更に西へ行きます。新聞記事の左端です。
そこは葛西橋通りでした。中空に首都高深川線が走ります。
葛西橋通りはよく走りますが、この石柱の存在を知りませんでした。伊能忠敬は千葉県九十九里町からここに引っ越して、ここから全国3万5千キロを歩いたのですね。
石柱にはビッシリと3面に説明文があります。「伊能忠敬は千葉県に生まれ江戸にでて高橋東岡に測量技術を学び寛政7年幕府の命をうけて全国を測量し沿海路程図を完成した
その測量の原点は忠敬の居宅であった忠敬ははじめこの付近にすみのち中央区八丁堀にうつり正確な地図を完成させた
忠敬は文政元年四月十三日七十四(新聞記事には七十三)歳をもって死去し台東区源空寺に葬られている 昭和四十三年十月一日 江東区第二十一号」
最後の「二十一号」の意味が分かりませんが、新聞に促されて出掛けた門仲の、全記事の地を散策し終わりました。目をあげて、改めて場所を確認します。東方向です。
西方向です。手前の店は、先程から客が順番待ちをしていました。
評判店のようです。
こんな新聞に促されてやって来た散策でした。