

これは
歌としての詩なのか?
と思わせる
その歌詞は
当時、溜まっていたエネルギーを
溜めに溜めていた
吉田拓郎さんには
まるで
吉田拓郎に乗り移ったかのような
本人が書く以上の本人らしさでの
詩の内容が多かったこともあり、
拓郎さんも当時の状況をそう、語っていたりもした。
「岡もっちゃんの詩はもう、当時自分が書こうとしていた、テーマだったり、言葉だったりを先回りして書いてきた事が多かった」と、
"吉田拓郎に乗り移る"
まさにその通りで当時ぼくらも
この歌は作詞作曲吉田拓郎
なのだろうと
思いきや、
作詞 岡本おさみ
とクレジットされていたり、
どっちが書いた作品なのか
、そしてもしくは
拓郎さん本人をも上回る言葉の回し方でソングライターの領域を凌駕し、吉田拓郎と対等に喧嘩をしていたそんな雰囲気が作品から聞こえてきた。
これならどうだ!
これに曲はつけれるか?
拓郎さんも意地?になって
つけてゆく
もう
感性と感性のぶつかり合いの境地
異質な言葉
歌の歌詞には
不向きな歌言葉
メッセージをしのばせ
時には謎かけを
時には優しく
岡本おさみさんは
それでも男の詩をよく書いてきた。
♪僕らは夕食時だった
僕らは夕食時だった
つけっぱなしのTVだったから
つけっぱなしのTVだったから
岡山で戦車が運ばれると
ニュースで言っていたけれど
僕らは食べる時間だったから
何気ない ゆうげのひと時
TVをつけると
戦車が運ばれるニュースが流れてきた
たったそれだけのこと
そのたったそれだけが
意味をなすものは…
岡山おさみさんと吉田拓郎さんが
シンクロニシティしていたあのころ
1973年前後の年
同じ思い
同じ言葉を探していた
のではないだろうか?
感性が研ぎ澄まされ
なにかのメッセージを発信して
投げかけていた
歌たち。
岡山で戦車が運ばれる
どこからどこへ
いつ頃のこと
以前そんな議論を耳にした事があった。
歌から日時を特定する
ファンならではの楽しみでもあるが
結局わからずじまいだった。
自衛隊の駐屯地からの移動だったのか?
戦車を作っていた工場から
駐屯地への移動だったのか?
詳細は定かではないが
列車に載せられ移動する戦車の映像は目にする。
その光景だったのかなと推測したり。
二番の歌詞は
♪僕らはお茶を飲んでいた
そして、
テレビを見るのは習慣だったと
言い
そいつ(戦車)は突然現れて
プツンと消えてしまったと
…
僕らは食べる時間だったから
と説明する
三番においては
お茶を飲んでカップを置いた
そいつは
1つのニュースなんだと
僕らは知っていたけれど
と自分で納得させる作業に入っている
僕らは食べる時間だったから
と叫んでます。
もう、意味をなしてないといえば
そうだし、雄叫び大会的な
エネルギーを発散するのに
意味を持たせた言葉は邪魔になる
場合がある
ある意味
ロックなのだ
ロックはそのスピリットで
曲を詩を歌を引っ張っていく
場合が多いと思う。
岡山おさみさんは
吉田拓郎さんのエネルギーを
引き上げ爆発させる
発火点を誘発させる 一役を
かっていたのか?
煽っていたのか?
アルバム「伽草子」から
約5ヶ月後 途中 金沢事件があり
その復帰から
伝説の魔の神田共立講堂Liveがあった。
金沢事件への見えないやり場のない
敵に、(仮想 敵 ?マスコミ)に向かって放たれた強烈なエネルギーは
拓郎さんの創作活動に拍車をかけ
今でも名作、名曲として残る作品があのころ出来上がったといって過言ではないだろう
その一役をかっていた
岡山おさみさん。
何気ない日常に起こる
不幸
を予言し、そこに
怖さを忍ばせる
警鐘をならし、
そこに確実に降りかかる
火の粉を見せようとした
岡山おさみさんの作品の1つ
「晩餐」
凄まじいエネルギーで解き放たれる
Liveでの拓郎さんの歌いかたに
圧倒される。