明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

道標なき旅 永井龍雲

2019-08-12 19:55:01 | 僕の音楽日記


ポスト 井上陽水
ポスト吉田拓郎
ポストかぐや姫

そんな活字が音楽雑誌を飛び交う。

オピニオンリーダーの交代
次世代を担う新しい歌声を
確かに求めてはいただろう。

しかしながら
ポスト
という言葉がつく以上
あくまでもそのひとのキャラクター
を超えることはできない。
むしろそのものを引き継ぐ、
2代目井上陽水
2代目 なになに
を襲名する流れをつくって
行きたかったのか?

伝統文化の中には
2代目を襲名するのは
落語だったり
歌舞伎だったりが
ある。

芸という名を繋げていくのなら
2代目の深みを持たせるのは
ある意味音楽界も面白いとは思うのだが…
それぞれアーティストは唯一無二の
存在であるがゆえ

名前のみが一人歩きするだろうし、
単なるモノマネの域から抜け出せない
そのひとの個性を守るだけの
存在としての
2代目となりうる可能性があり、
没個性だ。

活動を辞めたらそこでおしまい
死んでしまったらそこでおしまい

ミュージシャンは
作品を作り続け
歌い続けてなんぼ…

表現者として、その
個性をポストなになにから
その土台を借りて
ジャンプアップできたら
ある意味儲けもんだろう。

永井龍雲さん

この「道標なき旅」
グリコのCMに起用されて
脚光を浴びかけ、
次世代の歌のトップに
立てるか?と期待をした。

ポスト拓郎と期待された
長渕剛さんは
少し抜きに出ていたあの頃。

新しい風を音楽ファンは
その時代の変わり目に求める。

道標がない旅


僕らの人生もそのものかもしれない

なんの保証も
なんの意味も
持たない
日々の中で
海図もコンパスも
持たずに
大海原を彷徨う
筏のように


未だたどり着けるべき
港は見えず、
嵐の気配
凪の中
くぐり抜け、
安息の地を目指して
いくものの

波を超えて
確かなものを胸に
最後の航海に
滑り出した。