昨日は、「土木史と技術者倫理」の5回目でした。あっという間に5回目まで来た、という感覚です。教えている側も楽しいからでしょうか。
崩壊していく、大学での教養教育において、この科目は私たちの学科から提供される数少ない全学教養科目の一つです。もう7年目ですが、今となっては私にとって、大学という学問・良識の場を守るための闘いの場とも言える大事な場になっています。
今回のテーマは、「都市の巨大化と環境問題」。毎年、30分程度で、日本の歴史で史上最悪とも言われる産業廃棄物の不法投棄事件の話を折り込みます。例年は、この回辺りから、学生たちの当事者意識が強くなり始め、当初はうさんくさいと感じていた講義、講師への信頼感も醸成され始め、毎回の学生のレポートと私との対話も深くなり始めます。
今年は、第二回に高崎哲郎先生を講師にお招きしたこともあり、このテーマを待たずに学生たちの意識は高まっていたので、より一層、今回のテーマは学生たちにも重く響いたようです。
毎回、講義を始める前に、重要なキーワードを提示します。この講義の全体を通してのキーワードになるものも少なくないので、学生たちの中には、徐々に多くの視点を獲得しながら、本質的な問題を多角的に、多層的に見ることができるようになる人も出てきます。
今回のキーワードは、「当事者意識」と「大衆性」でした。
「大衆性」については、哲学者のオルテガの話もし、誰にでも宿る精神性であり、二つの分かりやすい言葉で特徴を説明すると、「傲慢さ」と「自己閉塞性」であることを説明します。大衆的な人は、ハイデガーのいう「非本来的な人間」であり、非大衆的であろうとすることは、本来的な人間であることも冒頭に説明します。
豊島(てしま)の事件を通して、学生たちも私も、世界最大の巨大都市に住んでおり、生きているだけで環境破壊という罪を背負っているまさに当事者であることを深く自覚するようになるようです。この事件が解決に向かっているポイントも、豊島の住民で香川県議会議員も務めた石井さんに私が教わったのは、住民の当事者意識が高まること、でした。住民が自分の言葉でこの問題を語れるようになることが、結局は解決に向かっていく最重要のポイントであった、と石井さんは教えてくれました。
また、物事すべてに、良い点、悪い点、表・裏があることもこの講義辺りから明確に、具体的に伝え始めます。
私たちが築くべき、「豊かな社会」とは何なのか。答えは一つではないのかもしれませんが、それなりに社会的な合意を取りながら私たちは前進していく必要があると思います。この講義では、学生たちそれぞれが、この問いに対して真剣に、深く考えてもらうための題材を、土木、文明の歴史を通じて提供していくことになります。