あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

ふるさと便り⑥~友達と・それから空港へ~

2014-11-16 17:57:50 | Weblog
いよいよ、最終日。
親友のE子さんが、ホテルのロビーに来てくださいました。
夫ともそこでおしゃべり。やっとゆっくりできました。
指宿ロイヤルホテルのロビーです。



ピアノがあり、窓外の景色がとてもよく、開聞岳、天気のいい日は屋久島も見えます。
海と大隈半島、本当にこれ以上の風景はないかもしれません。
すぐに浜辺にも出られます。
今回はロビーにおかみさんが来られておしゃべり。お店にあるものも私は好きで、おかみさんのセンスがうかがわれるのです。
頑張ってほしいなと思います。
指宿のホテルはほとんど泊まりましたが、指宿ロイヤルホテル、好きです。
他のホテルは、お風呂までが遠い。それは広くて立派なお風呂なんですけどね。(ごめんね。他のホテルさん)

それと、用事で泊まる場合、食事がいらないので、素泊まりができるのが嬉しいのです。朝食が必要なら、あとで、つけられます。

また、変わるかもしれないけど、今の気分は、このホテルです。

部屋から見えた下の景色です。



今年の夏にTちゃんやCちゃんと遊んだプール。
露天風呂が最高に、眺めがよくて解放感に浸れます。

夫は鹿児島市内に用事があるからと先にレンタカーを返して、列車に乗るために出る。
私はE子さんとロビーで話して、今度は同窓会で受付をしてくれたMちゃん宅へ。
仕事が早く終わり自宅にいるとのこと。

彼女の家に行けば、きれいな椅子のカバー。
「誰が作ったの?」「もちろん、彼が作ったの」と。
「えっ、もちろん?」
思い出しました。
ずっと前に、帰省したとき、我が家にお子さんがしょってきたリュックサックがとてもかわいかったので「かわいい」といえば、ご主人が作ったとのよし。一緒に来た今回の受付のA美ちゃんのお子様のリュックもそうでびっくりしたものです。

Mちゃんの長女のTちゃんは、教師。
含蓄ある話も聞けてさすがだなと思ったのです。
話も尽きなかったのですが、またねとE子さんと指宿のガストへ。
そこでも、ちゃんぽんを食べる。
そこへ、お嬢様の結婚式を控えたSちゃん(坊津の久志高校を見に一緒に行った)が来られて立ち話。
Yちゃんも一緒。おめでとうとお話することでしした。

Yちゃんは、次女と同い年。帰省したときにプールで遊んだ仲です。
その写真が偶然Yちゃんの結婚式の11月8日頃に出てきたとはどういうことでしょうねえ。
やはり探し物をしていて、紙を広げたら写真があったのです。幼稚園の頃の写真でしょうか。
次女は感慨深そうに見ていました。

話は戻り、E子さんとの時間も無常に過ぎ、近くのバス停へ。
バス停からは、指宿の山々が見えて、空も青く、お天気に恵まれたなあ、E子さんやみんなによくしてもらったなあと感慨に浸っておりました。私は、幸せものです。

バスに乗ればこの前のアナウンサーのMHさんの放送があるんだと携帯を出して見ました。
これまた、はからずも鹿児島市内に歴史上の人物のモニュメントがあるのですが(夏に、DさんやTちゃんやみんなと歩きながら見たばかり)それの案内をしていました。ニュースのときとはまた雰囲気が違い、素のMHさんを感じて、笑顔でかわいいなあと思いました。
さっそくE子さんに「テレビを見て」とメールすれば「かわいいわねえ……」と感想が届く。
そのあとに、MHさんにE子さんの感想を送ればまたまた優しい返事が届く。
いいつながりです。
長いワイドショーなれど、電波の関係で、見られなかったりしましたが、「頑張ってね」とエールを送りました。

16時くらいだったのでしょか。
桜島が爆発。久しぶりに大きな噴煙を見ました。
まるで「楽しかったね。よかったね。元気にまた戻って来い」と言われているようでした。
鹿児島に桜島ありきです。

空港に着けば5分をおかず、鹿児島市内から空港バスに乗った夫も着く。
空港での待ち合わせもうまくいき、羽田への機上の人となりました。

楽しかった4泊5日の還暦同窓会出席という目的の旅は、また私にたくさんの元気をくれました。
ふるさと鹿児島・指宿ありがとう。
友達、ありがとう。
父ちゃん、母ちゃん、ご先祖様、ありがとう。
子どもたち、家族にありがとう。

というわけで、今回のふるさと便りは、これで、いちおう終わりです。

ふわぁ~、ほっとしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふるさと便り⑤~お墓参りから坊津へ~

2014-11-16 17:14:01 | Weblog
いやあ、11月も半ばを過ぎ、ここは一気にふるさと便りを書かねば、落ち着かない。
ということで、この前の続き。

11月2日の還暦同窓会まで書いた。
100名を越す方々と話したことを帰宅してから「しゃべりすぎ」と少し、反省したけど、今では、多くの方々と言葉を交わしてよかったと思う。
楽しかったのです。

2日の夜は、もちろん、夫はホテルに着いていて、いろいろ話してくれたけど、私は体力的に疲れてあまり聞けず…。

翌日はレンタカーを借りて、E子さん宅に寄り、お庭にボールなどを干してあり、そうだった、太陽に干していたなあと思い出す。
それから、お墓参り。
「父ちゃん、母ちゃん来たよ」と父母とご先祖様のお墓に行けば、きれいな花が飾られている。
あとでわかったけど、浦安と鴻巣の従兄弟のSさんとKちゃんがお墓参りにこられたと言う。
母の甥っ子だちだ。ありがたいことです。
E子さんにいただいたお花をかざり、手を合わせる。
父母やご先祖様のご冥福を祈り、感謝とお礼と、報告と、お願いと…。
魚見岳が悠然と見える。
夫も掃除をしてくれ、熊本から持ってきた線香をたいてくれる。

近所の今は亡きおば様方のお墓にも手を合わせる。

そして、兄に挨拶に寄る。私の実家だ。兄も元気で、ますます父に似てきている。
還暦になったからと近所に挨拶に行く。お世話になりましたものねえ。

そして、車は池田湖。
この前の千歳市へあげた大ウナギがいたところである。

そこの食堂でちゃんぽんを食べる。

特攻隊の食堂のおばちゃん鳥浜とめさんの言葉が貼ってあった。



「なせ、生きのこったのかを、考えなさい」

そして、開聞岳を望み、一路枕崎、坊津へ。
途中の耳取峠の美しさ。
あ、ここに住んでもいいなと思った。



それから、坊津へ。
「輝津館」へ。坊津の歴史があった。
スタッフの方々が親切。
それから、坊津港へ。



4つくらいの港を合わせて坊津港というらしい。鑑真が着いた港。密貿易の港。海外に開いていた港…キーワードはたくさんだ。
美しい港を見ながら、鑑真記念館へ行く。
受付の方がフィリピンの出身の方で、また優しい。アコウの木も教えてくださる。
鑑真上人が度重なる遭難をめげずに来て、唐招提寺を…というのに惹かれる。
すごい人だ。
そこに「天平の甍」の映画の説明があったのです。ゆえに夫は図書館でその本を借り、バッグに入れており、今回の井上靖文学館に偶然つながったのです。偶然じゃないかもしれませんね。
鑑真記念館の館長さんはとても親切で、大きなアコウの木まで案内してくれました。

坊津の久志には、玉川学園の高校があるからと、独身時代にSちゃんと(今回も会いました)来たことがあります。小原国芳さんの出身地です。
母が、小原先生のことを教えてくれ(新聞に掲載されていた)全人教育をされ、今の玉川学園の創始者です。一度、高校時代に講演を指宿で聞いたことがあります。すばらしい教育者。
幼ければ幼いほど、本物を見せなさい。本物に親しませなさいというのにとても共感したものです。

あっ、また横道ですねえ。

それから、夜の道を指宿に戻る。
途中、妹の友達の山川のお店「くりや」で食事。
学生がよく合宿しています。
妹にメールすれば「Tちゃんによろしく」と。
帰りに、忙しいTちゃんい挨拶すれば、にこにこ笑顔で見送ってくださいました。
繁盛しますように。カツオのたたきが売りらしいです。

それから、今回ゆっくり会えなかった渋谷で会っていたM子ちゃんの所に行き(翌日、仕事で上京とのよし)
タイヨーでとりさしやお団子を買ってホテルに戻ったのでありました。

忙しくも、本当に充実していました。
天気がいいのが何よりでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若山牧水記念館と井上靖文学館へ~沼津・三島の旅~

2014-11-16 16:33:59 | Weblog
こんにちは。

今日は、まったりです。
お布団を庭にほして、夜、寝るのが楽しみな気分。
ふっかふっかのお布団は最高に幸せ気分になります。

昨日の沼津、三島のことを記しときます。

朝、夫は海岸に散歩。
いつものことながら、それから、朝の温泉を楽しむ。
露天風呂は目の前に松林があって、郷愁を誘う。
私の指宿の海岸にも松林。その近くに私の家の畑もあったし、瓦工場の家もあったのです。
長渕剛さんの遊んだという宮ヶ浜から続いている海岸です。

また、横道にそれましたねえ。

で、朝食をいただいて、ホテルのバスで沼津港に降ろしてもらう。
富士山が、雪を抱いてくっきり。
観光案内所に行って「富士山がきれいですねえ」と言えば「そうですね」と私たちほどには感激してない?
いつもあるから「あっ、今日は見えるわねえとは思いますけど…」というかんじ。
小さいときに見た桜島に対しての感情と同じだろうと思う。地元だものね。

で、「びゅうお」という建物に行く。
入り口でガイドさんが説明。
地震の時(震度6だったかな)には自動的にそのコンクリートの壁(頑丈だ)が降りてきて、津波をブロックするのだという。平成16年完成。43億円。今年は台風でこの壁を下ろしたという。
何でも、沼津は65歳以上の家の箪笥など倒れないように、無料でとめてあるとか…地震対策が徹底している。

それから「びゅうお」にのぼれば、その景色の美しさに感激。
富士山、駿河湾画キラキラと太陽に輝き、360度の絶景。
沼津に行ったらば、お薦めです。

上にいらしたガイドさんは自分の写した富士山の写真を見せてくれる。
みかんと富士山、港からと…それはどれもきれいだった。

それから、降りて若山牧水記念館へ。
日向の出身だけど、沼津に住んだとの由。
千本松原のところに記念館がありました。



「幾山河(やまかわ) 越えさり行かば 寂しさの 終(は)てなむ国ぞ 今日も旅ゆく」

千本松原の松が伐採されようとしたときに反対運動をして、今もきれいな松林があるということを彼に感謝する。松林を歩けば、心も落ち着く。早稲田大学出身である。

短歌と旅。
私もたくさん詠みたいなと思いました。

それから、三島に行き、シャトルバスで井上靖文学館へ。
クレマチスの丘行き。
無料のシャトルバスがあるなんて、ありがたいな。
終点で降りて、美術館の広場で、陽を浴びて遅めの簡単な昼食。
それから、やおら、入り口の階段を上がる。左手に井上靖の銅像を見ながら。

入り口のあすなろの木。あすなろって「翌檜」と書いてありました。



でも、彼が思っていたあすなろの木は今の「槙」だとスタッフの方が言われる。
地方によって、呼び方がちがったいたとか…。
なんだか、混乱しますねえと言った私。

入る前にかざってあった「ふるさと」
読んで、何かしら惹かれる。読みやすいし、心情がわかる。



「しろばんば」は、小さな羽虫のことで、「雪虫」ともいわれとのよし。
「あすなろ物語」は、確か、読んだと思うけどなあ。

京都大学の哲学科を出て毎日新聞の記者になる。
「蒼き狼」「氷壁」「孔子」「敦煌」そして「天平の甍」など。
ビデオを見ながら、彼の作品を読んでみたいなあと思う。
「天平の甍」は、入念な取材で書かれたものだろう。
彼の朗読を聴きながら、なにかしら、惹かれるものを感じる。
帰省時に行った坊津を自然と思い出す。

帰りのバスも近くになり、童話があったので求める。
これがそうだ。



いやあ、短い文章の中に優しさがあり、特異な視点があり、ああ、こういう風に書かなくちゃと思った。
素直だ。
なかでも「ひと朝だけの朝顔」と「ほくろのある金魚」は、とてもおもしろかった(広い意味でね)

井上ひさしと井上靖…またまた惹かれる作家に出会った。
もちろん、靖さんは知ってたいたけど、ここまで読みたいとは思わなかった。
血の繋がらない祖母との生活、新聞記者だったということからくるこの短い文章に思いを書き、伝えている。そのことのわかりやすさと、彼のやさしさ。

今回の旅もまたまた偶然が重なり、ひじょうに充実していた。

沼津の千本松原、富士山、びゅうお、若山牧水記念館、三島の井上靖文学館、よかった。
以前、三島では三島大社、楽寿園に行ったんだなあと思い出すことではあった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Cちゃんの2歳の誕生日

2014-11-15 22:47:22 | Weblog
今日は、Cちゃんの2歳のお誕生日。
沼津から帰宅して、先ほど、久しぶりにスカイプする。

時折の写メールで、大きくなったなあと思っていたけど、いよいよ女の子らしくかわいさを増している。
ダンスをしてくれ「アンパンマン」と話し、バイバイと手をふる。
本当にかわいい。
スカイプの前に電話で「おとうさん」「おかあさん」「Tちゃん」と話してくれる。

Cちゃん、2歳のお誕生日、おめでとう

健やかに大きくなぁ~れ

プレゼントは12日に送った。
早々に息子も次女も、ちゃんと優しいお兄ちゃんのTちゃんの分まで用意していた。

それに加えて私たちからは絵本と鹿児島からのお土産のかるかんやボンタンアメやぶた味噌なども。
夫がわが家のみかんも入れたそうな…ありがとうとTちゃんが言う。

アンパンマンのカードに、それぞれに(KIDからも)メッセージを書いた。

2歳って早いな。

いろんなものが大好きでよく食べて、何でも興味を示して、行動するCちゃんは、頼もしい限りです。

おめでとう、おめでとう

いいことがたくさんありますように
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沼津にて

2014-11-14 23:25:26 | Weblog
こんばんは。
今夜は、沼津です。
写真は、富士山。

そして、海の向こうに沈む夕日。



美しさに感動しました。

今朝、思い立って来ました。

かつて、母とこどもたちと三津シーパラダイスに来たことを思い出しました。

観光地の案内を見れば、井上靖文学館があります。
図らずも、夫のバッグには、小説「天平の甍」が・・・。
坊津で見た鑑真の話です。
この偶然が嬉しい。
また若山牧水の記念館も。
短歌入門者としては、嬉しい。

知らないで来ることの無知さと偶然です。

波の音が心地よい。

ついでに夕食から蜆ご飯。



ぬかごがはいっていた。
指宿の実家にあり、よく食べたものだ。懐かしい味。
そして、デザートは、梨に小豆とザクロをさらさらと・・・。



今回のお料理は、器がきれいで、それぞれに趣があり、おいしかった。

ちなみに、「はまゆう」というホテルで、自然、うるうる先生を思い出しました。
しっかり、推敲の原稿持参です

お部屋の名前は、それぞれお花の名前で嬉しい限り。

「とべら」にて・・・おやすみなさい

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふるさと便り④~還暦同窓会IN白水館~

2014-11-13 20:51:46 | Weblog
11月2日(日)15時過ぎに松林の中を白水館へ進む。
E子さんとは、高校時代の友人。
今回の還暦同窓会は北指宿中学校の同窓会だ。
心優しいE子さんにお礼を言って降りる。
会場の入り口には、なにやら、ずいぶんお年を召した男性の方々が…う~ん、友達だ!!

中に入れば、いつも懇意にしているA美ちゃんとM子ちゃんが受付。
ああ、たくさんの方々が、受付の後ろの席や、ソファにかけている。

わからない。
誰が誰やら…?

「うん、春美ちゃん?大きくなったのねえ」
「えっ~大きくなったぁ?孫が4人いるのよ」
チンプンカンプンな会話が飛び交う。

懐かしき面々は104名が集まった。
6クラスで約240名くらいだった。100名を越したからいいほうだと思う。

会いたい人は誰かと言えば「Nちゃんでしょ」と私のことを言ってくれた小学校から遊んだTちゃん。
「お母さんだったかな、お父さんだったかもしれない。辛かったときに家に来られてきばいやんせな(頑張ってくださいね)」と卵をくださったと涙を流して話してくれた。知らなかった。父がTちゃんのお父さんと親しくしていたのを思い出した。

「一緒に写真を撮ろう」と言ってくれたYくん。昔、わが家に来てくれったっけ。
絵の上手だったK三くんは、私のことを「将来どうなるのだろう」と楽しみにしていたと言う。
ああ、平凡な私で申し訳ない(でも、平凡がいちばんという説もある)

白水館の中庭でますは神事でお払い。
恐れ多くもクラスの女子代表で、玉串を捧げる。
そのあと、クラスごとの写真撮影、全体の写真撮影といろんな言葉が飛び交い、楽しい。
白水館の中庭で写す。
日にちを間違えて遅れた友もいて、みんなで拍手で迎える。
そして、会が始まる。
Y君の司会進行。ともに生徒会の役員だった。
そして、校歌。
頼まれていた指揮をすべく、ステージへ。
なんとアカペラゆえ、「私が歌に合わせます」と挨拶をしたのですが…はてさて…椋鳩十さんの歌詞は素晴らしい。
列車で練習してきた甲斐があったのかどうか…。
ちょっとあわなかったような…2番、3番の歌詞がなかなか…もちろん、歌詞の紙は配られていましたけどね。

最初のお料理。

もう、おしゃべりに夢中だから、お料理はニの次。
でも、おいしかったです。
畳に椅子を置いて小グループでの席はくじ引き。
私の前はI神くん、H森くん、H岡くん。
懐かしい中学校時代の場面が浮かぶ。
がんの治療を先進医療でやって元気になったとか(指宿に有名な医療施設がある)観葉植物の農業、ソラマメ、オクラの農業と話が弾む。
妹の話も今回の同窓会でいくつか聞き、人気があったのねえと思ったり…妹は優しいものね。

そして、Mくんたちのダンス。



この日のために、何度も集まって練習したらしい。見ているだけで、楽しかったなあ。
他にも余興があったのだけど、いちばん会いたかったSくんと話していて、よく見られず。
Sくんは、生徒会長だった。6人中の役員が男性は3人とも出席。女子は私だけ。でも、生徒会ではそんなに活動しなかったなあと思うのだけど…。
Sくんは、今は、知的障害者の施設長。
中学校、高校時代の行動を知り、すごいなと思った。さすがSくんだ。
もう一人のSMくんは、警察官。
退職まであと数ヶ月とわかったK江ちゃんいわく「悪いことをして、警官に捕まらないようにしなきゃあねえ」と軽口を叩く。
彼は、我が子どもたちの大学の先輩だ。スマートでなかなかダンディだった。
「うん、そうだ」とZMくん。
笑っちゃう。

小学校3校から集まった北指宿中学校。
魚見小学校のみんなと写真を撮った。
懐かしい友達、餓鬼大将もいたよなあ。

中学校では代表Mくんのいる我がクラス3年2組の出席がいちばんよかった。今は亡きN先生のお宅にお正月は集まっていたのよねえ。温和な先生だった。
後日、Aちゃんがお墓参りに行って奥様に同窓会の話をしたら、奥様が涙ぐんでいらしたとか…N先生、ありがとうございます。あらためてご冥福を祈ります。

今回の幹事のメインは、消防署の署長であるかつてのあこがれだったMくん(走っている彼に幼稚園の子どもたちがついていった)優しさあふれるサッカー少年だったNくん、面倒見のいいTくんと、三人で本当によくやってくれました。
そして、小学校時代のH夫妻(結婚するとは思わなかった)M男くん、N人くん、M一君、モータース経営のM人くん、横浜から山梨にいたときに訪ねたかっこいいTくん…K坊…
篤姫に出ていたのは、兄の子だったと話してくれたS一くん。
ご主人をなくしても、強くおおらかに生きているS子さん、同じ集落のH子さん…あげれば、全員の名前をあげたくなる。

中学校1年の時の担任のO先生「これからは自分のやりたい楽しい事をやろう」と言ってくれた。
2年生の時のK先生もお元気。東京で会い、鹿児島の自宅にも遊びにも行った。
I先生は美術の先生。ゴッホの話、抽象画、具象画の話をした。

ああ、書くことがいっぱいあるのだけど、このくらいにしよう。

会が終わって、カラオケにも参加。

出る予定ではなかったけど、司会のYくん「指揮をしてくれたからおごるよ」とお金を出してくれる。そういうわけにもいかず、出せば、お金のお釣りの関係で、彼に一部出してもらう形になり、ありがとうと…でも、やっぱり、甘えてはいけなかった?と反省。こちらがお世話になったから、私がおごるべきよねえ。
Yくん、万一、私のブログを見ていたら深謝していますとう私の気持ちをわかってくださいね。
(ブログのことは教えてないのですが…いつかね)
司会も元気があってよかったよ。

私はたぶんひとりだけ除いて、全員と話したと思う。
ひとことふたことではあるけれどね。

ひとりだけ、あの人と話さなかったなあというのが残念。


みんな、中学校の顔に戻っていました。
それが何よりいい。
みんな、わかる。

これが記念のタオルです。



ばんざい、北指宿中学校です。

45年ぶりに会った友達。
辛苦を経験したであろうと思えば、涙が出そうになる。

でも、会えてよかった。
本当によかった。

会えたことの幸せに感謝した。

一緒にお茶しようといっていたKくんとはぐれたのが悔やまれる。ごめんねという感じ。
大阪のHちゃん、大牟田のYちゃん、いつも東京で会う多くの友達、いつもふるさとで会うお友達以外の方々と懐かしく話をした。

本当に本当に楽しかった。

みんな、元気でいようね。
それぞれの場所で、元気に楽しく過ごそうね。
いい時間をありがとう。

帰りは、小学校時代の友達のT子さんのご主人運転の高級車に乗せていただいて、指宿ロイヤルホテルに送ってもらったのでした。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふるさと便り③~還暦同窓会のプロローグ~

2014-11-13 19:49:51 | Weblog
今日で4日間の仕事が終了。

お昼前の電話の楽しいこと。
「平成何年生まれですか?」「えっと~…あら、いやだわ、私は昭和よ…尋ねられたから平成と思っちゃいました」なんて笑う。
小さなお子さんをお持ちのお母様方からお電話をいただくので、つい、そういう質問をしてしまった。年齢が関係ある事業への質問ではあった。

丁寧に郵送したものにお礼のお電話をくださる方もいらして、年配の方々からはいろんなことを教えてもらっている。

さてさて、私の長い帰省物語ですが、今回は、今度の帰省の一番の目的、還暦同窓会の巻である。
といっても、何を書くといいのか迷うのですが…。

1日の朝、天文館のホテルを出て、列車で指宿へ。
夫は慈眼寺のどこかへ行きたいとかで、途中でまた降りる。

錦江湾を左に列車は進む。
知林島が見えれば、もう嬉しい。対岸にはもちろん桜島だ。
そして、これが我が宮ヶ浜駅の案内板である。



ちなみに、さつまいまいずみは、篤姫の薩摩今和泉である。

宮ヶ浜駅は、以前は、海に近いホームとのことで、目の前はすぐ海、変わった。
これと反対の方には「ようこそ長渕剛ゆかりの宮ヶ浜へ」と長い看板があった。かつて、長渕剛さんが、お父さんと来た宮ヶ浜。
ひょっとしたら、すれ違っていたりして?なんてね。

で、反対側の駅の鹿児島よりには私が勤めた2番目の幼稚園も新しい園舎である。
小学校の中である。
今回の同窓会の代表のMくんが小学校に走りに来て、子どもたちがあとをくっついて走ったという思い出もある。

わが家のある踏み切り辺りを懐かしく思い、魚見岳を望んで、指宿駅へ。

親友のE子さんが駅に待っていてくれる。
彼女にはほんとうにお世話になっている。書けばきりがないくらいに…。
何よりもよかったのは、お母様の月命日で、納骨堂でお参りできたことである。手を合わせて、お礼を申し上げ、ご冥福を祈った。
私の父の月命日でもあった。

E子さんとしゃれたフランス料理をいただき、彼女の家へ。
話も尽きないのです。

それから、還暦同窓会の白水館へ送ってもらいました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お昼休み

2014-11-13 12:52:37 | Weblog
秋の横浜公園。


おいしい、おいしい手作り&残り物の詰め合わせお弁当を食べました。

でも、夫の作ってくれたパスタと生姜焼きはサイコー!


ありがとうです。

横には横浜スタジアムがあります。

また、午後からお仕事。


午前中もたくさんの電話をいただく。

ユーモアを感じさせる電話もあり、気分も楽しく♪♪♪


これから、散歩して銀杏を見に行き、職場に戻ります(*^.^*)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふるさと便り②~11月1日の巻~

2014-11-13 00:11:29 | Weblog
こんばんは。

真夜中ですが、気分は昨日、12日(水)です。
11日(火)は、さすがにぐったり。思考力ゼロで早々と寝ました。
とにかく、仕事が忙しい。
様々な質問に、頭をグルグル回転させて、話しながら、答えを探さなければならない。
判断力がひじょうにいるのです。
電話対応になおかつ自分の気の遠くなるような金額の確認。間違えば一大事ゆえ、一つずつ慎重にやらねばならない。
電話については、今日もそうだけど、相手の方から学ぶことも多く、質問に対して、誠意をもって答えれば「お名前は?」と訊かれ、なんだか嬉しいものです。
時間を見ると27分が経っている。私はその方とそんな時間しゃべっていたわけです。当然のことながら、電話をむげに切れません。
いろいろな電話が次々と…みんなで頑張っているところです。

で、ふるさと便りですが、31日のことを書きましたので、次は11月1日(土)です。

朝方、美味しい朝食をいただいて、歩いて平之町へ。
叔母のお見舞いです。
母の妹である叔母は、9人兄弟で、唯一、お一人元気でいらっしゃいます。

行く前に甲突川(こうつきがわ)にくれば、大久保利通の像も猛々しく(鹿児島では西郷隆盛よりずいぶんあとにできました…郷土勢には、人気がなかったのでしょう…むろんそうですよね)その川をのぼる横の公園に秋の木市がありました。
母が「木市、木市」と言っていたのが、のちになってよくわかりました。
指宿のわが家にあった木々は木市から買ったものが多かったのかもしれません。
春にもあります。



懐かしき木市。
車椅子にのり、外に自由に行けない叔母にも気分を味わってもらおうと、手入れのいらないサボテン、オレンジの「ひぼたん」を求めました。



木市の近くの病院に行けば、叔母は元気。
96歳です。
「お元気ですか」といえば「バリバリ」と腕を上下させました。
とみに母に似てくるなあと思います。
病室でなくて、廊下の長いすのところで思いっきり話をしました。

「姉は、勉強家でねえ。ほとんど、机に向かっていた。あと、編み物が好きでねえ」と話してくれる。そういえば、母は、子どもたちに帽子もたくさん、お人形の洋服を編んでくれていました。
母が、遠足に行かないで勉強していたと話してくれたのを思い出します。
かといって、勉強だけでなく、スポーツ万能、テニス、バレーボール、卓球、水泳、走ること、何でもできたようです。勉強は数学に長けていたとか…長女や兄たち、従兄弟には、その血ありかと思います。

ちょうど、室蘭の長女から「柿が届きました。ありがとう」と夫にメールがあり、電話をして、叔母とも話ができ、よかったなと思います。
TちゃんやCちゃん、Dさんのことを気にかけてくれる叔母です。
長女も叔母によく便りしています。

涙ながらに話す叔母との話も尽きず、いつものように叔母の大学ノートに足跡を残し、子どもや孫たちKIDの分の握手までして「また、来ます。元気でね」と、病室をあとにしたのでした。

それから、夫とは別行動。鴨池まで市電に乗り、私は終点の谷山電停まで。
乗った電車は、右側の黄色い電車。



昔とちがってずいぶんカラフルな電車も走るようになりました(緑色の昔のも走っていましたが)
きれいな女性(夫がしきりにそう言う)が運転士だったのも時代の流れですね。

降りれば、かつての幼稚園教諭時代の同僚のM子先生が車で迎えてくれる。
夏に行ったK幼稚園新設の最初をM子先生、この前のK子先生、私でやったわけです。
ふたつの幼稚園に勤めましたが、最初の幼稚園です。
新しい園だったので試行錯誤…というよりか、新米の私は思うような保育ができず、反省の日々…情熱だけはありましたが、ただ救いは、今でも「先生」と慕って近況を知らせてくれる子どもたちがいるということです。もっとも、子どもたちは40代ですねえ。

久しぶりの再会は、積もる話も多く、初めはカフェ。



そのあと、指宿方面に車を走らせてくださり、海の見えるレストランで、元気を出そうとこんなにすごいステーキをいただきました。



やせるわけがない~!!!(う~ん、かげの声)
この食欲は、翌日の同窓会の声に繋がるのでありました

ホテルに帰ったのが22時ごろだったのでしょうか。
はからずも、夫も帰ったばかりで、爆睡だった気がします。

M子先生との語らいは、彼女の優しさをいたるところに感じ、時の流れも感じるような出来事を知り、ともに、悲しみを共有したり、笑ったり、楽しい時間でした。

子どもたちが小さいときに帰省すれば、一緒にプールに遊び、懐かしい思い出がたくさんあります。
今回、帰るときに「M子先生に会うのよ」と次女に言ったら、よく覚えていて、そのことを彼女に話せば「まあ、よく覚えているのね」と感激していました。
子どもたちは、どちらも三人で、よく遊びに行きました。
何よりも嬉しいのは私の母のことを「素晴らしいお母さん」と褒めてくださることです。
おおらかで、優しくて、知的でと…。それが、いちばん嬉しいなあ。

母を知っているってことが、嬉しいのです。

さて、1日のことはこのくらいで…。
いよいよ、次回は同窓会の話です。

おやすみなさい

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いろいろな方との出会い~ふるさと便り①~

2014-11-10 22:50:16 | Weblog
10月31日の朝、最寄の駅から横浜線に乗って座れば、隣にいらっしゃった若いボブヘアの女性が私に尋ねる。
「この電車は横浜に行きますか」「いいえ、東神奈川で乗り換えです」と私。
感じのいい方でお友達と一緒。
少し話せば、中国の方で、これから江ノ島、鎌倉へ行かれるそう。何でも、中国で働いている会社の本社が群馬にあるという。かつて行った北京の話を少しする。
「楽しい旅を」と東神奈川で別れる。

そのあと、空港で荷物を預けようと待っていれば、前に並んでいた女性が、彼女の前のカップルの女性と写真を撮っている。友達ではないなあと思って、あとで尋ねれば、そのカップルの女性は、なにか有名なブロガーで、テレビに出ていたモデルさんとのこと。確かにかわいい、そんな雰囲気。写してもらったその女性は喜んでいる。思わず「よかったですね」と一緒に喜ぶ。
その方とは鹿児島空港でもまた会い、なんでも友人の結婚式で富山から帰省したとのこと。
遠いのにいいお友達なのねえと心がほっこり。

これじゃなかったかも知れないけど、乗ったスカイマーク。


私たちにしては、本当に助かる飛行機。
あれやこれやで、叩かれたりしてたけど、頑張ってもらいたい。
乗務員はてきぱきとしていて、普段着で、優しいし、私にはこれでちょうどいい。それ以上の接待はいらない。むしろ不要。
南に北に行ったりきたりする私には安全はもちろんだけど、お値段が大きいので、他と比べると安価だというのは嬉しい。

頑張れ、スカイマーク!!

無事に鹿児島空港に着く。
暑い。

人が多いなあ。
そこからバスに乗れば、これまた、あるおば様が私の横に座る。
自然と話をする。
ああ、出会い、運命ってあるのだと思う。

叔母の家の近くが彼女の実家。平田公園の近くだという。
かつて向田邦子さんも住んだ平之町だ。
母の実家の常盤にもよく行っていたというし、現在の住まいは、茨城は牛久で友達のOさんのお住まいのところだ。
いろいろなお話をしていれば、すぐに天文館に着く。
なんだか、楽しかったなあ。

天文館です。



で、すぐにホテルへ。



もう、ほんとに便利なところにある。

ビジネスホテルだけど、飲み物のサービスもあり。
本を置いてある。
少ないけど、絵本や小説がある。本に興味があり、こういうコーナーを設けているその感性に惹かれる。本があること自体が嬉しい。



お洗濯している間に、飲み物を飲んだり、本を読んだり、いい空間を作ってある。
この、ホテルは夏も泊まった。

スタッフの方々もにこにこ笑顔で感じがよくて、朝食にさつま揚げはもちろん、郷土料理の鶏飯もある。

ホテルに着けば、ときを同じくして、夫も熊本から着く。
偶然、同じ時間でびっくり。

夫は行くところがありと…図書館へ。

私は、今回のもっとも会いたい人のMHさんに会う。
鹿児島中央駅で1年ぶりの再会。
お互いにまるで昔からの友達のようにハグ!?
以前、お仕事でお邪魔したというお店へ。

二人で飲んだ飲み物です。



彼女は地元のM放送の今年入社のアナウンサー。
ここに写真を載せたいのですが、もう、とてもかわいくてきれいな方です。
私が、何よりも気に入っているのは、彼女の前向きさと真摯さ、素直さ、努力家…本当にいろんなものを持っている方です。
お話をして、彼女の性格の良さをあらためて感じたし、温かいご家族を思いました。
彼女のくださったハンカチとティシュいれ(自分で作ったという)とてもきれいで上手です。



もう、感激です。
今日も使いました。

後日談があり、彼女のニュースと市内を案内している放送を帰省している間に見ました。
おお、頑張っている!頑張って!!とエールをたくさん送りました。
同窓会では「応援してね」と友達にも紹介。かわいいと大人気。
親友のE子さんいわく「仕事に対する真摯な態度と、情熱を感じますね。ファンになるわねえ」と。
入院している叔母にも病院の廊下で話していたら「番組を見ましたよ、上手でしたよ」とそこを通ったスタッフの方からも聞いて、自分のことのように嬉しかった。
彼女には優しさがあり、思いやりがあります。
きっとたくさんの方が応援するし、素敵なアナウンサーになると確信します。

番組の打ち合わせがあるからと19時ごろにバイバイ。
3時間くらいおしゃべりしました。
とても楽しい楽しい時間でした。

そして、天文館に戻った私は、これまたホテルの入り口で夫とばったり。
よく、偶然会うなあと思います。

その、あとMHさんに教えてもらった居酒屋「大安(だいやす)」へ。
ここの鶏刺しがおいしいと聞いて行きました。
ほんと、美味しかった。大好物。帰省したら鶏刺しを食べなきゃと思います。
鶏皮のサラダ、鶏モモやきとりと鶏刺しです。



大人気のお店で、となりの若い男性は並んだとか…。
で、となりの若い男性は、かっこいい学生さんでした。
東京大学経済学部のIくん、感じが本当にいい。
研究で鹿児島に来られて、明日はおばあちゃんに会いに市内の吉野町に行くとの由。
その話を聞いてナント優しい人だろうと思ったのです。
酔いが回ってきた夫とずっとしゃべってくれている。これからの日本、経済のこと?

私は、私の横に座った和歌山からいらっしゃったという女性に話しかけられ、いろんな話をした。「今日は指宿にゴルフに行ったの。小学生、中学生がよく挨拶をしてくれ、ドキッとしました。すごい」と褒めてくれました。看護師さんとドクターのお二人でした。

人生いろいろで、いろんなことを思いました。

Iくん、お元気かなあ。今、やっとブログを更新できました
よろしくね。

和歌山の方もお元気かしら。
さつま揚げの「秋栄」を教えました。頑張ってほしいな。

Iくん、やおら、スマホを取り出し、店員さんに写してと頼んでいる。
それを見て、嬉しくて…。
で、私も携帯で写してもらい、彼が「ブログにアップしてもいいですよ」と言ってくれたのだけど、何しろ、私も夫も写っているので、残念ながら、ブログに載せられません
彼ひとりを写したらよかったなあ…。
かっこいい好青年です。
また、東大に戻り、勉強に勤しんでいますか。
頑張ってねIくん。
「ありがとうございます」をとても自然に言われる礼儀正しい本当に素敵な方でした。

で、最後が傑作。
オーナーの女性が「どこから?」と尋ねられたので、「横浜です。でも、指宿がふるさとです」と言えば「あら、私は山川よ」と。
ああ、それからまたひとしきりお話。
山川の小川出身の方でした。
鶏刺しもとても美味しく、夫は鶏モモの焼き鳥が最高だったと、私たちはおかわりも。
Iくんがくださったきびなごの天ぷらも新鮮で美味でした。
優しいね、Iくん。

書きたいことは多かれど、幸先いいことを感じさせる31日の出来事でした。
まさしく、それから、いいことばかりですけどね。

書きながら、多くの優しい方々のお顔とお話が浮かんできて、またふわっといい気持ちになり、元気が湧いてきます。
出会った方々にありがとう。
いいことがありますように。

この辺で今夜は…また続きは、次に…。

おやすみなさい




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする