明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

万里の河 チャゲ&飛鳥

2019-08-28 21:50:00 | 僕の音楽日記
ついに…
というか
このタイミングで…
というか

解散を決めた
チャゲ&飛鳥

2009年 1月に活動休止を発表し、
2013年再始動を決めた翌年2014年に覚醒剤取締法違反で飛鳥が逮捕。


飛鳥自身もソロで活動する機会
も多くなっていた

もし、解散ということだけを
とられるなら
2009年頃がそんな
潮目だったのかも
しれない。


万里の河
で一躍売れ始め

数々のヒット曲を発表。

デュオとして
80年代からずっと
第一線で活躍してきた

僕らからすれば
「風」のあとは
チャゲ&飛鳥だ!
とばかり
期待を寄せていた

「ひとり咲き」
でデビューし、
これはいける
いいデュオが出てきた
と期待大だった。

熱唱系の飛鳥のボーカルが
振り絞るように歌う
「万里の河」は

ヒットすべきしてヒットした。

一生懸命さ
歌と向き合う姿勢に
ファンは
このデュオに多大なる期待と
応援をかけて
いったと思う。


作品作りに行き詰まって

薬に手を出す、
コンディションを整えることに
薬に頼る

いろんな入り口から
忍び寄る
クスリの誘惑。

追い込まれ
追い込んで
しまった
己の弱さは
クスリでは埋まらなかった
という事。


♪どれだけ待てば
いいのですか?
あゝ 届かぬ愛を

二人の運命知らぬ河は
淡い夢をのせて
流れてゆくようで…

まさしく
この歌詞の通りになってしまった。

チャゲさんは
飛鳥さんを待っていたのだろうと
思う。

二人の運命は
二人にでしか
決まらない
決めれない。

愛しい人よわたしは歌う
千もの言葉 願いを込めて


届かなかった
願いは

川のように流れていってしまった。





髪の毛がフサフサだった頃のお二人

青く
ひ弱で
不安げな
その瞳
で映る
ジャケ写

今はもう
その当時の面影すらもないほど
変わってしまった。




プロレス黄金時代 夢とロマンの昭和プロレス。

2019-08-28 10:34:00 | 雑記
金曜日の夜 8時 はTVの前に
正座して
プロレスを見ていた時代。

黄金時代だったあの時代





馬場がいて
猪木がいて

僕は新日派だったし、
長州ファンだ。
それまで長州が輝くまでは猪木ファンだったし、
藤波ファンだ
何しろ
ミーハーなので
一番輝いている人が好きだったのだ。

UWFの前田も大好きだったし、
新日は次から次へと
物語が展開されていた
(業界用語で「アングル」というらしい)

長州が上に噛みつき
藤波との抗争

タイガーマスクが現れ
ジュニアヘビー級にもスポットが当たり、
80年代の新日本は
バブル期だった。
猪木という圧倒的なカリスマの
新日本の象徴がいて
それを取り囲むように
役者が輝きを放っていた

あっちも
こっちも
というのは
観客から、ファンからすれば
一粒で二度、三度美味しいわけだ

猪木だけではない
藤波、長州、
タイガーマスク
あきることのない
尽きることのない
戦い。

あの時代
金曜日の夜が楽しみだった。


記憶にあるの試合は
まだ小学生のころ

新日の試合で
登場してた
タイガージェットシン

サーベルを振りかざし
狂ったインドの虎
の異名で狂気の振る舞いに
本当に猪木が殺されるんじゃないかと思ったほど…
いつも
対 タイガージェットシンとの試合は
殺伐としていた。


1974年 6月26日 
大阪府立体育会館
猪木がシンの腕の骨を折る
TV中継の中でやってのけた
戦慄が走った試合。


逆関節を曲げて肩にあて力を入れて
折ってしまった。

実況アナウンサーが絶叫していた
印象的な試合。

あの時家族中が言葉なくTVに見入っていた。

猪木の掲げる
プロレスはキング オブ スポーツ
というその名の通りの試合だった。

そして 長州vs藤波 の名勝負数え歌
1983年 4月3日 
蔵前国技館 




そして
異種格闘技戦
猪木vsウィリアム ルスカ戦

プロレスの凄みを見せてくれた試合だった。
異種格闘技戦第1戦だった。
モハメド アリ戦へ向けての第一歩
だった
異種格闘技戦。

バックドロップ三連発でマットに沈めたアントニオ猪木。

この試合の中継に
体中の血が沸き立った思いがした。




そして
大好きな前田日明さんと藤波辰爾さんの大阪城ホールでの1986年
6月12日
IWGPリーグ戦 での名勝負。
22分の熱闘両者KO
での幕切れ
藤波辰爾さんが前田日明さんの大車輪キックをコーナーで受けて
額から流血し、ダウン
前田日明さんも受け身をとれず
そのままダウンで両者KO
となった。



そのほかタイガーマスクの登場
小林邦昭との抗争マスク剥ぎの試合とか

全日では
ザファンクス対 アブドーラ ザ ブッチャーとザ シークとの凄惨な試合
テリーファンクがザシークやブッチャーから腕を何回もフォークを突き刺され
血まみれになった凄惨な試合
この試合で
ブッチャーは初めて凶器として
フォークを使った。

途中でテリーファンクは控え室へ連れて行かれる戦闘不能状態に
孤軍奮闘するドリーファンクが
ブッチャー シークにやられ、もうダメだという時
右腕を包帯でグルグル巻きにしてテリーが帰ってきた
左ストレートでブッチャー シークを蹴散らすテリーファンクの勇姿にスーパーヒーローを見た。

1977年12月15日
蔵前国技館





昭和のプロレスは夢とロマンがいっぱいだった。





なりたかった夢 と自己顕示欲 と有名になりたいと思う気持ち

2019-08-28 09:50:00 | 雑記
夢は何?
いつの頃も聞かれる
ワードだ。
例えば
幼稚園、保育園の頃
小学校入学してから
中学、高校の頃は友達同士で

そして
将来がだんだん見え始め
目の前の夢とか
照準が合ってくる人
こない人。

夢の実現は
粘り強い
持続可能なブレない動機と
それを突き動かす
強い意志がないと
夢に向かって
進めない。

夢は
自己顕示欲のひとつだし、
有名になりたいと思う
ことへの裏返しだと思う

自分という個性をもってなりたい自分のフィールドで頭角を現していく

それが夢の実現。

それが有名になりたいという動機かどうかはまた、別物。

だんだん自分に自信がもててきて
パーソナルな部分も
さらけ出せる事になれば
もう有名人としての自覚とポジションに行けるのだろう。

芸名や
ペンネームや
本名を隠して
有名になるという

手段はいくらでも転がっている。

障害としてあるものは
そのようにして
自分の夢の実現を優先し、
なりたい姿へと
近づければ
いい。

僕の小学校の時の夢は
漫画家だった。
そして
プロ野球の選手
同時におもった。
その頃少年ジャンプにハマって


数々の漫画ヒーローたちを描く
夢のある漫画家に憧れた。
少しは絵がうまかった
学年では三本の指に入るほど
絵は上手いほうだったから
漫画家を本当に
目指したいと思っていた。

そしてその反面
野球も盛んだった
ソフトボール
軟式野球と
自分がヒーローになれる野球に憧れ、
長嶋茂雄さんに憧れてた。



なりたい自分が見えてきた
でも
野球の才能のないことに
すぐ気づいたのが中学に入ってから

その時の夢は

歌手だ!シンガーソングライターになりたい!!
有名になりたい!

この辺の動機は完全に僕は
自己顕示欲が強くなってきて
シンガーソングライターに
なって
有名になりたい
だった。

漫画家の時もストーリーを考えたり
するのに
考える事が
想像
妄想
することが
すきな
少年だったので
その延長で
作詞をする作業には
楽しみがついて回った

だからシンガーソングライター
憧れは
「吉田拓郎」だった。



髪の毛を伸ばして
あんな風に長髪に

鏡に向かって髪の毛を触ると
坊主頭を触りながら
鏡の前に立つ
あの頃の自分がいた。

高校に入ったら長髪にしようと
髪を伸ばし始めるも
癖っ毛で
拓郎みたいに
ストレートで伸びていかない

どんどん髪の毛が丸まっていく
ウェーブがかかって
パーマ状態。

なりたい自分とかけ離れて行く

いわゆる
「見て見て!」
状態になりたいのに…


髪の毛が伸びきらないうちに
高校でも
やはり頭髪検査があり

早速長いと注意され
切られた。

その時
何故だか夢を切られた感覚に
なった。


なりたい自分
夢の実現
有名になる

自分を認めてもらう

承認欲求が強いことに
やっと気づいたのだった。

人は誰も承認欲求というものがある

それが大きくなると自己顕示欲
欲へと膨張していく


どうだ!
見てくれ!
こんなだぞ!
すごいだろ?

自信を身にまとい
相手にそれを認めさせる

僕の友人はそんなタイプがいた
僕は
そこまでの自信はなかったけど
密かに
静かに

比較的
目立たないように
でも
見てくれる?
的な
そんな
感じの
有名になりたい
思いをもった少年だった。

そして今もその心根は変わらず
この歳になっても

やっぱり
有名になりたいって思える気持ちはあるよね