荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

新聞に促されて門仲/伊能忠敬住居跡

2021年03月21日 | 散文

更に西へ行きます。新聞記事の左端です。

 

そこは葛西橋通りでした。中空に首都高深川線が走ります。

 

葛西橋通りはよく走りますが、この石柱の存在を知りませんでした。伊能忠敬は千葉県九十九里町からここに引っ越して、ここから全国3万5千キロを歩いたのですね。

 

石柱にはビッシリと3面に説明文があります。「伊能忠敬は千葉県に生まれ江戸にでて高橋東岡に測量技術を学び寛政7年幕府の命をうけて全国を測量し沿海路程図を完成した

 

その測量の原点は忠敬の居宅であった忠敬ははじめこの付近にすみのち中央区八丁堀にうつり正確な地図を完成させた 

 

忠敬は文政元年四月十三日七十四(新聞記事には七十三)歳をもって死去し台東区源空寺に葬られている 昭和四十三年十月一日 江東区第二十一号」

 

最後の「二十一号」の意味が分かりませんが、新聞に促されて出掛けた門仲の、全記事の地を散策し終わりました。目をあげて、改めて場所を確認します。東方向です。

 

西方向です。手前の店は、先程から客が順番待ちをしていました。

 

評判店のようです。

こんな新聞に促されてやって来た散策でした。

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新聞に促されて門仲/深川東京モダン館

2021年03月21日 | 散文

この散策の終わりが近くなりました。清澄通りを越えて、新聞のイラストの左端へ行きます。この界隈は足を踏み入れた事がありません。

 

すぐに「深川モダン館通り」の道標がありました。この辺だと思います。新聞のイラストの建物を探します。

 

あれ!? ここのようです。

 

建物の雰囲気はイラストと近いように思います。でも、イラストとは違います。丸窓が無いです。

 

丸窓がありましたが、あれはドアです。

 

説明板がありました。

 

ここですよね?

 

入りました。数人の年配のボランティアさんが居ます。でも、「いらっしゃい」とも何とも言いません。居心地悪いです。

 

2階に行きます。

 

想定外に広い部屋がありました。

 

ここも食事だったのでしょうね。

 

1階に下りましたが、数人の年配ボランティアさんは無言です。近づいても来ません。早々に出ることにします。出口側にも階段がありました。ここからも先程の部屋に行けるようです。

 

ここにも道標がありました。あちらからこちらの間、つまり建物が在る範囲の路が「深川モダン館通り」のようです。

 

出てきたドアを振り返ります。ひょっとして、こちらが正式な入り口でしょうか?

 

建物を見ます。

 

イラストにあった丸窓の建物です。

モダンです。

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