荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

伊藤パンの工場を見つけた!

2021年05月20日 | 散文

荒川沿いの幹線道路を走っていたら、こんな看板を見つけました。「砂町工場」です。各地に工場があって、その一つなのでしょうね。行ってみます。

 

すぐに工場の出荷場です。トラックが忙しく稼動しています。狭い路地の奥からも入って来ます。

 

ここで伊藤パンを作っているのかあ!

 

でも、食品工場によくある(よくは無いか?)可愛い企業キャラクターとかはありません。

 

殺風景な工場です。右側がパン工場です。長い敷地です。

 

左隣の塀の中は何かの工場です。どうやらこの界隈は下町の工場地帯のようです。ここには人が居ないように見えます。休業しているのだろうか?

 

何かのタンクでしょうか?工場の出入り口のようです。ここに来て、やっとパンの良い匂いがしました。たぶん、製造が終わって、出荷の時間だったようです。

 

どうも無機質です。まだ続く長い工場です。

そうだ!この近くのスーパーで伊藤パンを買って帰ろうか?きっと作り立てです。

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第五福竜丸

2021年05月20日 | 散文

第五福竜丸の展示館です。場所は夢の島公園の北西隅です。

 

今度開催予定の、オリパラ東京大会アーチェリー競技場所のすぐ傍です。

 

第一印象は、「大っきい!」です。 リーフレットから抜粋します(以下「 」部分同様)。「第五福竜丸は、昭和29年(1954年)3月1日に太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって被害を受けました。木造漁船での近海漁業は現在も行われていますが、当時はこのような木造船で遠くの海まで魚を求めていったのです。」

 

「第五福竜丸は、昭和22年(1947年)に和歌山県で製造され、初めはカツオ漁船として活躍し、後にマグロ漁船に改造されて遠洋漁業に出ていました。水爆実験での被爆後は、練習船に改造されて東京水産大学で使われていましたが、昭和42年(1967年)に廃船になっとものです。」

「東京都は、遠洋漁業に出ていた木造船を実物によって知っていただくとともに、原水爆による惨事がふたたび起こらないようにという願いをこめて、この展示館を建設しました。」

 

私以外に見学者が居ないので人との比較ができませんが、とにかく見上げる大きさです。マグロ船を初めて見ます。こんなに大きいのですね。長さ30メートル、重さ140トンの木造船です。

 

説明板があって、当時の新聞記事等が掲示されています。

 

 

「『死の灰』をあびた23人の若い漁師たちは被ばくによる重い症状が出て、日本に戻ってから入院し半年後には無線室長の久保山愛吉さんが亡くなりました。」

 

「水爆の実験はこのとき6回おこなわれました。吹き上げられた放射能は日本にも流れてきて雨とともに降りました。飲み水や農作物、健康への心配となりました。原水爆に反対の声がひろがりました。」

 

「マグロは放射能で汚染されていたので、検査をしてから捨てられました。南の海で漁をした沢山の船からも汚染魚がでました。被害は全国にひろがりました。」

 

前部へ移動します。

 

 

「昭和42年(1967年)に第五福竜丸は廃船処分となり、東京のゴミの埋め立て場所だった夢の島に捨てられました。それを知った人々が船を保存しようと声をあげ、全国で取り組みが進み、昭和51年(1976年)、東京都により展示館が建てられました。」

 

階段を上がって操舵室へ移動します。

 

 

甲板には上がれませんが間近に見ることができます。

 

グルリと一周しました。

 

波乱万丈の経歴を持った船です。平和を願う遺産だと思います。

もし、奇跡的にコロナウイルス対応ができて、オリパラが観客入りで開催できたら、ここ夢の島公園で世界の選手や観客に、日本のみんなに、見てもらいたい遺産です。

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