私の生家の裏奥にある山を越えると、数年前に亡くなった母の実家があります。
山越えの道は、くねくねと曲がりくねった、雑木に覆われた暗い道でした。
自転車に乗れるようになると、夏休みなど、一人で母の実家に泊まりに行きました。
くねくね道が面倒な場合は、小さなせせらぎ沿いの山みちを、自転車を押して峠まで上っていました。
その入口を峠から見下ろしたところです。
40数年前まで通った道です。
おそらくこの先の道は消滅していると思います。
昔のくねくね本道を今の道路が串刺し状に貫いていますが、その旧街道の全容も、最早定かではありません。
ここが峠です。随分明るくなりました。
実は此処が怖い場所で、峠に上がっても、ここまでの苦しい行程に一息入れる事なく、一気に坂を下りました。
昔の処刑方法には惨いものが多くあって、土に埋めた罪人の首を、通行人にひと引きずつ鋸で引かせた、などというのもあったようです。
そう、ここは、罪人に対して、通行人に石をぶつけさせた場所なのです。
故に、「石打(いしぶ)て峠」と言います。
ふるさとは、怖い歴史もある場所なのです。
山越えの道は、くねくねと曲がりくねった、雑木に覆われた暗い道でした。
自転車に乗れるようになると、夏休みなど、一人で母の実家に泊まりに行きました。
くねくね道が面倒な場合は、小さなせせらぎ沿いの山みちを、自転車を押して峠まで上っていました。
その入口を峠から見下ろしたところです。
40数年前まで通った道です。
おそらくこの先の道は消滅していると思います。
昔のくねくね本道を今の道路が串刺し状に貫いていますが、その旧街道の全容も、最早定かではありません。
ここが峠です。随分明るくなりました。
実は此処が怖い場所で、峠に上がっても、ここまでの苦しい行程に一息入れる事なく、一気に坂を下りました。
昔の処刑方法には惨いものが多くあって、土に埋めた罪人の首を、通行人にひと引きずつ鋸で引かせた、などというのもあったようです。
そう、ここは、罪人に対して、通行人に石をぶつけさせた場所なのです。
故に、「石打(いしぶ)て峠」と言います。
ふるさとは、怖い歴史もある場所なのです。