荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

西日暮里の踏切にて

2016年08月12日 | 散文
三河島駅です。
この先は線路が大きくUターンしている所です。
線路に沿って西に走ります。


幾つかの踏切がありますが、この踏切を渡る事にしました。


客車は高架上を走ります。
先ほど快速電車が通過したばかりです。


踏切は貨物線にあります。

貨物車が走る回数は少ないです。
従って、遮断機が下がる事はめったにありません。

左右の景色を楽しみます。






鉄骨の造形美が好いです。


そんな風にのんびりと踏切を渡りました。


高架上の絵を撮っていたら、突然警報が鳴って遮断機が下りて来ました。

まあ、タイミングが良い。
貨物車が撮れます。

来た!!


迫力あります!


踏切脇で長い貨物列車を見ています。

そんな真夏日の午後です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池之端 浜寿司の裏

2016年08月11日 | 散文
お馴染みの浜寿司に来ました。


真夏日の昼下がりです。


いつものように路地を入ります。
日差しが強烈です。
ゴールネットの陰が濃く映っています。

ちょっと好いです。

いつもの井戸です。
両隣の軒下にあった苔が日差しに駆逐されています。


井戸はいつもと変わらなく立っています。

いつものように誰も通らない真夏日の午後です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池之端 最近お気に入りの場所

2016年08月11日 | 散文
池之端にあるホテルです。


入口脇にあるテラスと自転車置き場の景色がお気に入りです。


特に自転車置き場から見るテラス席が好きです。


決して、私と同じ自転車だからという訳ではありません。


秋の夕暮れの景色も好いと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隅田川大橋から見る

2016年08月10日 | 散文
隅田川大橋を渡っています。
頭上に首都高深川線が迫っていて息苦しいです。

車が走る音が反響して一層圧迫感を増します。

下流側は開放されていて永代橋の向こうに佃島の高層マンション群が見えます。
ちょっと好いです。


上流側を見ると、狭い空間にスカイツリーが佇んでいます。

この空間ちょっと好いです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コレド室町/アートアクアリーム2016

2016年08月10日 | 散文
コレド室町に居ます。
金魚の提灯が涼しげです。


この提灯が掲げられた先月初め頃「アートアクアリーム」を観ようと思いましたが、1時間半待ちでした。
今日再度挑戦してみたら30分待ちです。

行きます!

経緯は抜きで本番です。

涼し気な鉢で泳いでいる金魚たち。










会場の真ん中の水槽で泳ぐ金魚たち。
照明が変わる度に小さな歓声が・・・。










そして屏風で泳ぐ金魚たち。
背景が変わります。










これは動く芸術です。

今日は冷涼感を満喫しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大使館を訪ねてー34(キューバ、サウジアラビア、ベナン)

2016年08月09日 | 散文
「キューバ共和国大使館」
赤羽橋の近くにキューバ共和国大使館があります。
警戒が厳しいと予想していたのでちょっと拍子抜けです。


玄関前には東京タワーを望む公園があります。
タワーが無ければ、何処にでもある普通の公園です。


カリブ海の大アンティル諸島に位置するラテンアメリカの共和制国家です。
島国であり、ウィンドワード海峡を隔てて東にはイスパニョーラ島のハイチとドミニカ共和国が、ケイマン海峡を隔てて南にはケイマン諸島とジャマイカが、フロリダ海峡を隔てて北に145km先にはアメリカ合衆国のフロリダ州が存在します。

首都はハバナです。

フィリピンのルソン島ほどの面積を持つ島国です。
地理的には北アメリカに含まれますが、広義の中央アメリカにも含まれます。

俗に「アメリカ合衆国の裏庭」と呼ばれますが、南北アメリカ大陸、及びヨーロッパとラテンアメリカを結ぶ要路に位置していいます。
また、アメリカ大陸で初めて成立した社会主義政権にちなみ、「カリブに浮かぶ赤い島」と形容されることもあります。
(ウキィペディアより)

キューバ危機を忘れる事ができません。
1962年10月から11月にかけてキューバを舞台にアメリカ合衆国とソビエト連邦との間で冷戦の緊張が高まり、全面核戦争寸前まで達した危機的な状況を、時の米大統領JFKがカリブ海に軍艦を派遣してソ連からの核兵器の持ち込みを阻止しました。

まだ小学生だった私は、両親が暗い顔で、第3次世界大戦が始まるかもしれないと言っていたのを覚えています。
世界大戦を未然に防いだとして日本でもJFKの人気が急上昇しました。
彼の死後、伝記を買ったのを覚えています。

その後成長した私は、ゲバラを信奉するようになりました。
フォークソングブームの頃です。
このように子供の頃から身近な国です。

1960年の対ソ連接近にともない、アメリカとは1961年1月3日に国交を断絶し、以後米国から禁輸措置を受けますが、両国は2014年12月に国交正常化交渉を開始すると発表し、2015年7月に国交を再開しています。
玄関から職員が出てきて、私を一瞥して、車庫へ入りました。


「サウジアラビア王国大使館」
六本木の丘の上に居ます。
街路樹の向こうに緑の国旗が見えます。

あそこがサウジアラビア王国の大使館です。

近影の撮影は禁止とのことです。
警備員から「事前に電話で了解を取ったらOK」だそうです。



「ペナン共和国大使館」
内堀通りを北上していたら国旗が掲揚されていました。

手持ちの地図には記載がありません。

西アフリカに位置する共和制国家です。
南北に長く、西にトーゴ、北西にブルキナファソ、北東にニジェール、東にナイジェリアと接し、南は大西洋のギニア湾に面しています。


1960年のフランスからの独立当初はダホメー共和国でした。
ところが、ダホメーは国土南部の限られた地域を指す名称であり、北西部のアタコラ県や、北東部のボルグを含めるには不適切だったので、ダホメーが面していたベニン湾に因み国名を決め、1975年にベナン人民共和国が成立しました。
その後、1990年社会主義政策の放棄と共に現在の国名となっています。


日本との関わりでは、北野武の付き人でタレントで2012年にベナン駐日特命全権大使に就任したゾマホン・ルフィンにより、たけし小学校やアフリカではまだ珍しい日本語学校であるたけし日本語学校が設立されています(2003年9月)。
たけし日本語学校は現在に至るまで多くの卒業生・日本留学生を輩出しており、在日ベナン人の多くはこのたけし日本語学校の卒業生です。
たけし日本語学校では仮名文字・漢字、書道などが教授されており、初級で日本語能力試験N4、中級で日本語能力試験N2合格を目標として授業が行われています。

しかしベナンはもとよりアフリカで最初の日本語教育のみの学校であるため、運営は難航しており、教室などの施設は受講希望者に対して圧倒的に不足しており、数千人の受講希望者が待機している状態となっています。
カリキュラムも未だ編成途上であり、上級コースは未だ開設されていません。
(ウキィペディアより)

北上した内堀通りは九段坂上の信号に突き当たり、その向こうは靖国神社です。


次回に続きます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大使館を訪ねてー33(エジプト、セネガル、ギニア)

2016年08月09日 | 散文
オリンピック競技が酣ですね。
久し振りに在庫処理を・・・。

「エジプト・アラブ共和国大使館」
デンマーク大使館前から国旗が見えます。


エジプト国旗です。


大使館前にエジプトらしいオブジェがあります。

「エジプトはナイルの賜物」という古代ギリシアの歴史家ヘロドトスの言葉で有名なように、エジプトは豊かなナイル川のデルタに支えられて古代エジプト文明を発展させてきました。
エジプト人は紀元前3000年頃には早くも中央集権国家を形成し、ピラミッドや王家の谷、ヒエログリフなどを通じて世界的によく知られている高度な文明を発達させました。

中東有数の軍事大国であり、イスラエルと軍事的に対抗できる数少ないアラブ国家であると目されています。


イスラエルとは4度にわたる中東戦争で毎回干戈を交えたが、第二次中東戦争で政治的な勝利を得、第四次中東戦争の緒戦で勝利を収めたほかは劣勢のまま終わっている。親アメリカのため、北大西洋条約機構のメンバーではないものの同機構とは親密な関係を保っています。
(ウキィペディアより)


エジプト大使館を後にして、旧山手通りを往きます。


「セネガル共和国大使館」
旧山手通りから住宅街に入った所にあります。


西アフリカ、サハラ砂漠西南端に位置する共和制国家です。

北東にモーリタニア、東にマリ、南東にギニア、南にギニアビサウと国境を接し、ガンビアを三方から囲んでいます。
西は大西洋に面しており、首都はダカールです。
フランスと関係が深く、フランコフォニーに加盟しています。

旧石器、新石器時代の遺跡が見つかっており、その頃から人類が居住していたこと分かっています。

首都ダカールはかつてのパリ・ダカール・ラリーの終着点として知られています。
セネガンビア地方には11世紀にイスラームが伝来しており、現在もイスラム協力機構加盟国となっています。

独立以来親仏路線を維持しており、西側諸国と友好的です。
1982年から1989年まで隣国のガンビアとセネガンビア国家連合を形成していました。
1989年4月に隣国モーリタニアとの間で国境紛争が勃発し(セネガル・モーリタニア紛争)、紛争によって数万人に及ぶ両国の国民が相互に追放されました。

また、隣国のガンビアと同じくイスラエルとは激しく対立しています。
セネガル国民のほとんどが敬虔なイスラム教徒であり、同じイスラム教徒であるパレスチナ人の置かれている境遇に対して非常に同情的だとの背景があります。
(ウキィペディアより)


「ギニア大使館」
こちらも旧山手通りから住宅街に入った所にあります。
国旗が掲揚されていなければ、一般の民家と変わりません。
分譲住宅をそのまま使用しているかのようです。


西アフリカ西端に位置する共和制国家です。
北にセネガル、北西にギニアビサウ、北東にマリ、南にシエラレオネ、リベリア、南東にコートジボワールと国境を接し、西は大西洋に面おり、首都はコナクリです。

旧フランス植民地の中でも、1958年に他の植民地に先駆けて国民投票で独立した国家です。

労働人口の80%が農業に従事しています。
独立時にはバナナ、パイナップル、コーヒー、ピーナッツ、パーム油が主要輸出物でしたが、今やボーキサイトに交代し、ダイアモンド、金などを含め、鉱業が主要産業です。
ただし、コンテ政権末期から経済状況は悪化し汚職、政治的不安定、不透明予算システムから外国からの投資が遅れて貧困層が増大しています。


次回に続きます。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美術館で涼む

2016年08月08日 | 散文
街を歩いていたら、余りにも暑いので三菱一号館美術館に来ました。
「はい、私はサポーターです」って偉くも何とも無いけど、年会費を払っているのでいつでも無料で入場できます。

従って、涼みに来ました。

「ジュリア・マーガレット・キャメロン展」は2度目です。
このコーナーは「撮影可」でした。


展示室を移動するときに通る、廊下から見る景色が好きです。


特に今日は暑さを忘れます。






さて、そろそろ今日の飲み会の会場へ移動しますか・・・。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の昼食/この炎天下・・・

2016年08月08日 | 散文
最近こちらに来ると、「みなとや」で蕎麦を食べるのをルーティーンとしています。
あの、虎ノ門ヒルズを仰ぎながら並ぶ店です。


猛暑日の炎天下でもこの行列です。


ビルを見たり、ラッピングカーを見たりして気を紛らわせます。


行列が店の入口に近づいた頃、扇風機がありました。


しかも2基!!

いやあ、列が進んでも扇風機の前を離れたくないなあ・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一日遊んで帰る小名木川の風景

2016年08月08日 | 散文
カヌーの後はこの「潮の道橋」を通ります。


小名木川を西日が照らします。




反対側の風景です。


心地よい疲れと満足感を連れて家に帰ります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カヌーで北十間川を往く-2

2016年08月07日 | 散文
前回の続きです。

「十間橋」を過ぎて「西十間橋」に近づきました。


仲間が「西十間橋」を潜って行きます。


仲間からちょっと外れて「西十間橋」からの景色を楽しみます。




橋の下からスカイツリーを見ます。

普段この位置は逆光なので、太陽が雲に隠れるのを待ちます。

橋を潜ると「京成橋」が見えて来ます。


仲間たちが「京成橋」を潜って行きます。


橋の手前からの光景です。




そんなことをしていたら、「ガレオン」が来ました。
お互いに手を振ってエールの交換です。

・・・右手の白いのは橋桁です。

橋の下から見る景色です。


橋を抜けて見る景色です。


スカイツリータウンができてから架かった橋です。


橋の手前から見上げます。


橋を抜ける瞬間に見上げます。


いつもそうですが、川から見上げるツリーは陸から見上げる姿と何ら変わりません。

暫く観光客に手を振って、帰りもゆっくり遊びながら・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カヌーで北十間川を往く-1

2016年08月07日 | 散文
「旧中川」の「江東新橋」で涼を取っています。

一息入れて、スカイツリーまで行く予定です。

「北十間川」へ入って行きます。
最初に「新小原橋」に出会います。


現在工事中です。
上の車道でなく、下の歩道の工事中です。
現在仮橋です。


「新小原橋」から東部亀戸線を見ます。


東部亀戸線です。


東部亀井戸線の鉄橋を過ぎると北十間川は湾曲します。




暫く漕ぐと「福神橋」です。

「福神橋」からスカイツリーを覗きます。


「福神橋」を潜ったところの景色です。


「境橋」にやって来ました。


目的地を見ながら日陰で休憩します。


「境橋」を出発です。


水道(?多分)を潜って進みます。


「柳橋」に来ました。
スカイツリー撮影の名所です。
隅田川花火大会もよく見えますが、当日は立ち止まり禁止です。

そう言えば、昔この橋の坂(階段だけでなく自転車用の坂がある)をAKB48が駆け上がっていましたし、右手の団地を舞台にした芦田愛菜ちゃんのドラマがありました。
彼女は犬の名前を「スカイツリー」と付けました。
みんなツリー建設終盤から完成の頃の話です。

「北十間川」が「横十間川」と交わる地点です。
ここでも休憩します。

年寄りのチームですので、適度な休憩が必要です。
暑いし・・・。

景色を眺めながら給水します。


さあ、出発です。
「十間橋」を潜ります。


・・・次回に続きます。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016 住吉神社の夏祭り

2016年08月06日 | 散文
佃島に来ています。
佃小橋の船泊端に町衆が集まっています。

逆光眩しい真夏日の午後です。

路地の軒先に祭り提灯が出ています。


駄菓子屋さんも祭り提灯を出しています。


住吉神社へ向かいます。
どこの家にも提灯が出ています。


突き当たりの右手が住吉神社です。


お祭りの会場です。


神社を背にして隅田川からの参道を見ます。
朱塗りの鳥居が見えます。
ここでも両側の家々に祭り提灯が出ています。


朱の鳥居と赤い提灯がマッチして祭りの雰囲気を醸し出しています。
夜になって蝋燭が入ると、もっと華やかな参道になると思います。
この参道の提灯にだけ付けられている風鈴が、涼やかに風を呼び夕方を待ちます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

須崎パラダイスの消滅

2016年08月06日 | 散文
2011年3月から2012年11月の写真を元に、消失記事をリメイクしました。

江東区の東陽1丁目は、明治20年、東京帝国大学の建設に伴って、本郷の根津遊郭が移転して来て以降吉原に匹敵する巨大な遊郭として栄え、そのまま昭和33年まで赤線としても栄えた街です。
戦争で全焼したがわずか半年で復興したそうです。
その名を須崎パラダイスと云います。
映画の舞台にもなった街で、代表的娼館がこの「大賀(タイガー)」です。

この撮影時は選挙事務所として使っていました。

周辺も何となく当時の雰囲気が残っているように思います。


アーケード街のこの建物も遊郭でした。
そのまま店舗として使っていますが、青い柱が遊郭の特徴です。

そんな事も知らないで、雰囲気に惹かれて撮っていました。

暫く行ってなかったら「大賀」の場所に工事用シートが掛けられていました。

東日本大震災で建物が半壊したらしい・・・。
古い建物だったので「やっぱりか」と思います。

数か月後行ってみると、綺麗な住宅が完成していました。

解体したのです。
ちょっと驚きました。

こちらのアーケード街でも工事が進んでいます。
建物が取り壊されて、もうありません。

それにしても、須崎パラダイスの存在を知ったのはつい数年前なのに、知ったと思ったら、あっという間に街並みが変わってしまいました。

何処にでもある住宅街になりました。
よく見ると新築住宅が多い街だと思うくらいでしょう。

再開発の方針で、旧遊郭の建物は全て平成24年4月に解体されました。
こうして街が変わっていって、遊郭があった事も知らない人達が住んでいくのでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日の根津神社

2016年08月06日 | 散文
真夏日の根津神社です。


この暑さでは参拝者も疎らです。


あれ!?
国宝の唐門が工事中です。


珍しいことなので、いつものアングルで撮っておこうと思います。






旅行者でしょうか?
記念写真の確認が微笑ましい・・・。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする