関ヶ原の戦い…
小早川秀秋の「裏切り」が有名であるように…
各武将に焦点をあてたエピソードは、いろいろとあって、それぞれにオモシロイものがあるけれど…
その中で、私がめちゃカッコイイと、心から凄いな…と思ったのが
敗走した西軍の島津軍
関ヶ原の戦い
それは、小早川秀秋の裏切りによって西軍は惨敗…
総崩れとなる…
その中で東軍に囲まれ
孤立状態となったのが薩摩の大将、島津義弘であった…
普通では
生き残った西軍の武士たちが多い
伊吹山の方へ向かって逃げようと思うところが
常識的だとは思われるが
彼は
あえて、東軍の武士の多くいる
軍勢に果敢にも向かっていき、
その戦場を横断するかのように脱出を図ったのである…
そのときの
島津軍は約300名
東軍は約80000人…
普通なら
あっという間にやられて
首をとられそうなものだが…
島津軍は
その横を見事にすり抜けたのである…
といっても
もちろん
抜き足差し足忍び足で…
戦場を抜け出せるほどの
甘いものではない…
この島津軍のとった戦法が凄いのよ!!
それは
「捨て奸」もしくは
「座禅陣」と呼ばれる戦法
島津隊は退却の最中
退路に銃を持った兵士を数人座らせる…
彼らが敵の指揮官を狙撃し
怯んだところで突撃する…
それを何度も繰り返す中で…
時間を稼ぎ
その間に
大将、島津義弘を逃げさせるといった作戦
火縄銃と槍刀で武装した兵士たちが
小集団として本隊から離脱
座禅を組み座り込んで
火縄銃を構え、敵の指揮官を狙撃敵撃
撃った直後に槍や刀に持ちかえ敵集団に突っ込み死ぬまで戦うという
太平洋戦争中の日本軍の,体当たり攻撃部隊
特攻隊に通じる戦法…
お国のために…
散るか…
島津義弘将軍のために
散るか…
この戦法は
功をなし
井伊直政、松平忠吉の武将を負傷に追い込んでいる…
そんな中…
島津豊久が…最後の砦となって
「捨て奸」もしくは
「座禅陣」と呼ばれる戦法で
討ち死したか
あるいは…そうとうな負傷を負った場所であり
多くの薩摩武士がここで…討ち死した…
場所がこの
鳥頭坂
「島津の退き口」とも呼ばれている場所
私が、ここに立ち寄るのは2回目…
1年半ほど前に一度寄ったことがあるんですが…そのときの風景のまま…でした…
この…関ケ原の鳥頭坂は
島津豊久が…
討ち取られたとも言われている場所とも言われているし…
いやいや、ここで重傷を負いながらも義弘の後に続こうとして
その道中で倒れたとも
自刃したともいわれている
島津豊久
そのお墓が…ここに…
それを示す石碑が…実に寂しげに
島津豊久の碑は…この丘の上
案内看板もやや消えかかっています
関ケ原の戦いで敗れた
大将である島津義弘が、生きて九州の地に戻り、
徳川方を納得させる謝罪をしなければ
薩摩のお家が潰されるかもしれない…
島津義弘が生き残ることが
薩摩の武士の
島津豊久の
何よりもの願い…だったのである…
豊久の願いは成就し
義弘は無事に薩摩へ帰還
徳川による戦後処理にて、
遠いといった地の利もあってか
交渉も2年という月日がかかり
その間には
実は家康は島津討伐の命を下しており
九州の大名による連合軍が攻め寄せることもあったらしいが
その直後に家康へ義弘からの謝罪の使者が向けられたことで
戦さが回避され
最終的には
薩摩は「お咎めなし」を勝ち取るに至る…
そんな豊久の…薩摩武士の思いが伝わってくるような気がする
しかし…
その後の徳川家と薩摩藩の歴史を繋げると実に因縁深く興味をそそる…
おそらく…
ずっと…徳川幕府は
薩摩藩を…危険視してたんだろうなって…
それは
それから175年後におきた
薩摩藩に委託した
木曽三川の治水工事
素人そのものの薩摩藩士に
治水工事を嫌がらせのようにやらせ
多くの薩摩藩士が犠牲となった宝暦治水事件
この嫌がらせのような
治水工事に
薩摩藩士も
江戸時代…
なんらかの恨みつらみの思いがずっと
徳川幕府に残っていたのではないか…
そう思うと
討幕運動の首謀者
薩摩の西郷隆盛が
薩摩で
英雄視されるのが
めちゃめちゃわかるような気がする…
1年半前に立ち寄った時にも
この薩摩ベンチに座って
同じよーなことを思いを馳せてたら
徳川の大軍???に私が襲われたことを思い出した…
な、なんと
驚くことに
集団になって…私に襲い掛かってきた…
まるで、私が島津の武士であると勘違いしているかのように???
いや…「か」のように…ではなく…それは「蚊」そのもの
徳川家康率いる
東軍では…なくて…
「蚊」の集団…
私も
島津豊久に成りかわって
「捨て奸」もしくは
「座禅陣」と呼ばれる戦法…のように???
数か所喰われて
負傷???を負ったけれども
井伊直政、松平忠吉の武将のような???
「蚊」を
果敢にも負傷に??
追い込んだことを思い出した…笑
あのときは
東軍の兵が
次々と襲ってくるので…苦笑
「島津の退き口」で
私も退いたことを…笑
この日は…2021年3月…関ヶ原に雪が降った翌日…
あの時のような、東軍のよーな「蚊」はいないけど…
井伊直政、松平忠吉の武将のような???
北風が襲い掛かる!襲い掛かる!!!
「捨て奸」もしくは
「座禅陣」と呼ばれる戦法…のように???
「薩摩ベンチ」に腰を降ろしても容赦なく…
吹き付ける!吹き付ける!!!
「島津の退き口」で
またもや私も退いた…笑…寒すぎる!!
ここ
鳥頭坂「島津の退き口」に行こうと思われてる方
暑いと井伊、松平隊のような「蚊」、寒いと井伊、松平隊のような「北風」が襲ってくるぞ!!
暑い時、寒い時は…まつだいら…もとい…まっぴら(松平)ごめんだ…
季節のちょうどいい(井伊)ときに訪ねないと
島津った…もとい…しまった!!と思い
「退く」ことになるよ!!
ご参考までに???