陽炎日記

日々の出来事を中心に綴ってます。

「光る君へ」

2024-07-21 20:53:42 | Weblog
<「えっ、うそ」あまりに急な、突然の別れ 定子の最期に視聴者ショック!「心の準備してなかった…」    MANTAN WEBより>         
見終わって、最後の部分はまあ仕方ないかと、史実だし…
一条天皇の落胆気味の涙が秀逸だったかも。それだけ愛していたから。

その前にまひろに子が生まれ夫の宣孝 に名前を付けてもらって、
「賢子」とつけられた。まひろのように賢い子であってほしいとの思いで
つけたようだ。まひろは戸惑った顔をしていていたが…😏 

一方、道長は入内させた娘の彰子を中宮に入れた。
凄い盛大な儀式だったな~😲 
彰子の衣装はさすがに見栄えの良い長い裾が印象的だった。
道長夫妻はその姿を端の方で見守っていたが…
しかし彰子は一条天皇の言葉にたいしてそっけない返事をしていた。
自分の意志というか、そういうものを感じない。
感じさせない態度をとっている役者の技量も感じたが…
これからのびしろのある役者になるのではないかと感じたほど感情を
表さなかった。凄いというしかない!

それからの定子の死の件…桔梗が伊周に告げるところが…泣けるよね。
妹の死をどうやって伊周は受け入れていくのだろうか…

忙しくて道長も倒れたんだっけ…(話が飛んですいません😓
あれ?道長の側室さんの所に赤ちゃんいたよね。
おいおい道長いったい何人子供ができたの?本妻倫子に子供二人だっけ?
側室の所に4人、まひろに一人で7人子供がいたの?かなりおさんかんなこと
と言いたいが…これが普通だったのかもしれないね。
まひろの夫宣孝にも4人ぐらい子供いたらしいから…
この時代の男性はやっちゃったもん勝ちだったのか?😁 
どちかというと自分の家を大きくするために、女のところに通ってという
風習だったからな~。いちがいには言えない部分もあるかな~。
『藤原氏』という一門のために遠縁の女御を娶る風習だったからね。
宮中に仕える人たちの娘さんたちを選ぶ率は多かったとか。
まあ身持ちの良い人を選んでいたのは否めないとは思う😁 

さてさて、一条天皇ももうすぐ亡くなるとは思うが…
まひろや宣孝夫婦はどうなる?まひろの父が京都に戻ってくるのはいつ?
これからのストリーも楽しみ。

道長の母詮子も亡くなるはずだが…来週か?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする