あきここの豆だいふく

VIVA 日常の嗜好品

石垣島

2007年03月15日 | 日記
この頃、川上弘美さんの『此処、彼処』(場所に関するエッセイ)を読んでいるせいか、よく昔のことを思い出す。

私の中で一番印象深い「場所」と「時」は母と離れて石垣島のバーバーの家で暮らした1年だ。

以前、日記で「幼稚園を1日で辞めた」と書いたことがある。
なぜか沖縄は就学前の一年は幼稚園に通うというのがスタイルだったようで、私のように母親が仕事をしていると、幼稚園を終えて保育園バスに乗って午後から保育園へ通うWスクールも珍しくなかったようだ。

引越しに伴って慣れした親しんだ保育園が変わり、加えて幼稚園にも通うこととなった。

幼稚園初日。(いや、もしかしたら2日目だったのかも)
引越しの手伝いに来てくれていたバーバーと一緒に幼稚園へ行った。バーバーは私を幼稚園に預けるとすぐに帰ってしまった。
クラスでは椅子を輪にして皆がいつもの朝の歌を歌っているのを見たら、無性に悲しくなって幼稚園を抜け出して家に帰ってしまった。

「幼稚園には行かなくてもいいから、保育園には行きなさい」
多分、そんな風に言われたんだと思う。

でも、保育園には「”寝ない子は手をガジガジ(噛む)するぞー”と言うおじさんがいるかだいやだ。私は手なんか噛まれたくない!!!
もう、保育園も幼稚園も通わないで毎日毎日1人で家で暮らして待ってる」と言って断固保育園も拒否。

今考えたら、多分ふつうに子供をかわいがるおじさんだったんだろうけど、私にはヒゲジョリジョリのむさい、いやなおじさんにしか思えなかったのである。

その2つの理由で幼稚園も保育園も辞めた。

翌日は私1人で家で暮らしていたと思う。
車の音がすると母ではないかと窓の外から叫び、暑い家の中で1日中泣いていた。

様子を見にお昼休みに帰ってきた母は、おいおい泣いている私を見て、翌日、実家に私を預ける決意をしたのだろうな。まぁそうするしかなかったよな。

 ***

1人で飛行機に乗って石垣島へ到着。

翌日からジージーとの格闘が始まる。幼稚園へ送っても送っても走って帰ってきてしまうのだ。

ジージーはそのたんびに自転車の荷台に私をくくりつけ幼稚園へ送る。毎日毎日その繰り返し。

お弁当にさくらんぼを必ず入れてくれるという条件で幼稚園へ大人しく通うようになった。あの缶詰のさくらんぼが大好きだったのだ。
程なくして友達もできたし。

それでも幼稚園へ行きたくない日はあって「お腹が痛い」と言うと、バーバーは「右手でお腹をさすりながら行くと幼稚園へ着く頃には治っているよ」と言うので試しにやってみたら本当に幼稚園に着く頃には治っていたのでバーバーってすごいな、と思った。

石垣島にはたくさんの埋立地や工事現場があった。テトラボットの中にはなぜかいつもエロ本が落ちていた。近所にあった具志堅用高の実家でピンポンダッシュをして遊んだこともあった。雨の日犬にエサをあげたらいつまでもついてきて困ったこともあった。庭になっているバナナを盗んで怒られたこともあった。島にビューティペアが来ていて、どうしても見たくてテントにもぐりこんで怒られた。おたふく風邪でも元気に長縄をした。ジープでアメリカ兵が来ると「キブミーアチョコレート」と言った。プリンプリン物語が始まると家に帰らなくてはならなかった。

そんな1年。

2月。母親の都合でいきなり大阪に呼ばれた。(那覇にいたはずなのにいつの間にか大阪に移動していた)

幼稚園の先生が「akicocoさんとは今日でお別れです。記念に歌を歌ってもらいましょう。akicocoさん、前へ」そういきなり言われて、私は2月なのに♪こいのぼりの歌をみんなの前で歌ってお別れした。
なんで私が歌うの?皆が歌ってくれるなら分かるけど。とずっと思いながら歌った。このことは今でも腑に落ちない。

 ***

のんたんにはどんな幼少期が待っているんだろう。