あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

すごいつながり

2009-05-25 22:16:25 | Weblog
今朝も具合は思わしくなかったのだけど、どうにか出勤する。
仕事中もいまいちだったのだけど、今はだいぶ元気になった。
これで戻るかな。

晩御飯も食べて、お風呂にも入って、寝るだけ!?

さっき「鶴瓶の家族に乾杯」を見る。
鹿児島は奄美大島の龍郷町。先週の続き。
いいなあ、子ども達はとても素直。

かつて僻地の小学校の教師になりたかったことを思い出す。

奄美大島というとS子ちゃんを思い出す。妹の友だち。
あの島の小学校に我が母校のW校長先生が赴任した。
その奥様は母がかつて鹿児島市で教師をしていたときに教えていた方でその子どもさんのS子ちゃんと妹が同い年だった。全く偶然だった。

あの頃、小学校に鹿児島大学から教生がいらしていて我が家にも泊まった。I先生、お元気でしょうか。
そして、鹿児島から指導教授ということでN先生(鹿児島では音楽で一人者だった)がいらしたが、その奥様は母の同窓生だった。
いろんな偶然がたくさんある。

愛加那と過ごした西郷隆盛のお孫さんと母は鹿児島市の同じ学校で勉強した。
菊次郎さんの子どもさんだったのだろうか。
私はお孫さんとだけ聞いて、誰の子どもさんだったかよく覚えていない。写真を見せてくれたけど、今でもセピア色の写真が我が家にあると思う。母の荷物の中に。

母は鹿児島大学の男子附属小学校で学んだ。
母が小学生の時に実習に来られた学生が私の学生時代の担任になったという偶然もある。
この先生も鹿児島では音楽の大家のT教授だった。
「お母さんはお元気ですか。よろしくお伝えください」とよく言われた。

もうひとつ言えば、私が勤め始めた幼稚園の園長T先生は小学校校長を退職された方で、かつて、母が勤めていた小学校に共に勤め、母は自宅まで、T先生は駅までの道のりを一緒に帰っていたという。これも私が勤めて初めてわかった事実。母はT先生がいらっしゃる幼稚園とは少しも知らなかった。まさしく偶然。

人生にはいろいろなつながりがある。
本当に不思議に思うことがある。

私が勤めた幼稚園は新設の幼稚園だったけど、その前、T先生はH幼稚園の園長をしていた。そこに勤めていたO先生が私が住んだ横浜の家の近くにいらっしゃり知り合いになった。同じ集合住宅でO先生に子どもさんがお世話になっていたIさんからO先生のことを聞いたのである。それも新設の幼稚園のY先生つながりだけど、そのご縁で、我が子ども達がO先生にお世話になり、私も3歳児の保育を携わるようになった(文章にするのはむずかしい~)

話せばまだまだなが~い話だけど、世の中はつながっている。
さっきのテレビでも言っていた。どこかでつながっているから島の人たちはけんかをしないって。

世の中、おもしろいね。

前に書いたかもしれないけど、夫の大学での友達が私のふるさとの中学校の理科の先生の子どもさんだったのだもの。
夫の大学はちなみに京都である。
それを知ったときは、驚きと共に、もう、笑っちゃった。
あのときは中学時代、真面目にやっててよかったと思ったけど・・・ね。

これには、またまたもうひとつあって、夫は熊本出身だけど、夫と同じ中学校、高校を出た人・・つまり夫の後輩になるけど(そんなこと当時は知らないよね・・だいたい・・夫の存在を知らないのだから)・・その人と私は中学校時代、文通をしていた。で、熊本への修学旅行で会った。

夫とは特急電車の中で隣合わせて知り合ったのだけど・・・。
夫は横浜から熊本へ帰省中。
私は東京での研修を終えて、ちょっと同僚の先生と小旅行して、ひとりで鹿児島への帰途中。
そのときに夫と出会った。
それなのに、先生の息子さん・・ペンフレンドと・・・偶然過ぎる・・・。


こんなことを書いている間に息子がお米をといでくれる。
シャキ、シャキといい音がしていました。
ありがとう(*^_^*)

いろんな偶然・・・つながりはおもしろい。
読んでいる人はわからないですよね・・・まあ、いいや。読んでくださってありがとう。

おやすみなさい

コメント
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