エコー葉書元年が昭和56年。エコー葉書都道府県版がこの年の10月、12月と発売されました。いずれも当時の郵政局が設置された地域での発売となりました。
全て郵頼した他、地元の大阪府版2種(ミノルタとナカバヤシ)を求めて、大阪中央、大阪中央・郵政局内分室、大阪東、天王寺・貯金局内分室と押印を楽しみました。
郵頼では、スポンサー関連局の他、各地の郵政局内にあった郵便局(多くは分室局)へも…。 和文櫛型印以外に和文ローラー印も押印を御願いしました。
2つの分室局の和文ローラー印を並べてみますが、本局と分室名の間に『・』が入っていたり、無かったりとそのヴァラエティを楽しむ事になった次第です。
エコー府県版は大人気となり、特に1次は1枚4,000円前後で取引されると云った信じられない状況へ…。正に狂騒曲の始まりでした。
全て郵頼した他、地元の大阪府版2種(ミノルタとナカバヤシ)を求めて、大阪中央、大阪中央・郵政局内分室、大阪東、天王寺・貯金局内分室と押印を楽しみました。
郵頼では、スポンサー関連局の他、各地の郵政局内にあった郵便局(多くは分室局)へも…。
2つの分室局の和文ローラー印を並べてみますが、本局と分室名の間に『・』が入っていたり、無かったりとそのヴァラエティを楽しむ事になった次第です。
エコー府県版は大人気となり、特に1次は1枚4,000円前後で取引されると云った信じられない状況へ…。正に狂騒曲の始まりでした。
インターネットがなかった当時、
郵趣に関する情報はどのようにして得られていたのでしょうか?
当時の週刊情報誌は『郵趣ウィークリー』でしょうね。当時の全日本郵便切手普及協会が発行していた『切手』より、情報が豊富でした。
郵便局を調べるのは『郵政省職員録』。これで全国の郵便局が分かりました。後、簡易局や分室局は、“いずみ切手研究会”が発行していた文献でしょうか?鉄道郵便に関しても専門書が出版されていました。
情報は『郵趣ウィークリー』より速かったのが板橋区のI氏の『広告葉書情報』かな?報道発表後、すぐに印刷して送付されましたよ。
『郵政省職員録』とは、今では考えられないことですね。