西暦663年に起きた白村江の戦いに百済との連合軍として敗れた斉明天皇は、百済の亡命貴族の指導のもと、西国に城を築きます。
日本最古の古代山城です。
このタイプの城は、愛媛県に1つしかなく、四国にも3つしかない貴重な遺跡です。
前回の帰省時に、世田山に登った後、その案内板を見つけました。
ずっと気に掛かっており、猛暑の中ですが、湯ノ浦温泉道の駅の自販機でポカリを飲み干して、登る決心をしました。
道路の向こうが世田薬師です。
その向こうに世田山がそびえています。
標識に従って進みます。
この切り立った崖が、既に古代山城の遺構でしょうか?
山みちへ入ります
いきなり倒木が道を塞いでいます。
しばらく、誰も登っていないようです。
直ぐに、行き止まりの表示です。
この山、思ったより、手強いかも知れません。
案内板に従って行きます。
あの山を目指します(後で分かるのですが、あそこは山頂ではありません)。
途中、展望が望めます。
このように、瀬戸内海からいきなり立ち上がった山塊で展望が利くとともに、左手に進むと国分寺がある等、交通の要衝です。
山城を築くのに、格好の立地だったのでしょう。
山城として、ここ永納山と一体化していた医王山を望みます。
なんと、倒木に案内板があります。
やっぱり手強そうです。
山頂かと思ったら、違いました。
最初に目的地と誤った山です。
一休みして、西にある世田山・笠松山を見ます。
太平記の舞台です。
瀬戸内海を見ます。
平地島が霞んで見えます。
さあ、出発します。
山城跡らしい岩場が見えて来ました。
城跡だったら、ここだと思いましたが、山頂ではないようです。
向こうに、まだ山があります。
道が続いています。
ここまで来たら引き返せません。
渋々腰を上げます。
山頂のようです。
三角点です。
しじみ蝶が迎えてくれました。
標高僅か132mの小山ですが。
改めて、世田山・笠松山を見ます。
改めて、医王山との位置関係を確認します。
でもね(口調が疲れています)、ここでは狭いでしょう。
城は造れないですよね。
古代山城は、さっきの、手前の山ですよね。
休む日蔭もありません。
せっかくの山頂ですが、とっとと手前の岩山へ引き返します。
やっと腰を下ろしてふと見ると、登山口で持って来た杖に、手の汗が滲みついていました。
帰り道、医王山を見上げます。
古代山城跡を確認するには、この山にも登らなければなりませんかねえ。
この山、厳しそうですよ。
日本最古の古代山城です。
このタイプの城は、愛媛県に1つしかなく、四国にも3つしかない貴重な遺跡です。
前回の帰省時に、世田山に登った後、その案内板を見つけました。
ずっと気に掛かっており、猛暑の中ですが、湯ノ浦温泉道の駅の自販機でポカリを飲み干して、登る決心をしました。
道路の向こうが世田薬師です。
その向こうに世田山がそびえています。
標識に従って進みます。
この切り立った崖が、既に古代山城の遺構でしょうか?
山みちへ入ります
いきなり倒木が道を塞いでいます。
しばらく、誰も登っていないようです。
直ぐに、行き止まりの表示です。
この山、思ったより、手強いかも知れません。
案内板に従って行きます。
あの山を目指します(後で分かるのですが、あそこは山頂ではありません)。
途中、展望が望めます。
このように、瀬戸内海からいきなり立ち上がった山塊で展望が利くとともに、左手に進むと国分寺がある等、交通の要衝です。
山城を築くのに、格好の立地だったのでしょう。
山城として、ここ永納山と一体化していた医王山を望みます。
なんと、倒木に案内板があります。
やっぱり手強そうです。
山頂かと思ったら、違いました。
最初に目的地と誤った山です。
一休みして、西にある世田山・笠松山を見ます。
太平記の舞台です。
瀬戸内海を見ます。
平地島が霞んで見えます。
さあ、出発します。
山城跡らしい岩場が見えて来ました。
城跡だったら、ここだと思いましたが、山頂ではないようです。
向こうに、まだ山があります。
道が続いています。
ここまで来たら引き返せません。
渋々腰を上げます。
山頂のようです。
三角点です。
しじみ蝶が迎えてくれました。
標高僅か132mの小山ですが。
改めて、世田山・笠松山を見ます。
改めて、医王山との位置関係を確認します。
でもね(口調が疲れています)、ここでは狭いでしょう。
城は造れないですよね。
古代山城は、さっきの、手前の山ですよね。
休む日蔭もありません。
せっかくの山頂ですが、とっとと手前の岩山へ引き返します。
やっと腰を下ろしてふと見ると、登山口で持って来た杖に、手の汗が滲みついていました。
帰り道、医王山を見上げます。
古代山城跡を確認するには、この山にも登らなければなりませんかねえ。
この山、厳しそうですよ。