明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

今はまだ人生を語らず 2枚組構想を考える

2019-08-20 17:47:00 | 雑記
1974年 12月10日発売。

ファンの間で
期待し、その選曲に思いを寄せていた
そのアルバムは
タイトルが
「今はまだ人生を語らず」
と決まった。
しかし、雑誌とかの表記は
レコーディングの都合で
結局 一枚組となった
としている。

前作
よしだたくろうLive'73も
本来二枚組という構想もあったらしいし、
提供曲が増えていて、
襟裳岬のレコード大賞
よしだたくろうのネームバリューが
一気に上がったことを受けて
作品を多く披露していくことは
必然だったろうし、

二枚組か否かは
企画段階から
発売スケジュール等
色々な要素が絡み合って
なかなかうまくいかなかったと聞く。


あの時点
もし、
『今はまだ人生を語らず』が二枚組
発売になっていたなら
どんな構成になっていたのだろうか?
とファンとしては
推理する楽しみとして
考えてみた。





一枚目 は
1.ペニーレーンでバーボン
2.人生を語らず
3.世捨人唄
4.おはよう
5.シンシア
6.三軒目の店ごと


B面 
7.襟裳岬
8.知識
9.暮らし
10.戻ってきた恋人
11.僕の唄はサヨナラだけ
12.贈り物

となっている。






そして
推理と期待する
僕の考える2枚目は?


1.私の足音
2.蛍の河
3.歩け歩け
4.地下鉄にのって
5.僕のエピローグ
6.クジラのスーさん空を飛ぶ

B面 
7.君麗しのかんばせを
8.両国橋
9.竜飛崎
10.さすらい時代
11.君のために
12.我が良き友よ


とあの時点に入れると思われる曲は
こんな感じか、

後々フォーライフレコードで
アルバム
「ぷらいべえと」
ルームライト
赤い燈台
歌ってよ夕陽の歌を
あゝ青春
いつか街であったなら

をいれている

あの時点で上の曲も候補として
入れていただろう。

アルバム「明日に向かって走れ」
にも、
候補曲として
上がっていたのが

明日の前に
風の街
悲しいのは
(当時のタイトルは「私」だった)

あの時点でどれをチョイスして
二枚組にしたのだろう

たまたま、二枚組がなくなって、
フォーライフレコードを設立して、
「明日に向かって走れ」「ぷらいべいと」
とアルバムを出す事になり、
その中に提供曲をセルフカバーして、いれる事になったけれど
僕の考えて上げた
曲は
後々にアルバムから漏れた
曲たちであって
当時
あの時点のもっとも
2枚組として当確する曲たちでは
ないとは思う。

もっとも
2枚組という企画の
二枚目はセルフカバーを中心とした
企画となったことは間違いないだろうが
CBSソニーがそれを積極的に
進めていたのだろうか?
といささか疑問に思う。

だから…
という結論に結びつく
小出しして…

ではないけれど
ネタは全部惜しげも無く
出すものでもないだろうということ
だったのか?



改めて当時、
より
当確していたであろう
二枚目の
曲は
こんな感じだったのだろうか?

1.地下鉄にのって
2.蛍の河
3.赤い燈台
4.風の街
5.私の足音
6.悲しいのは(私)
7.いつか街で会ったなら

B面 

8.あゝ青春
9.明日の前に
10.ルームライト
11.歌ってよ夕陽の歌を
12.歩け歩け
13.我が良き友よ

と、こんな感じで二枚組としての
「今はまだ人生を語らず」
が発売されていたのかもしれない。



そして
見開きのジャケットとして
中の写真が
付録についていた
これが中の写真になり


当時レコード店でこのアルバムを購入すると
もらえた
ポスター



井上陽水「氷の世界」を抜くために
プレゼント、とレコード企画の両面、
盤石の体制で仕掛けていけば
いい、セールスが期待できたのかも…

CBSソニーから発売の
「元気です。」
「伽草子」
「Live'73」と

見開きのアルバムとなっていたのに
「今はまだ人生を語らず」は
見開きになっていなかった。

それを思うと
ギリギリまで
二枚組になるべく
アルバムだったんだと
考えられる

レコーディングの都合。

ほんとの理由はわからないけれど

ファンとしての推理する
楽しみとして、

幻の2枚組アルバム
「今はまだ人生を語らず」

もっとも勢いのあった
73年終わりから74年
のよしだたくろうさん

脂の乗り切った
作品を網羅した
2枚組アルバム
是非聞いてみたかったと思う。

そして
Live'73も
完全版
の音源も発売されると
いいなぁと思う。

DVDとかになるともっと
ファンは色めき立つだろうし、

'75つま恋
も未発表の映像も追加発売されると
もうお宝だろうと思う。

ペニーレインでバーボン

の歌詞の一部の表現
が発売禁止にかかり、
勿体ないけど残念な事となっている。

意図するものではないのだから
そこまで目くじら立てて
規制の対象とする感じにしなくても…
と思うのだが
芸術、表現の自由

自由というなの不自由な事

何故か拓郎さんもそのような事を
歌ってたような…












思い出のビーチクラブ 稲垣潤一

2019-08-20 13:58:00 | 僕の音楽日記


稲垣潤一さんの歌う夏の歌
で響くのはこの歌

『思い出のビーチクラブ』

カナダドライのCM songでよく
聴いたよ。

はしゃぎすぎた夏
過ぎし夏

杉山清貴さんの歌う夏の歌
TUBEの歌う夏の歌
山下達郎さんの歌う夏の歌
80年代には
どれもこれも
夏の歌が溢れていたように思える。


あの頃夏はだんだんおしゃれになっていった。

70年後期ぐらいの夏の海は
ビーチで戯れる男女
が絵に溢れていた。

マリンスポーツがだんだん浸透
してきたのは80年代になってきてから、
それまでは
しまらなかった
夏の海辺。

ウインドサーフィン
サーフィン
ボート
水上バイクなど
だんだん
バブルの頃に向けて
マリンスポーツが花盛りに
なってくると

夏の海も賑やかになってきた。

ポップな曲はビーチによくあっていた。
海、海辺、
思い出たちとの会話
それが70年代の若者の
海辺での過ごし方
80年代からは
海で遊ぶ男女、躍動し
行動する海での恋
のような
そんな光景。

はしゃぎ過ぎるくらいの
弾ける夏
というイメージ。

ちょうど太陽が真上からギラギラ
輝いているような
感じ、
それが80年代。


70年代は
陽の暮れかかった夏の海辺
というイメージ。

そして90年代の夏の海辺は
夜明け前夜明け頃
夜通し
はしゃぎ切った
夏の海というイメージだ。



歌もそんな光景を思い浮かべさせる
歌が溢れてたような気がする

あくまでも個人の見解なのだけど…

STAY GOLD
輝き続ける…

色褪せない思い出。

夏の日の恋
夏の日の出来事
夏の日の海辺

急いで秋がやってくる前に

忘れ物を取りにきたように

振り返る時

夏=輝いていた季節
一番充実していた瞬間
人生の主役の時

人の一生も春夏秋冬でたとえられるように

さあ、僕は今
人生のどの辺りを行ったり来たりしてるのだろう…


自分の中で
消えることのない
輝き。

ほろ苦く
切ない夏