あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

3日めの「ついでこん」

2022-02-08 21:14:29 | Weblog

鹿児島の「ついでこん」がこうなりました。

夫が家庭菜園で作った大根です。大根3本分です。

日曜日の夜に室内に干し(夜だったのでやむなく・・本当は、昼であれば外がいいの)昨日、今日と外です。夜もそのまま外です。

太陽ってありがたいですね。

「ついでこん」とは「つりだいこん」のことです。

大根を鹿児島弁で「でこん」といいます。

これから、しばらく干して、カラカラになったら、湯通しをして、また干します。

この湯通しのときに匂いがたまらなくいいのです。

「ついでこん」を作るのに必要なのは、太陽と風です。

幼いときに、家の軒下にたくさんつるされて「ついでこん」ができていきました。その光景や素晴らしく寒いときの風物詩でした。

私の記憶では2月というイメージがあります。

私はひもをこのいわゆる「よま」にしましたが、鹿児島では大きくなった棕櫚の葉をさいて使っていた気がします。

大根ももっときれいに縦に切って、太い針のようなもので穴をあけて、何枚だったかなあ・・一緒に干していました。

そして、できあがったら、保存食として、お煮しめ、巻きずしの具、炒め煮などのお料理に使います。

腸にとてもいいのです。

昔の人の知恵ですね。

皆さまも作ってみませんか。

とってもおいしいですよ。

 

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梅の花

2022-02-07 23:16:42 | Weblog

仕事帰りに見た梅の花。

こんなに咲いているなんて思わなかった。

思わず、見上げる。

鶴見川の近くに梅林があるのだけど、これは道路端にあったもの。

なんだか、きれいで嬉しくなる。実際はもっときれいです。

我が家の梅の花はいつかなあと思いながら・・・我が家のも蕾が膨らんでいるけどね。

方向をかえてアップして

それから、リンガーハットへ。

今日も職場を出ると腰痛が襲う。

ドヒャヒャ~です。

だから、外食(かげの声→いつも行っているんじゃなぁい!?)

おいしかったよ。

同じリンガーハットでも微妙に味が違う。いつも行くここがおいしい。

帰宅して、横になっていたら、だいぶ良くなる。

もうちょっと上手に生活しなきゃと思う。

 

おやすみなさい

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叔母さま、ありがとう

2022-02-06 22:47:01 | Weblog

今日は悲しい。

鹿児島の母の妹である叔母が亡くなった。

103歳である。

朝、従弟のTちゃんの電話で起こされた。

時計を見れば、叔母の逝去は20分位前である。

ああ~と思う。

叔母さま、頑張ったね。Tちゃん、よく看病したね。ありがとうの思いが出てくる。

そして、子どもたちや妹や兄や従妹たちに連絡する。

次女の「きっと、Mおばあちゃん(私の母の名前)が待っていてくれるね」の言葉を読んだとき、涙があふれてきた。

 

鹿児島に帰省するたびに、病院に行って会っていた。

子どもたちのことを喜び、孫たちをかわいがり、優しさをたくさんもらった。

西郷どんの家の近くの母の実家(K山どんと呼ばれていた)の話もたくさん聞いた。

薩英戦争の話も・・・。

きれいな文字でのお葉書もたくさんもらった。

病院で「100歳を超えた人がいるから、私も頑張るぞ!」と握り拳をあげて笑っていた叔母の姿が浮かぶ。

病室で「N子ちゃん、この大学ノートに書いてね」と言われ、何かしらメッセージを書いてきた。

母の9人兄弟の末っ子。母に似ていた。

淋しい。

帰省しても、もう会えないなんて。

 

従妹たちに連絡していると、思いがけないつながりを叔母のおかげで聞けて、叔母のプレゼントかと思った。

 

音楽教師をしていた函南に住む従妹は、叔母の家の近くのN先生のお宅にレッスンで行っていたという・・・。

N先生は、大学の実習生がわが小学校にきたときに、N先生が講演をするということで、母がバス停までお迎えに行った。

母とN先生の奥様は女子師範学校時代の友人だった。

叔母もそのことは勿論知っていた。いつぞや、N先生と奥さまの話をしたことがあった。

 

N先生の話が出たので、やはり音楽で有名なT田先生の話をすると・・・

私の学生時代の担任のT田先生宅へ、従妹の学生時代(私とはずいぶん年が離れているけど)泊ったという。

T田先生は、母が男子付属小のときに、いわゆる、教生で来られた。

私の学生時代に、これまた、偶然、それがわかり「お母さんはお元気?」と言われたものだ。

T田先生もN先生も鹿児島では知る人ぞ知る音楽の第一人者であった。

 

従妹と話しながら、つながりをあらためて感じ、叔母はどこまで私たちにプレゼントをしてくれるのだろうと思った。

(皆さまにはあまりわからないと思うけど、そのつながりが不思議で備忘録として書き留めておきたいの)

いろいろな思い出がめぐる。

夜に鹿児島の「ついでこん」を作りながら、叔母との思い出が次々に・・・。

 

 

ありがとう、叔母さま。

子どもたちも孫たちもそれぞれの地で感謝し、手を合わせました。

心からご冥福をお祈りいたします。

今頃、母たちとお話しているでしょうか。

 

 

 

 

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お花に「元気に大きくなってね」と声をかけながら

2022-02-05 21:14:20 | Weblog

「庭で遊びたい」と玄関から靴をもってきたSちゃん。それを真似てNちゃんも。

夫の作ったブランコに乗り、三輪車に乗り、楽しそう。

「ゆうちゃんの公園のお手伝いをしたんだ」とSちゃん。

私が仕事の日に、夫の自治会の仕事で公園のお花植えを手伝ったという。

で、今日は我が家の花壇のお花にお水をかけてもらう。

私がやっていたらやりたいって。

かわいいじょうろがあったので、渡す。

「お花さんには声をかけながらお水をかけると大きくなるのよ」と言えば、私を真似て「お花さん、元気に大きくなってね」と言いながら、お水をかける。

そのお花はこんなお花。

他にもビオラもある。

素直にお水をせっせとかける姿がかわいい。SちゃんとNちゃんのふたり。

KIDは豆まきの大豆さがしで愉快、ほとんどお豆はなし。

あとで鳩が来ていたから、すでに食べられたのね。

あと、パセリ、サニーレタス、春菊、ムスカリなどにもお水をあげる。

お花もお野菜も喜んだ模様。

夕方、「鳩さん、おうちに帰ったかな」と言っていたSちゃん。

よく覚えているのね。

 

コロナ関係で(濃厚接触者?)念のためなのか、幼稚園がお休みでいつもより長く滞在していましたが、先ほど帰っていきました。

ふと見れば、このパソコンを開いていて「あらSちゃん」という呼びかけに振り向いたお顔にはメガネが・・・笑ってしまった。あまりにも似合っていた・・・。

そして、パソコンを閉じて「おしまい」ですって。

全て模倣からいろいろ始まります。頼もしいな。

 

今日は、Sちゃんたちは、庭で遊んだあとに近くの公園に行ったけど、その間に私は前の職場のS木さんとおしゃべり。

久々のおしゃべりはまた楽しい。

 

さて、そろそろ、私も起動するか・・・な。

創作、書評(すでに読了)短歌、読書・・・やることがいっぱい。

とりあえずは、おやすみなさい

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KIDの誕生日は佳き日

2022-02-04 23:19:53 | Weblog

私はお寿司が好きなんだなあと思う。

母に似たかな。

腰痛のときに、かわいいお寿司をアップしたけど、翌日も違うお店から夫に買ってきてもらった。

そして、今日、Sちゃんがお寿司屋さんに行きたいと言って(ガチャガチャが好き)くら寿司へ行く。

流石に平日のお昼はすいていた。オミクロンも影響あるかな。

イカが大好き。安価ゆえに食べやすい。

あれこれ食べて、娘好物の大学芋。

これが外がカリカリ、中がホクホクでおいしい。

で、私は帰宅。娘たちはららぽーと横浜へ。

私は体力なし。

娘たちは、ららぽーとから畑へ行き、きれいな夕日を見てきたという。

なんでも、Sちゃんたち、夕日に向かって走ったとか。元気ねえ。羨ましい。

 

で、夜は、今日のメインイベント。

愛犬のKIDの16歳の誕生日。

娘がさつまいものケーキを作る。「16」をニンジンでかたどって。

KIDは、わかるのか、ソワソワ。

みんなでハッピーバースデイを歌う。

KID、お誕生日おめでとう

ずっと元気でいてね。

いつも優しさをありがとう。

これからも元気に楽しく過ごせますように

 

ロサンゼルスで生まれて、娘が帰国の際に日本に連れて来て・・・。

なかなか、ロサンゼルスでは、やんちゃだったらしく、脱走してよその家に行ったこともあったらしい。全く知らない家にあがらせてもらってさがしたことも。

また、逃亡したとき、娘は「『私とはいたくないんだ。もう、いいや』と意気消沈して帰宅した。15分後位に玄関に行ったら、帰ってきていて座っていた」とも話してくれた。

それを聞いていたSちゃんと「どろんこハリー」みたいだねって。

ただ、アメリカの人は、ペットに優しくて、法律でも守られていて、いなくなったときは、たくさんの人が捜してくれたという。

KIDの頭や顔、首をなでながら、武勇伝?お茶目なKIDを想像して、初めて成田で会ったときを懐かしく思い出した。

なんて、ひょろ長い足って思ったっけ。

ヨークシャーとチワワのミックスだとあとから知った。

12時間飛行機に乗ってきたのね。

息子か犬嫌いなのにどうしようとも思っていた。

娘は帰国間際に「実は・・犬がいるの」と言うのだもの。

今、KIDが本当に愛おしい。

もちろん、息子も、今はKID、KIDだ。

娘が結婚して連れていったけど、帰ってくると嬉しい。

大事な大事な家族です

だから、今日のKIDの誕生日は佳き日でした

 

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豆まき&飴まき

2022-02-03 23:12:14 | Weblog

久々の保育園。

子どもたちがとってもかわいい。

「F先生!」と迎えてくれる子どもたちが愛おしい。

帰るときに会ったMちゃんのお母さんが「Mが家で『F先生、大好き』っていうんですよ」って。

ああ、帰るときの老体がピシャッと元気になる。ありがたいお言葉をいただいて幸せだなあ。

 

今日は豆まき。子どもたちの作った鬼のお面はユニークでどれも素晴らしい。

子どもたちは天才ですね。

 

夜は我が家で豆まき&飴まき。

SちゃんとNちゃんが来ているので、たくさんのおやつを買う。

まずは、庭に向かって「鬼は外、福は内」それから、玄関でまた「鬼は外、福は内」と豆まき。

「豆まき」の歌を歌えば「福の神ってなに」と尋ねられる。

「いい神様、いいことだよ」って簡単に話す。

ついでに私の苗字についても、いいふうに話す・・・

豆まきについても「鬼は外は、悪いことや、弱虫や泣き虫、よくないことは出ていって、いいことは入ってきてね」と豆まきのことこれまたすっごく簡単に話す。

そして大豆を食べる。Sちゃんたちはひっかけてはいけないので、省略。

私たち大人はとても数え年の数なんて食べていられないので、ひと粒を10歳に見立てて、端数は1歳として数える(ややこしい!?)

 

そのあと、むかぁ~し、子どもたちが小さいときにやった飴まきをする。

というか、お菓子まき!?

チョコレート、ゼリー、ハッピータンを娘がまいて、ビニール袋をもった私たちが拾う。

SちゃんもNちゃんも、初めはぽかんとしていたけど、Sちゃんはわかってきて、よく拾う。

Nちゃんも真似る。楽しそう。

拾ったものは自分のおやつです。

かつての新築の棟上げのお餅やお金まきを思い出す。そんなこともあったなあ。

鬼のお面をかぶれば、Nちゃん泣き出す。怖いのね。お店で夫がもらってきたもの。

丁寧にふたつ。

かって行った秋田のなまはげを思い出すけど、ほんと怖いのかもね。

でも、鬼は外、福は内。

悪いことは出ていって、いいことはどんどん入ってきてね!

皆さまにもね。

ついでに、Sちゃんたちにあげた懐かしのチョコレート(木の台にSちゃんたちの絵画あり)

小さいとき、私はこのチョコレートにワクワクしていた。

 

 

これをあげるときにおもしろおかしくお話を作ってあげれば、Sちゃんたち大喜び。

お話はKIDがチョコレートを持ってきたというものだものねえ。

さてさて、寝る前に、歯磨きはしっかりしましたが・・・あまいおばあちゃんですねえ。

おやすみなさい

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「地球は人間だけのものではない」~エコロジスト西村真琴の生涯~

2022-02-02 22:12:49 | Weblog

こんばんは。

「地球は人間だけのものではない」~エコロジスト西村真琴の生涯~畑中圭一さんの本を読了。

この本は、ブログを読ませていただいている方から知った(ブログっていいなあ)

彼は、1883年(明治16年)長野県東筑摩郡里山辺村(現在の松本市里山辺)に生まれた。

信州松本中学校に学び広島高等師範学校に進学する。

松本中学校って今の深志高校とのこと(かつて、松本を訪れたときに、案内してくれた女性がここの卒業生で、また私の教え子のAちゃんの娘さんが受験すると言っていたので覚えている)

そして、代用教員から校長、満州、アメリカのコロンビア大学、北海道帝国大学水産専門部講師から教授へ、大阪毎日新聞社へと勤め豊中市に住む。

植物採集、まりもとの出会い、・・・書き上げればきりがないけど、とにかくすごい人だ。

実に世界で活躍した人であり、私が興味があったのは、幼児保育の重要性を痛感し、保育を振興する事業にも力を注いだということだ。

大阪毎日新聞社社会事業団内に「全日本保育連盟」を結成。保育を振興するためのさまざまな事業に取り組んだ。その中に月刊雑誌「保育」の発行がある。1937年4月の創刊から1945年2月まで発行。真琴は表紙絵や口絵も描き、保育論「保育曼荼羅」の連載、科学読み物「親子理科」の執筆をした。

彼の言葉をその中の「保育曼荼羅」から。

「子供は子供で親からも、先生からも別個な存在であるということだ。つまり、特製で、独自の個性の持主である・・・」

さらに「天は子供らに一つ一つ念をこめて個性を与え、特別の才能を賦与している。これを導き育てていくことが親と先生の重要な役割」だとしている。

「動物の親に学べ」

「生きているもので、人間も心に一番強い刺激を与えるものは、動物の子を育てる姿である」

「保育」の中のこの「保育曼荼羅」のエッセイのほかに「親子理科」の読み物も書いていたという。

「さとぽろ」「魯迅」「鳩」「ロボット 学天則」中国からの孤児を養育、詩人、画家、童謡・・・口絵、カット・・・

いろいろなことをして、本当にすごい人だと思う。

かつての水戸黄門役の西村晃さんは息子さんだとのことだ。

うまく、表現できないけど、よかったら、ご自分で読んでほしいと思う。

彼の時代に幼保一元化を言っていたということもすごいなと思う。

日本にこういう人がいたということに驚き、素晴らしいと思う。

そして、西村さんは多くの方にたくさんの影響を与えた・・・。

そして、今の日本もある。

 

腰はおかげさまで、だいぶよくなりました。

スムーズに立って歩けることが嬉しい。

当たりまえのことができなくなると、当たり前のことが尊い。

皆さまもお気をつけてくださいね。

おやすみなさい

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かわいいお寿司

2022-02-01 21:28:15 | Weblog

安静って大事ですね。

ダラダラ過ごしていましたら、だいぶ、腰痛はよくなりました。

昨日の朝は、お布団から立ち上がるのもたいへん。

かつてのぎっくり腰を思い出しました。

それに比べれば、今回は軽いほうかもと思います。

明日もゆっくりするつもりです。

夫がかわいいお寿司を買ってきてくれました。

おいしかった!

夫は、今、サッカーを観て、また、ニュースで楽しんでいます。

 

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