林檎の唄 ~ アップルビデオ高津店オフィシャルブログ

アコースティック・バンド「アップルビデオ高津店」
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思い出の音楽 その1 ワインレッドの心

2020年08月17日 08時40分23秒 | 思い出の音楽

いやあ、毎日暑いですなあ~。

しかもここ数日は、夕方になると雷が鳴って、土砂降り・・・

それで涼しくなってくれればいいけど、蒸し暑さが増すばかり(泣)

 

さて、それはともかく、表題にもあるとおり、おいらの思い出の音楽を語っていこうかなと。

それも、思い出せる限り過去にさかのぼって、曲単位で書き続けてみようと思っておりまする。

 

おいらは1974年生まれです。

元号で言うと、昭和49年ですね。

生まれた場所は、このブログには何度か書きましたが、広島県三次市です。

まあ、中国山地のど真ん中の、大田舎と言ってもいいでしょう。

うちの父親と母親は共働き。

おいらとはかなり歳の違う、兄と姉がいる、5人家族でしたわ。

 

うちの母親はかなりの音楽好きで、

台所でいつも、都はるみの「大阪しぐれ」という曲を歌っておりました。

我が家は山の中の一軒家だったので、大声で歌っても、家族以外には誰にも迷惑が掛からなかったのですわ。

なもんで「家の中で大声で歌う」というのは、おいらにとっては、普通のことでした(笑)

(実家を出てから「近所迷惑」というモノが存在することを知ります・爆笑)

 

うちの父親は、ほとんど音楽には関心を持ってなかったように記憶してますわ。

といっても、おいらが小学校の時に病気で死んだので、あまり憶えてない、というのが正確なところ。

ただ、亡くなった後に遺品を整理していたら、ヤマハのクラシック・ギターが出てきたので(笑)

ギターを弾こうという意志はあったのだろうと推察しますわ。(弾いていたのは見たことがない)

 

兄はおいらとは5歳も違うので、おいらが小学生の時にはもう思春期でして。

オフコースを聴きまくっておりました。

 

姉もおいらとは4歳も違うので、ひたすら少年隊の植草克秀のファンでした(爆笑)

 

もちろん、おいらは1番幼いわけで、完全にみそっかすの扱いをされておりました(笑)

 

そんなおいらが小学校の3・4年の頃、家族でテレビを見ていたら・・・

これが出てきたわけですね(遠い目)

安全地帯 ワインレッドの心

おいらは、あっという間に好きになりまして・・・

家族の前で「この歌、好きじゃあ!」と宣言したわけですね(笑)

 

兄は「演歌みたいじゃのう」と言い。

姉は「外見が格好良くないがね」と言い。

父は「つぁんも好きな音楽が出来たか~」と笑い。

 

母だけが

「つぁんは、良い耳を持っとる! この人の歌はホンマにええで!!」

と大絶賛してくれたのですわ。

たぶん、兄の言うとおり、母の好きな演歌に近い曲調だったからかもしれませんな。

 

ほいで、家族で電器屋に行く機会がありました。

今はもう潰れたか、名前が変わってしまった「第一産業」という名前の電器屋。

そこで母が「つぁんがこれが好きじゃ言うとるけえ、買うちゃろうやあ」と言い。

 

冒頭の写真の、

シングル・レコードを買ってくれたのです!!

今見ると、女性の唇だけのジャケットなんて、かなり攻めてますな~(遠い目)

これをレジに持って行ってくれた、母に感謝感激ですわ(本人はもう憶えてないと思う)

 

嬉しかったですなあ、初めて自分が好きな曲のレコードがそばに有る!!

何度も何度も、プレーヤーに乗せて、針を落としたもんです。

今思えば、この曲をかけることによって、家族の中での自分のアイデンティティを証明してたんですな。

だから、今でもこの曲を聴くと、おいらは自分の産声を聴くようなイメージなんですなあ。

まあ、簡単に言うと「みそっかすからの脱却!!」(笑)

 

今思えば、おいらは小学校の3~4年だったわけで、

もっと、子供向けの音楽を好きだと言ってもいいような年ごろ。

おそらく、おいらの家族たちも、そう思っていたはず。

なのに、おいらは、こんな重い、大人の、本格的な楽曲を好きと宣言したわけで(笑)

しかも、音楽大好きだった母親に認められたわけで・・・

家族内での、おいらの音楽的デビューは、なかなかの勢いだったわけです(爆笑)

 

そしてこれが、おいらと音楽との、長い長ーい付き合いの、始まりになるのでしたわ。

 

以下次号じゃ!!