脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

舌のシビレ

2006年09月29日 | 症状の説明
今日はくもりです。

昨日は一日ダウンしていました。
今日は少し楽です。

今日は、舌のシビレの体験談です。

私には半身のシビレがありますが、
舌の、同じ側の半分もシビレています。

しかし、「脳脊髄液減少症」と診断してくれた医師にたどりつくまで
誰もこの症状を信じてくれませんでした。

検査をしても、その原因となるような異常が見つからなかったからです。

脳神経外科や神経内科医にも相談し、
脳MRIや脳血管の検査など、医師も必死でいろいろと検査して
くださいましたが「異常なし」でした。

しかし、舌のシビレは依然として消えませんでした。

この1年の「脳脊髄液減少症」の悪化で、
ほとんど座位、立位が保てなくなり、

舌のシビレの症状もさらに悪化し、
不快で不快で、耐えられないほどになりました。

歯科で、
麻酔の注射をした時のような感じにも似ている症状です。

舌が軽く麻痺したような、
舌の半分の部分の存在を、無理やり常に意識させられるような感じ。

わさびや、しょうがの食べた時のシビレとはまた違う

例えていうなら、
ハバネロなど、辛い青唐辛子を口にした時の後に
舌に感じるあのジンジン、ビリビリしたシビレに似た感じです。

そんなシビレが強くなったり、気にならないほど、弱くなったりしながら
ずっと続いたとしたら、
私でなくても、多くの人はやはり苦痛だと思います。

痛みや苦痛にがまん強い方の私ですが、
この1年の、悪化時のシビレは耐え難いものでした。

ブラッドパッチ後1ヶ月~2ヶ月ごろもシビレはひどく、改善せず、
苦しみました。

何か口にしていると、少しは楽に感じられるため、
常に飴をなめてまぎらわせることで耐えてきました。

常に糖分を含むアメを口に入れていることは
歯にも、口腔衛生上にも良くないとはわかっていましたが、
そうせざるを得ないほど、
舌のシビレは耐え難いものでした。

なるべく、
シュガーレスのキャンディーや
キシリトール入りのキャンディーに変えて、
さまざまな味を買ってきてもらい、ためしました。

ミント味やレモン味は刺激でシビレをごまかしたり、
抹茶ミルクやピーチミルクなどは、まろやかな味で
シビレをなだめたりすることに気づきました。

そうして、つらさをごまかし、ごまかし、過ごしてきました。

苦しさから、常にアメを口にしていたので
ある日は、アメを口に入れたまま、傾眠症状で眠ってしまい、
のどにつまりそうになったこともあります。

(注:危険ですので、皆さんは、真似しないでください。
   アメは覚醒時に、適量、気をつけてお召し上がりください。
   特に眠気の症状の強い患者さんは、ご注意ください。

それくらい、舌のシビレがつらくて、
唯一のシビレの緩和効果のある、アメに頼っていました。

しかし、アメをなめ続ける生活は
案の上、体重を増加させました。

しかも、この病気の水分補給手段に、
糖分の多いスポーツドリンクも大量に飲んでいましたから、
体重増加は無理もありません。

動きたくても動けない、運動できない、という生活での
基礎代謝量の低下もあったと思います。

でも、苦しさから生きるのに必死で
そんなことは気にしていられませんでした。

元気になったらダイエットすればいい!と割り切って
考えるようにしました。

それが、ブラッドパッチ後3ヶ月が過ぎたころから、
あれほどひどかった舌のシビレはやわらぎはじめ、

半年過ぎた今は、ほとんど気にならないほどになりました。

どういう作用があったのかわかりませんが・・・。
事実です。

おかげで、アメ漬けの生活から開放されました。

もともとアメは好きではなかった私が
あんなにアメをなめ続けるほど、つらかった舌のシビレ。

それが今、こうして何もしなくても、
耐えられるほどに、軽減したことに驚いています。

誰にもわからない、本人だけが感じるつらさでした。

この医学の進んだ現代です、
アメ以外にも、なにかいい緩和方法があったのかもしれません。

まだいろいろと症状は残り、波はありますが、
どうやら、苦しみの峠は越えたように思います。

体調のいい日は少しずつ動けるようになり、
回復期に入ったように感じています。

季節は食欲の秋、ですが、
スポーツの秋でもあります。

キャンディーを卒業できたこともあって
そろそろ、ダイエットに取り組めそうです。

この病気で動けなかったため、体重増加と、
フヨフヨになってしまった体。

やっと、少しずつ運動して、鍛えられる、
その時期の到来を感じています。

美しいボディラインを目指したいと思います。
これからの新しい人生のためにも・・・。

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開口障害。(顎関節症)

2006年09月26日 | 症状の説明
きょうは、予報では雨でしたが、朝のうちは
くもりからだんだん晴れてきました。
気持ちのいい朝です。午後から雨でしょうか?

最近、朝の血圧が109/69ぐらいになってきたせいか、
以前より、朝のだるさが軽く、体が楽です。

今日は私の開口障害について書きます。
私は、口が今年の春まで、長い間、指2本分位しか開きませんでした。

私は半身がシビレているのですが、
そのシビレている側の首から顎にかけての、
筋肉が硬くこわばって、引っ張られているような感じです。

そのせいか、口を大きく開けようとすると、
シビレている側の顎関節がガクッと
するような音がして、外れたようになり、とても不快です。

交通事故の怪我の後遺症で入院手術した時、
入院中にそこの病院の歯科医に相談し、

顎関節症を治すという、
プレート療法もためしましたが、

一時的に良くなるものの、
すぐに元に戻ってしまいました。

大きな口を開けて、サンドイッチやハンバーガーを食べようとすると、
かならずガクッと外れたようになり、
ガブッとかじりつけないのです。

あくびをしても、ガクッとなります。
それが頻繁に何年も続いたある日、

また地元の歯科医に相談して
オルソパントモという、左右の顎関節から
顎をぐるっと映すX線写真を撮りました。

すると、長年の「ガクッ」とする
異常な動きのせいか、ガクッとするほうの顎関節が、そうでないほうに比べ、
顎関節骨頭が小さく薄くなっているというのです。
驚きました。

余計な圧力が加わって、顎の関節の骨に影響が出たのでしょうか?
そこの歯科医院でも、プレートを作っていただきましたが
その時のプレートは合わず、改善もないまま終わりました。

それ以後、ずっとあきらめて、開かない口で生きてきました。
口が開かないということは、
くしゃみや大笑いや、
ハンバーガーを食べる時にもつらいですが、
それ以外に発音がモゴモゴとしてしまう、という影響もでます。

頬や口の動きが少なく、表情もなく、
人に与える印象が、かなり悪いと思います。

自分のせいではない原因で、
自分ではどうにも治しようのない症状で
人に与える印象が悪いということは
かなり、人生において不利益だったと思います。

もし
同じ病気で、もし、サービス業や営業職の方がいたら、
たとえ、立っていられない症状などがなくても、

「表情がない、口が開かず、モゴモゴとしたはっきりしない話し方」では
かなり、誤解を受けるのではないでしょうか?。

ブラッドパッチ後しばらくして、
ふと気づくと、口が今までより開くことに気づきました。
指3本分位、開くのです。

ブラッドパッチ後1週間後位のことでした。
その後、
元に戻ることもなく、現在も口が3横指ほど、開く状態が保たれています。

これには、本当に驚きました。
歯科でどんなに治療しても、何年たっても治らなかったのですから。

変化し始めた最初のころは、3横指は開くものの、
まだガクッと外れるような感じはあったのですが

半年たった現在は、顎の動きがスムーズになり、
3横指分口を開けても、ガクッとすることが少なくなってきました。

分厚いハンバーガーや、サンドイッチに、ガブッとかじりつきたい!
という、長年のささやかな夢も、
叶いそうです。

開口障害や、顎の外れる感じと音の顎関節症、
舌のシビレ、味覚障害、
原因不明の歯の痛み、頬のこわばり、口の動きづらさなど

私の体験した症状だけでも、
歯科や口腔外科の症状と思われる症状がたくさんありました。

それがブラッドパッチ後、改善したという、この事実は、
今までの口腔症状が「脳脊髄液減少症」の症状であったという証だと思います。

これらの事実は
「脳脊髄液減少症」の早期発見のためにも、
ブラッドパッチ後の歯科的な支援のためにも、

歯科の医師の方がたにも、
ぜひ知っていただきたいと思っています。

私が口が開かなかったように、摂食機能の障害や
中には嚥下障害を伴う患者さんもいるかもしれません。

うまく食べ物を取り込めない、噛めない、飲み込めないという症状は

ただでさえ、
吐き気やめまいで食欲の落ちる患者の、体力低下を招きます。

私は、患者の総合的な回復にむけての研究に、
脳神経外科だけでなく、
あらゆる科の医師のご理解とご協力が必要だと、
自分の体験から強く感じています。

歯科の先生のお力もお借りしたいと願っています。
どうか、よろしくお願いします。



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眼瞼下垂(まぶたが重い)

2006年09月25日 | 症状の説明
今日は天気も良く、
体調も良いので、午前中
1時間だけ外出して、公園に行って歩いてきました。
これで2回目です。

最近、塩水を飲んでいるせいか、
けさは血圧も上が100に届いてきました。

コエンザイムQ10を飲んでいるせいか、
回復に拍車がかかってきた感じもしています。

あんなに横になっていないと苦しかったのに、
短時間でも、自力で出かけ、歩けるように回復してきた自分に
驚いています。

ここまでくるのに、私の場合、ブラッドパッチから半年は過ぎています。

きょうは
「眼瞼下垂」の「まぶたが重くて開けていられなくなる症状」について
体験したことを書こうと思います。

私は今も、調子が悪いと、時々まぶたが重くて開けていられなくなります。

自分の意思とは無関係に、まぶたが閉じてきてしまうような感じです。

両まぶたが重くて重くて開いていられないのです。

それでも必死に目を開けていようとしても、
まぶたが閉じてきてしまい、細目になってしまいます。

たれた、まぶたの隙間から見ようとするから、
あごが自然に出てしまいます。

あごを出して細目にしている人間は、
はたから見たら、おかしな人間に見えることでしょう。

しかし、本人は、日常生活を送る上で非常に困り、
目を開けようと必死なのです。

ちょうど近眼の人が目を細めるような感じに加え、
まぶたの隙間から見ようとして、あごをだしているような感じです。

こうした、眼瞼下垂の症状は
脳機能障害を伴う病気や重症筋無力症などでも起こるそうで、

当時、受診した、神経内科医は神経難病を疑い、
詳しい検査をしてくれました。

しかし、結果は「異常なし。」
そして、その後もどんな検査をしても「異常なし」で

ついには「精神科に行ってください。」と言われ、

同じ病院内の精神科に行って、症状を詳しく話したところ

その精神科医は
「あなたの症状は精神科の分野ではない。」と言い、
また神経内科に返されました。

やっかいな患者のたらいまわし状態です。

神経内科医も返されても困ってしまい。
結局お手上げ状態。

困った神経内科医は
症状に、手のシビレもあった私を整形外科に回し、
お役ゴメンの感じでした。

整形外科医は、首のMRIから、それらしき異常を見つけてくれ、
リハビリに首の牽引と、両手の低周波治療に通いました。

処方される薬はといえば、
シビレを改善するというビタミンB12系統の薬剤ぐらい。

しかし、いっこうに治らず、
仕事を休んでまで、受診や牽引に行く気もしなくなり、

そのうち、あきらめてしまい、
その病院に行くのもやめてしまいました。

結局、どこの科の医師も、
私の症状の真の原因を見つけることはできませんでした。

今にして思えば、
この「まぶたが重くて、閉じてきてしまう症状」も
「脳脊髄液減少症」の症状だったのだと思います。

最近は、瞼が重くなってきたら、

脳が「くるし~い」と信号出していると判断し、

水分を取って
可能な限り横になり、目を閉じるようにしています。


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秋の公園で・・・

2006年09月24日 | 闘病の工夫
きのうは晴れて気持ちのいい朝でした。
でも、空気が冷えて、寒く感じ深まる秋を感じます。

きのうは昼間、起きていると苦しい症状があり、
夜になったら、体温調節ができなくなったのか、
寒くて寒くて鳥肌がたってガタガタと震えだし、苦しくなってきて
動けなくなってしまいました。

今までも暑い、寒い、は苦手でしたがこんな症状は起きなかったのですが。
どうも、気温の変化に体が適応できないみたいです。
体の機能を調節する、自律神経って本当に大事な神経だと思います。

やっとの思いで、冬物のフリースパジャマを着て
敷き毛布と掛け毛布にくるまってガタガタ震えながら寝ました。

今日は、こんなわけで、外出はせず、私一人です。
皆、出かけてしまいました。

リハビリしたくても、自宅療養で、病人の自力では
なかなか思うようには行きません。

脳梗塞などの脳疾患は急性期が過ぎると、
保険によるリハビリ入院が認められ、
理学療法士や作業療法士がついて
専門的な手厚いリハビリが受けられるのに、

「脳脊髄液減少症」のリハビリは、まだ手付かずといった感じです。

同じ脳の病気でも、「病気」として認められていないということは
こんなにも社会に医療にも、冷たく突き放されてしまうものなのですね。

一刻も早く、脳脊髄液減少症のリハビリについても
患者や患者の家族まかせにせず、公的な援助がほしいと感じています。

「脳脊髄液減少症」の治療は自費で受けて、
いろんな治療法を、自分で探して自費でためして治しなさい、
リハビリも自宅で自分で勝手にやって!では、あんまりです。

さて、
気分を変えて、
先日、自力でリハビリに行った公園の話の続きです。

車で行ったのですが、正直とても怖かった。
対向車が来ると、
交通事故の心の後遺症か、いまだに無意識にブレーキを踏んでしまいます。

私は信号待ちで停車中に正面衝突されました。
ぶつかる一部始終が目に焼きついています。

怖いながらも、
あまり車の通らない田舎道をノロノロと走っていたのですが、
気がつくと後ろに車が2台。

時速計を見ると、40キロ以下。
このスピードでは、迷惑ですよね.
でも、
脳が速度についていかない感じで、このくらいがやっとでした。

なんとか公園に着き、
持参した杖と飲み物を持って、公園内を歩きだしました。

家の周囲は歩いてリハビリしたくても、半身を引きずって歩く姿は、
近所の人には、あまり見られたくないので歩けませんでした。

人に会うと「どうしたの?」と聞かれ、返答に困るからです。

夏に、短時間なら起きていられるようになって、
家の外に出て歩いた時、案の上近所の方に「どうしたの?」と聞かれ、
「ちょっと。」と言ってごまかしてしまいました。

長期間、家にこもっている私が変に見られてしまいそうで、
かといって「脳脊髄液減少症」を説明しても、
どうせ、わかってくれっこないと思っていたし、
説明する気力もわかなかったからです。

だから、だんだん回復してきて、歩くことがしたくなっても、
家の近所を歩こうと思わなくなりました。

そのうち、夏は暑くて、リハビリをする気持ちも体力もなくなり、
ずっと、部屋にひきこもっていました。

そして、夏が過ぎ、気持ちのいい秋がきて、
また、リハビリに取り組む意欲がわいてきました。

おとといは、その気持ちが頂点に達し、ひとりで出てしまったのです。

平日の公園は、閑散としていました。

老夫婦が仲良くウォーキングをしていました。

杖をついて、半身をひきずりながらゆっくり歩く私を、
何組もの老夫婦が追い越していきました。
私より、お年寄りのほうが、歩きが元気で速いのです。

何組かの老夫婦が私を追い越して森にさしかかった時、
頭上から、「コンコン」と木をつつくような音がしました。

その音に「おや?」と老夫婦の
ご婦人が足を止め、頭上を見上げました。
「なんだろう?上から音がしたわよね?」と独り言のように言いました。

私は「キツツキじゃないですか?」と聞かれもしないのに答えました。

「そうかしらね。」と老婦人。

その時、また、「コンコン、コンコン」と鳥が木をつつくような音がしました。

キツツキだったのか真相はわかりませんが、
老紳士が
「鳥さん、何をしてるのって聞いてみたら?」と
老婦人に言いました。

その言葉に、なんだか「ほんわか」とした気持ちになりました。

私は、体は半身がシビレてきて、首がおかしいので
見上げるのも少しつらかったのですが、
他人とのひとときは久しぶりで、とてもうれしかった。

老夫婦と私と、3人が秋の静かな森で上を見上げていました。

濃いサングラスをかけ、
杖を持って、半身を引きずって歩く私に
老夫婦は好奇の目もなく、そのことに何も触れず
一緒に上を見上げていました。

まだ紅葉には早い、緑の葉の間から、
青い秋空が見えました。

ほんのわずかな時間でした。

それだけのことですが、うれしかった。

障害のある人もない人も、「共に生きる社会」とは、
「こんな居心地のいい空気が満たされた社会をいうのかな?」と
ふと思いました。

その後、老夫婦と別れ、一人杖歩行して進んでいくと

散歩コースの中ほどで、
会いたかった「きんもくせいの木たち」に会いました。

森のように何本もの、きんもくせいの木たちは
いっせいに、
小さな十字の形の、オレンジ色の花びらをつけ、
甘く高貴な香りを、ふんわりと周囲一面に放っていました。

急に、昔、学び舎の校庭に植えられていた
きんもくせいの古木を思い出し、
同時に10代の頃の学校祭の光景が瞼に浮かびました。

季節の香りは脳に刺激を与え、回想法の効果があるようです。

深呼吸をして、胸いっぱいにきんもくせいの香りを吸いました。

季節の香りだけでなく、ささやかでも人とのふれあい、
秋の景色、自然の生き物たちの姿は、
素敵な心身のリハビリの時間を私に与えてくれました。

何度も何度も思いっきり、きんもくせいの香りを吸ってから
満足して無事帰ってきました。

自分で公園まで行けた。
それも、調子のいい日の午前中のわずかな時間。
行って、歩いて、帰って約1時間の外出。
たったそれだけのことですが、

今年の春ごろ、車椅子のお世話になっていた私には、
大きな変化と回復です。

このブログを書き始めた8月は、
体調もまだまだで、病気を克服していないのに
タイトルに「克服記」と書いたのは
「克服してやる。!」という思いをこめたからです。

あれから、1ヶ月半がすぎて、ゆっくりゆっくり
一進一退しながらも、さらに回復してきた気がします。

これから先、どこまで克服できるのかわかりませんが、
希望だけは持ち続けたいと思っています。

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本音ふたたび

2006年09月22日 | つぶやき
今日はくもって寒いくらいの朝です。
ここ二日早起きできたのですが、今日は寝坊しました。

だるさが軽い朝は、
リハビリにテレビ体操をやろうと思ったのに、早くも2日で挫折しました。

きのう、短時間でも自力で公園まで行ったことが夢のようです。
これが自信につながるかもしれません。

私をこの1年以上私を、支え続けて、外に連れ出してくれた人が、
都合で遠くに行ってしまうので
自分で外出できるようしっかりしなくては!という思いもありました。

でも、
本当は、一番苦しい時に、その人ひとりだけでなく、
もっともっと親に甘えたかったし、
もっともっと肉親たちに優しく接してもらいたかった。

でも、いい大人の私がそれを望むことは、甘えなのでしょうか?
期待は見事に打ち砕かれ、
恨みや妬みや怒りのドロドロの感情で、心が満たされてしまいました。

それが病気のせいか、正常な感情かわかりませんが、
親兄弟とは私の心の中で、深い深い溝を自分で作ってしまいました。
そんな自分が悲しいです。

北朝鮮に拉致された子のために
必死で何十年も国に対し訴え続け、運動し続ける、
年老いたご両親の姿を目にすると
そういう親を持った方は、幸せだなぁとうらやましくさえ思いました。

たぶん、私が拉致されても、すぐにあきらめられて、
親は自分の人生を謳歌するんだろうと考えてしまいます。

この1年半以上、
私は、家の中で必死に家事をしていました。

どんなに症状がひどくても、まるで一人暮らしのように
食事づくりも、かたづけも、洗濯も、洗濯物たたみも
すべて自分でやらなければなりませんでした。
自分の身の周りはもちろん、他の家族の分まで。

掃除機かけは掃除機が重くてほとんどできませんでした。

座位や立位の可能時間が短く、運転もままならず、
お店の中を歩きまわることも難しく、重い荷物を持つこともできなかったので、
買出しだけはできませんでしたが、それ以外の家事は
必死でこなしてきました。

食料などの買出しなどは家族がやってくれました。
宅配食材も利用しました。

自分の世話もやっとの時に、
家族の食事づくりやかたづけの世話まですることは
私にとって、本当に重労働でした。

昨年の怪我の後遺症の手術とリハビリの長い入院中と、
今年のブラッドパッチの入院のわずかな期間しか、
病人としてゆっくりと療養に専念することはできませんでした。

ただ、苦しいときは、病人として寝ていたかった。
入院中でなければ、病人と認められない人もいるのです。
入院中でなければ、安静を保てない人もいるのです。

特に、悪化時の治療待ちの半年と治療後の半年は本当につらかった。

ただ自分が存在していることだけでつらかったのに、
立っているのも、座っているのも短時間しかできなかった時に
家事をこなさなければならないことが、本当につらかったのです。

でもたぶん、そのつらさがどんなものかは
身近な家族にさえ、わかっていなかったと思います。

タオル1枚干すのも、重く感じるのです。
お茶碗を洗う時、聴覚過敏の症状でその音に苦しみ、
手は時に、電気が走るように激痛が走ったりもしました。

働いていないのだから、これくらいの労働はあたりまえ
と自分にいいきかせながらも、
何度も何度も、消えてしまいたいと悲しくなりました。

症状のつらさもそうですが、自分の置かれた環境に悲しくて、
消えてしまいたいくらいでした。

やらなければならない仕事をすべて放棄してしまいたかった。
苦しくてできない時、だれかに甘え、頼りたかった。

父や母に優しい言葉をかけてほしかった。
仕事や趣味や遊びより、娘の追い詰められた状況にせめて気づいてほしかった。

たとえ、実際の支援がなくても、この苦しさをわかってほしかった。
わからなくても、わかろうとする気持ちがほしかった。
それがあまり感じられなかったことが本当に悲しかった。

洗濯もの取り込むのも、手の重さでつらい。
手があがらない。

洗濯物をたたむのも、体を起こしていられなくなると
寝た状態でおなかの上に洗濯物を置いて、寝ながらたたみました。

他人に頼られ感謝されることが大好きで、
ボランティア活動を多くこなしている父親。
仕事や他人のことに一緒懸命な母、
「どうして?」と涙がでました。

寝ては起き、起きては寝てを何回も何回も繰り返して、
息も絶え絶えの苦しさの中、短時間ずつでも
それでも動けてしまうのが、この病気の特徴です。

できてしまえば、
「ほら、大丈夫。動かなければよけい動けなくなる。」と
ますます叱咤激励されます。

これが、「脳脊髄液減少症」と病名がついてもなお、
私が体験した過酷な現実です。
退院してから、せめて2~3週間ぐらい安静にしていたくても
かないませんでした。
苦しかった。本当につらかった。

改善と悪化を繰り返しながら、ゆっくり回復し、
半年過ぎて、やっと短時間でも自力で外出できるようになって
苦しかった日々を振り返ると

ブラッドパッチ後、最低でも3か月は
周囲が患者の日常生活を支えてあげてほしいと思います。

場合によっては、
十分な身内の理解や協力、支援が得られない方には
「入院で、安静やリハビリを提供してあげてほしい。」
それが、この半年を過ごした私の率直な感想です。

また治療前で苦しみ、日常生活がままならない方など、
地域社会が支えてあげてほしいと思います。

本当に、
家族の手厚い介護や援助、思いやりの心に恵まれる
患者ばかりではないと思うのです。

無理解な人間は、
「脳脊髄液減少症」という病名がついたからといって、
急に「理解者、支援者、協力者」に変わるとは限らないのです。
長年見慣れた患者の症状に、ただ病名がついただけで
扱いは何も変わらないこともあるのです。

私のように肉親の無関心で
心がすさんでしまう人間もいます。

本当に自分の中では危機的状態だったこの1年半
無理解や無関心は閉ざされた私の心を
さらにトゲトゲしくかたくなにさせました。

荒んだ感情を公開することは非常に抵抗はありますが、
でも、交通事故により、こんな病気にさせられ、その上
長年、無理解にさらされ続け、仕事も、人間関係も失い、
家族との間に深い溝までできてしまった患者も存在することを、
知ってもらいたいと思います。

そういう環境にいる方の多くは
経済的、身体的、など、さまざまな事情から、
「そういった現状をブログなどで発信して訴える環境にすらないのではないか。」とかつての私の体験から想像しています。

私は、たまたま一人の理解者に支えられ、
今は、こうして患者の現状を発信できる環境に恵まれただけです。

理解者に恵まれない患者の置かれている厳しい状況は
このままでは何も変わらないと思います。

だから、あえて私は
実際の自分のこの病気の及ぼす闇も書こうと思っています。

一人暮らしの方や、肉親がいない孤独の方、
さまざまな事情で頼れる家族や友人のいない方の中に
同じ苦しみに何重にも苦しんでいる方がいると感じています。

そういった方がこの病気になったら・・・?
買い物にも行けない状態で、
自分で生きろ!一人で療養しろ!一人で生活しろ!と放置されるのでしょうか?

お年寄りに配食サービスや、ヘルパー支援が必要なように
家族の協力が得られない患者の療養生活や日常生活には
社会福祉での援助が必要です。

被害者なのに、自動車保険も治療費は打ち切り、詐病扱い、
自力で治療したくても、健康保険も適用にならず自費、
福祉の援助もほとんどない現状。
心ある方がたなら、このことのひどさに気づいてくださるはずです。

どうか、
患者の家族に、療養中の「脳脊髄液減少症」患者をまかせるのではなく、
社会全体で患者の療養生活を支え、
無理のない社会復帰まで支援してください。

その人本来が持つ
明るさ、笑顔、優しい穏やかな心と健康な体を取り戻すまで・・・

よろしくお願いします。

追伸:
ブラッドパッチを初めて受けて半年が過ぎ、
ゆっくりですが回復するのを感じています。
私はこの治療は確かに効果があると思います。
健康保険の早期適用を望みます。






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きんもくせいの香り

2006年09月21日 | 闘病の工夫
きのう、きょうと気候がいいせいか体が楽です。
きのうから、外出したい気分になっていました。

ブラッドパッチ治療を、はじめて受けてから半年が過ぎました。

今日ブラッドパッチ後、初めて、午前中に一人で1時間だけ外出しました。
行きと散歩と帰りとトータルで約1時間強の外出でした。
でも、帰ってきたら、疲れてそのまま今まで眠ってしまいました。

今まで、家族と一緒の外出さえ、誘われても断っていたくらい
外出どころではない状態でした。

しかし、きのう今日と天気も調子もいいせいか
一人で外出したくなりました。

そう思わせたきっかけは
「きんもくせいの香り」でした。

臭覚障害もあるのか、時々匂いがわからないことがあって、
つい最近も、強い香水の香りに気づかなかったことを、
家族に指摘されたことがあります。

臭覚障害は
味覚障害よりもさらに、本人も気づきにくいと思います。

でも、これも調子に波があって、わかるときには、
微妙な香りがわかるのですから、患者本人も理解に苦しみます。

さて、昨日の朝、窓を開けたら
朝の空気が、「きんもくせいの香り」を運んできました。

そして、きょうも、朝、窓を開けたら、風にのって
どこかのきんもくせいの香りがしました。

私は、いてもたってもいられないくらい、
きんもくせいの木に会いたくなりました。

運転して、近くの公園までいきたい!。
そこで、きんもくせいの香りを胸いっぱい吸ってみたい。
そういう衝動にかられました。

しかし、いくら座位が保てるようになっても
運転して行ったものの、
運転して帰れなくなったらどうしょう?とか

いろいろ不安がよぎりました。
「行きはヨイヨイ、帰りは怖い、」状態にもしなったら。

実は
昨年、自分の症状を甘くみて、無理して運転して、
駐車場で隣の車にぶつけて以来、運転は控えていました。

まだ半身が少ししびれた状態で運転していいのかわかりません。
危険だとはわかっています。
でも交通量のほとんどない田舎道です。

気分も体調も天気もいい今日なら、と
家族が誰もいないので、どうしても衝動が止められなくなり、
携帯電話と塩入り麦茶を持って、思い切って出かけてしまいました。


車で10分のところにある公園へ
無事行って帰ってこれました。
たぶん、意欲が出てきたのかもしれません。

もちろん今朝はアルコールは含んでいません。
きのう今日は、なにもしなくても血圧が上が100に届いていました。

調子が少しでも改善すると、気持ちも前向きになります。

ただ、ただ、絶対交通事故を起こしてはいけないと必死でした。

脳脊髄液減少症」の治療だけでなく、
リハビリについても社会の支援の必要性を強く感じています。

(続く)




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立っていられない。座っていられない。

2006年09月20日 | 症状の説明
今日は晴れて、とても気持ちのいい朝です。
今日が最後の残暑だと天気予報でいっていました。
暑くなりそうです。

けさはいつになく、体調も目覚めもよく、
こんな日は近くの公園までいって散歩してみたい気分です。
今、血圧を計ったら上が123で下が83でした。
やはり調子がいい日は血圧もこのくらいのようです。
こんなにあがったのは久しぶりです。

「脳脊髄液減少症」が悪化して以来、
ここ1年半以上ほとんど自分一人では外出していません。
狭い家の中だけの生活で、よく平気でいられるなぁと自分でも思います。
人間、ここしかいられないとあきらめると、
けっこうその環境で慣れてしまうものです。

座位が長く保てないため、運転席の姿勢さえ保てず、
とても自力では運転して外出できなかったのです。
だるくて動けなかったのもあります。

最近、少しずつ座位でいられる時間も延び、気分がいい日は
「出かけてみたい。」と自然に思うようになりました。

今年の春ごろは、
家族の運転で出かける時も、助手席のシートをめいっぱい倒して
横になりながらの姿勢でなければ、
苦しくて10分と乗っていられませんでした。
(最近でも具合が悪いとこうなりますが。)

その立位、座位で起こる苦しさとは
とても、表現するのが難しいのですが、
私の場合、ちょうど、足のつかない海で溺れているような感じなのです。

陸上にいるのに、アップアップと溺れているような苦しさ。
全身の脱力と呼吸の苦しさ、首の締め上げられているような苦しさ
気を抜くと、海底に沈んでしまうような感じ。

金魚が酸欠で口をパクパク水面に出しているような
息も絶え絶えになるような苦しさなのです。

しかも、外出先で長く歩けないので、車椅子も借りて移動しましたが
リクライニングできない車椅子は
苦しくて長く乗っていられませんでした。

交通事故などで、ある日突然こういう状態になってしまったら
どうしますか?

しかも、いくら苦しいと訴えても詐病扱いされ、冷ややかな目で
医師や周囲にみられたとしたら、耐えられますか?

働けない上、医師にも病気と認められず、放置されたら、どうしますか?

人間は、4足歩行の哺乳類から2足歩行に進化した生き物です。

健康な方なら、一日24時間のうち
寝ている6時間~8時間以外、ほとんどの時間
2本の足で立っているか、座った姿勢で
体を起こした状態で過ごしています。

それが、元気な人なら当たり前の姿です。

だからこそ、立位で行う仕事も、座位で行う仕事も
人々は普通に行うことができ、社会は機能していくのです。

それが、立っていることも、座っていることも、
苦しくて10分とできない、としたら・・・・。
人間として、生きるにあたって
どれだけ障害となるかわかりますか?

ほとんどの仕事がなりたたないでしょう。

たとえ仕事をしていなくても
一日に何度も、体を横にせざるをえないという状況が
日常生活を送る上で、どれだけ支障があるかわかりますか?

歯ブラシの間立っていられない。
ごみ収集場まで立って歩いて捨てに行けない。
調理する間、立っていられない。座っていられない。
テレビを見るときも、
食事の時も長く体を起こしていると苦しくなってくる。
入浴もつらい。

日常生活でさえ大変な状況になるのです。

少し横になると回復するため、仮病のように見られやすく、
無理解な周囲や医師には
「都合の悪い時だけ、苦しくなるヒステリー」扱いをされることも、
しばしばです。

通勤途中の電車の中で立っていると、
急な動悸や苦しさで、立っていられなくなる
「パニック障害」と診断されている方の中にも
「脳脊髄液減少症」が背景にある方がいるのではないでしょうか?

交通事故後の得体の知れない苦しい症状を
どんな医師、どんな診療科に相談して検査を受けても
「異常なし」と言われ続け、
最後は、本人の精神的なもののせい、性格的なもの、にされるとしたら・・・?
その状況に耐えられますか?

自分になんの落ち度もない交通事故で、
そこまで追い込まれる被害者も実際いるのです。

交通事故に遭い、幸運にも命に別状なく、
「軽症」とされた方がたの中に、
私と同じ経過をたどった方が多く存在するはずです。

しかし、それは
けっして「幸運」でも「軽症」でもなかったと、
この病に振り回された地獄の日々を体験した人なら
きっと一度は思うことでしょう。

交通事故は毎日全国で起こっています。
今こうしている瞬間にも患者が新たに発生しているかもしれません。

しかし、その症状はじわじわと出現することがあるため、
本人も、周囲も因果関係に気づきづらいのです

症状が回復しないばかりか、周囲からも白い目で見られ、
仕事にもいけなくなり、経済的にも精神的にも追い詰められていくのです。

私は、この病気が発見される以前は
多くの方が、無念の死をとげたのではないかと想像しています。

過去に限らず、現在においても
自殺者が、それ以前に不定愁訴に苦しんでいなかったか?、
交通事故やスポーツ事故にあっていなかったか?
どなたか心ある方が遺族に詳しく調査してほしいと思います。

そして、「脳脊髄液減少症」と診断された方にも
公の力で詳しく経過や心境を調査してみてほしいと思っています。

 「自殺」が頭をよぎったことはあるか?と。

そう考えた一番の苦しみはなんだったのか?と。

そこに、医療や行政の問題点が見えてくるはずです。

国は自殺防止対策に力を入れているようですが
このような視点からの自殺防止対策は、何もないのが現状ではないでしょうか?

私の住む地域では、難病支援センターも
この病気に関してほとんどわかっていない様子でした。
思い余って一度電話しましたが、その後なんの連絡もありません。

ましてや、いのちの電話の相談員や
自殺防止に取り組む機関がこの病気の知識はまだ持っていないことでしょう。

9月10日は世界自殺予防デーだそうです。

「脳脊髄液減少症」が抱える深い問題点に気づき、
国民が一丸となって改善していく力につながっていくことを
私は心から願っております。


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低血圧

2006年09月19日 | 症状の説明
きょうは台風一過で晴れて暑くなりそうです。
晴れると、気持ちも晴れてきます。

昨日、夕暮れ時に
急に外が明るくピンク色になったので
外を見てみると、西の空がきれいな夕焼けに染まっていました。
ほんとうにきれいな空でした。

台風が行ってしまったせいか、体の絞られるような苦しさが
和らいでいます。

でも、朝は相変わらずだるいです。

きのう書いた、朝の異常なだるさですが、
その原因のひとつに低血圧があるようです。

交通事故以来、体がだるく、頭も重く、思考もどんよりするときに
母に薦められて、血圧を測ってみたらとても低いのです。
当時は仕事もしていたので、
ときどきしか測りませんでした。

ですから、その時だけ、たまたま低かったと思い込んでいて
常に低いとは思わず、
このだるさと血圧が関係あるとは、当時考えもしませんでした。

しかし、最近、家族の高血圧対策のため、
新しい血圧計を買いました。
家族につられて私も一緒にこまめに血圧を計るようになりました。

するとどうでしょう?
異常に、血圧が低いのです。
最高血圧(収縮期血圧)が90mmHg以下、
最低血圧が(拡張期血圧)が50mmHg前後がざらです。

ひどいときは上が80行きません。
下も40以下です。

血圧計が壊れているのかと思いましたが、
家族が計ると
やはり高血圧の値がでます。

こんな低血圧でも人は普通に生きていられるものなのですね。
ビックリです。

「脳脊髄液減少症」はさまざまな
自律神経失調症状を引き起こすそうですが、
まさにそのひとつの症状かもしれません。

この血圧の異常もこまめに計らないとなかなか気づきにくいと思います。

私もつい最近まで、ただ「だるい、朝がつらい。」だけで
この異常な低血圧には気づきませんでした。

一般的に、高血圧に対し、低血圧は心配ない。と言われていますが
本当にそうでしょうか?

急に倒れて打ち所が悪かったり、
危険な場所での仕事中、倒れたら、本当に命とりになりそうです。

また、運転も危険かもしれません。

私は運転中、意識が飛ぶような体験が何度もあります。
これが、低血圧のせいか、
また別の脳の症状かわかりませんが、
とにかく、数秒間、意識が何度も飛ぶのです。

 「しっかりしろ!しっかりしろ!もう少し、もう少し。」と
自分を励ましながら、運転していました。

幸いなことに今まで事故を起こさずにこれましたが、
何度もヒヤッとしたことがあります。

当時はもちろん自分の症状の原因に気づきませんでしたし、
あらゆる診療科の医師に「異常なし」と言われていましたので
自分で自分に「気のせい、気のせい」と言い聞かせながら
普通に生活するしかありませんでした。

他人を巻き込む事故を、起こさなかったことが幸いでした。

こういった体験から、
この病気が正しく診断されず、治療もされず、放置され続けると、
新たな悲劇を生む危険をはらんでいると感じています。

ですから、一刻も早く、
この病の認知と治療に、国が本格的に取り組んでほしいと願っています。

なんの罪もない、交通事故被害者が、放置され、
さらに悲劇に巻き込まれたり、あらたに加害者になってしまうようなことは、
絶対にあってはなりません。

高血圧が治療の対象になるのに対して、
低血圧は一般的には生死にかかわりないと考えられ、
治療の対象にはならないようです。

主治医によると
低血圧には塩分を多めに取るとよいそうです。

高血圧には、よくないとされていることをすべてやれば
少しは血圧があがるかもと思っています。

この夏、私はよく、レモン果汁入り塩水を飲んでいました。

塩分の多い、酸っぱい飲み物なんて、普通の人は飲めないでしょうが、
私はおいしく感じます。

人間の体は、必要なものを本能的に欲するよう、できているのかもしれません。

あまりに低血圧の朝は、寝起きに、少量のアルコールを口に含みます。
(もちろん今は療養中で運転しないからできることです。)
さらに、冷たいコーヒー牛乳か塩水をコップ1杯飲み、
さらに、熱いお風呂に入り、
朝食を必ず食べ、
そうしてできる限りの努力をしてから、計るとやっと
血圧の上が100に届くようになります。

調子がよく、動ける時に計ると
上が120、下が70を越えています。
どうも、不調と低血圧は私には関係ありそうです。

勤めていた時も、朝は必ず暑いお風呂に入り、
どんなに吐き気があっても
必ず、お茶漬けでもいいから、何か食事を流し込んでから出勤しました。

特に朝の熱いお風呂に入らないと体が動き出さない感じで、
出勤前の毎朝の日課でした。

今考えると、無意識に血圧を上げる努力をしていたようです。

だるくてしかたがない方は、一度
一日を通して血圧を測ってみることをおすすめします。
なかなか改善は難しいのですが・・・。

原因が少しでもわかれば、
できる範囲で注意もできるし、対策もたてられますから。


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朝の異常なだるさ。

2006年09月18日 | 症状の説明
今日の朝はくもりですが、
雨上がりで、窓を開けると
外はすがすがしい秋の空気に包まれていました。

朝の寝起きは非常にだるく、首の後ろも痛くて
気持ちのいい寝起きは、交通事故にあって以来、ほとんどありません。

今朝は牛乳に少しインスタントコーヒーを溶かしてホットで
たっぷり飲みました。

精製されていない、ミネラル豊富な茶色のお砂糖も少し入れて、
甘いカフェオレにして飲んで、
脳を刺激し、目覚めさせます。

カフェイン入りの飲み物は、頻尿を悪化させるので
あまり飲まないようにしているのですが、
朝があまりにだるいときは、少しだけコーヒーを入れます。

朝、だるい体で、ふとんから、起き上がるのは本当に大変なことです。
立ち上がり、トイレに行くのさえ大変です。

自分の腕の重さ、足の重さ、体幹の重さで
起きたとたんに疲れてしまう感じです。

健康な方は、
風邪やインフルエンザで39度以上の発熱の時の
だるさを想像していただけたら、
少しはご理解いただけるかもしれません。

その状態が和らいだり、悪化したりしながら
延々と24時間、365日、何年も続く感じです。

この病気で、勤めや学校がある人は、本当につらいことでしょう。

「脳脊髄液減少症」が悪化して、
寝たきりや、座位や立位が保てないなどの、ひどい状態でない限り、

だるさや痛みがあっても、無理すればなんとか患者は動けてしまいます。

それがよけいに誤解を招きます。
周りからは「もっとしっかりしなさい。」
「だれだって疲れているんだから。」
「もっとテキパキ動けない?」と思われてしまうことでしょう。

また、
引きこもりとか、ニートとか、
登校拒否、と言われているような方がたの中に、

朝、だるくて起きられない。動けない。やる気が起きない。
頭が働かない。
などの症状のため、結果的に
 「健康な生活が送れない状況に追い込まれている。」方がいる気がしています。

その中に、
もしかしたら、「脳脊髄液減少症の方がいるのでは?」と
私の体験から強く感じています。

だとしたら、
ニートと呼ばれる方や、登校拒否の子を
いくら叱咤激励し、矯正施設に入れたところで、

自分が努力したところで、
なんら、問題は解決しないのではないかと思っています。

テレビに映しだされる、
これらの「社会生活が営めない。」とされる方がたが
自分を責め、周囲に責められながら
改善しようと、一生懸命になって、悪戦苦闘している姿を見ると

かつての自分と重なり、痛々しく感じます。

きっと、努力ではどうにもならない、何かの病気のせいではないか?
と感じています。

そして、「脳脊髄液減少症」患者である私は
この方がたの中に、この病気の存在も感じます。

「脳脊髄液減少症」は
自分も周囲も、医師でさえも、とても、気づきにくい病気だと思います。

今までの一般的な検査を行っても、なにも異常は発見されません。

他覚的な異常も見えません。
体の異常を証拠づけるものがほとんどなく、主に自覚症状のみなのです。

私の場合、ある報道でこの病気を知り、さっそく
かかりつけの神経内科や整形外科の複数の医師に相談しましたが
すべての医師に
「そんなことがあるはずがない。」と頭から否定されました。

でも、自分の直感を信じて、突き進み、

自分ひとりで受診できない私を、
遠方の専門医まで、
 連れていってくれた人の協力があってはじめて、

やっと「脳脊髄液減少症」の病名にたどりつき、治療を受け
今、こうしてブログを書けるまでになりました。

あのとき、身近な、医師たちのいいなりになっていたら
今頃、症状悪化に耐えられず、自殺していたかもしれません。

医師が認めなければ、本人がいくらひどい症状を感じていても
「病気」ではないのでしょうか?

朝、異常にだるい。
起きられない。動けない。
吐き気がして、朝ご飯が食べられない。

仕事や学校にに行けない。
仕事や学校が続かない。という方は

本当に、自分の精神的な弱さや、ストレスからなのか
もう一度考えてみてほしいと思います。

性格の弱さや精神的なものと決め付ける前に

「気のせい」「ストレスです。」
「あなたの性格のせい。」などという
医師の言葉を鵜呑みにする前に

なにか、他に病気が隠されていないか?
もう一度考えてみてほしいと思います。

他人にどう言われようと、
ご自分のことは、ご自分が一番わかると思うのです。

登校拒否のお子さんを抱える親御さんも
ぜひ、叱咤激励する前に、

いつから具合が悪くなったのか?
それ以前に
交通事故、スポーツ事故はなかったか?
なにか体に強い衝撃を受けていないか?

どんな症状があるのか?
どんな苦しさがあるのか?など
よく、聞いてあげてほしいと思います。

「脳脊髄液減少症」の症状は、
大人の私でも、言語化するのが非常に難しい症状です。

しかも、具合の悪い時には思考力も混乱し
その具合の悪さを訴える言語や表現手段すら失います。

お子さんや、高齢者では、
表現力も訴える力も弱いため、放置されやすいのでは?と想像しています。

お子さんは
「だるい、痛い、眠い、苦しい、なにもやる気起きない。」
くらいしか言えないかもしれません。

でも、「脳脊髄液減少症」に似ている症状がないか、
慎重に観察してください。
話を聞いてあげてください。
気づいてあげるのは、大人しかいないと思います。

非常に「うつ病」と誤解されやすい病気だと思います。

今日は敬老の日ですが、
「寝たきり」であったり、「認知症」とされている高齢者の中にも、
この病気の方がいるのでは?と思っています。

脳脊髄液が増えすぎて、「認知症」や「寝たきり」状態になった方が
脳脊髄液を抜いて、思考がはっきりし、運動機能も向上する
「特発性正常圧水頭症」の症例、治療例があるなら、

脳脊髄液の減少で起きる、高齢者の「認知症」や「寝たきり」状態があっても
不思議ではありません。

高齢者医療の現場で
このことに、どれだけの医師が気づき、
治療や研究に積極的に取り組んでいるでしょうか?

現段階で、多くの医師が、積極的にこのことに関心を持って、
高齢者を観察し、研究し、治療にあたっているとは思えません。

たぶん、それに取り組んでいるのは一部の医師に限られている
ことでしょう。

どうして脳脊髄液の増加は「病気」として認められて
脳脊髄液の「減少」は「病気」として認められないのでしょうか?
矛盾を感じます。

なぜ、これだけ多くの人が苦しんでいるのに
「脳脊髄液減少症」の検査や治療に健康保険がきかないのでしょうか?

それとも、この多くの患者すべてが、詐病だとでもいうのでしょうか?

本当に怒りで震えます。

現在の治療が「治療」として認められないというなら、
 健康保険のきく、他の治療法を探してください!。

今、こうしている時でも、
生きながら地獄を味わい、救援を待っている方がたがいるのです。
グズグズしている時間はないのです。

脳は精巧にできています。
脳脊髄液が増えても、減っても、脳はうまく機能できないのだと
素人ながら考えます。

長く放置されつつも、生き延びた私の使命として、
声をあげられない高齢者や子供たち、
理解ある家族や協力者に恵まれない方がたの分まで、
なんとか、患者の思いを伝え続けたいと思っています。

医師をはじめ、多くの皆様の
一刻も早い、ご理解とあたたかな支援を
心から願っております。

よろしくお願いします。
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近況

2006年09月16日 | 日記
ごぶさたしました。
皆様、お元気ですか?

私は、このところ、不調でした。

どうも、最近具合が悪いと思ったら、
台風が近づいているのですか?

外出をほとんどしないので、天気予報はあまり必要なく、
関心を持って見ないのですが・・・。

11日ごろから、体の痛みや心臓の締め付け感、
呼吸の苦しさが出てきましたが
やはり、お天気が崩れてきていたせいだったのでしょうか?

同じ「脳脊髄液減少症」の患者の皆さんも、今週不調でしたか?

梅雨どきや猛暑、そして、天気の崩れる前など、悪化しますか?
私は、今年の梅雨時と夏は本当に苦しかった。

なぜなんでしょうね?

暑い夏は、脱水のせいも考えられますが・・・。

やはり、言われているように、気圧のせいなのでしょうか?

だとしたら、まだあんなに台風が離れていたのに、
11日ごろから反応している私の体の気圧のセンサーは、

最新の気象レーダーにも負けない
     かなり精巧なしろもの?です。
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残暑の1日

2006年09月10日 | 日記
今日は残暑が厳しくて、一日クーラーのお世話になりました。

暑いと体がきついです。
のどが渇いてしかたがなく、水分多めに摂取してしのぎました。

自分のための、特性ドリンクはいろいろあるのですが
また改めて書こうと思います。

バテバテでしたが、うなぎのえさ代稼ぎ?の
ミミズ取りの仕事だけはしました。

庭で落ち葉をどかしたら
10匹くらいミミズを捕獲して、大漁気分をひさしぶりに味わいました。
しかも直径7ミリくらいの太さで、20センチもあるようなミミズばかり。

うなぎにやったら、あっというまにミミズの中央からかぶりつき
二つ折にしてカプ、カプ、カプと何度かに分けて
丸呑みしました。

うなぎが飲み込む姿は壮観ですが、
ミミズの気持ちになると、なんだか切ないです。

今、パソコンでこれを打っていたら、
足元になにやら、小さな生き物の気配が・・・。
小さな黒いかたまり・・・?。

良く見たら、ちっちゃな緑のカエルでした。
いったいどこから入ったんでしょう?

昔の私なら「ぎゃ~」モノですが、

今の私は静かに手に包めるので、外に逃がしてあげました。

小さな命が、切ないほどに大切に感じてしまう私です。

今日も、脳脊髄液減少症の症状を抱えて、孤独に過ごす私ですが、
 小さなお見舞い客が、「ビックリ」や「にっこり」を届けてくれました。

では皆様おやすみなさい。
明日もいい1日でありますように・・・。





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ほんね。

2006年09月09日 | 日記
今日はくもりでしたが、ムシムシして暑い1日でした。

用事があり、体を起こしていた時間が長かったせいか、
夜になって体のあちこちがチクチクと
まるで神経痛?のように痛みます。

疲れたせいか、
本音が書きたくなりました。

自分の人生を、ささやかでも「幸せ」だと思おうとしても、

正直なところ、やはり、どうしてもそう思えない私がいます。
今後もリベンジ人生はありそうにないし・・・。

いっそ、「不幸」を認めてしまったほうが
気が楽かもしれないと思う、このごろです。



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満1ヶ月

2006年09月08日 | 日記

今日はくもりです。
昨夜は久しぶりに蒸し暑い夜でした。
体は今日も鈍痛とだるさで思うようには動きません。

今日でブログをはじめて1ヶ月経ちました。
早かったような、長かったような・・・。

はじめはビクビクしながら「練習」のつもりで打っていました。

自分の過去や体験や、日常を書くという、
自己開示の行為に、
非常に抵抗を感じながらも、不安や恐怖と戦いながら

なんとか、いくつか「心に秘めていた思い」を書くことができました。

治療効果による回復もあったからとは思いますが
何より、
私の孤独で傷ついた心を支え、励まし
  ここまで支えて、勇気をくださった皆様に心から感謝申し上げます。

昨年の今ごろは、パソコンに向かうことさえ、5分と持ちませんでした。

それでも、時々、パソコンのいすに這い上がるようにして
すわったこともありました。

そういった経験から、
パソコンを見ることができ、
ブログを書ける患者の方がたは、私を含めて
気力も体力も、生活環境も、ある程度恵まれているように感じています。

本当に重症で動けない人もいます。
思考も混乱して、読めない、書けない状態の方もいることでしょう。
私も以前はそうでした。

座っている体位すら保てず、働けず、パソコンもなく、新聞もなく、
情報もなく、「脳脊髄液減少症」という言葉の存在すら知らない方も、
まだまだたくさんいることでしょう。

数多くの症状に苦しみながらも
多くの医師に、真の原因とは違った病名を診療科ごとにつけられ、
対症療法の薬づけになり、
何が症状で、何が薬の副作用かわからなくなり、
検討違いの治療をうけてもいっこうに治らず、

いらだった家族に白い目で見られ、職場に見捨てられ、
生活も追い詰められている方もいるでしょう。

自力で事態を打開するだけの、気力も思考力もなく、

次第に自分ひとりでは病院にいくことさえできなくなり、
家の中ですら起きて行動できなくなり、
次第に
ただただ、絶望して寝ていることしかできない状態になっている人たち。

死してこの肉体から抜け出たいと思って
ひとり涙している患者さんたち。

私は自分の悪化の体験から、
そういった状況の患者の方がたが日本にも世界にも大勢存在すると考えています。
長年放置され、動けないほどの悪化を体験したのは
けっして私ひとりではないはずです。

多くの原因不明とされる症状で苦しむ方がたのためにも、
せめて、自分の実体験した「脳脊髄液減少症」の症状だけは、
すべて、ここに書けたらと思っています。

その方がたの目には直接ふれなくても、
その方がたの周囲の人たち、医師の
何人かでいいから、この苦しみを知ってもらいたい。

私のエネルギーは限られているので
なるべく、この病気のことを中心に書いていこうと思います。

病気の体験など、読者はつまらないかもしれませんが
私は、多くの人に偽りのない、真実の体験を伝えたいと思っています。

少しでも、社会全体がこの「脳脊髄液減少症」という病の過酷さを理解して、
あたたかな支援の手を差し伸べていただきたいとの願い・・・。



それが、私が勇気を振り絞ってブログをはじめた動機ですから、
初心を忘れずに細々とでも書いていけたらと思っています。

(この記事は2006年9月の昼間に書いたものです。2020年12月22日に過去記事の文字を大きくしたら、日付が2010年1月1日になってしまうなど、いくつかの記事の日付がズレて表示されてしまいました。いくつかの古い記事が2010年に移動してしまいました。順次治しますが、ご了承ください。)

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ふわふわ感。

2006年09月07日 | 症状の説明
今日は、雨あがりで朝は寒かったのですが
次第に晴れて、ムシムシしてきました。

体の半身がシビレて、ピクピクしています。
舌も半分しびれています。
背骨にそって痛いです。
首と胸が苦しいです。

最近、気力がわきません。
でも、リハビリだと思って書いてます。

ゆうれいの話がでたところで、
おばけやしきを思い出しました。

お化け屋敷といっても、
自動の乗り物でいくお化け屋敷ではなく、
自分の足で歩いていく、お化け屋敷。

突然出てくるお化けも怖いのですが
突然硬かった床がフワフワのスポンジみたいな感じになって
ドッキリしたりします。

あのおばけ屋敷のフワフワ床を歩いた時の感覚が
「脳脊髄液減少症」になってからの
歩く時のフワフワ感に非常に似ていると感じたことがあります。

今はこの症状は落ち着いていますが
私の体験した「脳脊髄液減少症」の、
まるで「おばけやしきのスポンジ床」を歩いた時のような
ふわふわ感、ゆらゆら感の異常な感覚を説明します。

お化け屋敷の中だけのフワフワ床なら「ドッキリ」ですみますが

私は、交通事故以来、ずっとそんなフワフワ地面、
フワフワ床の世界に生きなければなりませんでした。

理解されない異常な世界で、
自分ひとりだけ症状に耐えて孤独に生きるのは
それはそれは、つらいことでした。

自分では異常に感じていても、
それを周囲が「異常」として認めない限り、
症状を「あたりまえの状態」として受け入れて、生きるしかありませんでした。

地に足がつかないような、
歩き慣れた硬い地球の地面がいきなりスポンジになってしまったかのような

歩行時、床までの足を出す距離や感覚が
わからなくなってしまったような感じの
異様なフワフワ感、浮遊感。

地面につく足の底の感覚もおかしくなってしまったような感じ。

ぬかるみを歩く時のように、
視覚でとらえて、出す足の感覚が予想がつかない感じでぬかるみに入ってしまうような感じ。

 視覚で見て、脳で計算して出す地面までの足の距離や地面のとらえる力加減が
  計算が合わない感じなのです。

うまく足が地面や床をとらえられないような異常な感覚。

激しいループジェットコースターで何回も振り回された後のような、
あの平衡感覚がおかしくなってしまった感じの
フワフワ、ゆらゆら感。そして非現実感。

現実が現実として、脳でも、体の歩行感覚でもしっかりと
とらえられないような不思議な感覚。

いつも毎日の生活のすべてが
荒波に揺れている船の上で行っているように
ユラユラフワフワと景色がゆれる感じ。
それに伴う、気持ち悪さ、吐き気、めまい。

起きていられないほどに悪化した今から比べれば
当時はまだ軽症でしたが
それでも
本当につらかったなぁ。あのころ。

もっと早く「脳脊髄液減少症」という病気が発見されていたら、
もう少し、私の人生も違ったものになっていたかもしれません。

あのころの自分を思い出すと、

今は「よくがんばった、よく耐えた、よく生き延びた。」と
当時の自分に声をかけてあげたくなります。

当時の私は、
はた目には、ただの「元気のない人」にしか見えていなかったことでしょう。
両親も周囲もそう見ていましたから。

きっと、私のような事故被害者が何千人も何万人も
昔から、人知れず苦しんでいたのだと思うと
やりきれない思いになります。

今もまだ、病名も原因もわからないまま
苦しみ続けている方もいるのではないでしょうか?

見た目ではわからない患者の底知れない苦しみ。

症状はあまりに多彩で、
私が体験した症状だけでもひとつひとつ書いても書いても
書ききれないくらいあります。

でも体験したものでないとわからない異常な感覚。

少しずつ書いていきたいと思っています。

医師や患者の家族の皆様が、私の体験を知ることで
少しでも
患者の苦痛を想像していただけたらと願っています。

原因のわからない症状に苦しむ方にも
私の体験が参考になればと思っています。




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ゆうれいの手

2006年09月06日 | 症状の説明
9月6日(水)

昨日は晴れて暑くて、ひさしぶりにクーラーを使いましたが、
今日は雨で、寒いです。

この気温変化が身にこたえます。

朝起きると、いつもの全身の痛み。
首と背中と腕と・・・
ああ、もう、本当の「幽霊」になってしまいたいほどです。

ゆうれいは痛さもなく、ふわふわと身も軽いんだろうなぁ。
なんて、ふと考えてしまう私。

でも、これでも、ずいぶん良くなったほうなんです。
起きていられる時間が延びたから。

夏は終わりましたが

きょうは「ゆうれいの手」について。

でも決して季節はずれの怪談話ではありません。

私の手の症状のことです。

頭に三角の白い布つけて
白い着物きて
柳の下から「うらめしや~」と出てくる、
あの日本古来のゆうれい。

あの幽霊のうらめしや~の手。

両手を腰のあたりでひじを曲げ、手首をだらんとたらした姿。

その姿が
今の私の手の症状のひとつです。

立っている時、
無意識に、手がああいう形態になります。

医師の皆様、

どなたかこのブログを見ていたら、
この症状の起きるしくみの説明してもらえないでしょうか?

どうしてこういう姿の、手になるのか?

原爆が落ちて、放射能で大やけどを負った方がたが
みなこういう「ゆうれいの手」をして、ぞろぞろと歩っていたと
原爆体験者の手記で読みました。

手の神経が一番脱力した時の形が「ゆうれいの手」の姿になるのでしょうか?
筋肉が収縮した結果なのでしょうか?

首から手までの
あやつり人形のような糸が引っ張られて
「ゆうれいの手」になっているような感じなのです。

しかも、肩より上にすっと手があがりません。
あげるのに、非常に力と努力が要ります。

冷蔵庫を開けても、上のほうの物が取れません。
取っても、よく落としてしまいます。

手が上に上がらない、力が充分入らないのは
日常生活で非常に不便です。

物を持っても、
軽いものでも、ティシュでもホロホロと手から落としてしまいます。

手は動くのですが
脳からの命令が、うまく指先にいかないような感じ。

「脳脊髄液減少症」と診断される前
今までこの症状を
神経内科や、整形外科や、脳神経外科の複数の医師に訴えても訴えても、
「手は動いているじゃない!。握力もあるし。異常なし。」と
信じてもらえませんでした。

確かに手は動くし、握力計ではかると、けっこう握力があるのです。
持とうと思えば、けっこう思い物を持つ腕の力も比較的保たれています。

しかし、本人だけが感じる異常。
力の入りづらさ、伝わりづらさ。

脳からの命令が正常な時が100%指先までいくとして
60%くらいしか脳からの命令内容が腕や指先まで伝達されてない感じ。
また、その速度が遅いような感じ。

接触不良の電気製品のような、
一定の電力がうまく安定して伝わっていかないような感じなのです。

その60%の電力で、通常の動作をなんとかこなしているから、
結果的には正常の力を出せているような、そんなふうに見られてしまう感じ。

うまく表現できませんが、そういう力の伝わりづらさ、力の入りづらさ、
手の動かしづらさがあるのです。

この症状がある時は、首から肩、肩から腕に向かって
凝っているような、つっぱっているような
重苦しい締め付け感とシビレがあるのです。

脳脊髄液減少症だけでなく、
事故で痛めた首の骨の異常も関係していると思うのですが。

以前、この症状について、有名な整形外科で
神経伝達速度検査?というものをやりましたが
「異常なし」でした。

この「脳脊髄液減少症」悲惨さは
「体感するほとんどすべての異常」が検査にでないということです。

正確には異常はなんらかの形で検査に現れているのかもしれません。

その異常を「読み解く手段」を医師が学んでないだけかもしれません。
「異常を見つける、他の検査手段」も知らないだけなのかもしれません。

うそなどついていないのに、気のせいでもないのに、
痛さも、力の入りづらさも、胸の苦しさも、呼吸困難も、
半身のシビレも体のあちこちのケイレンも
どんな検査をしても「異常なし」。

検査至上主義の現代の医学界では
仮病とされてもしかたがないくらい、どんな検査をしても「異常なし」。

このゆうれいの手も

「ふつうに仕事ができるじゃない。
          ふつうに生活できているじゃない。」と
周囲や医師には軽く見られてしまう、
    本人にしかわからない不調の感覚です。

 たしかに、物を落として割ったりしながらも、
      動かしづらいと感じながらもなんとか生活できてしまいます。

はた目には、この異常がわかるわけがありません。

きょうもこの「うらめしや~」のゆうれいの手で
必死に日常生活をこなしています。

一見、普通に生活しているようにしか、家族にも見えていないでしょう。

私のこんなつらさ、加害者はまったくわかってないんだろうなぁ。
謝罪もせず、のほほんと生活している加害者。

同じ思いを味わってもらいたい!

悔しいです。




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