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荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「桜井の史跡と伝説」-29/千人塚の由来(若宮さん)

2018年06月02日 | 散文
生家の本棚にこんな冊子がありました。著者は未だに不明です。
この冊子に書かれた現場を訪ねています。


29.千人塚の由来(若宮さん)


霊仙山が落城した時に、討死した人を葬った処で、旦から山に登る中腹にあり、門番の塚は西方にある。

<筆者>
たったこれだけです。
とにかく探しに行きます。
「千人塚」
実際は登畑から霊仙山への登山道を行きます。


梨畑を越えます。


竹林を越えます。

途中、至る所に猪が竹の子を掘り返した跡がありました。

急斜面を登ります。


殆ど頭の上に現れました。


ちょっと平らになって開けた場所です。


霊仙山を背後にして佇んでいます。


もう少し登ると唐子山とその向こうに瀬戸内海が見える場所です。



「門番の塚」
近くで畑仕事中の人に教えてもらいました。
絶対、教えてもらわないと辿り着けません。
地元の人でも「門番の塚」の名称を知りません。
「そがに言われたらあそこに何やらあったわい」程度の存在です。
やがて忘れ去られる史跡です。


地元の「知る人ぞ知る」人がちゃんとお世話しているようです。


右側に土塀の痕跡があります。


瓦の欠片が落ちています。

昔は立派な祠に祀られていた様子が伺えます。

雑木が繁殖してしまった塚の周囲に、幹に切り込みを入れた木がありました。


枯れてしまっていますが、楠からショウノウの原料を、櫨の木からは漆を採っていたのだと思います。
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「桜井の史跡と伝説」-28/軍団

2018年06月02日 | 散文
生家の本棚にこんな冊子がありました。著者は未だに不明です。
この冊子に書かれた現場を訪ねています。


28.軍団


軍団とは、律令制による軍事、警察機構で、諸国に設置され、中央の兵部省が管轄した。


一般の農民男子の3分の1~4分の1を兵士に指定して、郡司級の土豪が農閑期に教練し、平時は国司に従って警察、その他の役を勤め、戦時は出征した。


編成は五人を伍、十人を火、五十人を隊、百人を旅と呼び、五百人内外から千人内外で一軍団として、統率者として軍毅(大軍団ならば隊大毅・小毅)を置いた。


衛士・防人は軍団の兵士から選抜し、792年辺境を除いて全廃し、代わりに健児(こんでい)を置いた。


伊予の軍団は、三郡又は六群の一軍団を設けていた。


場所は、現在の桜井旦、及び周桑郡庄内村旦ノ上、新居軍中萩村旦の上が、軍団の所在地であった。
軍団には燧烽というのがあって、燧長一人、燧士四人がいた。


<筆者>
「旦」=「団」なのですね。
各地にある旦の地名は、軍団が置かれていた所なのですね。
初めて知りました。
以上桜井旦の風景でした。
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