荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

萬翠荘

2015年08月18日 | 散文
伊予松山城の麓に、洋館が建っています。

「よろずのみどりのやかた」と言う意味の命名です。

大正11年に、松山藩主の子孫である、久松定こと(言べんに莫ですがタブレットでは出ません)伯爵が建築した別邸です。

いわゆる、自宅松山城の敷地内に、殿様の新たな住居の1つとして建てたものです。

陸軍駐在武官としてフランス生活が永かった彼の、フランス好みをふんだんに取り入れた建物です。

室内に入ります。
受付で撮影の了解を確認しました。
正面に大きなステンドグラスがあります。


階段を上がって行きます。


奥にバルコニーに面した、明るい部屋があります。


昭和天皇が皇太子時代に宿泊し、朝食を召し上がられた部屋です。
2面が窓になっています。


隣の広い部屋に肖像画が飾られています。


久松定こと伯爵は、小説「坂の上雲」に登場します。
彼は、偶然の結果ですが、主人公の一人である秋山好古と日本の運命に関わります。

明治期の若様定ことはフランスへ留学する事になります。
松山藩はお付きとして、陸軍将校である秋山好古を指名します。
好古は悩みます。
当時の日本陸軍はドイツの制度を採用していました。
フランスへの留学は、陸軍の出世コースから降りる事を意味します。
しかし、大恩ある松山藩の要請を断る事ができません。

出世を諦めて行ってみると、騎兵の技術・制度は、フランスがドイツを上回っている事を知ります。
好古は、陸軍にレポートを書き続け、フランス式騎兵を正式採用させます。
後に日露戦争で騎兵隊を指揮し、当時世界最強と言われた、ロシアコサック騎兵隊と互角の戦いを展開するのです。


バルコニーの向こうに百貨店が見えます。
松山の中心地にあります。


久松家は、昭和の時代になって、お殿様として再登場します。
定武氏が愛媛県知事となって、数期県政を担います。
私は彼から(県教育委員会が知事名義で)奨学金を受けました。



コメント
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