
浜日傘
ゆらゆら
すらりと伸びた長い足
蒼い夏が
駆けてゆく
僕は昼寝を口実に
泳げないのを幸いに
女の子って
やっぱり
いいな…
浜辺の光景
70年代は
まだマリンスポーツは盛んではなく
海辺の遊び方は
スイカ割り、
大きな浮き輪や
ゴムボートっぽい
もので少し深みまで泳ぎながら
浮かんで 海を楽しむ。
泳げないから
ビーチパラソルの下で
女の子をみて楽しむ
それでなに?
やっぱり
って再確認する
岡本おさみさん
何はさて置き、
女の子って…
やっぱり!
いいなぁ
しみじみと
言い切ってます。
単なる女好きだと、
拓郎さんが歌うと
それで完結してしまう
フレーズ。
裸の子 じゃぶじゃぶ
オチンチンさえ可愛くて
蒼い夏がはしゃいでる
君は夏ミカンむきながら
早く子供が欲しいなぁ
わざと言って
ため息 ひとつ
2番の歌詞はなんとも
ドキっした覚えがあった。
オチンチン
というフレーズと
早く子供が欲しい
という
フレーズ。
子作り態勢に入った
この歌の中の男女
女の方が
わざと
言ったセリフ
「早く子供が欲しいなぁ」
愛されてないのか?
女の子を脇見している
男に釘をさすセリフ。
そろそろ落ち着きません?
とでも言われているかのように…
盂蘭盆会 チラチラ
灯籠流し 水あかり
蒼い夏に 祈りあり
いつか滅びるこの海が
肌をジリジリ焦がすので
今夜きっと寝つかれぬでしょう
盂蘭盆会(うらぼんえ)とは、太陰暦7月15日を中心に7月13日から16日の4日間に行われる仏教行事のこと盂蘭盆(うらぼん)、お盆ともいう。また、香港では盂蘭勝会と称す、
日本における日付については、元々旧暦7月15日を中心に行われていたが、改暦にともない新暦(グレゴリオ暦)の日付に合わせて行ったり、一月遅れの新暦8月15日や旧暦の7月15日のまま行っている場合に分かれている。父母や祖霊を供養したり、亡き人を偲び仏法に遇う縁とする行事
という夏の行事
お盆のことを盂蘭盆会
という
そのことを単語で知ったり、
灯籠流しとか、
夏の風物詩が
しめやかに3番の歌詞に登場する
そして、
いつまでも
毎年
変わらず訪れる夏の海
その海が
いつかは
滅びるとまで断言している。
一体なんの根拠で?
せめて
永遠に訪れる夏の海とか
言って欲しかった
いつかは滅びるこの海が
海の野郎が
小賢しくも肌をジリジリ焦がすので
今夜眠れないだろ!
って、八つ当たりなのだ
岡本おさみさん
しめやかな
慎ましい気持ちの蒼い夏に
祈りありと
言いながら…
八つ当たりなのだ。
老夫婦ハラハラ
過ごした日々が
朽ちてゆく
蒼い夏に寂しさあり
僕は平凡な愛妻家
もう何も考えまい
愛することの
煩わしさ さえ…
4番の歌詞では
悟りを開いたお釈迦様のように
僕は平凡な愛妻家だと
言う
愛することの煩わしさ
さえも
考えないで、
身を任せる。
自然体でいることを
蒼い夏の中で悟る
なかなか
こんな感じでピーチパラソルの
下で繰り広げられる
男女のやり取り
に
深い心の機微があり
悟ったり
諦めたら
憤慨したり
喜怒哀楽を飲み込みながら
夏の海辺にいるのだ。
岡本おさみ作品には
アンサーソング的なものが多く
存在する
後年
「白いレースの日傘」という作品が
この「蒼い夏」のアンサーソング的ともとれる
世界観をもつ。
君のレースの日傘
回してみれば
フリルが揺れる
照れ臭いけどなぜか
暖かい
傘の中には
若い君がいる
二人の暮らし あの心にひそむことも
全てを知ってる秋が
穏やかなことも
そうさ
譲りあえれば…
あれから
どうなった?
そんな思いをよそに
相変わらず海は
滅びるどころか
暑さを倍にして、
肌をジリジリに焼いてくる
そんな夏になっていっている
。
岡本おさみ作品の中で
好きな詩のひとつ。
「蒼い夏」