20代の学生の頃,東大のコンクリート研にたくさんいた留学生たちを見て,すごい人たちだなと思っていました。
まさに国を代表するようなエリートたちだったと思いますが,とてもかなわないな,と正直に思っていました。一方で,将来は大学の研究者,教育者を目指すつもりで博士課程に進学した私は,そのままではいけないことも自覚していました。どうすれば,彼らと闘っていけるのか,無意識のうちに考え,実践してきたのだと思います。若いときに本物のエリートたちを身近に見れたことは貴重な経験でした。
今や,研究室は異なりますが,私も同様の,文部科学省に支援された特別プログラムの留学生を指導する立場にありますので,15年くらい前の私とは実力も全く異なりますが,その経緯について。
ある特定の課題をやらされれば,いまだに私は彼らには到底かなわないのかもしれません。数値シミュレーションによる構造解析など。
しかし,総合力では劣るとは思ってません。最近,とても仲の良い,カイロ大学教授のハメド先生は,私の3つ上の先輩ですが,今はお互いの実力を認め合って,共同研究も行っています。ハメド先生とは津波による橋梁の被害の数値シミュレーションの研究を行っています。
JR東日本で数年間鍛えていただき,研究そのものが大切なのではなく,実際の構造物が良くなることが大事である,と骨の髄にまで叩きこまれてきました。数えきれないほど酒を酌み交わしながら。
そして,その後も山口県のひび割れ抑制システムや,東日本大震災,東北の復興道路の品質確保,などを経験させていただいて,実社会のための基礎研究,という意識も自分の中で強く,常に思いながら,日常業務を行なえるようになってきました。
また,多くの研究委員会にも所属させていただき,勉強させていただき,自分の中の「無知」コンプレックスも「無知の知」の喜びへと昇華できるようになってきました。
すべての「課題」「問題」がチャンスであると捉え,問題解決のプロセスで実力が磨かれていく。毎日が刺激的で,日を重ねるごとに様々なことが統合されていく。
やはり日本の技術力はすごいと思うし,個々の日本人の能力も高いと思う。日本は課題だらけであるけれど,それをチャンスと捉えれば,これほど鍛えられる環境もそうはありません。
プラグマティズムを発揮すれば,これだけの課題社会であるからこそ,問題解決が日常的に要求されるので,人財が育つ。
15年前は太刀打ちできなかった途上国のエリートたちにも,私のような現代の日本人も決して負けないように,もしくははるかに凌駕できるようになる。
私はこれからも徹底してチャレンジを続けますが,とにかく現実の課題にアタックしていくチャレンジ精神と,個々人がバラバラに格闘するのではなく,プラグマティックに統合を常に意識すること,それが我が国にとって非常に重要でありましょう。