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荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

内子を歩くー2

2016年08月23日 | 散文
一休みして、来た道を戻ります。
ゆっくり歩きます。


静かな真夏の正午前です。


先ほども見た旅館です。


夏の風情です。
こんな所に泊まってみたい。


それにしても、人通りがありません。






角に来ました。






この道も好いです。

散策が続きます。
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内子を歩くー1

2016年08月23日 | 散文
美味しい蕎麦が食べたい・・・。
そうしたら、内子の街が観たくなりました。

10数年振りの訪問です。
地場銀行の建物も意識的にレトロ感を出しています。


さて、歴史保存地区を歩きます。
記憶にあるより急な坂の道です。
ここを覚えています。




この飲料を飲みました。


街を歩きます。






暑いけど楽しいです。


街道が続きます。


時々振り返りつつ・・・。








殆ど人影がありません。


今日は平日だからでしょうか?






一休みします。

この後、来た道を戻ります。
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抜け殻

2016年08月22日 | 散文
隙間からダンボール箱が覗く壊れかけた戸袋に居ました。
アブラゼミです。

何もこんな所で脱皮しなくても・・・。

わざわざあそこから此処まで来て・・・。

要領が悪い奴のようです。
羽化して僅か1週間の命です。
今頑張って生きてるかな?
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こちらは今日も暑いです。

2016年08月22日 | 散文
今日のNHKはオリンピックを差し置いて東海・関東地方の台風情報一辺倒です。
あの神田川が氾濫危険水位を超えたとか・・・。
これからも東日本から北海道にかけて大荒れのようですが、我が故郷は全く雨が降りません。暑い日が続きます。
被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。

さてこちら、水辺は涼しいと思いきや。


まとわり付く粘度を感じます。


アマゾンを連想させるヌッペリとした緑です。
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大使館を訪ねてー37(イラク、ラトビア、ヨルダン)

2016年08月22日 | 散文
オリンピックでの日本の活躍に拍手です。
開催前に随分心配させられましたが無事に終りそうです。
費用を抑えたらしいけど、良い大会だったと思います。
外国関係という事で、お馴染みの大使館訪問記を。

「イラク大使館」
引き続き神山町からの報告です。
高級住宅街の分譲マンションのようです。


全棟がイラク大使館です。

中東・西アジアの連邦共和制国家です。
首都はバグダードで、サウジアラビア、クウェート、シリア、トルコ、イラン、ヨルダンと隣接しています。
古代メソポタミア文明を受け継ぐ土地にあり、世界で3番目の原油埋蔵国です。

現イラクの国土は、歴史上のメソポタミア文明が栄えた地とほとんど同一です。

メソポタミア平野はティグリス川とユーフラテス川により形成された沖積平野で、両河の雪解け水による増水を利用することができるため、古くから農業を営む定住民があらわれ、西のシリア地方およびエジプトのナイル川流域とあわせて「肥沃な三日月地帯」として知られています。
紀元前4000年ごろからシュメールやアッカド、アッシリア、そしてバビロニアなど、数々の王国や王朝がこのメソポタミア地方を支配してきました。

アメリカ合衆国が主体となりイラク武装解除問題の進展義務違反を理由とする『イラクの自由作戦』の名の下に、イラクへ侵攻したことで『イラク戦争』が始まりました。

2010年8月31日にバラク・オバマにより改めて「戦闘終結宣言」と『イラクの自由作戦』の終了が宣言され、翌日から米軍撤退後のイラク単独での治安維持に向けた『新しい夜明け作戦』が始まりまた。
そして2011年12月14日、米軍の完全撤収によってバラク・オバマがイラク戦争の終結を正式に宣言しましたが、この際の戦後処理の拙さがイスラミックの台頭を呼び、現在世界中を震撼させているテロの続発を招いていると言われています。
(ウキィペディアより)


「ラトビア大使館」
神山町での探索が続きます。
見慣れぬ国旗とユーロ旗が掲揚されています。


北ヨーロッパの共和制国家です。
EUそしてNATOの加盟国で、通貨はユーロ、人口201.5万人、首都はリガです。

バルト海東岸に南北に並ぶバルト三国の一つで、西はバルト海に面しています。
北はエストニア、南はリトアニア、東はロシア、南東はベラルーシと国境を接しており、面積は九州本島の1.76倍です。
首都リガは港湾都市で、バルト海クルーズの主な寄港地の一つです。

第一次世界大戦後の1918年にロシア帝国より独立しましたが、第二次世界大戦中の1940年にソビエト連邦に占領されます。
翌1941年独ソ戦でドイツに占領され、大戦末期1944年ソビエト連邦が再占領し併合されます。
1991年に同連邦から独立を回復し、2004年にEUそしてNATOに加盟しました。


世界的ヴァイオリニストのギドン・クレーメルを生んだ国です。
イギリスの旅行案内サイトFirst Choiceは、ユーザー投票で世界一美しい国に選びました。

(ウキィペディアより)
なるほど、大使館のセンスも好いです。


「ヨルダン・ハシミテ王国大使館」
神山町の高級住宅街です。
ここには多くの大使館が居を構えています。
ヨルダン・ハシミテ王国大使館もその一つです。
普通の戸建て住宅のようですが、紋章があるのでそれと気付きます。


中東・西アジアに位置する立憲君主制国家で首都はアンマンです。
イスラエル、パレスチナ暫定自治区、サウジアラビア、イラク、シリアと隣接しています。
イスラエル・パレスチナ暫定自治区とはヨルダン川と死海が境です。

立憲君主制をとり、イスラームの預言者ムハンマドの従弟アリーとムハンマドの娘ファーティマの夫妻にさかのぼるハーシム家出身の国王が世襲統治する王国です。
国民の半数余りは中東戦争によってイスラエルに占有されたパレスチナから難民として流入した人々(パレスチナ難民)とその子孫です。

第一次世界大戦後の1919年にイギリス委任統治領パレスチナに組み入れられ、1923年にヒジャーズ王国の王族アブドゥッラー・ビン=フサインが迎え入れられてトランスヨルダン王国が成立しました。
トランスヨルダン王国は第二次世界大戦後の1946年に独立し、1949年に国名をヨルダン・ハシミテ王国に改めました。
中東戦争は、イスラエルに占領された地域から大量のパレスチナ人の流入をもたらし、加えて1990年代以降には、民主化に伴い王室の近代化主義に反対する保守派やイスラム主義派が台頭して国内の不安定要因となっています。

国王は内閣と共に行政権を執行し、二院制の議会を有しています。
国内では王政批判があります。
例えば、国王の長年の支持基盤だったベドウィンの部族長らもアブドゥッラー2世国王に対して、ラーニア王妃とその一族の浪費癖を批判する声明を出しています。
しかし、いずれも王制打倒を求める反体制運動には到っていません。
(ウキィペディアより)

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渇水/元瀬ダム

2016年08月21日 | 散文
台風の影響で各地は大雨です。
ここ四国でも松山や新居浜や周辺各地で雨が降りますが、故郷近辺は全く降りません。

夏草茂る元瀬ダムへ行ってみます。


ダムから水が溢れていません。






上流に砂地が広がっています。


砂地から見るダムです。




川床が露出しています。


歩いて行きます。






全く水がありません。


老幼なじみは副総代で、神社総代と水総代を兼務しています。
このままだと、稲の成育が心配だと言っています。
彼はこの僅かな水を、少しずつ小出しにしてしのぐつもりです。
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別子・翠波はな輪道(具定展望台)

2016年08月21日 | 散文
帰り道です。
「はな輪道」を一周なんてしません。
展望台がありました。

「恋人の聖地」らしい・・・。

行ってみます。


ここにも「恋人の聖地」の文字があります。


なるほど、思っていたよりも展望が好いです。
燧灘の景色です。

今治市方面です。

大工場地帯の明かりは綺麗だと思います。

駐車場に「夜景遺産選定」と書いていました。
先ほどの「恋人の聖地」の表記といい、どうも大袈裟な市民ですね。
ここ新居浜市は・・・。

その帰り道、「松尾城跡」の看板に惹かれてハンドルを切りました。


この奥のようですが、行きません。

このサンダル履きの軽装ではムリ!
暑いし。帰ります。

猫の一家が警戒心満々で見送って呉れました。
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別子・翠波はな輪道(金砂湖に架かる橋)

2016年08月21日 | 散文
翠波高原の展望台から見た橋に向かいます。
途中湖畔から見ます。

銅山(別子銅山)川を堰止めた人造湖である金砂湖です。

静かな湖面です。

一方、ほとんど風がないので暑いです。

橋に来ました。


緑の森に朱が映えて綺麗です。


車を停めて来た方向を見ます。
あの山の9合目辺りに見える展望台から来ました。


反対側の景色です。


どうやら金砂湖のシンボルらしいです。

平野橋です。

途中に在った大野大宮四社神社です。


こんな山中にも昔から人が住んでいたのですね。

人間って、逞しいです。
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別子・翠波はな輪道(翠波高原)

2016年08月20日 | 散文
翠波高原の表示がありました。
コスモスは満開のようです。


こんな所に公園を造ったものだと思っていたら、そうではなく、牧場を公園にしたようです。


さあ、コスモスを観に行きましょう。




えっ、あまり咲いていません!?


一応、展望台を目指します。




四方を眺めますが・・・。


う~ん、消化不良です。


入口の「満開」の表示は何だ!?


高原にしては涼しくないし・・・。


金砂湖を見ています。
よし、あの橋に行こう!

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別子・翠波はな輪道(法皇トンネル)

2016年08月20日 | 散文
お盆が明けてデイサービスが再開されました。
父が行って帰ってくる間の9時半から16時半が私の自由時間です。
風邪も良くなったので、軽四を駆ってやって来ました。

ここには初めて来ました。
全長100km、最高標高1,000mの道路です。
昔の生活道路がドライブ道になっています。

この看板のすぐ傍に「法皇トンネル」があります。

久し振りに見た、一車線のトンネルです。
対向車が出て来るのを待っています。

中は狭くて暗いので、ずっと向こうに出口があるように見えます。


中は、所々に待避所があります。

交通量が少ないので、下車して撮りました。

冒頭の看板の傍には半ば朽ちた「水ケ滝」の看板がありました。


石碑とベンチがあります。


大きな一枚岩です。


渇水期なので水は岩の表面をヌラヌラと落ちて来ます。

ちょこっと涼しいです。
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桜井漁港の一日の終り

2016年08月19日 | 散文
父の夕食を気にしながら漁港にいます。
浜から海を観ています。


家の陰になった浜は夕暮れが近づいていて、もう誰も居ません。


海には残照の明るさが残っています。


港の向こうには、いつものように兵市島があります。


朝が早い港が暮れて行きます。
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桜井漁港の夕景

2016年08月19日 | 散文
帰省したらやっぱりここに来ます。
買い物帰りにちょこっと車でやって来た桜井漁港です。


夕景を待ちます。


唐子山の向こうに日が傾いています。


防波堤から夕景を見るのは初めてです。


ちょっと好いです。


防波堤を移動しながら唐子山と港を観ています。




雲から出る夕陽の量によって、漁港の明るさが変わって行きます。






日没迄観たいけど、父に夕食を食べさせなければ・・・。
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大使館を訪ねてー36(アラブ首長国連邦、マレイシア、モンゴル)

2016年08月18日 | 散文
「アラブ首長国連邦大使館」
南平台の高級住宅地に国旗が見えます。


アラブ首長国連邦共和国大使館です。
中東の産油国として知られています。


略称UAE(英: United Arab Emirates)でも知られている西アジア・中東の国です。
アラビア半島のペルシア湾(アラビア語圏ではアラビア湾と呼ぶ)に面した地域に位置する7つの首長国からなる連邦国家で、首都はアブダビです。

東部ではオマーンと、南部および西部ではサウジアラビアと隣接しています。
カタールとは国境を接していないものの、カタールとの間のサウジアラビアの一部地域の領有権をめぐり論争があります。

1971年にアブダビ、ドバイ、シャールジャ、アジュマーン、ウンム・アル=カイワイン、フジャイラの各首長国が集合して、連邦を建国しました。

翌1972年、イランとの領土問題で他首長国と関係がこじれていたラアス・アル=ハイマが加入して、現在の7首長国による連邦の体制を確立しています。
(ウキィペディアより)


「マレイシア大使館」
南平台の旧山手通りの坂の途中にある立派な建物です。


高級住宅地の中でも、この白い建物が映えます。

東南アジアのマレー半島南部とボルネオ島北部を領域とする連邦立憲君主制国家で、イギリス連邦加盟国です。
タイ、インドネシア、ブルネイと陸上の国境線で接しており、シンガポール、フィリピンと海を隔てて近接しています。
ASEANの一員です。

日本語では多くの場合「マレーシア」と表記しますが、ここでは大使館玄関での日本語表記の「マレイシア」とします。


マレイシアとは「『ムラユ (Melayu)』の国」の意味ですが、この「ムラユ」という言葉自体は、サンスクリット語で「山脈のある土地」を意味する「マラヤドヴィパ (Malayadvipa)」を語源としています。
古代インドの時代には、交易商たちがマレー半島を指すときに使う言葉でした。

その後、7世紀の唐の僧侶の義浄による記録に現れるスマトラ島に存在したシュリーヴィジャヤ王国(3世紀 - 14世紀)の他称『ムラユ王国(英語版)』として継承され、近代に入ってからフランス人の探検家ジュール・デュモン・デュルヴィルによってマレイシアという言葉が生み出されました。

もっとも、当時は現在のマレイシアのみならず、東インド諸島全体を指し示していました。
そのため、現在のフィリピンが独立する際、国名をマレイシアとする案もあったとされますが、フィリピンよりも先にマラヤ連邦(現在のマレイシア)が先に自らをマレイシアと呼称するようになり、現在に至っています。
(ウキィペディアより)



「モンゴル国大使館」
旧山手通りを北上して山手通りに合流します。
東京大学駒場キャンパスの北西にある神山町に来ました。
住宅街にモンゴル国大使館があります。


東アジア北部に位置する国家です。
東と南を中華人民共和国(中国)・内モンゴル自治区と、西を中国・新疆ウイグル自治区と、北をロシア連邦とそれぞれ接する内陸国で、首都はウランバートルです。
モンゴル民族の居住地域であるモンゴル高原のうち、清国支配下において中国語で外蒙古と呼ばれたゴビ砂漠以北の一帯にほぼ該当する領域を国土としています。

これに対し、南部の一帯が内蒙古で、現在は中国領とされており、「蒙古族」(中国国籍のモンゴル人)のための「民族区域自治」単位として内モンゴル自治区等が置かれる事で実効支配されています。

モンゴルは、今でも民衆には反中感情があり、ダヤル・モンゴル運動等複数の極右団体が中国・韓国系の文化・住民の排斥を訴えています。
彼らの主張を支持する層は広範に存在し、例えば、彼らは広告や看板に漢字やハングルを使用させず、見つけた場合は看板を取り外し、店を破壊すると宣言しています。

かつてウランバートルには漢字やハングルが溢れていたが、今やほとんど存在しません。
店主たちは襲撃を避ける為に、看板を自主的に塗り替え、それが社会的に容認されています。

一方、モンゴルが産出する鉱物の半分以上が中国へ輸出されています。
また、カシミヤの原毛も中国へ輸出されています。
そのため輸出で中国に9割も依存しているモンゴルは中国の製造業の原料供給基地化しています。

もともと、清朝がモンゴルを支配していた20世紀初頭までは、漢民族の高利貸しがモンゴルに進出し、モンゴル人は借金漬けでした。
こうした歴史的背景と、鉱業の利権を盗まれているという意識から、一般のモンゴル人にとって中国は、モンゴルにおける悪しき事柄の源泉であるという認識が確立しています。
中国はモンゴルのナショナリズムを否定的な側面から鼓舞する最大の負のイメージです。
(ウキィペディアより)

一方、日本との外交関係は1972年2月24日に樹立され、2004年11月に在モンゴル日本国大使館が実施した世論調査では、「日本に親しみを感じる」と答えた回答が7割を超えたほか、「最も親しくすべき国」として第1位になるなど、現在のモンゴル国はきわめて良好な対日感情を有する国となっています。

何より、朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜の直近の横綱4名に加え、高齢での幕内初優勝を達成した旭天鵬など多くの大相撲力士を輩出し、歴代外国人力士の最多輩出国となって「国技大相撲」を席捲しており、残念ながら今やモンゴル人抜きでは競技レベルの低下が著しく興業が成り立ちません。
そして何より、日本人のルーツであるモンゴロイドの国です。

次回に続きます。

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大使館を訪ねてー35(ウガンダ、旧フィリピン)

2016年08月15日 | 散文
帰省したものの夏風邪を引いて横になっています。
こんな時の為に在庫写真を持って来ています。
オリンピックが盛り上がっている事でもあり、大使館シリーズを・・・。

「ウガンダ共和国大使館」
旧山手通りからちょっと入った鉢山町にウガンダ共和国大使館があります。


ウガンダ共和国大使館はアパートの一室です。
玄関に向かう階段先にプレートが埋められているのでそれと気付きます。

国旗の掲揚はありません。

東アフリカに位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国です。
ナイル川(白ナイル)の始まるヴィクトリア湖に接している旧イギリス植民地です。

16世紀初頭、ブニョロ、ブガンダ、アンコーレ、ルワンダ、ブルンディなどの大湖地方の諸王国が成立しました。
17世紀中頃がヴィクトリア湖北西岸のブニョロ王国の最盛期でした。
19世紀中頃、ブガンダ王国がザンジバルとの交易で繁栄した歴史があります。

国民抵抗運動 (NRM) が無党制を導入していたため、他にウガンダ人民会議、ウガンダ愛国運動(解散)、保守党などの政党が存在するものの、NRM以外の政治活動は禁止されています。
議会選への立候補も特定の党員資格を持つ者は許されず、個人資格のみ許可されます。
しかし個人資格といってもNRMの選挙機関「ムーブメント」の組織的支援を受けた者しか、事実上当選しない仕組みとなっていました。

しかし2005年7月の国民投票では複数政党制が支持され、現在では登録された政党が公的に活動し、選挙に候補者を送ることができるようになっています。

また、ウガンダ自体は共和制ですが、ウガンダ国内にトロ、ブニョロ、ブガンダ、ブソガの伝統的な地方王国が存在しています。
これらは1967年に一度廃止されたものが1990年代に復活したもので、各王国の国王は「文化的指導者」と位置づけられ、政治的な力を持たない儀礼的な存在です。
(ウキィペディアより)



「旧フィリピン大使館(?)」
ウガンダ共和国大使館の近くにフィリピン共和国の紋章と大使館の表示があります。




既報のとおり、フィリピン大使館は六本木の丘の上にあります。


現在も使われているようです。


風が無いのでよく見えませんがフィリピン国旗のようです。

ここは何なのでしょうか?

このシリーズはまだまだ続きます。
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帰郷/2016夏

2016年08月13日 | 散文
羽田空港を飛び立って上昇中の窓からアクアラインのパーキングエリア「海ほたる」が見えます。


対岸の君津市です。


夏の雲ですね。




安定した空の旅です。


今日はほぼ真下にしまなみ海道が見えました。


今治市の中心街です。


多島海の景色です。


島民の生活を感じます。


松山空港沖のいつも見ている島です。

帰省しました。
暫く滞在します。
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