ずいぶん長いこと自宅に帰っていない、そんな気がする。
久しぶりに自宅に戻ってきた。
高台から降りる道から市内が見える。
震災から半年近くが経ったが、いまだブルーシートを被った家がちらほら見える。
クルマを降りるなり真夏のような暑さが迎えてくれた。
自宅への階段を登り、庭に出る。
芝生がずいぶんと伸び、庭木も枝が空に向って伸びていた。
自宅に帰ると、狭い博多のマンションとは違い、広さが迎えてくれる。
別に変わった様子もなく、息子夫婦も綺麗に住んでいるようだ。
家に着くなり、庭に出て芝生に生えた草取りが始まる。
熊本を出るとき一本の木(枯れ木)を一本切った。
切った場所に芝生が元気に広がろうとしている。
そこだけが上に葉っぱを伸ばし活き活きとしてる。
息子達も庭仕事はまったく手付かずのようで、裏庭は膝近くまで夏草が伸びていた。
結局、家の周りの草取りと庭木の剪定に丸一日近くかかってしまった。
おまけに日差しが強い残暑厳しい中だった。
市内にもちっと出てみたが、一階部分がつぶれてしまったマンションもまだ手がつけられないようでそのままの姿でいた。
取り壊すにも住民の同意が必要だとかで、なかなかそのあたりが進んでいないのだろう。
しかしそのまま放置するのも、次の強い揺れが何時起きるかわからないので危険が一杯だ。
熊本城もまだまだ復興という段階では無いようで、崩れ落ちた石がそのままの状態だった。
しかし観光客もいるようで、崩れ落ちた石垣を記念に写真を撮っている様子も見えた。
それでもいいのかもしれないと思った。
崩れた石垣を見て、地震のすごさを感じてもらう、そして復興していく熊本城を見てもらうのも一つの方法かも知れない。
自宅近くの土砂崩れがあった場所も、緊急の工事があっているようで、巨大な土嚢が積まれていた。
となりの神社も地震の影響で鳥居は真っ二つに割れ、階段にも亀裂が走り、石の灯篭も崩れたままになっていた。
まだまだ時間が必要なのだろう。
土砂崩れを起こした台地の上には新しく商業施設がオープンしていた。
つい最近にオープンしたようで多くの客で賑わっていた。
いつも行くスーパーはおかげで人影も少なく、弱肉強食を肌で感じた。
親友のジローさんとも話をしたかったが、老人会の秋刀魚焼きや、打越神社のしめ縄作りなどで忙しいと聞いた。
去年まで一生懸命にやってきた事も、今では遠くから眺める状況になってしまった。
博多に来て半年が過ぎた。
長いようでも短い感じはありふれた言葉だが、色々な事がありすぎて、その変化を唖然としているだけのようだ。
まだ、今を語るには歳月がかかる。
復興と同じだ。
久しぶりに自宅に戻ってきた。
高台から降りる道から市内が見える。
震災から半年近くが経ったが、いまだブルーシートを被った家がちらほら見える。
クルマを降りるなり真夏のような暑さが迎えてくれた。
自宅への階段を登り、庭に出る。
芝生がずいぶんと伸び、庭木も枝が空に向って伸びていた。
自宅に帰ると、狭い博多のマンションとは違い、広さが迎えてくれる。
別に変わった様子もなく、息子夫婦も綺麗に住んでいるようだ。
家に着くなり、庭に出て芝生に生えた草取りが始まる。
熊本を出るとき一本の木(枯れ木)を一本切った。
切った場所に芝生が元気に広がろうとしている。
そこだけが上に葉っぱを伸ばし活き活きとしてる。
息子達も庭仕事はまったく手付かずのようで、裏庭は膝近くまで夏草が伸びていた。
結局、家の周りの草取りと庭木の剪定に丸一日近くかかってしまった。
おまけに日差しが強い残暑厳しい中だった。
市内にもちっと出てみたが、一階部分がつぶれてしまったマンションもまだ手がつけられないようでそのままの姿でいた。
取り壊すにも住民の同意が必要だとかで、なかなかそのあたりが進んでいないのだろう。
しかしそのまま放置するのも、次の強い揺れが何時起きるかわからないので危険が一杯だ。
熊本城もまだまだ復興という段階では無いようで、崩れ落ちた石がそのままの状態だった。
しかし観光客もいるようで、崩れ落ちた石垣を記念に写真を撮っている様子も見えた。
それでもいいのかもしれないと思った。
崩れた石垣を見て、地震のすごさを感じてもらう、そして復興していく熊本城を見てもらうのも一つの方法かも知れない。
自宅近くの土砂崩れがあった場所も、緊急の工事があっているようで、巨大な土嚢が積まれていた。
となりの神社も地震の影響で鳥居は真っ二つに割れ、階段にも亀裂が走り、石の灯篭も崩れたままになっていた。
まだまだ時間が必要なのだろう。
土砂崩れを起こした台地の上には新しく商業施設がオープンしていた。
つい最近にオープンしたようで多くの客で賑わっていた。
いつも行くスーパーはおかげで人影も少なく、弱肉強食を肌で感じた。
親友のジローさんとも話をしたかったが、老人会の秋刀魚焼きや、打越神社のしめ縄作りなどで忙しいと聞いた。
去年まで一生懸命にやってきた事も、今では遠くから眺める状況になってしまった。
博多に来て半年が過ぎた。
長いようでも短い感じはありふれた言葉だが、色々な事がありすぎて、その変化を唖然としているだけのようだ。
まだ、今を語るには歳月がかかる。
復興と同じだ。