一つ前の「マネジメント」の記事とも関連すると思いますが、仕事をしていく上で多くの「判断」が求められます。
判断とは、いくつかの選択肢の中から選択をする、ということですから、仕事に限らず生活のほぼすべてのプロセスで判断していることになります。
特に責任の重い人の判断は、プロジェクトの成否を決めたり、組織の繁栄・衰退に大きく影響したりします。
そして、判断するときに、その人の価値観や基本原則が他の人にも見えるものです。
私もいろんな人の判断を見てきましたが、心底感心する判断にも何度も遭遇してきました。どうしてそのような判断をするのか、価値観や基本原則とともに説明してくれた恩師、師匠、先輩もたくさんいました。また、「7つの習慣」等、価値観や基本原則を構築、ブラッシュアップしていく努力も、これまで積み重ねてきました。
ですから、私には他人が判断するときには、その人の価値観や基本原則が見えます。そして、何度も判断の場面を見る身近にいる人の場合、信頼できる人と、信頼できない人を見分け、私の接する態度(本気度)も全く異なることになります。(後者の場合、お付き合いする必要がない、と思ってしまう。)
もちろん、どの人も自分の価値観、基本原則に基づいてベストの選択をしているのだと思います。わざわざ悪い選択をしようと思う人は少ないでしょうから。
ですが、人の価値観、基本原則には信じがたいくらいのばらつき、幅があります。これはどうしようもない事実です。
そして、基本原則がどっしりとしている人から見ると、そうでない人の判断はぶれて見えます。一貫性が無いのです。もしくは、明らかに自分が良くなるように、という意思が見え、しかも短期的な視点で判断していることが多いです。
ぶれない、ということがある意味では大人、ということでしょうか。
もちろん、私自身の判断が非常に多くの方々に見られていることも意識していますので、このようにブログを書き続けることも私の価値観や基本原則を明示する大事な行為ですし、特に後輩の方々(まだ、変化していける若者たち)には、なぜそのような判断をするのか、その背後にある考え方とともに説明するように心がけています。