明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

1979年 10年目のギター 名古屋市公会堂

2019-08-23 21:09:00 | 雑記




東京
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西岡たかし 小室等 吉田拓郎
の三方が
アコースティックなライブを敢行

拓郎さんは篠島をやり終え、
その後のツアーを一区切りするやいなや
このイベントを開催。
12月に入って慌ただしい中
精力的に動いていた吉田拓郎さん。

何か見えないものに
突き動かされるように…
そして…
70年代最後のケジメをつけるかの
ごとく…


フォークムーブメントは
75年つま恋でひとつの
頂点を極め、
その後
ニューミュージックと名を変えて
着飾った音楽へと
変貌していったような
感じ、

原点回帰の意味合いと
80年代へいくための
更なる助走のための
『10年目のギター』だった。


「歌う事」の意味と
「歌」のもつチカラ

そして自分たちがまだ
通用するのか?
音楽シーンに
必要とされているのか?

再確認の意味の
『10年目のギター』

小難しいことはファンはどうでも
よくて

拓郎の一挙手一投足を
まじかに見ることで
心地よい時間を得ることができた。


名古屋市公会堂
1552席ぐらいの
こじんまりした会場だった。
アットホームな雰囲気で
アコースティックのコンサート
にはもってこいの箱だと思う。

この時はチケットもほとんど前から数席で
目の前で観れるくらいの絶好の
ポジションだった。

「風に吹かれて」を歌う
拓郎さんから
コンサートは始まり、

加川良さんの
「教訓1」
をカバー
二曲目として披露した。
その後
西岡たかしさん小室等さんと
持ち歌を歌い、

拓郎さんがベースや
エレキギターをもったり、
西岡たかしさんは
木琴でフォローしたり、
曲をアシストしながら
それぞれ
アレンジの中で
三者が曲に演奏で絡み合う。








♪外は白い雪の夜
♪落陽
♪リンゴ
♪制服

など
名曲をアコースティックギターでの
弾き語り
スタイルで歌う吉田拓郎さん

まだ10年もたってないのに
随分と昔のように
感じるのは
どうしてだろう。


70年代って
みんながひょっとして
生き急いでいた?

色々な事が
矢のように
ものすごいスピードで
過ぎ去っていった感じが
あるのだ。


ほんの7〜8年前までには
このスタイルでコンサートを
やってたのに

そうゆう
時代背景を再確認するべく

「10年目のギター」の会場に
僕はいた。

篠島に参加した友人と共に
必死に拓郎を追いかけていた。
篠島
そしてその後の秋の全国ツアー
そして
「10年目のギター」と
アルバイトで稼いだお金もコンサートチケットなどに消えていった。

一挙手一投足を見失わないように
80年代に乗り遅れないように
拓郎の死水を取れるように

80年代はどこにいくのか
西岡たかし
小室等
吉田拓郎

前から二列目 ステージからほぼ
目の前の席で
凝視してみた
吉田拓郎。


次は20年目のギター
はあるのか?次は43歳?

想像できなかった
吉田拓郎さんの43歳,


されど
今年御歳 73才

ライブパフォーマンスで健在ぶり
を披露。


あれから40年。







たいせつなひと さだまさし

2019-08-23 16:14:00 | 僕の音楽日記
♪その手を離さないで

不安がゆきすぎるまで…

哀しみの辺りで出会った

その温かい手を……







目に見えない手は
いつも繋がっているように
思えても
それは
思い過ごしなのか

自信のなさがいつも自分を
卑屈にさせ
不安になり
自分で穴を掘り
落ち込む。


♪喜びと悲しみは光と影のように
いつでも寄り添うもの

幸せと口にすれば不幸せばかりが映る

いつも反対の影の方ばかりを見る癖がある

きっとそれは
手ごたえのない実態のない
自信
満たされない
仮の満足感


♪あなたの存在だけが他の
全てより秀でてる

愛ばかりを集めたら
憎しみまで寄り添う

たいせつなものや
たいせつな人に
どれだけ
思いを託すのか
託された思いは
心を浄化していくのだろうか?

かえって、
重く
深く
鋭く
なっていきは
しないだろうか?


たとえ
それが偶然の産物だったとしても

あとから知った事実
であっても
偶然が必然になっていきはしないだろうか?

信じることと
気にしないことが
心の浄化には
一番の薬。

たいせつとは
大きく
切る
と書いて
たいせつと読む
雑念を大きく切り刻み

その人を思う
そのものを思う

大切なもの
大切な人

それは
切っても
切っても
切る事のできない
もの