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もし、おきさき様が
脳脊髄液減少症だったら、
今までのおきさき様に関する報道内容の意味が
全部理解できます
。
何年も治らないことも、
それが自分では予測しがたい体調不良の波の意味も、
精神科の病名がついたことも、
思うように外出できない意味も、
参加予定だった行事のドタキャンの意味も。
見た目がお元気そうに見える事も、
それに相反するように、ご本人は
思うように過ごせず、非常にお苦しみの様子であることの意味も。
ひとつひとつの症状の意味も、
脳脊髄液減少症なら、
全部ありえるし、全部説明がつきます。
あたりまえのことですが、
もし、症状の「適応障害」以外の原因なら、
「適応障害」の治療では
何年たっても、絶対治るはずがないのです。
おきさき様の主治医が精神科医で、
皇室医務主管も精神科医で、固められ、
他の科の医師の視点や気づきが入りこめないとしたら、
精神科以外の病の可能性を疑うことは、
非常に難しいと思います。
人間の脳は、精神状態も体も管理しているのだから、
脳の機能障害が起こる可能性のある器質的な病の知識は、
精神科医ならもちろんご存知だと思いますが、
脳脊髄液減少症の症状に詳しい精神科の先生は
まだまだ多くはないと思うのです。
私の経験からも、
脳脊髄液の減少によっても、精神的変調が実際に出るのです
。
脳脊髄液減少症の一症状として出た精神症状は、
ブラッドパッチによって脳が正常に機能することでも治るのです。
治るのは身体症状だけではないのです。
脳脊髄液の量の増減などの異常や、脳脊髄液の産生吸収のバランスが崩れるなどの
循環障害など、
脳の置かれている環境の悪化
が精神的変調につながることは
冷静に考えれば
少しもおかしなことではないのに、
一旦精神科医が精神科の病名をつけてしまうと、
なぜ患者も医師も、家族も、その病名を信じきってしまい、
他の原因の可能性について、考えようとしないのでしょうか?
なぜ、精神科医の先生の多くは、
脳脊髄液減少症と精神症状の関係に、気づこうとしてくださらないのでしょうか?
まさか、
ブラッドパッチで精神症状まで、そんなに簡単に改善してもらっては
困るとでもいうのでしょうか?
そんなことはないと思うのです。
どんな医師でも、患者を治すことがお仕事だし、
病の本質を早期に見極め、診断して、
早期に治療につなげ、患者を救うのが医師の使命ではないでしょうか?
一度、精神科の病と診断したとしても、
時には勇気をもって、
他の原因で、そのような精神状態、身体状態になっていると
考えることもしてもらいたいものです。
おそらく、脳脊髄液減少症での精神症状の数々は
医学の教科書にも書いていないため、知らないだけだと思うのです。
知らないなら、今こうして、生の患者から学んでください。
お願いします。
おきさき様を心から治したいと、
本当に願うなら、脳脊髄液減少症の可能性についても一度は疑うべきです。
医学界が統一見解が出ていないから、
そんな病は最初から疑わないのでしょうか?
おきさき様も、私たちも、同じ人間です。
私達に起こる病は、
おきさき様にだって起こる可能性があると思います。
もし、医師団が今後も絶対に脳脊髄液減少症を疑わないのであれば、
もし、おきさき様が脳脊髄液減少症であったとしても、
今後も、
脳脊髄液減少症という病名には絶対にたどりつけないと思います。
患者自身も他の病名の可能性をうたがわず、
自ら医師を変える事もできなければ、
脳脊髄液減少症の病名には一生たどりつきません。
病名にたどりつかなければ、
その治療にもたどりつきません。
医師も患者も、どちらも別の原因を全く疑わず、
医師が患者を抱え込み、
患者もその医師の意見を疑うこともせず、
患者も医師もお互いに
別の専門医の意見を聞き入れる事も、
「脳脊髄液減少症では?」の情報にも全く無関心であれば、
脳脊髄液減少症の病名にたどりつく確率は、限りなく0に近いと思うのです。
私たち一般人は
医師に、
「先生、私の症状、テレビや新聞で知った、
脳脊髄液減少症に似ているんですけど、」と気軽に聞いたり、
「先生以外の医師のセカンドオピニオンが聞きたいので脳外科紹介してください。」と申し出たりすることのできるのでまだましです。
医師に、「そんな病ありえない」と医師に言われ相手にされなかったら、
黙って医師に見きりをつけて、
勝手に医師を変える事もできるし、
自分の直感を信じて、脳脊髄液減少症専門医の予約をとる事だってできるのです。
患者の気づきや話を既成概念と違うとバカにする医師と
ケンカ別れだってできるのです。
私たち一般人は、医師たちに白い目でみられながらも、
ドクターショッピングしているうちに、
「脳脊髄液減少症かもよ。」と教えてくれる心ある医師に偶然出あうことだって
あるかもしれないのです。
とにかく、「この医師では治らない。」と思ったら、
自分が受診する医師を自由に変えることが、
私たちには許されている。
自分の病名に疑問を持てば、ネットで自由に、
「こういう症状で、なかなか治らず困っています。どなたか情報を」と
多くの不特定多数の人に情報提供を呼び掛ける事もできる。
誰かに情報をもらうこともできる。
でも、そのような事が自由に許されない方は、
脳脊髄液減少症の病名にも、
専門医にも、
治療にも、
たどりつけないと思うのです。
あの生き地獄のような症状を抱え、
時に体調がいい日に、笑顔を見せながら、
主治医の診断にけっしてさからうことなく、
周囲の方針にもさからうこともできず
、
私のように、
長年お世話になった医師に、
いきなり、「脳脊髄液減少症じゃないでしょうか?」なんて
言い放つこともできず、
ひたすら、主治医の診断と治療方針に従い、
たとえ治らなくても、「本当に私は精神的な病なの?」
と疑問が生じても、
そんなことは口にできず、症状に耐え続けなければならないとしたら、
もし、私がその立場だったら、
病の苦しみの他に、
医師も自由に選べない苦しみが加わります。
私でさえ、
毎日毎日、息もたえだえに、やっと生きているような日々があり、
とにかく毎日
「とりあえず、とりあえず今日一日さえ無事に生き延びれば」と
自分に言い聞かせなければ、
あの、数々の拷問のような症状を抱えて、
毎日毎日、一日24時間も耐え続けながら、生活をすることなどできませんでした。
1週間後、1か月後のことを考えただけで、
そんなに頑張らなければ、そんなにこの症状に耐えて、
生き続けなければいけないのかと、
気が遠くなりそうでした。
だから、「とりあえず、今日一日だけ無事に過ごす」ことを目標に
小さな小さな目標を
毎日を重ね続けて生きてきたのです。
もし、
おきさき様が、私と同じ病だったとしたら、
たとえ、家事も育児も、訪問者との対応も、
買出しや掃除、洗濯も、
おきさき様は、周囲の人の支援があり、何も心配がなくとも、
周囲の人の至れりつくせりであったとしても、
つらいこともあると思うのです。
いろいろなことを人がやってくれるがゆえの、
症状と向き合う時間が増えてしまう日々もまた、非常につらいと思うのです。
「いつ治るのか?」と全国民からせかされているような、
私などが感じない、別のストレスやプレッシャーがある中での
症状を抱えての毎日は、
さぞかし精神的にも追い詰められると思うのです。
もし、おきさき様が、本当に
脳脊髄液減少症と似た症状で苦しまれているなら、
脳脊髄液減少症の可能性も考え、
周囲の人が勇気を持って判断し、動いて救ってさしあげなければ、
お一人では、
治る別の道を探しあてることも、
その道をつき進むことも、
絶対にかなわないと思うのです。
「こういうおきさき様の苦しまれている症状と、
非常に似た症状のでる、脳脊髄液減少症という病態があります。」
ということだけでも、
どなたか、おきさき様にお伝えすることはできないのでしょうか?
病名を知るだけでも、
もしかしたら、希望が持てることも
あるかもしれないのですから。
(さらにつづく)