あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

ふるさと便り④~還暦同窓会IN白水館~

2014-11-13 20:51:46 | Weblog
11月2日(日)15時過ぎに松林の中を白水館へ進む。
E子さんとは、高校時代の友人。
今回の還暦同窓会は北指宿中学校の同窓会だ。
心優しいE子さんにお礼を言って降りる。
会場の入り口には、なにやら、ずいぶんお年を召した男性の方々が…う~ん、友達だ!!

中に入れば、いつも懇意にしているA美ちゃんとM子ちゃんが受付。
ああ、たくさんの方々が、受付の後ろの席や、ソファにかけている。

わからない。
誰が誰やら…?

「うん、春美ちゃん?大きくなったのねえ」
「えっ~大きくなったぁ?孫が4人いるのよ」
チンプンカンプンな会話が飛び交う。

懐かしき面々は104名が集まった。
6クラスで約240名くらいだった。100名を越したからいいほうだと思う。

会いたい人は誰かと言えば「Nちゃんでしょ」と私のことを言ってくれた小学校から遊んだTちゃん。
「お母さんだったかな、お父さんだったかもしれない。辛かったときに家に来られてきばいやんせな(頑張ってくださいね)」と卵をくださったと涙を流して話してくれた。知らなかった。父がTちゃんのお父さんと親しくしていたのを思い出した。

「一緒に写真を撮ろう」と言ってくれたYくん。昔、わが家に来てくれったっけ。
絵の上手だったK三くんは、私のことを「将来どうなるのだろう」と楽しみにしていたと言う。
ああ、平凡な私で申し訳ない(でも、平凡がいちばんという説もある)

白水館の中庭でますは神事でお払い。
恐れ多くもクラスの女子代表で、玉串を捧げる。
そのあと、クラスごとの写真撮影、全体の写真撮影といろんな言葉が飛び交い、楽しい。
白水館の中庭で写す。
日にちを間違えて遅れた友もいて、みんなで拍手で迎える。
そして、会が始まる。
Y君の司会進行。ともに生徒会の役員だった。
そして、校歌。
頼まれていた指揮をすべく、ステージへ。
なんとアカペラゆえ、「私が歌に合わせます」と挨拶をしたのですが…はてさて…椋鳩十さんの歌詞は素晴らしい。
列車で練習してきた甲斐があったのかどうか…。
ちょっとあわなかったような…2番、3番の歌詞がなかなか…もちろん、歌詞の紙は配られていましたけどね。

最初のお料理。

もう、おしゃべりに夢中だから、お料理はニの次。
でも、おいしかったです。
畳に椅子を置いて小グループでの席はくじ引き。
私の前はI神くん、H森くん、H岡くん。
懐かしい中学校時代の場面が浮かぶ。
がんの治療を先進医療でやって元気になったとか(指宿に有名な医療施設がある)観葉植物の農業、ソラマメ、オクラの農業と話が弾む。
妹の話も今回の同窓会でいくつか聞き、人気があったのねえと思ったり…妹は優しいものね。

そして、Mくんたちのダンス。



この日のために、何度も集まって練習したらしい。見ているだけで、楽しかったなあ。
他にも余興があったのだけど、いちばん会いたかったSくんと話していて、よく見られず。
Sくんは、生徒会長だった。6人中の役員が男性は3人とも出席。女子は私だけ。でも、生徒会ではそんなに活動しなかったなあと思うのだけど…。
Sくんは、今は、知的障害者の施設長。
中学校、高校時代の行動を知り、すごいなと思った。さすがSくんだ。
もう一人のSMくんは、警察官。
退職まであと数ヶ月とわかったK江ちゃんいわく「悪いことをして、警官に捕まらないようにしなきゃあねえ」と軽口を叩く。
彼は、我が子どもたちの大学の先輩だ。スマートでなかなかダンディだった。
「うん、そうだ」とZMくん。
笑っちゃう。

小学校3校から集まった北指宿中学校。
魚見小学校のみんなと写真を撮った。
懐かしい友達、餓鬼大将もいたよなあ。

中学校では代表Mくんのいる我がクラス3年2組の出席がいちばんよかった。今は亡きN先生のお宅にお正月は集まっていたのよねえ。温和な先生だった。
後日、Aちゃんがお墓参りに行って奥様に同窓会の話をしたら、奥様が涙ぐんでいらしたとか…N先生、ありがとうございます。あらためてご冥福を祈ります。

今回の幹事のメインは、消防署の署長であるかつてのあこがれだったMくん(走っている彼に幼稚園の子どもたちがついていった)優しさあふれるサッカー少年だったNくん、面倒見のいいTくんと、三人で本当によくやってくれました。
そして、小学校時代のH夫妻(結婚するとは思わなかった)M男くん、N人くん、M一君、モータース経営のM人くん、横浜から山梨にいたときに訪ねたかっこいいTくん…K坊…
篤姫に出ていたのは、兄の子だったと話してくれたS一くん。
ご主人をなくしても、強くおおらかに生きているS子さん、同じ集落のH子さん…あげれば、全員の名前をあげたくなる。

中学校1年の時の担任のO先生「これからは自分のやりたい楽しい事をやろう」と言ってくれた。
2年生の時のK先生もお元気。東京で会い、鹿児島の自宅にも遊びにも行った。
I先生は美術の先生。ゴッホの話、抽象画、具象画の話をした。

ああ、書くことがいっぱいあるのだけど、このくらいにしよう。

会が終わって、カラオケにも参加。

出る予定ではなかったけど、司会のYくん「指揮をしてくれたからおごるよ」とお金を出してくれる。そういうわけにもいかず、出せば、お金のお釣りの関係で、彼に一部出してもらう形になり、ありがとうと…でも、やっぱり、甘えてはいけなかった?と反省。こちらがお世話になったから、私がおごるべきよねえ。
Yくん、万一、私のブログを見ていたら深謝していますとう私の気持ちをわかってくださいね。
(ブログのことは教えてないのですが…いつかね)
司会も元気があってよかったよ。

私はたぶんひとりだけ除いて、全員と話したと思う。
ひとことふたことではあるけれどね。

ひとりだけ、あの人と話さなかったなあというのが残念。


みんな、中学校の顔に戻っていました。
それが何よりいい。
みんな、わかる。

これが記念のタオルです。



ばんざい、北指宿中学校です。

45年ぶりに会った友達。
辛苦を経験したであろうと思えば、涙が出そうになる。

でも、会えてよかった。
本当によかった。

会えたことの幸せに感謝した。

一緒にお茶しようといっていたKくんとはぐれたのが悔やまれる。ごめんねという感じ。
大阪のHちゃん、大牟田のYちゃん、いつも東京で会う多くの友達、いつもふるさとで会うお友達以外の方々と懐かしく話をした。

本当に本当に楽しかった。

みんな、元気でいようね。
それぞれの場所で、元気に楽しく過ごそうね。
いい時間をありがとう。

帰りは、小学校時代の友達のT子さんのご主人運転の高級車に乗せていただいて、指宿ロイヤルホテルに送ってもらったのでした。




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ふるさと便り③~還暦同窓会のプロローグ~

2014-11-13 19:49:51 | Weblog
今日で4日間の仕事が終了。

お昼前の電話の楽しいこと。
「平成何年生まれですか?」「えっと~…あら、いやだわ、私は昭和よ…尋ねられたから平成と思っちゃいました」なんて笑う。
小さなお子さんをお持ちのお母様方からお電話をいただくので、つい、そういう質問をしてしまった。年齢が関係ある事業への質問ではあった。

丁寧に郵送したものにお礼のお電話をくださる方もいらして、年配の方々からはいろんなことを教えてもらっている。

さてさて、私の長い帰省物語ですが、今回は、今度の帰省の一番の目的、還暦同窓会の巻である。
といっても、何を書くといいのか迷うのですが…。

1日の朝、天文館のホテルを出て、列車で指宿へ。
夫は慈眼寺のどこかへ行きたいとかで、途中でまた降りる。

錦江湾を左に列車は進む。
知林島が見えれば、もう嬉しい。対岸にはもちろん桜島だ。
そして、これが我が宮ヶ浜駅の案内板である。



ちなみに、さつまいまいずみは、篤姫の薩摩今和泉である。

宮ヶ浜駅は、以前は、海に近いホームとのことで、目の前はすぐ海、変わった。
これと反対の方には「ようこそ長渕剛ゆかりの宮ヶ浜へ」と長い看板があった。かつて、長渕剛さんが、お父さんと来た宮ヶ浜。
ひょっとしたら、すれ違っていたりして?なんてね。

で、反対側の駅の鹿児島よりには私が勤めた2番目の幼稚園も新しい園舎である。
小学校の中である。
今回の同窓会の代表のMくんが小学校に走りに来て、子どもたちがあとをくっついて走ったという思い出もある。

わが家のある踏み切り辺りを懐かしく思い、魚見岳を望んで、指宿駅へ。

親友のE子さんが駅に待っていてくれる。
彼女にはほんとうにお世話になっている。書けばきりがないくらいに…。
何よりもよかったのは、お母様の月命日で、納骨堂でお参りできたことである。手を合わせて、お礼を申し上げ、ご冥福を祈った。
私の父の月命日でもあった。

E子さんとしゃれたフランス料理をいただき、彼女の家へ。
話も尽きないのです。

それから、還暦同窓会の白水館へ送ってもらいました。
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お昼休み

2014-11-13 12:52:37 | Weblog
秋の横浜公園。


おいしい、おいしい手作り&残り物の詰め合わせお弁当を食べました。

でも、夫の作ってくれたパスタと生姜焼きはサイコー!


ありがとうです。

横には横浜スタジアムがあります。

また、午後からお仕事。


午前中もたくさんの電話をいただく。

ユーモアを感じさせる電話もあり、気分も楽しく♪♪♪


これから、散歩して銀杏を見に行き、職場に戻ります(*^.^*)
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ふるさと便り②~11月1日の巻~

2014-11-13 00:11:29 | Weblog
こんばんは。

真夜中ですが、気分は昨日、12日(水)です。
11日(火)は、さすがにぐったり。思考力ゼロで早々と寝ました。
とにかく、仕事が忙しい。
様々な質問に、頭をグルグル回転させて、話しながら、答えを探さなければならない。
判断力がひじょうにいるのです。
電話対応になおかつ自分の気の遠くなるような金額の確認。間違えば一大事ゆえ、一つずつ慎重にやらねばならない。
電話については、今日もそうだけど、相手の方から学ぶことも多く、質問に対して、誠意をもって答えれば「お名前は?」と訊かれ、なんだか嬉しいものです。
時間を見ると27分が経っている。私はその方とそんな時間しゃべっていたわけです。当然のことながら、電話をむげに切れません。
いろいろな電話が次々と…みんなで頑張っているところです。

で、ふるさと便りですが、31日のことを書きましたので、次は11月1日(土)です。

朝方、美味しい朝食をいただいて、歩いて平之町へ。
叔母のお見舞いです。
母の妹である叔母は、9人兄弟で、唯一、お一人元気でいらっしゃいます。

行く前に甲突川(こうつきがわ)にくれば、大久保利通の像も猛々しく(鹿児島では西郷隆盛よりずいぶんあとにできました…郷土勢には、人気がなかったのでしょう…むろんそうですよね)その川をのぼる横の公園に秋の木市がありました。
母が「木市、木市」と言っていたのが、のちになってよくわかりました。
指宿のわが家にあった木々は木市から買ったものが多かったのかもしれません。
春にもあります。



懐かしき木市。
車椅子にのり、外に自由に行けない叔母にも気分を味わってもらおうと、手入れのいらないサボテン、オレンジの「ひぼたん」を求めました。



木市の近くの病院に行けば、叔母は元気。
96歳です。
「お元気ですか」といえば「バリバリ」と腕を上下させました。
とみに母に似てくるなあと思います。
病室でなくて、廊下の長いすのところで思いっきり話をしました。

「姉は、勉強家でねえ。ほとんど、机に向かっていた。あと、編み物が好きでねえ」と話してくれる。そういえば、母は、子どもたちに帽子もたくさん、お人形の洋服を編んでくれていました。
母が、遠足に行かないで勉強していたと話してくれたのを思い出します。
かといって、勉強だけでなく、スポーツ万能、テニス、バレーボール、卓球、水泳、走ること、何でもできたようです。勉強は数学に長けていたとか…長女や兄たち、従兄弟には、その血ありかと思います。

ちょうど、室蘭の長女から「柿が届きました。ありがとう」と夫にメールがあり、電話をして、叔母とも話ができ、よかったなと思います。
TちゃんやCちゃん、Dさんのことを気にかけてくれる叔母です。
長女も叔母によく便りしています。

涙ながらに話す叔母との話も尽きず、いつものように叔母の大学ノートに足跡を残し、子どもや孫たちKIDの分の握手までして「また、来ます。元気でね」と、病室をあとにしたのでした。

それから、夫とは別行動。鴨池まで市電に乗り、私は終点の谷山電停まで。
乗った電車は、右側の黄色い電車。



昔とちがってずいぶんカラフルな電車も走るようになりました(緑色の昔のも走っていましたが)
きれいな女性(夫がしきりにそう言う)が運転士だったのも時代の流れですね。

降りれば、かつての幼稚園教諭時代の同僚のM子先生が車で迎えてくれる。
夏に行ったK幼稚園新設の最初をM子先生、この前のK子先生、私でやったわけです。
ふたつの幼稚園に勤めましたが、最初の幼稚園です。
新しい園だったので試行錯誤…というよりか、新米の私は思うような保育ができず、反省の日々…情熱だけはありましたが、ただ救いは、今でも「先生」と慕って近況を知らせてくれる子どもたちがいるということです。もっとも、子どもたちは40代ですねえ。

久しぶりの再会は、積もる話も多く、初めはカフェ。



そのあと、指宿方面に車を走らせてくださり、海の見えるレストランで、元気を出そうとこんなにすごいステーキをいただきました。



やせるわけがない~!!!(う~ん、かげの声)
この食欲は、翌日の同窓会の声に繋がるのでありました

ホテルに帰ったのが22時ごろだったのでしょうか。
はからずも、夫も帰ったばかりで、爆睡だった気がします。

M子先生との語らいは、彼女の優しさをいたるところに感じ、時の流れも感じるような出来事を知り、ともに、悲しみを共有したり、笑ったり、楽しい時間でした。

子どもたちが小さいときに帰省すれば、一緒にプールに遊び、懐かしい思い出がたくさんあります。
今回、帰るときに「M子先生に会うのよ」と次女に言ったら、よく覚えていて、そのことを彼女に話せば「まあ、よく覚えているのね」と感激していました。
子どもたちは、どちらも三人で、よく遊びに行きました。
何よりも嬉しいのは私の母のことを「素晴らしいお母さん」と褒めてくださることです。
おおらかで、優しくて、知的でと…。それが、いちばん嬉しいなあ。

母を知っているってことが、嬉しいのです。

さて、1日のことはこのくらいで…。
いよいよ、次回は同窓会の話です。

おやすみなさい

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