あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

庭の木々から千本松原のこと

2014-11-23 19:05:00 | Weblog
お天気がよかったので、庭に布団を干す。
ふと目を花壇に向ければ、青々と勢いを増して伸びている水仙の葉。
今年も咲いてねと願う。ふるさと指宿の庭を思い出す。
冬にりんとして咲く水仙は、寒さに耐えて、いい香りを放ち、好きな花だった。
そのまま、視線をあげれば、ピンクの山茶花がいつの間にか咲いている。
花バサミをとってきて、山茶花を採る。
そして、お仏壇の父母たちの所に「きれいでしょう」と飾り、蕾をつけた山茶花は、トイレのコーナーの上に置く。
かわいいなあと思う。
季節を覚えていて咲く植物の不思議さ…でも、枇杷の木に白い花が咲いているのを見つける。
暖かいからかしらと思う。

キウイはまだなり、本格的に採ってはいない。
小さなのをちぎって、包丁で軽く向いて、その黄色みがかった実を口に放り込めば、甘い。

みかんもまだ鈴なり。
これまた1個ちぎって食べる。ビタミンCがいっぱいだから、また美しくなったかしらと嘯く。
きんかんの実は、青々としながら、部分的に黄色が入ってきつつある。これまた、梅や枇杷の木のとなりで、窮屈そうにしているような…。

南天の実は赤くなく、オレンジと赤の中間くらい。これから赤くなるのかしら。

指宿のとなりの造園業を営んでいるKさんの家からもらって鉢植えにしていた木は、とても大きくなり、そのまま、花壇の一部に埋もれ(鉢を取ろうと思ったら根付いていた)歳月の流れを感じさせた。
梅の幹も太くなり、植物や木々は、こうして大きくなっているけど、私たちは、これからどこでどう過ごすのだろうとも思う。

横浜に住んで、34年。ふるさとで過ごしたときよりも長くなった。
一時的にいる場所だと思っていた気もするのだけど、将来のことを思う。

沼津や三島、熱海への小さな旅で、電車の外に見える風景に懐かしさを覚えることもあり、自分のこれから先を思うこともしばしばだ。

ああ、それにしても、今日、テレビで見た沼津の千本松原の問題、沼津よ何をしているのかと思う。つい、先日見てきただけにあの景勝地がいじられるのかと思うと、もったいないと思う。
30万本もあるかと思われる松の150本は少ないのか。
若山牧水も松の伐採に反対運動を起こして、残っている松原。
長年の年月を経て大きくなった木を切ることは簡単だろう。
でも、その大きさにすることにどれだけの年月と人の愛情があったか。
防風林とされる松は多くの人を家を守ってきてはいないか。
沼津市長の安易な考えに「えっ、何? なんと浅はかな」と思ったのは私だけではないだろう。
一つのことを決めることの後々への影響。
事を始める前に、じっくり話し合い、吟味すべきではないか。
あの、千本松原の風景を思いながら、築山が、今必要なのかをしっかり考えてほしい。
津波対策は大事だし、急を要する。それゆえに、深い話し合いが必要である。安易過ぎる。
他の方法はないのか。市民の命を守るために。
津波が押し寄せてきているときに築山といえども海の方面へ行くのかという言葉が心に残る。
宮脇教授が出てきたときに、夫が「おお、宮脇さんだ」と希望を見出だしように言う。何かの折に知っていた模様。私だけが知らないのか。

そして、また、700億円もかけて衆議院の選挙が行われる。
まさしく忙しい師走に。
私たちの命はいつか消えるけど、決まったことを覆すことはなかなか難しい。
簡単にいろいろなことを決めてはいけない。子孫末裔のことを考えるべきだ。
集団的自衛権、消費税、TPP…
知らないでは済まされないことがたくさんある。
この平和は(他の国と比べるとそうだろう)永久に続くとは考えらないのだ。
昨夜は、子どもたちと「選挙に行かなきゃね」とも話した。

今回の選挙は心して投票すべきである。
コメント
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