打越通信

日記ふういろいろ

季節は変る

2012-04-13 06:22:21 | 日記ふう

桜が散ってツツジの季節になろうとしている。
寒さもとれてずいぶんと暖かくなってきた。
さて、クーが亡くなって一週間が経とうとしている。
彼が亡くなってもいつものように朝が来て一日が始まり、一日が終わっていく。
この一週間足らず、思っていた以上に苦しく辛い日々だった。
それは私だけでなく、妻にしても息子にしても、離れて暮らしている娘も同じだろう。
何であんなに小さな子犬を守ってあげられなかったのか、と自分を責める苦しさもあった。
たかがわんこが亡くなったくらいで、大の大人が・・・。
と思われるかも知れないが、辛いのだ。
仕事に集中している時はそうでも無いが、ふと我に返ると、今回の事が頭をよぎる。



彼は今ひとりで何処に居るのだろう、などと考えてしまう。

「ペロ(先代の犬)、クーがそっちに行ったのでやさしく導いてくれ」

「クー、そっちにペロという心の優しいオネーサンが居るので彼女のところに行きなさい。決してワンワンと吠えないように、そして虹の橋の前の草原で一緒に遊んでいなさい・・・」

などとバカみたいなことを頭の中で考えているのだ。
しばらくは辛い日々が続くのはしかたない事なのだろう。

クーの写真集めも800枚を超えたところだ。
年齢別に整理している。
やはり幼い時の写真が少ない。
ハードディスクのどこかにあるのだろうが、フォルダーが幾重にも階層しているモノもあり見つけるのも一苦労している。
集め切れたらUSBメモリにでも複写して息子と娘に渡すつもりだ。


さよなら クー

2012-04-10 06:46:58 | 愛犬(Qoo)

静かな朝を迎えて何日目になるだろう。
気持ちの整理も少しは出来るようになったので、まとめて記しておく。
しかしまとめきれない部分もあるので長文になるだろう。

平成24年4月7日、夕方7時前、クーは亡くなった。

その日は実家に両親の様子を伺いに帰っていた。
庭の草取りを終え、さあ今から晩御飯だというときだった。
玄関のチャイムが鳴った。
妻が対応したが
「おとうさん!クーが大変な事になっているよ!」
すぐさま玄関を出て走った、実家から公道に出るところに静かに横たわったクーを見つけた。
ピクリとも動かないクーを抱き上げて、滴り落ちる真っ赤な血もお構い無しに家に戻った。
声をかけるがピクリとも反応しない。
完全な即死状態だった。
せめてもの慰みは苦しまないで逝ってくれたことだった。
風呂場に連れて行きお湯できれいに洗った。
血の臭いが強烈だったがそんなのお構い無しだ。
まだ体も温かく手も足も自由に動いていた。
轢かれてはいないようで、外傷はほとんど無かった。
きれいに洗って、今度はドライヤーできれいに乾かした。
今にも動き出しそうなクーを見て、妻が泣きながら声をかける。
その日は夜遅くまで妻の腕の中だった。
福岡に行っている息子に電話した。
「重要な話があるので、明日は早めに帰って来い」
いつもクーが寝ている場所、ふとんの足元に静かにおいて寝た。

翌日は6時前に起きた。
クーを見るとほんと安らかに寝ているようだ。
早めにおきて両親の病院周りをして、打越町を目指した。
クーは妻の腕の中だ。
時折、妻の嗚咽ともつかない泣き声でクルマの中は暗く沈んだ。
クー!と声をかけながらブラッシングをしている。
2時間半かかってやっと団地の入口までやって来た。
「クー!打越の家に帰って来たよ!」
妻がクーに呼びかけていた。



自宅に帰り、クーが一番好きだった場所に白いマットを引いて、その上にバスタオルを引いて置いてあげた。
妻は消毒液で血の着いた毛を綺麗に拭いていた。
まるでぬいぐるみのようだった。
息子から迎えの電話があり、妻が交通センターまで迎に行く。
その間、じいっと座ってクーの亡骸を見つめた。
息子が帰って来た。
「ごめん、おとうが悪かった」
と息子に言うと
「ほんとだん」
と言って、クーを見ると頭をポンポンと叩いて2階の自分の部屋に行ってしまった。
しばらくして息子が降りてきて、クーを抱きかかえふたたび自分の部屋に行ってしまった。
最後のお別れをしているのだろう。
私はパソコンに行き、「クー」というフォルダーを作った。
その中にありとあらゆるクーの写真や動画を集めた。
妻のケータイにもかなりの数のクーの写真があったが、それも吸い上げてかなりの数の写真が集まった。
まだ集めきれないが、今の時点で約500枚超えている。
その中から最近のクーの写真を選んだ。
それが冒頭のクーの遺影になってしまった。

息子が降りてきて、どうするか話し合った。
妻は娘にも来てもらってお葬式をしようと言う。
しかし娘は今、沖縄の宮古島に旅行に行っている。
「さっこには明日話をしよう」
と言うと妻が頷いた。
庭に埋めてあげる事も出来るが、きれいに火葬してやったほうが良いと結論が出た。
さっそくジローちゃんに連絡してみた。
「調べて折り返す」
との事で連絡を待った。
「フードパルの近くに蓮華乃郷というのがあるので電話して」
と言って電話番号を教えてくれた。
電話すると今からでも良いという。



さっそくクーの好きだった遊び道具や食べ物を持って、途中で菜の花をとって持っていった。
細い山道を行くと蓮華乃郷という看板が見えた。
係りの人が降りてきて案内してくれた。
ダンボールの棺が用意され、バスタオルにくるまれたクーを棺に入れた。
その周りにクーの好きだったオモチャや食べ物を、そして菜の花を入れた。
それが最後のクーの姿だった。
死に水を与え、蓋を閉めて火葬場に行き息子が点火ボタンを押した。
一時間ばかりかかるというので、外のベンチに息子と座り、たばこを差し出すと受け取った。
煙突を見ていると最初は黒い煙が上がった、しばらくして白い煙がものすごい勢いで流れた。
クーが天国に行っているのかと思うと居ても立っても居られない。
桜の花びらが舞っている、ウグイスの澄み切った鳴き声が聞こえた。

小一時間ばかり経って係りの人がやって来た。
連れられて行った先には遺骨になったクーの骨だった。
説明を受け、これがポンポンと肩を叩いた前足、じゃれて甘噛した歯なのだと思いながら骨をひろった。
牛乳瓶のような小さい壷にクーの骨はすべて収まった。
火葬も終わり家に戻る。



玄関先にはジローちゃんとヒトミちゃんから花束が届けられていた。
さっそく祭壇を作りその上に置いた。

私は良く町内の祭事があるとクーを連れて行った。
結構町内でもクーは知っていても私を知らない人が多い。
連れて行くと
「あ!クーだ!」
と子供たちが寄ってくる。
私はつまり、クーのオジサンだったのだ。

ケイのオヤジには事前に連絡はしてあった。
「クーが死んだので最後の姿を見に来ないか」
と言うとビックリして
「ケン!お前達はなんばしとったんか!」
と怒られてしまった。
確かに監督不行き届き、飼い主の資格は無い。
ケイのオヤジは仕事だから後からお参りに来るという。
玄関のチャイムが鳴って香典とクーの好きだった豆を持ってきた。
テラのオヤジやノボルのオヤジに電話している。
みんな揃ってクーの遺骨を前でクーの思い出話に話が弾んだ。



クーは2007年2月7日生まれと血統書に書かれていた。
家にやってきたのは5月だったと思うので5年くらい一緒に生活している。
最初、息子が連れてきた時はまだ子犬でおとなしそうなわんこだった。
怖がり屋でその頃は良く寝ていた。
起こさないように気を使ったものだ。
そして名前をつけてあげないといけない。
家族3人で名前を考えて、3つに絞り込んだ。
まだ当時はblogをやってなくてホームページで娘に写真と絞り込んだ名前を見てもらった。
すぐさま
「さっこはクーが良い」
と返事が帰って来て決まったのだ。

だんだんと家に慣れるに連れ、私とも妻とも馴染んできた。
私と妻が夫婦喧嘩をすると、きょとんとした顔をして私と妻の間をウロウロしている。
そんなクーを見ていると喧嘩も収まるわけだ。

散歩をしていると妻に引かれるクーは私との間が開くと立ち止まって私を見て待ってくれるやさしいところがあった。
階段を登るときもコイツかなりなスピードで駆け上がる、リードに引っ張られるとこっちを向いて早くあがって来いという仕草をする。

妻には徹底的に甘え、私には戦いモードなのだ。
主に私の指とクー甘噛での戦いとなる、あごを押さえつけるとウーと言って私の勝ちになる。
庭に出ると前足を伸ばして戦いを挑んでくる。
待て待てと、狭い庭をもの凄い勢いで鬼ごっこだ。
パソコンをしていると、クーのヤツ、遊び道具をくわえて目の前に座り込む。
遊ぼうと顔に書いてあるのだ。

クーには喘息のような症状がたまに出る事があった。
座り込んでハアハアといったりシャックリのような症状が出るときがある。
「クー大丈夫か」
と言いながら背中をポンポンと叩いてあげるとすまなさそうな顔で見上げる事があった。

会社に出社する時など吠え、私の背広の裾をくわえる。
先週の博多出張の時など3日も家を空けて久しぶりに帰ると、狂ったように家の中を駆け周り喜んでくれた。
去年からかなりハードな仕事を行っている。
精神的に参った時にクーの力は大きかった。
出張でほとんど家には居ないが、週末になりクーと遊ぶ事が活力になっていたのだ。

私は休日しか遊んでやれなかったが、妻とは一番の仲良しだったと思う。
それを考えると妻の悲しみは深いのかもしれない。
私は今回は涙を流さなかった。
まだ実感して無いようだ。
しかし今日、会社に出てパソコンを開く、そしてパスワードを聞いてくる。
クーの名前と生年月日を入れると大粒の涙が出てしまった。
同僚が
「どうしたんですか?」
と聞く
「いやー、なんでもない」
と答える。

心の中にポッカリ空いた穴をどうやって埋めていけばいいのだろう。
5年ものあいだ癒してくれたクー。
食いしん坊でワンパク小僧のクーだった。
その真直ぐな彼の気持ちに答えるには、この悲しみを乗り超えるしかないようだ。

さよなら クー・・・。


迷走の日々

2012-04-07 06:54:52 | 日記ふう

結局、月曜日以外は博多だった。
新幹線で通うことも出来たが娘のアパートにお世話になった。
新幹線でずいぶんと近くはなったが、熊本駅までのアクセス、博多駅からのアクセスを考えると片道2時間の移動時間なのだ。
そんな移動時間がもったいない。



じゃあ何しているのかというと、同僚を呼び出して飲みに行ったり。
娘と飯を食いに行ったりとしている。



やっと週末になり自宅に帰る。
クーのヤツ狂ったように喜んで飛びかかって来る。
そんなクーを連れて今日も今から実家に帰る。
いったん仕事は終わったが、さてさて迷走の日々はいつまで続くのやら・・・。


バスカード

2012-04-06 06:48:33 | 日記ふう

朝起きてちょっとやばいな、と思ったときはバスで通うことにしている。
だって今時、クルマでコツンと当てただけで警察を呼ぶ、必ず
「ちょっと臭いますね」
と言って袋を渡される事になりかねないからだ。
前は小銭を用意して整理券と一緒に支払をしていた。
小銭が気になってコンビニなどで紙幣で支払って、ズボンのポケットは小銭で一杯だった。



それでバスカードなるモノを買うようになった。
1000円で1100円分の料金の支払が出来るやつだ。
TO熊カードと言って市内のバス、路面電車で使える。
3300円、5600円、11200円のカードもある。
乗り込む前にカードを読み込ませ、降りる時に再度読み込ませ自動的に料金が引き落とされる。

熊本と同じように博多でもバスを利用する事が多くなった。
こちらはnimoca(ニモカ)を購入した。
SUGOCA(JR九州)を購入しようと思ったが、このカード福岡県内は便利であるが熊本で使えるのは荒尾駅だけなのだ。
まったく持ってJRもこの当たりが遅れている。
nimocaはICカードになっており2000円で購入できるが購入時にデポジット代として500円がとられる。
しかし返却時に手数料無しで返ってくる。

こちらは非接触タイプなどで財布の中からでもOKなのだ。
残金が少なくなればバスの中からでもチャージ(入金)が可能。
たばこをお吸いの方ならtaspoをお持ちだろう、そうあれと同じ電子マネーなのだ。
当然、相互利用が出来るためSUGOCA対応の駅ではJRも利用できる。
福岡市営地下鉄のICカード「はやかけん」もOKなので地下鉄もOKという訳だ。
コンビニにも対応しているので便利な事間違いない。
熊本市も現在のTO熊カードをICカード利用にするための検討に入ったようだが、早く相互利用できればまたまた便利になる。


湯の児温泉桜祭り

2012-04-05 07:19:20 | 桜前線

桜のトンネルを満喫しながらクルマを走らせていたら、湯の児温泉から太鼓の音が聞こえてきた。
なにやら催しものがあっているようだ。
さっそくクルマを駐車場に入れ妻とクーと行ってみた。
秀岳館高校の雅太鼓演奏だった。
一日4時間の練習をしているそうでなかなか熱気あふれる演奏だった。



アウトリガーカヌー体験だそうで、湯の児島を一周体験できるそうだ。
「カヌーはあの橋の下にあるので見ていってください」
と若いオニーチャンが言う。
クーを連れて島まで行ってみた。



2台のカヌーが置いてあった。



島に行って戻ってみると、妻のヤツ、オランダ揚げを食っていた。
湯の児海上花見船の看板があった。



大人一人700円で湯の児の海岸線に咲きほころぶ桜を海上からお花見しようという訳だ。
時間があれば乗ってみたい気分なのだが、先を急ぐ身なのであきらめた。






物産市には名物のチャンポンやパエリアも並んでいた。
今が旬のサラダ玉ねぎも箱売りされていた。



一度はしなびれかけてた温泉宿も今では立派な姿を見せていたのだ。


春の嵐

2012-04-04 06:15:10 | 日記ふう

朝から小雨と冷たい風が吹いていた。
7時5分の電車(青カエル)に乗って今日も博多行きだった。
朝のうちはそうでも無かったが昼過ぎからもの凄い風が吹いてきた。



そういうわけで客先を早めに切り上げてバス、電車を乗り継いで博多駅。
在来線も数分の遅れが出ていた。



博多駅の構内に出ると人であふれていた。



新幹線乗り場に行くと、改札前そして改札内も人であふれていた。



山陽新幹線に遅れが出ているのかと思ったら、なんと運転見合わせだった。
ホームに上がると東京行きののぞみが入線していた。
中には人も乗っていて発車の時刻が決定しない列車なのだ。
満員に近い乗車率、しかし強風により運転再開できない列車だった。
下りの鹿児島中央行きの列車は定刻で博多駅を出た。
しかしこの列車、ホントは新大阪からの列車で、急きょ用意された列車だったのだ。
車掌の車内放送で、自動放送の案内がありませんとの事のようで、静かな車内だった。
日本語の案内、英語に韓国語、中国語の案内は無し、途中の停車駅の音楽も無いのだ。
これもこれで良いのかと思いながら40数分で熊本駅に到着した。



在来線も17分の遅れだった。
待つこと20分、熊本駅を出た電車、かなりの徐行運転だった。
熊本駅、上熊本駅はわずか3分なのに、時速にして30kmも無いような徐行運転だった。
全国的な強風にあちこちで運転見合わせが出ているのだろう。


花見

2012-04-03 06:28:38 | 桜前線

実家に帰っている時、ケイのオヤジから電話があった。
「ケン!打越公園の桜が見ごろだ。亀萬のあの酒を2本ばかり買って来い」
と言う。



実家からの帰り、ヨーコ先輩の販売所に寄り酒を探す。
「この前のお酒は、これとこれよ」
ヨーコ先輩のご指導のもと無事にお酒を得る事が出来た。
打越町に帰って来たのは午後の4時頃だったろうか。
さっそくお酒とブルーシートを持って公園へ。
ブルーシートを広げて場所取りなのだ。
しかし私達のシート以外は誰もいない。
ケイのオヤジがつまみを持ってきた。
そしてノボルのオヤジが焼酎を、グッチがビールを持ってきた。
セイのオヤジにヒトミちゃんまで参加だ。



いやいやクーにクッキーもお花見なのだ。
旨い酒を飲んで、そのままひっくり返ると、目の前には夜桜がある。



空には半月が出ていた。
しかしだんだんと寒くなり夜の8時前には散会だった。
元気の良いオジサンたちはタクシーを呼んで夜の街にお出かけだ。
私は明日の仕事に備えるためにほろ酔い気分で風呂に入って寝たのだ。


満開

2012-04-02 10:54:50 | 桜前線

天気も良いし最高のドライブ日和だ。



県南の海岸線には満開になった桜が咲いている。
湯の児海岸には満開になった桜が咲きあふれていた。



「さくらの名所100選」に選ばれている水俣市チェリーライン、500本の桜だ。
目の前には不知火海があり、御所の浦島と天草列島が見える。



JRのウォークラリーがあっているようで老夫婦や若いカップル、赤ちゃんを抱いた若い夫婦達が桜のトンネルを気持ち良さそうに歩いていた。
観光バスも結構な数行き来している。



タダでさえ風光明媚なところだが、桜が咲くと一転して賑やかになる。
狭い道をゆっくりとクルマで進む。
時折路肩にクルマを停めて歩いて見る、そんな観光客もいる。
実家に帰ると畑に植えた桜も咲いていた。



ピンクと白の桜だ。
6年前亡くなった最初の犬のペロ。
14歳でクルマにはねられて死んでしまった。
墓を掘って静かに埋めてやった。
そこに記念に植えた桜だ。
線香を持ってクーも墓参りに連れて行った。
彼女が生きていれば20歳の成人式だったのだ。
桜の下で静かにお参りをしたのだ。


熊本城のさくら

2012-04-01 20:27:20 | 桜前線

実家からの帰り、御幸坂を通る。



満開に近いさくらに人出も上々のようだ。
天気も良いし、最高の花見のようだ。



ケータイにケイのオヤジからかかってきた。
「ケン!あの酒を2本ばかし買って来い」
帰り亀蔓に寄り新酒の搾りと大醸造を買った。
打越公園で今から花見なのだ。