、
と、思い悩んでいたのです。

でも、そんなある日、
「高次脳機能障害」になった、整形外科の女医さんの
テレビドラマ
を見て以来、
私の中で、「隠しておきたい。」という気持ちが変化してきました。

おそらく、直接の脳疾患、脳外傷によって起こる「高次脳機能障害」は

「脳脊髄液減少症」の「高次脳機能障害」よりも、
もっともっとつらいことは、想像できます。

医師でありながら、自らの半生をありのままに世に伝え、
「高次脳機能障害」という見えない症状の認知のために
がんばっていらっしゃる、その先生の存在を知った時、
私は自分が恥ずかしくなりました。

でも、
私には、実名で自分の体験をつづる勇気はありません。

でも、せめてここで、
これから、少しずつ、体験したことを文字にしていきたいと思っています。

そう思ってから、すでに数ヶ月がたってしまいました
なかなか実行に移せません。
でも、今までの気持ちをこうして書けただけ、前進しました。

考えてから、行動を起こすまでが、
ものすごく時間がかかるのも、
迷いだけでなく、高次脳機能障害のひとつだと感じています。

気持ちが許す範囲で、無理せず、書きたくなった時に、
体験した「脳脊髄液減少症」の高次脳機能障害について、
書いてみたいと思っています。

これは、あくまで、私という一個人の
過去の「病気による失敗」にすぎないのですから・・・・

失敗は自分のせいではない、病気のせいなのです。
自分を責めるのはやめようと思います。

それに、
「脳脊髄液減少症」による脳の一時的な「高次脳機能障害」
は回復する病だと信じたいと思います。

本当に怖いのは
高次脳機能障害を抱えた「脳脊髄液減少症」患者の起こす
「ミス」ではなく、

脳脊髄液が漏れているのに、「異常なし」と言われ、
患者がなんの治療も受けられないまま、
「高次脳機能障害」の病名ももらえないまま、
「放置されること」なのだと思います。     






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高次脳機能障害  (上)

2007年04月17日 | つぶやき
今日も寒いです。

2月9日に、半身の脱力で転んでねんざした足首、
やっと痛みが少しになってきました。
2ヶ月が過ぎました。

早く、散歩リハビリに公園に行きたいのですが、なかなか自力で行けません。

さて、
今まで私は、「高次脳機能障害」について、
あまり書いてきませんでした。

以前、
「文章を読めない、書けない」
「ふわふわ感」の記事など、当たり障りのない症状の一部に触れただけです。

本当は、もっともっと、高次脳機能障害と思われる
誰にも理解されない、不思議なつらい、日常生活に支障をきたす
症状を数々体験をしています。

「思考力や判断力低下」の症状によって、
何度も失敗を繰り返したり、
行動が遅くなったり、おかしくなったりして、
周りの批判にさらされもしました。

不注意から、
何度も自分や家族や他人を、
事故や事件の不幸に、巻き込みそうにもなりました

一歩間違えば、恐ろしい事故につながるようなミスもありました。

正常なら、絶対しない行動により、
変人扱いや、
加害者や犯罪者になりかねないような時もありました。

幸い、いつも危機一髪で、難を逃れてきましたが、
多くの代償も犠牲もありました。

私は、みんなと同じこの世界に生きながら、
まるで異次元の世界にいるような、
異常な世界に紛れこんでいたような状態でした。

しかし、その症状を、医師も含め周囲に訴えれば訴えるほど、
信じてもらえないか、冷笑されるか、

疲れているせいとか、ストレスのせい、
「精神的な病」のせいと言われるばかりで、
私の苦しみを、心からわかってくれる人はいませんでした。

雑踏の中で、迷子になってしまった時のように、
集団の中での孤独を感じていました。

処方された精神科の薬も飲んでもみましたが、
「何か違う」と感じていました。

「何か原因が違ったところにある、しかし、今はそれがわからない。」
そう思って、すべてを受け入れて生きようと思いました。

今の医学で、原因がわからないなら、
これ以上、医師めぐりをしても、検査をしても、無駄だから、
「もうしない」と決めました。

それから、もう
「この症状については、一切、人に話さない。」と
心に決めて生きてきました。

症状の苦しさを訴えても、「変人」と思われるだけなら
「黙っていよう。隠していよう。」と思いました。

 そうすれば、私の住む、おかしな世界は、人に知られることはないのだから。

私さえ、感じている異常を、言葉に出して表現しなければ、
黙ってさえいれば、

幸か、不幸か
周りの人間には、
私の住んでいる「異常な世界」は知られることがなく、
周囲は私が「普通の状態」にしか見えないのだから・・・。

黙っていれば、
変な顔をされることも、笑い飛ばされることも、
冷ややかな視線を浴びることも、
軽蔑されることも、
見下されることもないのだから・・・。

私が紛れ込んでしまった、
「不思議の国のアリス」のような世界は、
私にしか見えない世界。

皆の住む世界と重なって存在する
異次元の世界。
それを誰も知らない・・・。

そのほかの数々の症状もあり、
加えて「高次脳機能障害」を抱えたまま、
見かけ上は普通の人間を装い、働き、学び、生活することは
本当に必死の作業でした。

症状を抱えながらも働くために、体の症状はともかく、
「高次脳機能障害」と思われる症状については、
「隠し通さなければ、生き残れない。」と悟りました。

真剣にそう思い、
自分の感じている解決策の見えない「異常」は異常のままに受け入れ、
黙って耐えて生きていこうと誓い、そうしてきました。

時は何年も何年も流れ、症状は次第に形を変え、
多種類になり、私を苦しめ続けました。
長い長い月日が過ぎました。

ついにあることがきっかけで急激に悪化し、
ほとんど起きていられなくなりました。
いくら医師に訴えても相手にしてもらえなかった時、
たまたま見ていたテレビで、聞いたこともない病名が放送されました。

それは、「低髄液圧症候群」という病名でした。

後に、病態の誤解がないようにと
「脳脊髄液減少症」と呼ばれるようになった病態でした。

私は、5分とパソコンに向かえない状態で、
自力で検索しはじめました。

誰も、そんな状態の私に代わって、親身に調べてくれる人が
身近にいなかったからです。

自分を救いだすのは、自分しかいないと思いました。
必死でした。
そして、この病態だと、確信を持ちました。

数ヵ月後、
確信どおり、「脳脊髄液減少症」とようやくわかりました。
ここまで、数年どころではありません。
人生の半分この「見えないケガ」の苦しみで過ごしました。

本当に悔しいです。
人生返してほしいです。

診断してくれた主治医に、はじめて
自分の感じてきた「高次脳機能障害」の症状について話しました。

主治医は、「脳脊髄液減少症」でも「高次脳機能障害」の症状が起こることを
話してくれました。

はじめて、この「おかしな体験」を交通事故後遺症による、
「脳脊髄液減少症の一症状」として認め、
わかってくれる医師に出会えた安堵感と、

今までのすべての不可解な謎が解けた思いで、ほっとしました。

でも、今までその症状について
あまり多くを書いていません。

書けなかったのです。

それには理由があります。

(つづく)

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ひばり

2007年04月14日 | 小さな幸せ
晴れた春の日の
昼さがり、

穏やかな田舎の風景の中を
騒々しくさえずりながら、空を飛ぶ
野鳥、「ひばり」を見た。

ピーヒョロ、ピーヒョロ、ピピピピピーと
まるでおしゃべりしているように・・

歌っているように・・・
騒々しくひっきりなしに鳴きながら、

パタパタと休みなく羽ばたいて
空の上へ上へと、
グングン昇って行く。

あの小さな体の、
どこに、あのパワーがあるのだろう。

いつも、
だるい体と脱力する手足、息の苦しい私は、

鳴きながら、忙しげに羽を動かす、
そのひばりの姿に、

見ているだけで、
なんだか疲れてしまった。  

声を出しながら、あんなに激しく羽ばたくなんて、
すごいなぁ・・・
元気だなぁ・・・

そう思いながら、

その姿を目で追っていたら・・・
久しぶりに、きしむ首をそらして、空を見上げていた。

その日、私は
まだ少し、鉛のようなだるさがあり、
半身にはシビレが残って足を引きずっていた。

杖で体を支え、
空を見上げ、
空に消えそうな、ひばりを目で追いかけた。

ひばりは、いつまでも鳴き続けながら羽ばたき、

上昇気流に乗り、
青い空へ吸い込まれるように、
どんどん、どんどん、上へと上がり、小さくなり、
ついに姿は米粒ほどになった・・・

少しも休まず鳴きながら、羽ばたく。

そして、上昇し続ける。

そんな、
楽しげで、陽気なひばりの姿を見ていたら、

いつのまにか、
私は、ひばりと一緒に、ふわりと気流にのっているような、
とても楽な気分になった。

ふと、気づくと、見上げた目がまぶしくない。

あんなに光がまぶしかった目が、
サングラスを必要としていない。

空を見上げても、
目がまぶしくないというだけの
ささやかな幸せ

脳脊髄液減少症の回復の道のりは険しく、

回復途中も症状の激しい波があり、
その、心と体の苦しさに、時々くじけそうになってしまう。

けれど、
わずかな回復に気づきながら、感謝しながら、
今ある幸せを見つけながら、

せめて気持ちだけは、

「ひばり」のように、
上昇気流にのって、

上へ上へと昇って行きたい。




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千の風になりたい

2007年04月08日 | 心の葛藤
「千の風になって」の歌を聞くたび、

「千の風」になりたいと思う。

千の風になっても、
心から嘆いて、泣いてくれる人がいる人は幸せだと
うらやましくさえ思う。

私には、そんな人は、たぶんいないけど、

できることなら、もう身軽な体になって、

大空を軽やかに吹き渡れる、
「千の風」になりたい。・・・

こんなに自分なりに、
毎日一生けんめいやっているのに、
毎日一生懸命生きているのに、
誰も認めてくれない。

やはり、役立たずの人間でしかない。

誰も、心からいたわってくれない。

泣きたい気持ちもわかってくれないから、

泣くことさえ、避けられ嫌われ、許されない。



暖かい理解ある人の胸の中で、
思い切り嘆いて、涙が枯れるまで、泣きつくしてみたい。

そして、暖かな言葉と
優しいぬくもりに包まれてなぐさめられてみたい。



泣くことはそんなに悪いこと?

泣くことはそんなに迷惑?

泣くことはそんなに大人げない?

泣かれるとそんなに不快で腹が立つ?

普段弱い立場の私だから、
日ごろ必死で抑えている本音や感情。

でも、それが、時々漏れ出てしまう。

漏れ出てしまった気持ちや感情を
身近な人にありのままに表現にすることは、
そんなにいけないこと?。

そこまでして、いい人間を演じなければならないの?

グレてひねくれた感情を、
身近な人にまで隠し通して、生きるのはつらいよ。

ありのままの私の気持ちも、受け止めてほしい。

わずかな「愛の薬」にすがって、生きてきたけど、
その効果も、いつまで続くかわからない・・・

不安は消えないのに・・・。



泣いてる私に気づいてほしい・・・

泣いてる私にそっと寄り添ってほしい・・・

無視しないで、やさしい言葉をかけてほしいのに・・・。



私のSOSを誰も本気で向き合ってくれない。

ふざけている、甘えているとしか、たぶん思っていない。・・・

頭も体もうまく働かない私が
自力では、なかなかできないことばかりだから、
力を貸してほしいのに・・・。

みんな自分のことで精一杯。

それも、しかたないね。
みんな自分の人生、自分の毎日が大切だもの・・・


だらしのない人間、
ダメな人間と思われたままは悔しいけど、

「千の風」になりたいよ・・・・
 
誰か私を連れ去ってほしい・・・

もういい。
症状に振り回された人生が
自分のせいじゃないってわかっただけで、
もういい。

でも、
私が千の風になっても、誰も嘆かない
誰も泣かない・・・
誰も悔やまない・・・

それだけの人間だと、迷惑がられ軽蔑されるだけでしょう。

すぐに私は忘れられて、
みんなおもしろおかしく、今までどおり過ごすことでしょう。

私は誰からも心から受け入れられてはいない。
心から愛されてもいない。

そう思うと、耐えられなくなる。

 過酷すぎる、「脳脊髄液減少症」の重い肉体を脱ぎ捨てて、
軽い苦しくない、痛くない体になって、

できることなら、
「千の風」になって・・・

軽やかに、
「あの大きな空を、吹きわたって」いたい・・・

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菜の花

2007年04月01日 | 小さな幸せ
食用で買った、菜の花。

ゆでて食べようとしたら、

緑の固いつぼみの間から、

きいろの花びらがのぞいてた。


なんだか、かわいそうになってしまって、

ゆでられなくなった。


下の茎のところだけ食べることにして、

上の花のつぼみは、茶碗に水を張ってさしておいた。


1日、2日とどんどん黄色の花びらが咲いて開いていく


3日たったら、

花であふれんばかりになって、

茶碗の中が、小さな菜の花ばたけになっていた。


「脳脊髄液減少症」の私の目は、

パソコンの画面では、赤や黄色の原色は目にきつくて、

チカチカしてつらいのに、

菜の花の黄色は、なぜか目にやさしい。


見ていると、気持ちがふわっと明るくなる色。

きいろは、元気の出る色。


テーブルの上が、そこだけ、ぱっと明るく感じる。

やさしい気持ちになる、うきうきするような、春の色。


具合が悪くて、なかなか外に出かけられない私に

一足早く、小さな菜の花畑を見せてくれた、

ゆでて食べられるはずだった、菜の花。


少ししか食べなかったから、

少ししか、体の栄養はもらえなかったけど、


たくさん目と脳に元気と刺激をくれて、

たくさん、心の栄養をくれた菜の花。


私も、生きているうちに、

人生に、

もう「ひと花」、咲かせたいなぁ・・・。




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