土木チャンネルでの藤井聡先生と浜崎洋介先生の対談で、馴染むこと、待つことの重要性が語られていました。
私は、パリでの通勤では、メトロとRERのA線を乗り継いでいますが、特にメトロの中の時間を気に入っています。それが、「馴染む」ということととても深く関連していることに気付いたのでまとめておきます。
メトロの6号線で、おそらく車両はメトロの中でも最も古いと思います。ドアの開閉は、手でレバーを回転させる必要があるし、座席もオンボロ、おそらく扇風機以外の冷房もありません。 乗り心地も異常に悪く、PCでの仕事は絶対にできません。ですが、このメトロの中での朝の時間が、私にとっては思考のためには最適の時間なのです。なぜなのか、今朝の通勤でじっくり考えていました。
まず、乗っている時間が長い。始発は凱旋門のあるEtoile駅ですが、5駅目のBir Hakeimから乗車します。長女を通学バスに送った場合は、隣駅のDupleixから乗車します。そして、終点のNationまで乗ります。Bir Hakeimからだと22駅。乗車時間にすると30分程度だと思いますが、長い。もちろん座れる。狭いですがボックス席で窓側に座るのが好きです。これが第一点。
そして、メトロなのですが、この区間は地上区間が多い。景色が次々と入れ替わり、朝の人の生活の営みも見える。 駅間が非常に短いので、テンポが良い。リズムは大事です。ずっと高速で走り続ける列車よりも、頻繁にテンポよく止まる列車の方が、長く乗る場合には思考には適しているようです。さらに、終点まで行くので乗り過ごすなどの余計な心配をしなくてよい。どっぷりと思考に浸れる。もちろん、ほとんどの場合、好きな音楽を聴いています。
写真1 私の好きなオンボロのメトロ6号線のボックス席。窓の外に、高架橋の鋼アーチ橋も見えています。
写真2 Bercy駅に到着する直前のセーヌ川。斬新なデザインの歩道橋も見えます。
それから、列車や線路システムがボロいこと。メトロの6号線の構造物(鋼アーチ等)はしょっちゅうメインテナンスをしています。しかも、6月末からは何と2ヶ月間も、私の最寄駅を含むある区間が運行停止になり、集中メインテナンスをするそうです。このように、古いシステムを手をかけながら使いこなしている状況をいろんな角度から知っています。だから、オンボロの列車で乗り心地は悪いのですが、何か落ち着くのです。
そして、もちろんメトロの中は様々な人種がいる空間ですが、私自身がすでにパリの都会での生活に馴染んでいることももちろん大きいです。
最後に、朝のそれなりに慌ただしい家庭の準備を終えて(これはこれでクリエイティブな仕事)、メトロに乗って一息付いている、という心の余裕もあると思います。RERは職場の最寄駅に着くので気が引き締まるのですが、メトロでは次に乗り換えもあるので、より解放感があるのかなと思います。
まだ要因はあるかと思いますが、これらの結果、メトロの中では他の場所よりも格段に思考をすることができます。
藤井先生、浜崎先生の対談でも、現代人は「待つ」という時間を持てなくなってきている、と憂いておられます。私もそう思います。とにかく時間の浪費をしないように社会があくせくしている。特に、インターネット社会となってからさらにスピード感を増し、スマホが出現してからは、特に日本では私のメトロでの時間のような過ごし方をしている人は激減し、メール、Web、ゲームなどに興じる方がほとんど。異様な光景です。LINEとやらは使う気が全くしませんが、さらに悪い方向に加速させるツールでしょう。そんなにあくせくして何をどうしたいのか、明確に語れる方はいるのでしょうか。
また、「馴染む」ということが重要。現代社会はとんでもない社会だと思いますが、それでも馴染むことはできる。日本は、古くなったら捨てる、古くなったら造りかえる、という良くない文化?が蔓延しており、メトロ6号線のように、使いこなしていくということがやはり重要なのだと思います。そうすることで、一見汚い都市であっても、何らかの愛着なり、先人への感謝の意、子どもたちを守る覚悟、将来への希望などを持つことができるのだと思います。馴染むためには、どうしても時間が必要です。待つことが必要です。
フランスでは、私はスマホでのインターネットを使っていません。それもあって、メトロでの有意義な時間を発見することになりました。
日本では、私も相当なタフスケジュールの中で生きていますので、どうしても効率を求めてしまいがちなのですが、それにより失うことがとても大きいであろうことに、気づかせてもらいました。
もう一点、今朝、RERに乗り換えた後の時間で思ったことは、「実践」を信条とする私ですが、人から教わった概念、考え方などを、必ず自分の生活、プロジェクトの中で実践して、真髄を体得しようとするのが、やはり私の特長なのだということです。 実践することで血肉となり、自分の言葉で語ることができる、ということです。今後も貪欲に勉強し、実践していきたいと思いました。
2013年3月19日に、横浜国立大学の都市イノベーション学府の修了イベントの一つとして、藤井聡先生と公開の対話をさせていただきました。
藤井先生がゲストで、私がホストという設定でしたので、私が話題を振りながら、藤井先生にお話をいただく、という基本構成でした。
その中で、人間が、特に日本人が、本来やるべきことをしっかりとやっていく原動力は何か、というような話をしていたときに、藤井先生は「恥の心でしょうねえ」とおっしゃいました。私は、そのときはその考えがしっくりと来ず、「そうですかねえ」と返してしまいました。
この間、日本出張の最終版6/9に東北地方整備局での官学勉強会があり、そこでの懇親会で、よく知っている女性職員から「細田先生のそのモチベーションはどこから出てくるのか、といつも思ってるんですよ」と聞かれました。そのような問いは以前からよく受けます。
自分なりのモチベーションを保ってきたことは以前から変わらないのですが、その根源が少しずつ変わってきているように思います。今は、藤井先生の言われた「恥の心」がかなりしっくりくるようになりました。
今、私たちが最前線で取り組んでいる東北の復興道路の品質確保の問題は、かなり重要な問題であると認識しています。我が国の建設業が、明治の会計法以来の公共調達、品質確保の歴史の中で、相当に大きな転換点を迎えている状況での、品質確保の真剣勝負です。我が国の歴史の一部であることを明確に意識して、先人たちのご努力への敬意を心にしっかりと抱いて、私自身にできることをすべてやろうと決意して取り組んでいます。
その根底には、確かに「恥」があります。偉大な先人の方々に対しても、決して恥ずかしくない行動を取りたい。そうしないと自分自身が最も後悔することを知っています。それが強力な原動力です。
一方で、私は、みんなが心から笑って、本分に気付き、本分を果たすという協働の状態を心から心地よく感じます。人間らしい時間を過ごしていると心から思えるからです。そのような協働の状態の構築に、私が役立てるのであれば、まさに本望です。それは私の非常に得意なスキルであるので、全力を尽くします。本当にやりたいことだから、モチベーションという次元ではなく、自然に全力を尽くせます。
「恥」の概念を認識できるためには、成熟する必要があると思います。1年ちょっと前の私に比べ、少し成熟した、ということでしょうか。大人になるということは、いろいろなことが見えてくる、素敵なプロセスです。