打越通信

日記ふういろいろ

期待

2014-02-06 20:42:11 | 日記ふう
相変わらず寒い日が続いている。
今日も5時半起きだ。
寒い中新聞を取りに行き、コーヒーを入れて一通り新聞に目を通す。
ここまでは何時もの日常的なコトなんだけど、6時を過ぎる、しかたなく洗面所に行き歯を磨いて顔を洗う。
6時15分を過ぎたのでパジャマから背広に着替える。
6時37分の在来線に乗らないと7時11分の新幹線には間に合わない。
7時11分の新幹線に間に合わないとビックリつばめのキップが無効になるし、会社も遅刻するのだ。
そんな危機的な状況を分かっているのか不思議だ・・・。
結局、6時20分に起きてきた。
当然、朝飯は無く、そのまま上熊本駅まで送ってもらう。
なんとか在来線には間に合った。
熊本駅のファミマでサンドイッチとコーンスープを買った。
外は寒いので待合室のベンチに腰かけて頂いた。

博多は昼過ぎから冷たい雨が降っていた。
もう少し気温が低かったら雪だったろう。
ネットで気象状況を見ていると、今夜あたりから山間部は積雪の予報が出ている。
さてさて明日はいったいどうなるのやら。



雪で九州新幹線が止まってくれればありがたいことなんだけど、などと思いながら18時22分のつばめに乗るためホームに上がると、なんとN700系の車両だった。
この時間の列車に乗るのが多いのだが、こんなの初めてだった。
N700系の乗り心地も最高なんだけど、明日は朝飯大丈夫なんだろうか?
それとも雪で新幹線が止まるのだろうか・・・。
両方とも期待は出来そうもないかとあきらめた。

道南の旅(2)

2014-02-06 07:08:45 | 旅行
翌朝は6時から希望者のみ函館駅の横にある朝市に行くことになっていた。
娘は思いっきり寝たいとの事で、妻と出かける事にした。
熟睡だったので目覚めはそんなにつらくは無い。
日ごろと同じ時間帯なのでパッと眼が覚めた。
防寒に注意しロビーに出る。
すでにお店のバスが迎えに来ていた。
ホテルの外はアイスバーン状態で足元を気をつけないと危ない。



湯の川温泉から朝市開場までは10分程度。
活気ある市場で味見をしながら、タラバガニとズワイガニ、その他詰め合わせが送料込みで10,000円だった。



迷ったが伝票をもらい自宅の住所を書いて渡した。





市場の外に出ると、青函連絡船が展示してあった。
過去の船の碇も展示してあった。
青函連絡船、なんとも懐かしい響きだ。
今は青函トンネルが出来、北海道新幹線も来年には開業する。
函館のというより北海道の歴史がまた変ろうとしている、そんな歴史を感じた。
ホテルに戻り朝食をとり、8時にはバスに乗り込み市内観光だった。
函館は人口30万の都市で、過去に何度も大火を出し、そのたびに区画が整理された都市だそうだ。
北海道で唯一ここ函館と札幌、路面電車が走っている。
熊本もそうだし何か親近感だある。
そして歴史的貫禄のある建物が多い。
そんな感じを受ける街だ。
今回は素通りする街だが、ぜひゆっくりと滞在したい街だ。
かつては北海道一の都市だったが、札幌、旭川に抜かれ、現在では道内3番目の都市。
かつては外国船の出入りがありその外国船に水を供給するため、日本国内で水道の施設が最も早かった街の一つだそうだ。
津軽海峡を見渡せる場所に、石川啄木の銅像がある。



そして土方歳三の名前が見える。
吉村昭の小説で榎本武揚と函館の関係は知っていたが、なせ啄木が・・・。
「死ぬときは函館へ行って死ぬ」と言ったように啄木はこの函館が大好きだったらしい。
榎本武揚総大将の元、新撰組副隊長の土方歳三は函館戦争で35歳の若さでこの函館で死んだのだ。
最初の観光地、トラピスチヌ修道院。
バスを降りたとたん中腹にあたりが来た。
トイレに駆け込み、ここは観光出来なかった。
次の場所は五稜郭。



タワーに登り五稜郭の全景を見る。
積雪で輪郭があまりよく見えないが、榎本武揚や土方歳三がここを城に戦った場所なのだ。
函館市内もよく見え眺めの良い場所だった。
つづく・・・