打越通信

日記ふういろいろ

13回忌と結婚一周年

2016-10-11 20:51:44 | 日記ふう
10月10日といえば晴れの特異日と思っていたがそうでは無いそうで、東京オリンピックの開会式が50数年前に行われた日、という事は皆が知っている(はずだ)。
前日の雨がうそのように晴れわたり、朝8時半前に博多のアパートを出た。
市内でちょっとまごまごと迷ってしまった。
熊本への道とは違う、と勘違いに気づいたときには都市高速の高架をくぐったあとだった。
ぐるぐると今宿、糸島への道へ出て、トイレ休憩のあと妻に運転を代わった。
あとは妻がナビに行き先を入れ運転を代わり、私は助手席でいびきをかいて寝ていた(妻が言う)そうで、気がついた時は伊万里だった。
そこで再び運転を代わり、国見道路から世知原を抜け妻の実家に着いた。
正確には実家に着く前に妻の両親が眠るお墓にお参りした。
義理の父の法事は正午に始まった。
もう13回忌を数える。
早いものだ、もう12年の歳月が流れた。
あの日、私たちは私の実家がある熊本県の南にある実家に帰省していた。
紅葉にはまだ早いかもしれないが、と思いながら五家荘をクルマでまわり、実家に到着したときに訃報が入った。
県南の実家から慌てて妻の実家に急きょ移動した事を思い出す。
無表情だった妻の顔に涙が落ちるのを見た事を鮮明に覚えている。
あれから12年、干支が一回転してしまった。
法事のあと場所を移して会食があった。
久しぶりに会う親族とも近況の挨拶で忙しかった。
皆さんそれぞれで、良い意味で変化があっていた。
帰り道、義理の兄(長兄)の親友の方を伊万里までお送りした。
酒を断っているので、その方のクルマを私が運転し妻があとを追う、そんな感じだ。
佐世保から伊万里までは1時間くらいかな。
立派な家だった。
奥さんはとても面白い方(以前にもお付き合いはある)でちょっとのつもりが1時間以上お付き合いした。
しかし話の内容は、2世帯で建てた家だったが子供たちは出て行ってしまったようで、なんともい切ない内容だった。
終の棲家がこんな結末、やはり同居というのは難しいのだろうかと考えさせられる話だった。

西九州自動車道から都市高速に乗った。
息子達が泊りがけで博多に来ていたので帰りを急いだ。
夜のトバリが降り、福岡タワーやヤフオクドームの葉横を高速は通る。
ここからは福岡が誇る夜景がとても綺麗だった(残念ながら写真は無い)。
息子達とはちょうど時間が合い、アパートを出て近くの居酒屋に繰り出した。
そのあと息子夫婦を中洲まで送り、息子夫婦は同じ敷地の棟が違うマンションの娘の部屋に泊まった。
翌日は息子夫婦の1回目の結婚記念日だった。



ゆっくり目に起きて、長浜にある福岡市鮮魚市場市場会館に向った。
新鮮な魚料理の昼食を4人で頂いた。
新鮮な魚が安い料金(1000円前後)で頂ける。



イカの海鮮丼とイカの天ぷら定食。



鯛の煮付け定食など、メニューも豊富で美味くて安い。
当然、行列に並ばなければならないが・・・。
昼食を終え我が家に戻り、しばし会話に盛り上がり、新婚2年目を迎えた息子夫婦は午後3時過ぎに我が家の熊本に戻って行った。