1978年 10月25日 発売

当時資生堂のCMタイアップ曲でブラウン管から
流れてきたこの歌
仮説と推理
歌の楽しみ方の1つとして
「夢一夜」は
誰の歌?
という推理をしてみた。
『夢一夜』の作詞者は
阿木燿子さん
阿木燿子さんは
「横須賀ストーリー」からの
作品提供から
山口百恵像を
確立するのに
大きな影響を与えてきた。
「夢一夜」発表時
山口百恵さんの
作品は
「プレイバックpart2」
「絶体絶命」などだった。
その辺の時期に
書き下ろされた
「夢一夜」
当時はなんとも思わなかった
この詩の内容
詩の中の女性像
この詩は
もしかして
山口百恵さんに歌って
もらいたくて
書いたのではなかったのか?
と考えてしまった。
確かに
この作品 南こうせつさん用に
作られたものだったろうが
山口百恵さんは
1979年10月20日のコンサートで
引退の意思を示した。
その一年前に
女性らしい
本当の百恵さんの内面を想像し、
光を当てたような作品「夢一夜」
「プレイバックpart2」や「絶体絶命」など
少し、尖ったイメージの歌を歌っていた当時、百恵さんに
その正反対の世界を
もしかして
当てようと
この「夢一夜」を阿木燿子さん自身の中に
温めていたのではなかったのだろうか?
だから
「夢一夜」のメロディは
あまりにも
百恵さんが歌ってしっくり
していくべく
雰囲気を持っている。
何故なら…
歌の歌詞には
その言葉に
もう、すでにメロディが
のっている時があるという。
こうせつさんが確かに
曲をつけたわけだけど
山口百恵さんが歌うべきだった歌
と思える
サビの
♪あなたに会う日の
ときめきは
憧れよりも苦しみめいて
あゝ夢一夜
一夜限りに
咲く花のよう
匂い立つ
凛とし、
慎ましく
その内に秘めた
情熱は
そのモデルとして
考えてみれば
百恵さんに当たるような
気がしてならない
作品をどうチョイスして
発売されていくのか
イメージ戦略の流れで
同時に尖ったイメージの歌を
押していた中
真反対の「夢一夜」は
シングル候補ではなく
アルバムに収録されるそんな
作品としての位置にあったのかもしれないが
いずれにせよ
その時はまだ
生まれてなかった作品だったとしても
山口百恵さんに関わっていた頃の
阿木燿子さんだっただけに
その作品にも
百恵色、百恵香が
付いていたのかもしれない。
仮説と推理
歌の楽しみ方の1つとして
暴論ではあるが
そんな気がしてならないのだ。
