細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

学生による論文(51)「継続と証明」 西浦 友教 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-10 10:07:29 | 教育のこと

「継続と証明」 西浦 友教

 今日の講義のスライドの中に次のような言葉があった。

 「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ、という格言があるそうだが、私個人では、学ぶのは歴史と経験の両方でないと、真に学ぶことにはならないのではないかと思っている。歴史は知識だが、それに血を通わせるのは経験ではないかと思うからだ。」

 私は、この言葉は少し不十分であると感じた。以下、その理由とそこから浮かび上がってくる私の考え方についてまとめたいと思う。

 始めに、上記の言葉が少し不十分であると感じた理由についてだが、『「経験」の先に「継続」という一枚の壁のような存在がある』という私の中の考えが影響している。歴史という素晴らしい知識から学び、その知識を経験に活かすことで現代でも新たに学びを得ることにつながり、それが真に学ぶことになるという経過はよくわかる。しかし、私はこの真の学びの先に「継続」が無ければ歴史や知識など、そこから得られる学びに血を通わせることはできないと考える。

 私の好きな考え方に「継続は力の最大証明」というものがある。これはよく聞く「継続は力なり」という言葉と似ているようで少し異なるものである。自らの決めた道を、恰好はどうあれ歩き続けてきたということは自身の持つ力がどれほど大きいかを証明するのに最高である。また、そうして継続していくことを最後までやり遂げた者にだけ、継続が自らを成長させてくれたという意味での「継続は力なり」が当てはまる、という考え方である。人間、何か一つのことをやり続けることはとても大変なことで、人はすぐに新しいものへと手を伸ばしたくなる。さらに、いつだって隣の芝生は綺麗な青色に見え、時には青色を通り越して、紫にも赤にもオレンジにも見える。しかし、その中でも歯を食いしばって、淡々と黙々と「継続」を続けることで、自分の中の大きな力の存在を証明することができ、また、その先にある自身の成長につながり、最終的には自分の糧となってきた学びに血が通うのだと考える。

 この、「継続は力の最大証明」はインフラにも言えることである。インフラは、私たちのような土木を学んでいる人以外の一般の方々から大きな注目を浴びる機会は少なく、「存在して当たり前、継続させるのが普通」などと思われているかもしれない。しかし、思い返してみると一昨日も昨日も今日も、私たちの生活が成り立っているのは何年も、何十年も前からインフラが「継続」して存在しているからである。まるで「継続は力の最大証明」と主張するように今日も私たちの生活を支え続けてくれているインフラから、歯を食いしばっているかのような力強さを改めて感じ取ることができた。


学生による論文(50)「皆を幸せにする「道のり」とは」 中村 優真 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-10 10:06:16 | 教育のこと

「皆を幸せにする「道のり」とは」 中村 優真

 今回の授業では、古代ローマの情報通信、文化交流、安全保障などの根幹を担っていた街道のうち、特にアッピア街道は、「できるだけ早く目的地に着く」ということに重きを置いて、「直線的に結ぶ」ということに強い執着をもちつつ作られていたことを学んだ。

 都市と都市を結ぶ道路や鉄道が生まれるとき、そこには必ずどこを通るか、という議論が生まれる。そこには、その「道」が何を目的としているかのほかに、地形の制約、用地買収の難易度、建設した当時の技術力、災害へのリスク、また政治家や地域住民などの「声の大きさ」などが反映されている。

 たとえば東海道新幹線の場合、多くの区間は戦前に計画された機関車による高速鉄道である「弾丸列車」のために確保された土地を利用して建設されているが、この「弾丸列車」において想定された最高速度は現在の新幹線の最高速度と比較しても低い200km/hとなっていて、カーブの最小半径はのちに作られたほかの新幹線よりも低く、これが現在も東海道区間内での300km/h運転を阻む大きな要因となってしまっている。もっとも、弾丸列車計画当時の鉄道の最高速度はせいぜい100km/h前後で、200km/hの設計最高速度は異次元のものであったのだが、現在は車両の技術の進歩に先を越される形となった。一方で、当時世界銀行に借金してまで作った新幹線において、この用地利用はコスト縮減、また工期の短縮には役立ったといえるだろう。

 岩手のJR大船渡線の例を見てみよう。ここは、沿線各地の政治家が、地元への駅建設を要求した挙句、不自然に北方向に遠回りし、曲がりくねったルートになり、のちの世になってその曲がり方から「ドラゴンレール大船渡線」の愛称までつけられた。このような各所の政治的な力によって、両端の都市間を最短で結ぶ上では不都合なカーブなどが生まれてしまう場合もある。一方、現状の行政システムでは、一定以上の利用者数が確保できないとこういった地方のローカル線はどんどん廃止されていってしまっている状況で、このように村のあるところを多く経由して乗客を「回収」していく形をとらないと、ただでさえ少なくなってしまっている利用者がさらに減って路線の維持にとって不都合になるという面もあるのかもしれない。

 このように、「道のり」を決めるのにはさまざまな要素がかかわり、一筋縄ではいかない問題であるといえるだろう。ただ、どのような道のりを選んでも、高速輸送や途中の地域間輸送など、すべての需要を満たすことは難しいだろう。では、どのような「道のり」がより多くの人々にとって移動の自由を広げ、地域に広く恵みをもたらすものなのだろうか。

 都市内交通というここまでとは毛色が違った例になってしまうが、ほかの授業において、韓国のソウルでは、都市内のバスを「幹線バス」「支線バス」に役割分担し、「一本ではすべてのニーズを満たすことはできない」と割り切ったうえで、乗り継ぎの利便を図る形をとることによって市内全域の利便性を高める形をめざした。日本国内でも、北海道新幹線の新函館北斗駅では、全線開業後に札幌までスムーズに通す上でネックとなる函館市街は通らずとも、函館駅とを結ぶ快速列車の「はこだてライナー」と一部は同一ホームで乗り換えできる形をとり、利便をはかっている。

 このように、「ひとつのルートで結ぶ」ことにこだわりすぎず、乗り継ぎの利便を図りながら全体の利便を確保しつつ、それでいて主要幹線は速達性を重視するのが個人的には良いと考える。「道のり」を決めるうえで地元の意見を無視することはもちろんできないが、それに流されすぎず、一本のルートだけでない視野での利便性向上のかたちを考えるのが大切と思う。

 


学生による論文(49)「東海道を歩いた経験から考える質の高い道路ネットワークの重要性について」 白岩 元彦 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-10 10:04:50 | 教育のこと

「東海道を歩いた経験から考える質の高い道路ネットワークの重要性について」 白岩 元彦

 私は質の高い道路ネットワークを整備することが非常に重要であると考えるともに、質の高い道路ネットワークをつくるためには最新の土木技術が投入される必要があると考える。この論文では、この主張について自ら東海道を歩いた経験から2つの印象に残っていて、東海道の難所を言われてきた箱根峠と宇津ノ谷峠を取り上げて論じたい。

 一つの場所は箱根峠の石畳である。箱根峠では江戸時代に実際に東海道として利用されていた石畳と散策用に整備された石畳を歩くことができた。散策用に新たに整備された石畳はただ地面に埋め込んだだけの道のように感じたが、江戸時代に作られた石畳は一つひとつの石が大きく、その石の断面が地面とまっすぐ水平に整えられていて非常に歩きやすかったのが印象的だった。石畳の違いが歩きやすさにそれほどまでに影響を及ぼすのは信じがたいかもしれないが、江戸時代の石畳はまるでコンクリートの道路を歩いているような快適さと安心感があった。江戸時代の主要な移動手段は徒歩であったことから、傾斜がきつい箱根の峠を歩きやすいように整備する必要があり、石畳の断面を平らにして歩きやすいように工夫したと推測する。歩きやすければ歩きやすいほど疲れにくいため、その分できるだけ早く大量を消費せずに目的地に到着することができる。この経験から私は質の高い道路ネットワークを整備することが極めて重要であると考える。

  二つ目の場所は静岡県の宇津ノ谷峠である。講義の中で細田先生は可能な限り早く目的地に着くための手段が道路である紹介されていた。私は宇津ノ谷峠を歩いて峠を超えた経験から、可能な限り早く目的地にたどり着く質の高い道路ネットワークを構築するためには、その時々の時代の最新の土木技術が投入して、道路ネットワークの質を高めていく必要性を実感した。

 宇津ノ谷峠は静岡県の静岡市と藤枝市の境にある峠である。豊臣秀吉の時代に作られた山の斜面に沿った道をはじめとして、明治、大正、昭和、平成に作られた5本のトンネルが存在し、現在それらの隧道は宇津ノ谷隧道群として重要な土木遺産として保存されている。

 この峠に初めてトンネルが出来たのは明治9年である。工事は手掘りで進められ、作業人員は延べ15万人にのぼった。ところが坑道内を照らしていたカンテラからの出火によって崩落してしまったため、現存する宇津ノ谷隧道はこれを改築した二代目である。私はこの二代目のトンネル歩いて通行したが、トンネルの上の部分は新しいレンガに付け替えられていて、このルートが必要であるために改築されている様子を感じられた。明治時代は馬車や人力の大八車などが主な輸送手段であったが、大正・昭和になると自動車時代へ移行する。このため新たなトンネルが必要となり、大正15年に車が走行できるように谷を西にずらし、標高を下げた場所で三代目の宇津ノ谷トンネルが開通した。さらに戦後になるとモータリゼーションの波は一層加速し、将来的な交通量の増大と高速化を見越して、新たなルートと新トンネルの建築が決定、二年の工期を経て昭和34年、竣工を迎えた。四代目のトンネルは全長844メートル、幅9メートルで、15分かかっていた逆川から岡部町川原間をわずか数分に短縮した。五代目となる新宇津ノ谷トンネルは四代目のトンネルの南側に建設され、平成7年の開通と同時に前後の道路も四車線化した。

 手掘りで15万人の作業人員をかけた明治時代から機械化が進み、約2年で完成した平成のトンネルではその完成までの労力を減らしつつ、トンネルの断面の大きさも増大してきた。また、いずれの時代においても、それぞれの時代の最新技術が投入されていてきたことが分かる。そこには東海道の交通を少しでも早く大量にできるようにしようとした先人たちの努力があり、日本の大動脈である東海道を質の高い道路にすることが必要であるかを示唆していると考える。日本の山がちで特殊な地形のためアッピア街道のようにひたすらまっすぐに街道を整備することはできなかった。しかし、こうした地形だからこそトンネル建設の技術を向上させることができたともいえるだろう。

 日本はこうした道路や鉄道に対して求められている当たり前の質の基準が非常に高い。当たり前のように定刻通りやってきて都市間を高速で移動することができる新幹線や、無料で自動車を運転できる道路などを建設するためには莫大な人間のエネルギーが使われている。便利の裏側にある先人たちの地道だが偉大な仕事のありがたさを認識し、もっと感謝するべきではないだろうか。

参考文献
国土交通省 CHAN-TO ちゃんとアカウンタビリティ 宇津ノ谷隧道
(https://www.mlit.go.jp/tec/accountability/pickup/legend/utunoya.html)


学生による論文(48)「馬車のない国」 佐藤 鷹 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-10 10:03:40 | 教育のこと

「馬車のない国」 佐藤 鷹 

 ローマ帝国はパクスロマーナと呼ばれるときにあれほどまで街道を整備し、かの広大な領域の安全保障をものの20万足らずの兵士で支え続けることを可能にした。こうしたローマ帝国の技術や先見の明は凄まじく、他の国がそう易々と実現できる類のものではなかったであろうことは、今に生きる私でさえも容易に想像できる。ローマ街道整備への彼らの熱の入れようと、日本人の日本の街道に対するそれを比較して考えると、理由は様々あるのかもしれないが、私はやはり馬車があったか否かが大いに関係していると思わずにはいられない。今回は日本に馬車が普及しなかったことについて述べたいと思う。

 日本の歴史の中で、“馬”と言ったら戦国時代を想起する人が多いだろう。群雄割拠の時代をたくましく生きる武将たちにとって馬は非常に大切であり、当時活躍した名馬は帝釈栗毛や黒雲など、名前が残るほどであった。また律令の時代からは駅伝制もあった。これは大陸から伝わってきたもので、かのローマ帝国でも利用されており、道沿いに一定間隔に置かれた施設の馬を利用して、リレー方式で情報を伝えた。ただ両者の馬の運用に共通しているのはどちらも純粋な乗用目的ではないということである。仮に純粋な乗用目的で使われた場面を他に想像しても、それは武将や大名などの位の高い人が一人で乗るようなもので、一般庶民にとってはとても自分たちが乗るものだという意識はなかっただろう。

 また今は馬に直接人が乗る話をしたが、馬にモノを引かせる文化がなかったかというとそうでもない。ただ、あるにはあったのだが、それは日本の東、すなわち関東・東北に限定された。日本では上代から動物を農耕に使用するようになったのだが、これらの地域では馬に農耕具を引かせて田畑を耕したのである。では当時の政治の中心であった西側では何の動物が使われたかと言えば、牛であった。こじつけだと言えばそれまでだが、西牛東馬の文化と当時の畿内の場所という地理的状況も関係しているのかもしれない。

 そしてさらに言うと、当時の日本には馬を去勢するという文化、そして技術がなかった。そのため戦国武将たちは気性の荒い牡馬を乗りこなしていたことになる。一方ヨーロッパやモンゴル帝国などでは軍用と農耕のどちらの馬も去勢するのが一般的であったので、大陸人にとってみれば日本の馬が去勢されていない事実は異例なことであり、時代の節々に日本にやってきた外国人たちの多くは日本の馬の気性の荒さに驚愕したそうである。だから日本人にとってみればそもそも馬は気性が荒いものという感覚があり、それが引く車に揺られて優雅に移動するなどと想像することはほとんど無理だったのだろうと思う。

 以上、日本で馬車が普及しなかった理由について考察した。日本に馬がいなかったかと言えばもちろんそうではない。ただその運用方法が幾分限定的であり、地域性や去勢の技術、馬に対する人々の考えなど、様々な部分において馬車が発達する土壌のものではなかったようである。今回は推察によるところが多くなってしまったが、今後も歴史を紐解くことにより物事を覗く努力をしてみようと思う。

参考文献
鶏肋太郎「日本の馬(戦国期の軍馬)が気性が激しかった理由」
https://senjp.com/gunba/
(2021年12月3日閲覧)


学生による論文(47)「道とは」 齋藤 佳奈 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-10 10:02:19 | 教育のこと

「道とは」 齋藤 佳奈

 道とは何なのであろうか。今回の講義を聞いて疑問に思った。人や車などが往来するために作られた場所というのが簡潔な説明になるだろう。道と聞いて多くの人が初めに頭に思い浮かべるのがこの意味だと思う。
 
 しかし、日本語で「道」と言った時にはこのスペースとしての道以外の意味も沢山持っている。目的の場所に至るまでの経路のことや、その途中のこと、また目的に行き着く道筋であったり、物の道理という意味でも使われる。さらには芸術などの分野のことを指したり、神仏の教えのことを示したりする。ここから、道とはある場所(それはある時には物理的でないかもしれない)に導いてくれるものだと私は考えた。道という言葉は当たり前になりすぎて意味を考えることなどほとんどなかったが、考えてみると深い単語であると感じた。道ということはひとつにいろいろな意味が含まれる。だが、私は道には共通して、目的地があることが挙げられると考えている。先の見えない道はそこで道としての意味を失ってしまう。そう考えたのには次のような理由がある。物理的な道を思い浮かべた時に道はどこかまで続いている。行き止まりの道もあるでは無いかと言われるかもしれないが、行き止まりというのはそこが目的地となる。また、その目的地は自分が到達できそうになったらその先に伸ばすことができる。先の見えない道というのも、なにか自分が目指している目的地に向かう中、途中が見えなくなっている状態であると考える。

  中国語では道という字を書いてタオと読むらしいが、タオを学ぶことは①己を知って己を高めること、②自然の摂理を知ること、③人間関係の大切さを知ること、と私が調べたサイトには書いてあった。道が無ければ文明は発展できないと考えるが、タオも道の一部として、タオが無ければ同様に文明は発展できないだろう。自分自身と自然社会、それと人との関わり、確かにこれが揃うことは人生において出会うもののほぼ全てであるように思う。それくらい道というものは人間が生きていく上で、重要なものであり、道と人間の生活は切り離せない欠かせないものである。だから、道が発達すればローマのように素晴らしい文明が発展する。

  ローマが崩壊してから産業革命が起きるまで、ローマを超える文明はなぜ発達しなかったのだろうか。反対になぜ、ローマは硬貨の鋳造もできなかったのにインフラを発達させ、ここまで歴史に残る文明になることができたのだろう。私が考えた答えは、ローマではインフラを発達させることによって、目に見えて経済が成長し生活が豊かに、強い国になっていったからである。見返りが無ければ誰も動くことは無いが、硬貨という直接的な見返りがなかったとしても道が出来ることによる恩恵が大きく、それを作ることが国の全体にとって恩恵をもたらしていたということなのであろう。

 現在の日本では資金が無ければなにごとも行うことができないが、ローマのように、できるだけ早く移動することを1番においてインフラの整備をしようと思ったら莫大な資金が必要となるだろう。国民から税金を取っているのに日本ではお金が足りずにインフラの整備が十分に行えていない。ローマが衰退していくときにはインフラの整備がおろそかになっていったように、このままでは日本も衰えていく一方である。道がなければ人も物も移動することができない。いくら情報社会が発達したからと言って、情報と一緒にインターネット上で人や物を送ることはできない。情報社会の中でも、道は絶対的に必要なのである。人口が減っていく日本ではこれからコンパクトなまちづくりが行われようとしている。これ自体は私も賛成する。しかし、コンパクトシティにしたからと言って、都市の面積が減少した分道も減ってよいのかと言ったらそうではないと考える。コンパクトであるからこそ、より密な道が求められる。人が少なくなるから労働力も減ってしまう。それでも国力を保つためには効率を上げることが求められる。そのため一つに限られないルートを取ることができるような交通ネットワークが必要なのである。

 ここまで道の意義と重要性を述べてきた。私たちは生まれたときから道が生活の中にあり、道がない世界を想像することができない。だが、道によって私たちの生活がどれだけ恩恵を受けているかを知り、インフラが都市において必須の要素であることに気づかなければならない。

参考文献: 道(タオ)とは?道の起源や日本での道の捉え方をご紹介! | 縁起物に関わる情報サイト「縁起物百科事典」 (engimono.net)  https://engimono.net/divinefavor/tao/


学生による論文(46)「偉人と凡人、本質と表面」 菊地 志野 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-10 10:01:13 | 教育のこと

「偉人と凡人、本質と表面」 菊地 志野

「目先の利益にこだわるな」と口で言うのは簡単だ。しかし、私を含め多くの人々はそれを知っていたとしても手の届く得にひきつけられてしまう。

 目先のものを本質的でない表面的なものであるとする。人は様々な欲求を抱えて生きているが、今回は承認欲求について語りたい。承認欲求とは一般に、他人から認められたいという欲求や自分が周囲から一目置かれるような存在でありたいという願望の総称である。正木大貴氏の「承認欲求についての心理学的考察 ─現代の若者とSNSとの関連から─」の冒頭では10代の中高生の会話でも承認欲求という言葉が使われるようになったことは「承認」が現代的なある種のブームになっていることを示していると述べられている。SNSを通じながら日々評価を求める多くの若者が、承認欲求が満たされていないと感じるのは普段受ける承認が表面的であり、自分の本質がどうも評価されていないからではないだろうか。あるいは、常にそれを越える承認を欲しがり続けるのは、表面的な承認に自分の求めるものが存在していないという本質に気づいていないのではないかなどと考えたりする。しかし、求め続ける欲求の強い人々こそ目先の評価に縋りたがる。当たり前かもしれないが。

 なぜ多くの人々が満たされないのか。それは社会構造に問題があるのだろう。メディアで見るいわゆる大人たちは表面的なことばかりを喋る。個性を育めと言いながら同じ行動を求められる。道徳の授業できれいな言葉を聞かされる。攻略法ばかりがはびこる。自らの思考なく表面的な正解を教え込まれる機会が多すぎてその場にいるだけでは一向に認められている気がしない。(全く関係ないが、道徳の授業で「あなたが考えたこと」を正直に綴ったら×が付いた中学生時代と、きれいごとを並べて私が書いたクラスメイトの作文が高評価で正直に思いを綴った私の作文が低評価だった小学生時代の担任は今でも好きになれない。高校時代は素敵な作文だったけど学年だよりには載せられないねと笑顔で言われたが、何となく心地が良かった。確信をもって過激なことを書くとこうなる。)日々の生活の中で確実に、あるいは何となくであっても満たされている人というのは、そのためだけに労力を割いて手に入れようとはしない。表面的でない、本質に近いかたちで行動し、多くの場合それが薄っぺらではない状態で評価を受ける。社会全体はもっと不正解も認めてほしいものだ。「人は見た目より中身」といったりもするが、私は容姿と性格の比較ではなく表面と本質の比較であると解釈をしている。

 本当に認められたい他者というのは尊敬する相手であると思う。ただ、その尊敬のベクトルが各々異なるから様々なカリスマが存在するのだろう。有象無象がひしめく中で偉人と呼ばれる人々は、表面に負けず物事の本質を理解し自己のみで消化することがなかったうえで、他者からの評価を求めなかったのではないだろうか。いま、日本に必要なのは欲求に負けることなく本質を貫き通す力である。

 


学生による論文(45)「インフラ先行の社会を取り戻せ」河野 ひなた (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-10 09:59:50 | 教育のこと

「インフラ先行の社会を取り戻せ」河野 ひなた

 道のあるところに人は住む。いいや、道のないところに人は住まない。

 主語の大きな主張ではあるが、そう言っても過言でないと思う。その土地にたどり着くためには道が必要だ。裏返せば、道の続いていない土地は見つかっていないも同然である。

 道なき道でも、そこに手が入れられて道ができると、発展の余地ができると考えている。

 そして道を行く先で見つけられた土地に人が住むには、上下水道、電気やガスなどの身の回りのインフラを整えていくことが必要である。

 インフラが整備されてやっとそこに人が住めるようになる。

 インフラの設備が整っていなくても人は住むことができると反論があるかもしれないが、ここで言う「住む」という行為は、「その場所で文明を築く」といった意味の側面で捉えている。そして、文明というものが、人間が人間らしい生活を送ることだという主張には大きく賛成する。

 人が文明を築くために必要なのが、先ほど述べたインフラである。

 古代ローマには是非見習いたいインフラなどの建築物を含む公共事業が多くある。見習いたいと言っても、先日述べたように、他国の真似をするだけではただのローマの二番煎じとなってしまう。当時のローマにあった都市計画であるから、日本、ましてや現代の経済力が下降気味の日本に合うわけがない。ただ、公共事業に対する姿勢は見習うべきであり、忘れてはならないことだと考える。

 そもそも日本もはじめはインフラの整備から始めていた。

 徳川家康は都を江戸に移す際に、江戸とその周辺において大規模な治水事業を行なった。この事業がなかったら江戸時代は250年以上も続かなかったであろうし、現在の東京、首都圏もなかっただろう。公共事業によって経済力が格段に上がった事例である。

 そうして都市が発展した過去があるのに、今ではすっかり公共事業は二の次である。どうしてこのような事態になってしまっているのか。理由として、過去のインフラのストック効果を信じ過ぎていることと、未来への投資に価値を見出していないことが挙げられるだろう。

 たしかに先人が築いた過去のインフラは偉大である。何年もの間ストック効果を発揮し、現在も十分なほどにその機能を保っている。しかし、それらに頼って新たなインフラの整備に手を回さないことは、まるで親の脛を齧り続けて独り立ちしない子のようだと感じる。

 次に、未来への投資について、困っていないからいい、使えるからいい、とインフラの更新が後回しにされている。特に地方ではその傾向が高いと感じる。おそらく、他のことに予算を回して経済力を高めて余裕ができてから手を回そうと考えているのかもしれないが、実際の因果関係は逆である。公共事業が都市を作り、経済力を上げるものだということを今の日本は忘れている。

 


学生による論文(44)「SFと恐怖」小野寺 菜乃 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-10 09:58:39 | 教育のこと

「SFと恐怖」小野寺 菜乃 

「すべての人生がプログラムされているようにさえ感じる。」

 今回の講義の冒頭で先生がおっしゃっていた言葉である。私はこの考えはマトリックスという映画に出てくる仮想空間と非常に似ていると感じた。マトリックスはSF映画の一つで、AIにより人々が操られている仮想世界(マトリックスと呼ばれる)と、AIの支配から逃れAIと懸命に戦う人たちが暮らす現実世界の2つの世界が交錯することで物語が展開していく。仮想世界では人々は操られていることに気づかないまま日常生活を送っており、またこの世界にはAIが不都合になるような人を排除するエージェントと呼ばれるプログラムがあり、常にエージェントが仮想世界を監視している。つまり仮想世界で人々は基本的に自分の意思で動くが、仮想世界の外に出ようとしたり仮想世界のプログラムを書き換えようとするなどの行為を行おうとするとエージェントによる粛清が下る。ここでなぜAIが人々を操るようになったか述べておく。はるか昔、人々は技術の発展にともない、AIを制御し切れなくなることを恐れて、この世界でのAIの動力源であった太陽を隠してしまった。それによりAIがエネルギー源として新しく採用したのが人間だったのである。人間が生まれてから死ぬまでに出すエネルギーを用いてAIは生きているのである。

 ここで注目すべき点は科学技術の発展に対する恐れを明確に描いているところである。SFはその名の通り科学的な想像を元にしたフィクション作品のことであるが、基本的に科学に対する恐怖を描く作品が多い傾向があると思う。SFは映画だけにとどまらず小説やゲームといったものもある。先ほど述べた傾向は小説やゲームでも同じことが言える。私の好きなSFゲームの中にSOMAというゲームがあるが、このゲームでは海底施設を舞台に主人公が深海探索をするというゲームで、「人格のコピー」が可能になった世界のお話である。またこの世界は既に地球が人間の暮らせる環境ではなくなっていたため、この人格のコピーを行うことで先ほど述べたマトリックスのような仮想世界に人間を移住させようという計画があり、主人公はその仮想世界に自分の人格のコピーを入れ、仮想世界で暮らすという目的のために海底施設を探索する。なんとか自分の人格のコピーに成功し、仮想世界への登録も成功するのだが、あくまでこれは人格のコピーであるためコピーされた側は永遠に仮想世界へ行くことはできない。そのため海底施設を探索した側の主人公は結局は海底施設から脱出することは叶わなかったのである。以上がSOMAというゲームのあらすじなのだが、このゲームでも技術の発展に伴い人格のコピーが可能になったが、人格のコピーには大きな欠点があり(元の人格は移行できないという点)、それが悲劇を生むという話であった。人格のコピーは現代の研究では道徳上の問題もあり忌避されているが、一昔前にはES細胞の研究が行われていたりしたためいつかこのような研究が認められる日が訪れるかもしれないという恐怖をこのゲームから感じさせられた。

 SFが娯楽として捉えられ、そこの中の人間がどのような感情を抱いていても現実には関わりのないことである、なぜならあくまでフィクションの話だからであると言われてしまうとぐうの音も出ないが、SFが人気のジャンルとして確立し続けるためにはある程度の共感性を持っている必要があると思う。そのため人類が発展する上で欠かせない技術の存在に対するただならぬ恐怖を多くの人が感じているのだろう。私はSFを通して多くの人が科学技術に対する恐怖を共感する理由は無知の知にあると考えている。この恐怖はお化けなどに向けるそれと似ているところがあるため得体の知れないものに対する恐怖に近しいのだと思う。そのため科学技術を知らないということを知り、そのうえでその技術が何を目的にどのような方法で開発されたのか知ることができれば恐怖を減らすことができると考えている。たしかに核爆弾といった明らかに戦争をすることが目的の技術のような理解ができても恐怖でしかないという技術もあるが、私はそれは人類の進歩において邪魔でしかないので技術では無いと考えている。むしろそれらのせいで他の理解されるべき技術までもが恐怖の対象になってしまっているので知ることは大切であると思う。


学生による論文(43)「批判批判論 ~GTPレースを題に~」 落合 佑飛 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-10 09:56:41 | 教育のこと

「批判批判論 ~GTPレースを題に~」 落合 佑飛

<目次>
私見と現実
至らなさの競争
君は役に立っているか
特権的批判
攻撃からの脱却
主張の流儀
私自身の問題
  

私見と現実

 都市基盤学科の研究室選びのあり方に私は反対です。
 この他にも、これまでも別の回のレポートなどで述べたように私自身が横浜国立大学に対して怒っている事象はほかにも大きく四つあります。
 一つ、文学部がないこと。二つ、独自入試を実施しなかったこと。三つ、定まらないコロナ対策。そして最後が前述の都市基盤学科のGTPレースです。私はたった二年の在籍期間でこんなにたくさんのいやなところが目についてしまう横浜国立大学に辟易しています。失望しています。
 しかし、大学はもはや義務教育ではありません。高校生や浪人生のように大学に行くためだけに勉強するわけでもありません。大学生は実質何をしていても自由です。大学生はもはや社会人であるといってもいいでしょう。実際多くの人がアルバイトやその他の関係を学校や家庭の外に見つけ出しています。多くの人が誰に言われるまでもなく皆が実行していることですが、大学生は与えられるのを待つのではなく、社会に対し労働や知財を与える側にもなっています。我々大学生は、もうすでに自らの希望達成に向けて自主的な努力を通じ自らの理想を勝ち取るべき存在です。そう考えた時に、上の四点の大学批判に意味があるのでしょうか。家の一室あるいは教室の片隅で大学の授業を受けながら、私がしている批判はどんな意味を持つのでしょう。
 そもそも、私自身こうした四つの批判を通じて大学をどのように変えたいのかのビジョンが明確ではありません。ただビジョンや対案が無い批判は文句と同じではないでしょうか。私は大学の授業があることを前提にしたうえで大学を論じ、時に難じています。ただ、このことは大学というモラトリアム期間に最大限甘えつつ文句を垂れているだけです。私は私自身生み出何もさない存在であるにも関わらず、これまで卒業生やその他の形で価値を社会に提供してきている大学を批判することは許されるのでしょうか。
 このように、何も生み出していない人間である私が、社会的承認を得て、実際に成果も残している横浜国立大学の制度に対して何か述べることにどれだけの価値、意味、正当性が残るのか、私には自信がなくなってきたわけです。
 ただ、もちろん私も根拠なくただただ文句を言いたいわけではありません。また日々のうっぷんを晴らすために横浜国立大学をやり玉に挙げているわけでもありません。私にあるのは自分が学ぶ環境の好転を祈る気持ちです。そのような気持ちの中で制度を見つめていくと様々な納得できない点が発見できるのです。例えば都市基盤学科のGTPレースには多くの点で時代錯誤や大学の存在意義の認識の誤謬、学生の人間関係や精神状況、場合によっては生活まで壊しかねないリスクを抱えています。この制度は様々な点で至らないものだと私には思えます。ただ、この至らないことを指摘し続けるレポートや私の立場にどんな意義や正当性があるのだろうか、ということを問題にしたいのです。
 
至らなさの競争
 100歩譲ってこのGTPレースが不当だとしてみましょう。それでも私はGTPレースは不当なものだから無くして欲しい、と主張することに正当性が無い可能性があります。

・そんなに大学の制度が嫌なら別の大学に行けば?
・文句言ってないで勉強しなよ。
・成果を出してからいいなよ。

 今あげた三つの言いぐさはすべて実際に言われうるものでしょう。大学の制度は変わらなければならない、と声高に主張しても「そこら辺の適当な若者が自分を棚に上げてえらそうなこと言ってるよ」という評価を私はおそらく受けるでしょう。
 大学の制度は確かに至らないとしても、それを主張する学生はもっと至らないと判断されることもあるでしょう。一般に学生の本分は勉学です。特に大学は任意の機関ですし、大学決定前には当時受験生だった学生に選択権があったので大学生は大学のそうした制度を理解したうえで、こういう大学だと分かったうえで入学しているべきだ、という指摘もあるでしょう。大学の制度をよく理解せず、いざ入ってみたら勉強すらしないで文句ばかり言っている私に相手を難じる資格はあるのか、このように考える人がいても不思議はありません。これがこの章のテーマでまさにこれこそが”至らなさの競争”です。大学の制度の欠陥の方が重症なのか、はたまた学生たる私の努力不足こそが最大の問題なのか、ここが至らなさの競争、下方へ延びる競争です。
 実はこの議論、私が大学を批判する時以外にもよく見かけるものです。例えば会社の労働環境が最悪で、それを是正しようと声を上げた人がいたとします。この時、確かに会社側の制度には不備があるのかもしれません。しかしその他の大多数の社員、これまでにその境遇を乗り越えてきた上司たち、この人たちが今でも無事に会社に勤め続けているという点からみると、声を上げようとした人個人の能力ややる気の問題と矮小化されてしまうことがあります。あるいは、そんなにいやならその会社辞めればいいじゃん、という一言で一蹴されてしまうかもしれません。あるいは、世の中には働きたくても働けない人がいるのだから今ある境遇に感謝すべきだという指摘が入るかもしれません。こうした議論はすべて内向的、下降思考でしょう。本来このように声を上げられる人は会社にとってはイノベーションや働き方の改善に伴う従業員の就業意欲向上によって得られる増産につながる可能性もあると言えます。この下方への思考回路は今ある凋落の連続線から上昇に転ずるために必要な考えを排除してしまっているかもしれないのです。ですから、至らなさの競争は望ましい結果をもたらさないことが多いのでしょう。万一先の例のような問題提起があった場合には、頭ごなしに否定したり先に上げたような内向的かつ下降的な思考を採ったりするのではなく、提起者の提起に至るまでの道のりを聞き取り、より多くの従業員が幸せに就労でき、かつ顧客の満足を得られる方法を模索するべきでしょう。
 そうはいってもやはりこの議論だけでは不十分でしょう。この議論は問題提起を受ける側のあり方に着目しているものですが、問題を提起する側が意識するべき問題もあると考えるためです。

君は役に立っているか
 続いて紹介するのが私自身が、社会の役に立っていないにも関わらずすでに社会で認められている大学を批判することが許されるのか、についてです。
 私は学生として大学に通っています。大学に通いながら大学の批判をすることは大学生という特権を振りかざしつつその親たる大学に牙をむくということです。この特権的批判の次の項で触れます。
 これ以外にもこの項目を判断する材料として考えられるのが、私は学費を払っている、という考え方です。私は大学にお金を払っているのだから大学は私に最良なサービスを施すべきだろう、だから客たる私の意見に耳を傾け誠心誠意改善するべきだろう、という意見です。私はこれには明確に反対しておきたいと思います。まず一つ目、そもそも大学側も大学が望んだために”私”を客にしているわけではない点が挙げられます。続いて二つ目、大学とはそもそもサービスを提供する場ではなく教育機関であるから、店員と客のような関係は望ましくなく、大学では尊敬できる師やともに高め合える仲間を見つけるための場である。その点で学費は他の価値で吸収されており、大きな不便不自由が多くの学生に架かっている場合など特殊な例を除けば、大学にお金を払っていること自体がサービスの改善を強要する理由にはならないでしょう。最後に三つ目、サービスを受けるという姿勢そのものが望ましくなく、こういった思考に至ってしまうのは勉強不足だと考えられます。我々は社会を担っていく人間として、社会的エリートの責任を果たす必要があります。この考えは積極的に地域等のコモンスペースの負担や責任を負っていける人間になるべきだ、という考えに依拠しています。
 以上、私たちが役立っているか否かやあるいはサービスの享受者として意見を述べることが許されるのかの考察でした。

特権的批判
 アラブ世界の盟主として長く君臨していた国にシリア・アラブ共和国があります。2010年以降、この国でもアラブの春のあおりを受けて民主化の動きが活発になりました。ただシリアの場合はこの民主化の動きが局所的なものに限られたのが特徴でした。シリアは他の国とは違い、アラブ地域の盟主としてアラブ地域一帯の絶妙なバランスをシリアの力で保っていました。具体的には平和も戦争もない、という微妙な均衡を作り出していました。そしてこのアラブの環境は欧米諸国にとってもありがたい情勢であったため、確かにシリアは欧米諸国の価値とは合わない政治体制でしたが、その存続は欧米諸国の利益だったのです。こうした他のアラブの春とは異なる事情のため民主化が完全に進行することはありませんでした。こうした事情から次第に泥沼化していくシリア革命ですが、その最初に登場したのがこの項目で述べたい”特権的な批判”を繰り返す革命家でした。シリア革命のために他国から国民を扇動する役割を担ったのがいわゆるホテル革命家と呼ばれる人たちで、欧米諸国の後ろ盾を得た特権階級の人たちが自らは安全な他国に亡命しながらも市民に対し革命をするよう仕向けようとしたのです。当然この目論見は完全に失敗に終わりました。そもそも、彼らが欧米からの白羽の矢を立てられたのは彼らがシリア革命以前からいくらかの資産家であり、財力と影響力とを持っていたからでしょう。そうでなければ多くの国民からこうした人を選び出す必要もないですし、そもそも亡命に必要な資金も調達できなかったでしょう。ホテル革命家はかつては自らもアサド政権の特権的なあり方の恩恵を多少なりとも受けたおかげで今の地位を築いたにも関わらず、いざ革命がはじまると一目散に安全なところに逃げ込んでその特権の批判をしているのです。ホテル革命家は自らが特権の中にありながらもこうした特権を攻撃しています。自らの特権を大事に抱えつつもその特権を批判するというのは自分で自分を殴っているようなもので、いよいよ不可思議な行為と言えるでしょう。その特権が嫌なら自分では放棄したうえで戦えばいいのです。
 そして私は今、大学の批判をしています。しかし私はその大学に属する学生です。そこまで大学が嫌いであるならば、不満があるならば出ていけばいいのではないですか?シリア革命時のホテル革命家たちのような怯懦で卑怯なあり方に自らを貶める必要はありません。大学が嫌いなのであれば辞めればいい、大学生というあるいはモラトリアムという最大の特権を捨ててからその特権を提供している大学にモノを申すのでなければフェアではないのではないでしょうか。
 特権の中にありながらその特権に対し批判的に述べることはもはや批判ではなく攻撃です。


攻撃からの脱却
 しかし、私は弱い。私はこの特権を放棄して大学ののど元に刃を向けることができるほど肝は据わっていないし、そうしたことができるだけの能力もない。そんな私が単なる大学攻撃から建設的な議論へと自らの論を昇華させるにはどのようにしたらいいのでしょうか。
 それに対する答えは対案を出すこと、なのでしょうか。現在の問題に対して自分は問題意識を抱えているとします。こうした場合、現在の問題に対して攻撃以外の方法で意見を表明することができるのは対案があるときか前項でも述べた自らがその特権から離れた時だけなのでしょうか。確かに対案は批判したい事物があった時にそれを批判する根拠を与えるものです。対案のない批判は「なんとなくいやだ」といった領域を出ない可能性があり、これはもはや批判ではなく攻撃です。その点、対案があれば「現行の制度に対して私の対案はここが優れている。だから私は現行制度が望ましくないものだと考える」といった方向で議論を誘導できるので対案を出すことは一つ有効な手段だと言えます。
 しかし、私は大学のGTPレースがもし廃止になったとしても、自分の対案がこれから先の多くの学生に対して素晴らしい物にできる自信はありません。対案の提供には一つにその制度やその周辺の事柄について詳しくなくてはならないことも多く、対案の提供に高い専門性と責任が求められる例も少なくないと言えます。
 けれども究極的には人は何かに依拠しなくては意見を発表することはできません。この点で人々はそれぞれ特権的であり、その人固有の利害やこだわりで意見を述べています。つまり、多くの場合私たちは批判を攻撃ととられないための意見表示の方法が必要であり、つまり対案の提示が必要なのです。もちろん議論の重さやどれだけ特権を得ているかによって対案が必要ない場合もあるという指摘もあるでしょう。ただ対案の提示を批判とワンセットで考えると、批判が攻撃ではなくあくまでも批判であることを担保するものになります。
 実は、私自身なるべく対案を示せるように心がけてこうしたレポートに取り組んでいました。ずっと述べているように大学という特権の中にありながら何か意見を述べるということは世間知らずな攻撃であるように思えるからです。
 しかし、対案を産むことができないときもあります。さて、対案を示せない批判はすべてゴミくずなのでしょうか。

対案の尽きた先にある意地
 意見を言いたい。しかし自分の実力では対案を示すことができない。こうした事態に陥っているのが例えば私の主張するGTPレースの不完全さの指摘です。私の能力では学科の授業の望ましいあり方を構築し披露して改善していく、という対案の提示の過程を踏むことができません。一方でこれまでの議論で対案のない批判はもはや攻撃であると述べてきました。これまでの議論では残念ながら対案を生み出すだけの能力を持たない人が出す意見は攻撃か文句のレッテルを貼られても仕方がないと言わざるを得ない状況となりました。けれども実際問題多くの人は対案の提示まではできないのではないでしょうか。我々に分かることはせいぜい目の前の生活をしていく中で自分が何に困っているのかを明らかにすることくらいではないでしょうか。対案が無い考えが単なる文句に過ぎないのなら、高度な問題に至った時には手も足も出ないことになっていまします。
 では私は対案を出せないけれども批判をしたいとき自分に意見があるときにはどうしたらいいのでしょうか。こういったことは許されないのでしょうか。
 私の考えでは、対案が無くともどうして自分の考えていることが実現していないのかを十分に考察していれば、対案がある批判よりは劣るものの文句としてではなく意見として届けられると考えます。
 例えばGTPレースのどこが悪いのか、を紹介するにあたって、自らが考える理想の大学を構想するのが難しいのであれば、どうして今までGTPレースが存続できていたのかに注目することで自分の意見が単なる思い付きではないことを少しは示せるのではないでしょうか。すなわち、相手の主張にも耳を傾けることが大切だということです。意見の違う他者も敵ではないことも多いでしょう。私たちはむしろそれぞれの意見の違いを洗い出し、それぞれを認め合い、その中で納得できる落としどころを探っていくことが求められるでしょう。
 別の例を引けば、新幹線建設が全国に必要だと考えたとしても、現状では建設や延伸はしていません。この事実に対してもし対案が無ければ逆にどうして新幹線が造られないのかを作らない側の立場に立って考えることが大切だと考えます。新幹線を造らない理由が技術面の課題にあるのか、財政的な問題にあるのか、はたまたすでに代替手段によって問題が解決しているためなのか、こうしたことの検討はむしろ新幹線を造りたいと考える側の人間こそするべきでしょう。
 こうして考えていくと、対案を示すことができない場合でも、相手の立場を想像することによって「どうして自分の思い通りに物事が進まないのか」という問題でも解決の糸口を見出すことができるかもしれません。
 これはもはや意地です。私の能力は足りていないけれどもどうしても伝えたいことがある場合の手段です。本来は対案を示せるほうがいいでしょう。けれどもそれができなかったときのための次善策として発想を転換することから議論を進めることも認めようよ、というのが私の意見です。


主張の流儀
 以上、私自身の意見の主張の方法を検討するところから敷衍して望ましい反論方法についての検討をしてきました。批判をただの文句や攻撃のレベルに貶めることなく、自らの伝えたいことを適当に伝えるにはどうしたらいいのかを述べてきました。
 最後に触れたいのはプロフェッショナルはいない、ということです。日本の教育制度は学生に対し、間違うことの恐怖心を浸み込ませています。自分が相手から間違っていると思われることは怖いことですし、実際間違いが多い人から大学受験に失敗します。
 けれども、そんな中だからこそ私はこの世にプロフェッショナルはいない、と言いたい。すべての人間が様々な局面で判断を誤ります。そしてそれを正そうとするのが批判の営みでしょう。確かに一方的な攻撃は望ましくありません。避けるべきです。けれども、先に上げたようなある所定の条件を踏んでいるのならむしろ積極的に批判を繰り広げるべきだと思うのです。批判によって新たな考えを知り、物事を新たな地平へと到達させる力があると信じます。
 勇気をもって一つ発信するところから世界をよくすることができるのであれば、素晴らしいことです。誰もが間違っているのだ、という前提に立って少しずつ自らが正しいのでは?と感じることを主張できると素晴らしいだろうと感じます。

私自身の問題
 ここまでいろいろと述べてきました。けれども私のGTPレース批判にどれだけの正当性があるのかはやはり難しい問題が残ります。私がこの生意気なレポートを先生に投げることができるのは私自身が先生方に甘えているからだ、という点は見逃せません。先生に甘え、特権を掴み、それでも批判してしまう私がいます。せめて批判が攻撃にならないよう、自ら自らに目を光らせておく必要があるでしょう。
 また、私はこのGTPレースの批判について、どこへでも行って説明するぞ、という覚悟を私の良心のために決めておこうと思います。


参考文献
『シリア情勢 ー終わらない人道危機』 青山弘文
『岐路の前にいる君たちに 式辞集』 鷲田清一


学生による論文(42)「日本橋の未来」 小田 瞳 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-10 09:55:28 | 教育のこと

「日本橋の未来」 小田 瞳

 現代の都市では水道や水がめが我々の見えない場所にあるという話があった。近年では都市の防災や景観の向上という観点から、無電柱化などさまざまな地下化事業が注目されている。また、さらにホットな話題として、首都高速道路(以下、首都高)の日本橋区間の地下化も挙げられる。撤去工事が既に始まっているものの、さまざまな意見が飛び交い続けているこの件に関して、自分なりに考えてみたい。

 日本橋は日本の街道の起点であり、長きにわたり重要な結節点としての役割を担ってきた。木橋であった江戸時代から人々の生活を支え、石橋に架け替えられた後も震災や空襲を乗り越え、今日も多くの人に親しまれている日本橋に、大きな価値があるのは間違いない。一方で、首都高は建設から半世紀以上が経過し損傷が問題視されるとともに、首都高が日本橋川周辺の景観を損なっているという批判の機運が高まっていった。その結果として、首都高の地下化によって日本橋に青空を取り戻し、周辺のまちづくりと一体化した整備を行うことになったわけだが、ここで少し疑問が残る。

 まず、地下化を推し進めた人々の主張は、かつての日本橋の姿を取り戻すということである。実際、名橋日本橋保存会も活動方針に「日本橋と交差する高架高速道路を、地下に移設する等の方法により、日本橋をよみがえらせる。」と掲げている。しかし、果たしてそれは地下化をするだけで解決することなのだろうか。多くの高層ビルが立ち並ぶ今、首都高を撤去したからといって、明治期の日本橋の景観が戻るわけではないのは明らかである。また、現役世代は当時の日本橋を知らない。そのような中で一体どのような日本橋を目指していくのだろうか。

 ここで、同じく高速道路の撤去事業として有名な、ソウル市の清渓川復元事業と比較してみたい。この事業は大きく分けて、①高速道路の撤去・周辺の開発、②河川の復元の2つからなる。事業が計画されるきっかけは高速道路の老朽化や河川の水質汚染であり、河川を覆う高速道路を撤去し、自然型河川を蘇らせることによって環境共生型都市を目指す、という明確な目的があり、それが実現された。これに対し、日本橋はどうだろうか。三井不動産が「日本橋再生計画」を打ち出しているが、タワーやテラスなど高層ビルの竣工が目立つ。次世代的な都市を目指しているように感じられるが、その過程に首都高の地下化は必要なのか。むしろ、多くの高層ビルの間を抜けるこの立体構造こそ、日本の発展を象徴しているのではないだろうか。

 もちろん、首都高が誇るものは構造だけではない。国土交通省の資料によれば、首都高は東京23区内の道路の約15%を占めるが、走行台キロ・貨物輸送量は約30%にものぼっていることから、我が国の発展に大きく寄与してきたことは言うまでもない。「日本橋は東京の顔である」と言われるが、東京オリンピックを機に急速に整備され、今もなお経済活動を支える重要な基盤であり続けている首都高もまた、東京の顔といえよう。

 都市の将来像が不明確なまま、首都高の地下化に向けた工事が始まってしまった。400年以上の歴史を誇る日本橋、我が国の高度経済成長期を支え、今も大動脈といえる首都高、現代を象徴する高層ビル群。混沌とした都市にも思えるが、日本が築き上げてきた文明を象徴するようなこの光景にこそ、私は魅力を感じる。

参考文献(2021年12月3日閲覧)
・名橋日本橋保存会
 https://www.nihonbashi-meikyou.jp/index.html 
・清渓川復元事業 JICE
 http://www.jice.or.jp/cms/kokudo/pdf/reports/act/jice_rpt09_12.pdf 
・首都高速道路の課題と取り組み 国土交通省
 https://www.mlit.go.jp/common/000226468.pdf 


学生による論文(41)「人は情報、成長は継続」 大橋 直輝(2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-10 09:54:12 | 教育のこと

「人は情報、成長は継続」 大橋 直輝

道が運ぶのは人。人は情報。

 現在の技術ではわざわざ人が足を使わずとも、情報通信技術(ICT)の発展により齟齬なく適切に素早く情報を共有することができる。わざわざ満員電車に毎朝揺られ、通勤・通学の不快な思いをせずとも、自分の最も快適な環境でテレワーク・オンライン授業をすれば生産性も上がり、社会の効率も良くなる。

 これは詭弁である。画面越しや文字・音声だけでは相手の情報がすべて伝わるわけではない。多くの便利な点があるのは事実として、対面での情報交換には勝てない。対面の雑談から何かアイディアが生まれ、人が集まることで都市は発展した。相手の表情だけではなく何でもないようなしぐさ、その場の空気間、また視覚的なもの以外でも聞こえてきたものや香ってきたもの、その場の感触、他には空間内にある議題にない別の何かから発想されることで新たなアイディアが生まれた。道によって人が集まり、そこで会話・意見交換する、新たな機会・イベントが生まれるなどして人と人がかかわって、情報がアクティブな状態になり、都市というものは発展した。

 歴史というものは自身が経験出来なかった、時間と空間を超えた経験を味わえるものである。“trivia” という単語の語源はいろいろな説はあるが、”tri” は「3」を意味し、”via” は「道」を意味する基となる語の組み合わせで、三本の道があるところに人が集まり無駄話が始まる。そこから「くだらないもの」や「些細なもの」などを意味するようになった。この単語の歴史からも人が情報を持ち、人が道を通じて集まることでコミュニケーションが生まれていたことがわかる。

 このように対面は重要なことがわかるが、情報を持つ「人」自体も成長する必要もある。物事は表裏一体なので、正の方向の成長と負の方向の成長があるが私はどちらでもいいと思う。ネットワークの組織のように、情報は多様であればあるほどいい。そもそも多様な価値観が存在する現在の世の中において一つの、一意的な正しい方向性を示すことはナンセンスともいえる。個人の成長はどの方向性でも歓迎すべきだ。

 その成長を生むのは継続だ。20年生きてると多くのところでそれを感じる。「やるぞ!」という感情と結果が伴い始めるまでの時間にギャップがある。どれだけの強い信念をもってそれを続けられたか、その信念が個性を作り、またその個性が強くなることで信念も確固たるものになる。成長は個性を組成していくことである。

 「経験」「組織」「継続」という言葉が出てきたがどれも糸へんがかかわっている。「繋がり」というものがあらゆる本質の一つとしてかかわっている気がする。日本語で思考ができる環境に生まれ育ってよかったと思った。道も場所をつなぐことで人や人が生み出した文化をつないだ。他人とのつながりでさらに個人は成長できる。「つながり」を一つのキーワードとしてしばらく過ごしてみる。

 


学生による論文(40)「繋がりの価値」 岩本 海人(2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-10 09:52:36 | 教育のこと

「繋がりの価値」 岩本 海人

 繋がりの価値について考察をする。

 特に、人と人の間に生まれる、心理的な繋がりについて今回はフォーカスする。

 日本社会において、人と人の心理的な繋がりは、過去と比較し強くなっているだろうか。それとも、希薄化しているだろうか。私の結論は、「繋がりの総量としてはあまり変わらない。」である。総量とは、それぞれの繋がり質と量の積を足し合わせたものとする。

 初めに、量の面について考察を行う。

 この点、現在と過去を比較すると、その差は誰の目から見ても明らかであると思う。陸路・海路・空路の驚異的な発達により、人それぞれが人生のうちに移動する距離は飛躍的に延長された。そのことにより、一生のうちに出会う人数、つまり繋がりの量は大きく増えた。そして、近年のインターネットの登場により、その量はさらに大きく増加した。

 次に、質について考察を行う。

 まず、質の良し悪しの指標の大まかな定義をおこなう。良い繋がりと、悪い繋がりの差とは、さまざまな考え方があるかとは思うが、私は、信頼の程度として定義を行う。その人をどれだけ信用できるか、頼ることができるかで、その人との繋がりの質が求められると私は考える。

 その定義の上で、現在と過去を比較すると、私は、緩やかに減少していると考える。その根拠としては、信頼関係を構築するには、概して長い年月を要する。1日にして信頼が生まれることは基本的にない。つまり、質の良い繋がりは高コストであり、時間を要するのである。その為、繋がりの量が増えた場合、その分、一つ一つの繋がりにかけられる時間は少なからず減っていくことが予想される。よって、時間という要請から、繋がりの質の総量は年々落ちているという風に考える。

 最後に、総量について考察を行う。

 以上のように、量は驚異的に増加傾向にあり、質はそれに伴って減少傾向にある。そして、その掛け合わせの総和である総量には、大きな変化はないであろうと私は結論づける。

 しかし、このことは、総量に変化なし、で片付けられる事象なのであろうか。決してそうではない。繋がりの総量に変化はないが、その質の低下による影響はないのか。私は、その影響は絶大であると考える。そしてその影響は、幸福感の減少や、自殺数の増加に関与していると私は考える。

 豊かな人生、幸せを感じることができる人生において、求められるのは、繋がりとしては質の悪い10000人との繋がりではなく、深く信頼のおける数人との繋がりであると私は思う。つまり、繋がりのことに関しては、ある意味、極端になる必要さえあると言えるだろう。質を量よりも大きく重んじる必要があるということだ。

 


学生による論文(39)「経験に訴える土木広報」(2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-10 09:51:02 | 教育のこと

「経験に訴える土木広報」

 授業中、アッピア街道の話で、土木を見せておくことについて話された。これに関連し、土木の重要性を市民に広く分かってもらい、政治などで重視してもらうためにはどのような広報が必要かを考えてみた。その結果、私は土木の重要性を多くの人に理解してもらうには、「経験的」に土木の重要性を理解してもらうことが重要だと考える。

 「経験的」な理解の対称として、「知識的」な理解があるだろう。これは従来よく行われている広報で考えられていることだと思う。例えば、インフラの近くに説明看板を置く、インフラ見学ツアーを組むなどだ。しかし、「知識的」に理解してもらうでは少々効果が薄い。説明を読むのは、もしくはツアーに参加するのは、すでにインフラが面白い、インフラは大事だと気づいてくれている市民が多いからだ。このような人々がインフラの重要性を再確認することも当然大事なのだが、土木が政治など他分野で重要視されるようになるには、土木の重要性をまだわかっていない人を取り込む必要がある。

 そこで、私は「経験的」に重要性を分かってもらうこと大事だと考えた。知識ではなく経験的に理解してもらう理由は、知識では忘れることや、他の知識に上書きされてしまうことが多いからだ。他の知識が入ってくると、人間の脳にはキャパシティーがあるため、だんだん忘れ去られてしまうだろう。また忙しい時、咄嗟の判断が必要な時は、普段触れない知識なんて思い起こしている暇もない。一方、「経験的」に理解してもらうことで、単なる「土木は大事」という文字列ではなく、体験や感情に紐づけられた本能的なものとして覚えることができ、何かあった時、例えばある政治家が「土木への投資額を減らします」と言った時もそれはおかしいとすぐに気が付くことが期待できる。これは、地震時の学校での行動について、「上履きのままでいいから校庭に集まること」と文字列で知識として覚えるよりも、実際に避難訓練を行って体に行動を覚えさせる方がよく記憶に残ることを例に考えてもらうとわかりやすいだろう。                                                                                                                                                                                                              

 それでは、土木の経験的理解の方法についていくつか提案する。

 経験的にあるものの重要性を理解するときというのは、大きく分けて3つあると考える。一つはそのものをなくしてしまった時、次にそのものに助けてもらった時、そしてそれがあることで目的が達成できた時だと考える。土木の重要性理解には前者2つが使えるだろう。

 まず、インフラをなくしてしまった時については、これを現実にすることは、莫大な費用が掛かり、そもそも公共財であるインフラを突然壊すというのは非現実的だ。そこで、インフラのない無人島(日本テレビの「鉄腕DASH」で登場するDASH島など)などでの生活を体験してもらうことでインフラのない状況を体験してもらうことを提案する。2~3日ほど体験してもらえれば、上下水道や道路など日常生活には土木の要素がちりばめられていることは一目瞭然だろう。体験後に参加者に日常生活との違いを書いてもらい、その要素は実は土木の分野なのだと教えれば、体験と土木の重要性が結びつくだろう。土木以外の要素も絡んできそうなので、他分野とも協力して土木学会とその分野の学会がコラボしてツアーを組むのも面白いだろう。これを全国民にやってもらうのはなかなか難しいが、例えば学校教育の林間学校に組み込んでもらうことや、観光パンフレットに掲載するレジャーとして提供することにより少しでも多くの人にインフラがない状況を体験してもらうことができるのではないだろうか。冒頭でインフラツアーに参加するのはもともと興味がある人だけだと述べたが、無人島体験ツアーという名目ならば土木に興味がない人にも参加してもらえるだろう。このように土木色を出さずに広報することも、土木に興味を持ってもらうという意味では大切かもしれない。

 次に、土木に助けてもらった時については、やはり自然災害から自身の命を守ってもらった時に重要性を感じてもらえるだろう。しかし、例えば大雨が降ったのに、河川が氾濫せず助かった時、「ダムや堤防があってよかった」と自発的に思う人は少ないだろう。しかし、「ダムがあったから助かったのです」とただ教えられるだけでは、これは知識的な理解となってしまう。大抵、大雨が降った時は、助かるときは正常性バイアスが働いて、「雨がすごかったけど大丈夫だろうと思っていたら案の定助かった」と考える人が多いため、ピンチの中助けてもらったという感覚が薄くなってしまうからだ。今は都市基盤学科の防災意識が高い人の周りにいるから感じにくいが、高校の時は大雨が降っても川を見に行ってしまう人や、避難勧告が出ているにも関わらず避難しない人などが周りにいた。しかし、日本に住んでいればほとんどの人が自然災害からインフラに守ってもらっている。ここで、危機感・緊迫感を感じてもらえればインフラの重要性を「経験的」に理解してもらえると考えたため、インフラが今まさに災害から私たちを守ってくれている状況を広く知らせることを提案する。例えば、テレビで河川の状況を中継することがあると思うが、これに加えてダムなどを映し、「河川の水位がぎりぎりを保っているのは、ダムが頑張っているおかげです。また、この付近は堤防がありますので、氾濫せずに持ちこたえています。護岸工事を行っていなかったら付近はもう浸水していましたね、インフラが今まさに守ってくれているんです、応援しましょう!」のように、わかりやすく、そして親しみの持ちやすい言葉でインフラが我々の日常を守っていることを伝えるなどだ。このような報道をいきなり浸透させていくのは難しいと思うので、まずはテレビに呼ばれる土木の専門家にこのような言葉遣いと解説を心がけてほしい。

 土木の広報の在り方が、インフラに興味ある人がターゲットで知識重視のものだけではなく、経験に訴えかけるようなものにも発展することを願っており、私もそのような広報が優しさの街や就職先でできないかどうか探っていきたい。

 


学生による論文(38)「学びにおけるステレオタイプからの脱却」 市村 夏希 (2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-10 09:49:48 | 教育のこと

「学びにおけるステレオタイプからの脱却」 市村 夏希

 人間の最大の強みは「学び」にあると考える。地球上の他の生物に対し人間だけが文明を開き、ここまで高度な技術に囲まれた社会を築くことができたのは、間違いなく言葉を通じた「学び」の蓄積によるものであるだろう。今回の講義で紹介された塩野七生さんの「学ぶのは歴史と経験の両方でないと、真に学ぶことにはならないのではないか。歴史は知識だが、それに血を通わせるのは経験ではないかと思うからだ。」という言葉にも人間の学びの本質が示されており、文明の発展の軸であった土木分野においても、先人たちの歴史と経験に学び、技術を発展させながら社会を支えてきたことが理解できる。こうしたことに関連して、様々なステレオタイプにあふれた現代社会においてスレテオタイプ型の思考から脱却し、人間らしい「学び」を通じて自分自身を成長させるためには何が必要なのか考えてみたい。
 
  まず、ステレオタイプの特徴として次のようなことが言われる。

 ・過度に単純化されていること
 ・不確かな情報や客観的根拠の薄弱な知識に基づき誇張され、しばしばゆがめられた粗略な一般化ないしカテゴリー化であること
 ・好悪、善悪、正邪、優劣などといった強力な感情を伴っていること
 ・人種差別や性差別といった偏見に転化しやすいこと
 ・社会的に共有される感情・認知・思考・行動様式を型にはめることで社会の統合と安定に寄与していること
 ・新たな証拠や経験に出会っても、容易に変容しにくいこと
                                                              【日本大百科全書(ニッポニカ)より】

 現代社会では、こうしたステレオタイプがメディアやマスコミによって極めて確からしいものとして拡散され、社会一般に浸透しており社会統制の有効な手段となっているのである。我々がステレオタイプに頼ることなく新たに学び、思考するには大変な労力と時間がかかる。つまり人間がステレオタイプに固執するというのは、一部にはそうした行為からの逃げであり、「学び」に対する怠惰であると言える。複雑な物事が絡み合い、時が経過する現代において、身の回りのすべての事象について自分自身で詳細に知覚することは困難を極めるが、我々の成長や社会の発展にとって重要と思われる思考については怠るべきではない。我々がスレテオタイプ型の思考から脱却し、真に社会を前に進めるためには、今「学び」に対する謙虚な姿勢が求められているのではないだろうか。我々の成長につながる「学び」とは、客観的根拠に基づく事実を知り、個々の事象を関連付けて理解すること、そして既存の概念を疑うこと、さらに自分自身の知見に基づく思考によって疑いを晴らしていくことの繰り返しであり、その都度自戒や自省を伴うものであるべきである。私自身もこうした謙虚な姿勢による本質的な「学び」を通して、社会に貢献することで人生を豊かにできればと思う。

 


学生による論文(37)「助け合いの精神」飯田 理紗子(2021年度の「土木史と文明」の講義より)

2021-12-10 09:48:43 | 教育のこと

「助け合いの精神」 飯田 理紗子

 人はみな一人で生きていくことはできない。何もできない赤ん坊は、誰かにご飯を食べさせてもらったり、誰かに言葉を教えてもらったりベビーカーに乗せてもらってどこかへ連れて行ってもらったりしなければとても生きていくことはできないということは想像に難しくない。しかし、たとえ自力でご飯が食べられるようになったり、言葉を自在に操れるようになったり、どこへでも自分の望む場所に行けるようになったりしたとしても、我々は決して一人きりで生活しているものだと高慢であってはならない。なぜなら、我々の多くが口にする食材はどこかの農家が育てた後にどこかの運転手がスーパーやコンビニまで運んできたものであるし、言葉を習得したとしてもその言語によって何かを学んだり何かについて思考したりするきっかけを与えるのは他人の影響であることが多く、また自分の行きたい場所に自由に行くというのも誰かの設計した橋やトンネル、鉄道などインフラがなければできないはずの行動であるからであり、つまり人は一生一人で生きていくことはできないということになるだろう。このように人は互いに助け合わなければ生きていくことができないのだが、そこで我が国日本はどのような「助け合い」が適しているのかについて以下で持論を述べたいと思う。

 世界を見渡してみると、国同士が陸続きで接している地域(以下では大陸系の人々と呼ぶ)は自分たちの生活や大切な人を守るため、はるか昔から常に必死で外部の敵から自国の命や財産を守るよう努めてきた。大陸系の人々は、外部から自らの土地を守るために城壁を築く計画を立てたり、外部からの侵略により自らの危機を察知したりした場合、地理的情報や軍の情報は決して外部へと流すことはできないゆえに非常時に頼ることのできるものが限られてきてしまうだろう。その一方で、島国である日本は昔から、普段は我々に恵みをもたらしてくれる海や山が引き起こす自然災害には度々悩まされてきたが、日本において「敵」となったのは、外部からの侵略というよりむしろ抗うことのできない自然の方であるだろう。四方を海に囲まれた日本では、自然災害の発生によって自らの力のみでは立ち上がることが難しくなってしまった場合でも、外部に対して「助けて」というSOSを出すというその行為自体が、大陸系の人々より比較的容易に感じるのではないだろうか。またそれと同時に、自分たちの抱えているものに似た悩みや苦しみを抱える他の地域を理解したり慈悲の心を向けたりすることについて、我が国は他より長けているのではないだろうかと考えた。

 しかし、こうした「好意」や「慈善心」が時には裏目に出ることもあるということも忘れてはならない。我々は幼い頃から「弱い立場の人や困っている人がいたら助けよう」というような教育をこれまで受けてきて、例えば今流行りのSDGsには「先進国と開発途上国がどうあるべきか」という観点から掲げられた目標が目立っている。確かにこうした気持ちを持つことやこの考え方自体は人としてそうでなければならないことだと思うが、これは決して「そこに困っている人がいるのならば、その時の自分の状況がどうであろうといち早く助けるべき」と謳っているものではないということに留意する必要があると考える。

 アッピア街道をつくった当時のローマ人は、銀貨の鋳造よりも何よりも先行して公共工事をした。これは、街道をはじめとするインフラが人々にもたらす潤いを人々が理解していたうえでのことであるという。欧米と比較して公共投資が圧倒的に不足している今の日本にとってまずやるべきことと言えば、他人の心配をすることだけに囚われることではなく、第一に自国の心配をすることではないだろうか。

 困っている人を見れば思わず手を差し伸べたくなってしまうのが良い意味で日本人の特性であるのかもしれないが、悪く言えば自国の状況と向き合おうとせず現実逃避しているだけにも見えてしまうだろう。よって私は、常にまず自国の発展を考え、その上で余力があるのであれば周りの手助けすることこそが全体として真に発展するための一番の近道であると考える。「どこに投資すべきか」という問いは何が正解であるのか見えづらく、一歩間違えれば目的を見失いがちな問題である。しかし、「助け合い」という偽善的にも取れる言葉に惑わされることで目指す理想と現実が乖離してしまうことはあってはならず、我々には一つひとつの事象を把握・分析する力が求められるだろう。