新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

JR名古屋 Takashimayaで「生誕120周年 杉原千畝展…命のビザに刻まれた想い」

2021-12-27 06:01:18 | 博物館・美術館
2021年12月25日
 
クリスマス当日
 
ハッピークリスマス!!
 
ということで
 
写真は名古屋駅直結「KIKI NAGOYA」の
 
「FloweRing Tree」
 
 
 
 
 
 
 
「JR 名古屋Takashimaya」でも
 
「ハッピークリスマス!!」
 
 
 
 
 
そんなクリスマス当日…
 
それはそれは、名古屋駅のコンコースあたりは、凄い人混みでありましたが、その人混みを通り過ぎて
「JR名古屋 Takashimaya」の10階催会場で行われている
 
「生誕120周年 杉原千畝展…命のビザに刻まれた想い」
 
の特別展を観に行く…
 
 
 
私にとっては、杉原千畝さんと言えば…
 
4、5年前に、唐沢寿明さんが演じた
 
映画「杉原千畝 スギハラチウネ」をみて、その功績とかをようやくその時点で理解した私…
 
でも、今では、道徳の教科書にも載っていたりするんだな…
 
 
 
さてさて、その映画をみていなくて…もちろん道徳の教科書を読んでなくて、かつ杉原千畝さんって誰??と思ってる読者のみなさんに
 
杉原千畝さんのことを、簡単に紹介すると
 
1935年、満洲国外交部勤務の杉原千畝さんは高い語学力と情報網を武器に、ソ連との北満鉄道譲渡交渉を成立させる…
ところが、その後、彼を警戒するソ連から入国を拒否され、彼の念願だった在モスクワ日本大使館への赴任を断念することになった杉原千畝さんは、リトアニア・カウナスの日本領事館への勤務を命じられる…
 
「リトアニア」は、ナチス・ドイツが支配する激動のヨーロッパ情勢の最中…
 
いわゆるユダヤ人迫害!!
 
第二次世界大戦中ナチス・ドイツの占領下におかれたポーランドでは、ユダヤ人に対する「ホロコースト」(ユダヤ人の弾圧・虐殺)が行われていた…
 
当時、日本の外交官としてリトアニアの日本国総領事館に赴任していた杉原千畝さんはポーランドから逃れてきたユダヤ人難民が「弾圧・虐殺」を逃れる」ために「ビザ」発給を求めて日本国総領事館に群がる…
 
「ビザ」を発給してあげたいと思った杉原千畝さんは、外務省とやりとりするも、外務省は「ビザ」の発給には否定的な回答…

その外務省の訓令に反して、自らの命を顧みず、日本通過のためのビザを発給することに
 
日本への大量の「命のビザ」を発給し、およそ6,000人の避難民を救ったのがこの杉浦千畝さん
 

ビザの発給を受けた避難民はウラジオストクから船で福井県敦賀へ、その後、神戸港、横浜港から各国へ渡っていくことで、「弾圧・虐殺」されることなく命が繋がったとのこと…

 

「私のしたことは外交官としては、間違ったことだったかもしれない。しかし 私には頼ってきた何千人もの人を見殺しにすることはできなかった」と綴り

 

「苦慮、煩悶の挙句、私はついに人道主義、博愛主義第一という結論を得た」

と綴った発給時の心情を記した手記が心に残る…

 

 

さてさて、館内は写真撮影禁止でした…

なので、解説ボードの写真を撮って順に綴っていくことはできないのですが…

まあ、私のメモをば…参考に…

 

展示品は…というと

岐阜県八百津町出身の杉原千畝さん、父親からは医者になるよう命じられていたが、語学への志は高く、家出同然で上京する…その学生時代の優秀な成績を示すものから始まって、(映画では「小雪」さんが演じていましたが)一時帰国した杉原千畝さんは結婚し、その後、家族と共にアメリカ シアトル経由でヘルシンキに渡ったそのブレーメン号での豪華客席の旅の写真やら食事メニューやらも展示してありました…

リトアニア日本総領事館での活動を解説するスペースでは、タイプライターを載せた机と本棚、椅子などの執務室が再現されていました…


また、杉原千畝さんと外務省との、ビザ発給に関するやりとりが綴られた解説板

なんとか外務省に理解してビザ発給を肯定的に考えて欲しいといった想いがそのやり取りから伝わってきます…

そんな杉原千畝さんが発給した「ビザの本物」が、今回の展示の目玉として特別に展示されていました…

さらには、ビザの発給を受けた避難民をウラジオストクから船で福井県敦賀へ、その後、神戸港、横浜港から各国へといったことを、杉原千畝さんと同じ気持ちで、支えた人たちの写真等の展示も

たぶん、このことが要因で、外務省を辞めさせられた杉原千畝さん

退官後は進駐軍のPX、貿易会社、語学学校などに勤務したようで
転職活動時の履歴書、商社時代の名刺なんかも展示されています…

携帯ボトル、ステッキ、双眼鏡などの愛用品、彼を称える「顕彰切手」「ヤド・バシュム賞」などのメダル展示

 

最後は、杉原ビザを得て氷川丸で米国に渡ったビクター・ギリンスキーさんは同展に初めて「配給ビザの本物」を提供、「ご恩を一生忘れることはない」と感謝の言葉を述べるビクター・ギリンスキーさんへのインタビュー映像を中心に、この展示は〆られていました…

 

まあ、基本的には、解説ボードを読んで、映像をみて…といった感じの展示でしたが…人道主義、博愛主義第一といった彼の想いを痛感することによって

改めて平和について思いを馳せることのできた展示でした

 

「ハッピー・クリスマス」

「(ビザ)発給(ハッキュー)・クリスマス」に思えたこの展示…

 

未だに続く難民問題…

差別する主導者にこの杉原千畝さんの爪の垢を煎じて飲ませたいほど…

 

この混とんとした世の中

新型コロナウイルス・オミクロン株じゃなくて…杉原千畝さんが増殖すればいいのに???

 

 

もうすぐ新年を迎えますね!

 

増殖した???杉原千畝さんは、きっとこう言うよ!!

「発給(ハッキュー)・ニュー・イヤー」ってね!!