久しぶりに中川船番所資料館の前を通ったら、渋沢栄一特別展を開催していました。ここのところ渋沢栄一の足跡を訪ねていたので、これも縁でしょうか?私には時々こういうことが起こります。求めていたものがやって来ます。
案内板を見ると、昨年の10月末からやっていたのですね。入ります。
パンフレットです。実業家としての始まりが、ここ江東区という企画です。
裏側です。説明書きを抜粋します。「栄一は明治9年(1876)から12年間、深川福住町に居を構えました。今回の展示では栄一が当時住んだ福住町の邸宅、また栄一が立ち上げた様々な近代産業を紹介し、江東区と栄一のつながりをたどります。」 真ん中の写真が、先日訪ねた「渋澤倉庫」の古い写真です。
参考までに、先日の記事です。なお、先日紹介した住居に栄一が住んだ順番は、江東区永代(福住)、日本橋兜町、飛鳥山の順である、なんてことも学びました。
彼は500以上の会社を興しましたが、やっぱり思っていたとおり「渋澤」の名前が付いた唯一の会社です。
さて、撮影禁止ばかりなので説明が難しいのですが、要は江東区との関わりの資料です。徳川慶喜を福住の邸宅に招いたとか、江東区に造った養殖場で慶喜と釣りをしてもてなしたとかの話です。
また、「七分積金」を創設した松平定信を尊敬し、感謝の念篤く、彼の墓がある江東区の霊厳寺で100回忌を行ったとかの話もあります。
〈余談〉中川船番所の3階から見る景色です。昨年12月までここでカヤックを漕いでいました。コロナ禍による2回目の緊急事態宣言により、ずっと活動を休止しています。
窓の上にある資料です。こんな場所だったのですね!
水温む季節になりました。早く活動したいです。