荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

放駒部屋独立新築!

2022年05月07日 | 散文

放駒部屋が独立しました。新築です。部屋の記事をお借りします。

放駒部屋はInstagramを利用しています:「本日、おかげさまで無事に土俵開きを執り行う事が出来ました!関係者の方々に感謝です!ありがとうございました! 先代師匠、女将さんにもお祝いしていただき大変嬉しかったです!土俵開きが終わりホッとした気持ちもありますが、これからがスタートです!気を引き締めて参ります!😊 #放駒部屋 …」

 

さて、やって来ました足立区に移転した「放駒部屋」です。新築です。

 

玄関の上には鯉のぼりが泳いでいます。子供の初節句です。5月は大相撲夏場所の季節です。

 

玄関も看板もピカピカです。

 

ポスターを読みます。部屋を興した喜びが伝わって来ます。「六町に相撲部屋がやってきた!!」「放駒部屋部屋開き」「お相撲さんのいる街に変身」「みんなで盛上げよう!!」

 

マワシが干されています。夏場所が近いです。関取には幕内の一山本、十両に島津海と松鳳山が居ます。松鳳山なんか、旭天鵬(現大島親方)と同率決定戦で優勝を争った実力者です。新しい部屋のスタートに朗報を届けるか?

 

元大関若嶋津が元歌手高田みづえさんと一緒に経営していた二所ノ関部屋を、師匠の定年と同時に部屋付親方だった元関脇玉乃島の放駒親方に、力士や床山等を譲って「放駒部屋」としました。

一方で、「二所ノ関」名義を、元横綱稀勢の里が持っていた「荒磯」と交換して、元師匠は部屋付親方としてここ放駒部屋に居ます。「二所ノ関」は名門「二所ノ関一門」の総帥です。現役時代の地位が大事です。元大関が、元横綱に託しました。

 

周辺は新興住宅街で新しい家ばかりです。驚いたでしょうね。引越したら相撲部屋が在ったのですから。正面に高速道路が走っています。周辺を散策します。

 

駐車場の向こうに競技場のような建造物が在ります。行ってみます。

この話、後日続きます。

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大島部屋の復活!

2022年05月07日 | 散文

「タワービュー通り」です。今日は情報たっぷりです。

 

やって来ました。自転車の放列が特徴の相撲部屋です。

 

屋根にスカイツリーが突き抜ける、お馴染みの相撲部屋です。 ここは友綱部屋でした。師匠は元関脇旭天鵬です。

 

今は外国人親方が珍しくなくなりました。また、現在の相撲界の隆盛はモンゴル出身力士に負うところが大きいと思います。旭天鵬はそのモンゴル出身力士第1号です。前大島親方が初めてモンゴルから数人の力士をスカウトしてきました。言葉も習慣も違う日本に来た旭天鵬を含む彼らは集団脱走しました。当時の外国は相撲界をよく知らない事もあって、国際問題になりました。

 

そんな彼らを前大島親方は親身になって育てました。旭天鵬が平幕で初優勝したとき、パレードのオープンカーで優勝旗を持ったのは大横綱白鵬でした。モンゴル力士の面倒を見続けた大先輩の優勝をみんな素直に喜びました。その時、前大島親方はその前場所終了後引退していたのです。

 

旭天鵬は友綱部屋で優勝しました。

そんないきさつがあって、確か前大島親方の娘さんと結婚した旭天鵬が大島部屋を継承するものと思っていましたが、彼が継承したのは友綱部屋でした。その後の経緯は知りませんが、旭天鵬が大島部屋と前親方を大事に思っていて、大島部屋を継承したかった思いが伝わって来ます。

 

看板が古いです。前大島親方が継がせたい、旭天鵬が継ぎたい、と思ってこの時まで保管しておいたものと思います。

 

さて、前面の路地を行くと、すぐです。 

 

「若大将系及川鳩舎」が在ります。

 

 

 

 

そして、反対側を行くと大黒湯が在ります。久しぶりですが、健在でした。

 

 

日陰で小父さんが休んでいます。

こんな風景をまた見たくなります。

 

現在の旧大島部屋です。

 

歴史がこんな風に人の思いを乗せて継続するのは素敵です。

 

「若大将系及川鳩舎」はこちら

「墨田区大黒湯」はこちら

コメント (2)
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