'72年の万国博の事が出て来たので、その時の思い出も交えて記しますと、小学校の遠足も含めて5回は行ったと思います。岡本太郎がデザインした"太陽の塔"と"命の塔"には驚きました。今迄見たことの無い近未来的な芸術作品に思えました。月の石を展示しているアメリカ館、そして宇宙開発のもう一つの雄・ソビエト館が人気のパビリオンでした。日本企業では住友童話館が人気有りましたね。色々のパビリオンに入って、記念スタンプの押印、そしてピンバッチや切手を購入するのが主な目的でしたね。会場内には100円万博切手帖(表紙は銀だったと思う??)の自動販売機がいたる所にあったのが印象に残っています。赤い移動郵便車も止まってました。万博局を始め、分室局も開局していましたが、未だその当時の私は切手に消印を押す...何て事は知らなかった。画像アップした様な満月消しが作られていたのが今となっては驚きですね。
1972年の大阪万博以来の国際博覧会、“愛・地球博”。6月19日で終了した“新世紀・名古屋城博”も天守閣にある金の鯱が触れる...って事でこちらも連日凄い人出だったという。関西に住んでいて、名古屋は非常に近いんだけど、その博覧会の凄さが全く伝わって来ない、マスコミもそんなに多くのニュースを提供しない。高度経済成長期の真っ只中で開催された“大阪万博”とはその時代背景が違うってことなのかな?「行きたい」とは思うけど、「絶対行きたい」とか「あのパビリオンに入りたい」とか思わないのは、自分が年を取ったせいなのかな?
この前の大阪駅前バザールで入手した、天野さんの『郵趣ワンポイント・レッスン』に“未使用は額割れ、使用済は宝石”というフレーズがあった。その指している切手は1960年代後半の記念特殊切手達。1次国宝シリーズや国際観光年50円はその頃熱心に収集していた少年コレクター(私もそれに含まれます。)にとって憧れの切手でした。国宝シリーズの普賢菩薩などデパートの趣味の切手売り場で@1,000円はしていたと思います。それが今では@300円そこそこ。この切手を郵便物に貼付して手紙を寄こす方もおられる位です。その状況の急変ぶりには驚き以外ありません。今では立場が逆転して良消しの使用済は、1万円を超えるモノすらあります。
画像アップは未だ比較的良消しが多い国宝シリーズの法隆寺。
画像アップは未だ比較的良消しが多い国宝シリーズの法隆寺。
このエンタカット、残念ながら数字活字『1』がなく、その特徴のセリフ付きが確認出来ませんが、卓上機械印の印影です。年号活字『30』が先に紹介した“東京・国立”局と酷似していますし、全体的な印影イメージもそうです。でも、どこかに『1』が有れば...と思いますねぇ。
昭和44年の国立局の和文機械印です。卓上機械印の活字の特徴は数字『1』のセリフ付きですが、時刻表示の『前8-12』にも同様に見られました。
アップした画像では日付の『1』にはその特徴が見られますが、時刻表示には見られません。多分、普通の機械印へ日付活字を流用したものと推測されます。
アップした画像では日付の『1』にはその特徴が見られますが、時刻表示には見られません。多分、普通の機械印へ日付活字を流用したものと推測されます。