あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

大原三千院を振り返って~我が家の春菊の花も~

2022-05-20 23:03:34 | Weblog

こんばんは。

今日はお休み。

まずは今日の佳き日に兜をしまう。ちょっと遅いけど。

ずっ~と前に幼い息子が「兜を早くしまってね。ぼく、お婿に行けないから」って言ったっけ。

あのときに「えっ~」と大笑いした。

まず、ひな祭りのときに「早くひな人形をしまわなきゃ、お嫁にいけないから」ということを聞いていたんだなって思ったし「K(息子)はお婿に行くの?」って言ったものだ。

今、こんなことをいったら語弊があるけどね。

いずれにしても今、華の独身貴族の息子である。お婿でもいってほしいと思うのは母心だけど・・・。

 

さて、京都の大原三千院の写真を見ると心が本当に落ち着く。

緑っていいのね。

 

5月16日の三千院の写真、今日はそれを列挙します。

こういうかわいい石像があちこちにありました。

まずは、緑に心が洗われる!

朝早かったので、割合静か。それがいい。

大原の地は千有余年前より魚山(ぎょざん)と呼ばれ、仏教音楽(声明)の発祥の地であり、念仏聖による浄土信仰の聖地として今日に至ります。創建は佛教大師最澄上人(767~822)が比叡山延暦寺建立の際、草庵を結ばれたのに始まります。別名梶井門跡・梨本門跡とも呼ばれる天台宗五箇室門跡の一つで、当院は皇子、皇族が住職を勤めた宮門跡です(パンフレットより抜粋)

明治4年に三千院と公称されたとの由。

三千院・・大原三千院だぁと渚ゆう子さんの歌を思い出す・・・。

聚碧園(しゅうへきえん)客殿よりの池泉観賞式庭園(ちせんかんしょうしきていえん)。

江戸時代の茶人・金森宗和の修築だそう。

いただいパンフレットの表紙は、おおよそ、この構図の秋バージョン。

往生極楽院。

寺伝では寛和(かんな)2年(986年)に「往生要集」の著者で天台浄土教の大成者である恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)が父母の菩提のため姉の安養尼とともに建立したと伝えられてる(パンフレットより)

お堂の中は写真禁止でした。

両菩薩の「大和座り」が印象的でした。

 

都忘れの花々。わかりにくですが、薄紫です。

ぼたん。

観音堂。

鎌倉石仏。

おさな六地蔵のひとつ。思わず笑みがこぼれます。

大手毬の花。これがそうなんだと知る。きれい。

大原から帰ってきたばかりだけど、また、行きたくなりました。

とても落ち着いたいい所でした。

行ってみて初めて学びます。

いかにいろいろなことを知らないか・・・。

古の人に心を寄せます。

 

ここまでお読みくださってありがとうございました。

明日が素敵な一日でありますように

 

今日、母たちにお飾りした我が家の庭の春菊の花です。

おやすみなさい。

 

 

コメント
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