荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

御嶽海が優勝した翌々日の風景/出羽海部屋と井筒部屋

2019年09月24日 | 散文

 

やっぱり優勝の効果は絶大ですね。こうやってファンが記念写真を撮りに来ます。

 

昨日の宴会は大人しかったですね。某部屋の場合はごみ袋が10個は出ていました。相撲取りが3人しか居ないのに、後援会が大騒ぎしたのだと思います。もっとも今日辺りは後援会主催の祝勝会があります。その後、後援会員(タニマチ)それぞれの祝勝会が行われます。タニマチはこの機会を捉えて、得意先に声を掛けて祝勝会を行います。己のステータスを見せつけて満足するのです。誘われた得意先はそれぞれ御祝儀を持って来ます。一緒に写真を撮ったりサインを貰ったりして、やはり得意先などに己のステータスを見せびらかすのです。このような宴会が約2週間続きます。

優勝して高揚しているし、モテるし、「ごっつあんです」で済むしで楽しいでしょうが、その非日常が稽古スケジュールや体調管理を狂わせます。連続優勝が珍しいとか昇進した場所の成績が悪いとかは、そのような行事にも一因があります。

 

さて、出羽海部屋から約150m程の井筒部屋です。今日は葬儀の準備に大わらわです。

 

今日も祭壇に手を合わさせて頂きました。

 

こちらは栃ノ心が大関を陥落した春日野部屋です。

 

こんなのが出ていました。別に稽古をしていない訳ではありませんが・・・

 

そういえば、出羽海部屋にまたこんなのは出ないでしょうね。前回御嶽海が大関に挑戦したときのものです。

 

こんなのが出るのは自信が無い証拠です。日馬富士は出なくなって横綱になりました。稀勢の里は出っぱなしでした。不安を払拭したいというのは、自信が無かったのでしょう。

それより何より、御嶽海の場合は、「綱取り」ではありませんので・・・

 

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御嶽海が優勝した翌日の風景/出羽海部屋と井筒部屋

2019年09月24日 | 散文

 

午後の出羽海部屋です。玄関に花が届けられています。

 

また胡蝶蘭が届きました。

 

 

部屋には酒樽も見えます。

 

花の贈り主を見ると、おお、そういえば御嶽海はあの番組によく出ていましたね。

今夜は宴会ですね。

さて、出羽海部屋と背中合わせにして徒歩2分斜め後ろにある井筒部屋が慌ただしいです。

 

親方の通夜の準備中です。

 

 

隣のマンションのスペースも借りて受付作りの最中です。

 

部屋の中には祭壇が見えます。この場所から合掌させて頂きました。ご冥福をお祈りいたします。それにしても58歳は早すぎます。

 

悲喜こもごもと言いますが、路地の裏表で準備する目的の違いが大き過ぎます。近いだけに、余計やるせないです。

 

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御嶽海が優勝した翌日の風景/下町のおじさん

2019年09月23日 | 散文

 

 

九月場所で御嶽海が優勝しました。翌日の両国の風景です。先ずは国技館です。

幟が一部残っています。すぐには下ろさないのですね。

 

切符売り場の横にある千秋楽のスケジュールもそのままです。

 

栃ノ心が大関を転落した春日野部屋です。出羽海部屋から独立した名門部屋です。

 

栃ノ心と親方の落胆を他所に、いつものとおりの、のんびり風景です。むしろ本場所の緊張から解放された安ど感が漂います。奥で相撲取りが寛いでいるのが覗けました。

 

さて、御嶽海が優勝した超名門の出羽海部屋です。

 

昨夜の宴会の名残りです。

最上川極上天然鮎の字が見えますね。

私と同じようにおじさんが見に来ました。

 

お祝いの胡蝶蘭が届きました。

 

 

おじさんが覗き込みます。後でTVで知ったのですが、相撲リポーターの横野レイコさんがインタビューしていた時間です。

 

おじさんは入って行きました。

下町のおじさん好いです。私にはこの厚かましさがありません・・・

 

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玄琳牡丹屋敷跡に行き当たった。

2019年09月23日 | 散文

 

東尾久の住宅街だったと思います。交差点の角に駐車場が在りました。不自然な位置に造ったものです。

 

元は庭だったようです。

 

それにしても、敷地の面積割りとして不自然な広さの庭のスペースです。

 

説明板がありました。

 

なるほど、そんな謂われがあって史跡となりましたか。それで庭を縮小できないのですね。

史跡を維持する子孫の方はご苦労されていると思います。

折角の史跡なのに申し訳ありませんが、私は直ぐに忘れてしまうと思います・・・

 

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西向天神社に行き当たる。

2019年09月23日 | 散文

 

新宿6丁目の交差点を東に、文化センター通りの坂を下り切った所は崖の下です。路地から東の崖を覗いたら神社がありました。大きな神社です。当然行ってみます。

 

西向天神社という神社です。

 

 

見上げる石段を上がります。

 

振り返るとこんな場所です。

崖下はビル街です。

正面に拝殿があります。

 

お参りしますが、例によっておさい銭は投げません。

 

広い境内です。あれは神楽殿でしょうか?

 

参道は通路になっているのか、人の往来があります。行ってみます。

 

石段を上がります。

 

境内を振り返ります。

 

境内を出た西側は長い石段です。新宿の街に続きます。

 

石段を反対側に上りきった所に中学校がありました。神社側の門なのでしょう、天神門です。

 

校舎を見ます。

 

渡り廊下の向こうは住宅街です。

 

新宿のビルが見えます。丘の上の校舎です。

 

西向天神社の上の住宅街です。新宿6丁目の住宅街はちょっと田舎っぽいです。

 

住宅街の鳥居から神社に戻ります。

境内には遊具がある公園もあります。大きな神社でした。

自転車がある石段下に戻ります。

さて、この後何処へ行こうか?

 

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西ヶ原に国有地があった。

2019年09月22日 | 散文

 

西ヶ原に迷い込んでいます。

 

多分初めての道です。方向音痴なので記憶に残りにくいのです。

 

ふと左を見ると、「国有地」の看板が見えました。行ってみます。

 

ここです。

 

袋小路の奥です。所有者は財務省です。

 

東京では時々遭遇します。相続税の物納でしょうか?

物語りの跡地を雑草が覆っています。夢の跡かも知れません。

 

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KUNST HAUS/飛鳥音楽学園があった。

2019年09月22日 | 散文

 

都電の滝野川一丁目の駅と別れて住宅街の坂道を上がって来ました。昔TVドラマで観た「陽の当たる坂道」のような、ちょっと高級住宅地の雰囲気です。

 

坂の右手に西洋建築がありました。

 

教会でしょうか?

 

えっ!?  「クンストハウス」ってなに?

「クンスト」とはドイツ語で芸術のことらしい・・・

2階の入り口には「飛鳥音楽学園」の文字が見えます。

 

こちらには「KUNST HAUS」の文字もあります。

 

この階段を上がると飛鳥音楽学園の入り口です。

 

つまり、1階が「KUNST HAUS GROBER SALL」のようです。それってなに? 片かなで「クンストハウスホール」と書かれています。で、なに? 音楽ホールかなにか?

 

とにかくそんな感じ(ってどんな感じだよって突っ込みが入りそうですが、)の建物です。

 

坂を上がって行ったら飛鳥山近くの本郷通りに出ました。

そんな場所に在りました。

 

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田端八幡神社へ行く。

2019年09月21日 | 散文

 

赤紙仁王の隣に神社が在りました。何度も赤紙仁王を訪れていますが、今まで気にも留めませんでした。説明板が在りました。

源頼朝が鶴岡八幡宮を勧請して総建して、赤紙仁王はこの神社の参道に立っていたのですね!急に興味が起こりました。

参道を行ってみます。左手は別当寺の東覚寺です。一の鳥居の手前に、なるほど橋が見えます。

 

隣の東覚寺と塀一つ隔てただけです。

 

沢山の神輿蔵が並んでいます。歴史ある町なので氏子が多いようです。

 

残暑の木漏れ日が厳かな雰囲気です。

 

振り返ります。おお、厳かです。

 

参道が分かれています。当然、直線でなくて面白そうな右側を選びます。

 

途中に二つの鳥居があります。

 

こちらは溶岩で築かれています。富士塚でしょうか。富士山信仰が盛んだった東京では時々出くわします。

 

こちらは稲荷神社です。こちらは富士塚よりもっと頻繁に出会います。

 

本堂の境内に着きました。

 

参道を見下ろします。陽射しと木漏れ日が好いです。

 

お参りします。例によっておさい銭は投げません。

 

本殿横にも参道があります。

 

田端の住宅街です。この道を行くと、童橋を通って芥川龍之介の旧居跡に行けます。

 

裏から見る残暑の空です。

糸瓜忌の日の田端の空です。子規はこんな暑い日に逝ったのでしょうか?

 

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糸瓜忌の日の赤紙仁王

2019年09月21日 | 散文

 

赤紙仁王は文士村と呼ばれている田端の名所です。左右の仁王像が赤紙を貼付けられて真っ赤です。

 

この前の道が子規の葬送の道です。

 

説明板を読みます。

 

阿像です。

 

吽像です。

 

説明板に書かれていたとおり、沢山の奉納されたわらじです。

 

横から見ます。

 

後ろから見ます。これって、台風15号で飛ばされたのでしょうか? 普段より随分赤紙が少ないです。

 

門前から続く道です。子規の葬列はあの道を行きました。「赤紙仁王通り」です。

 

改めて夥しい数のわらじを見ます。

 

吽像と阿像を見ます。

 

赤いといっそう迫力あります。

 

門前にも仁王像があります。

 

・・・隣に田端八幡神社が在りました。

 

何やらいわくがありそうです。

 

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糸瓜忌の日の羽二重だんご

2019年09月20日 | 散文

 

新装なった羽二重だんごです。私はこの造り方好きです。老舗の雰囲気が十分伝わります。

 

子規の葬送の道に羽二重だんごが在ります。この前の道を子規の棺が運ばれました。ここのだんごは子規の好物でした。

 

店舗の三差路の道標です。王子街道を子規の葬列が行きました。右手はいも坂です。上野のお山で政府軍に敗れた彰義隊はこの坂を転げ落ちて来て、刀創甲冑をこの店の塀内に投げ捨てて王子街道を落ちて行きました。子規が生まれた年のことです。

 

由来記です。

 

残暑の根岸の里です。

 

「芋坂も団子も月のゆかりかな」 正岡子規

 

 

 

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子規の命日に、

2019年09月20日 | 散文

 

やって来ました大龍寺です。昼一番の田端の里です。

裏の田端中学校が新装なって景色が一変しました。

ここに正岡子規の墓があります。

 

墓地に入ったら、余りの景色の変わりように戸惑います。

 

子規の墓は何度も訪れましたが、1年振りです。

 

昨年はこざっぱりした後ろの竹薮が、随分と繁っています。

 

左手に、子規が書き残した自らの墓標です。

 

残暑の陽射しが反射します。

 

今日が命日なので、この後お参りがあるのだと思います。ファンが捧げたのか、質素な花です。

 

墓前に数年前から自生しているこの花が子規の生涯に似合うように思います。

 

母八重の墓はだいぶん傾いたようです。

 

竹薮は今日の午後刈られるのでしょうか?

 

帰り際に振り返ります。

 

真夏のような濃い景色です。

 

子規の背後から墓所をみます。残暑の空です。糸瓜忌にいつも訪問していますが、今まで誰かに遇ったことはありません。今日も午前に、子規庵にあれ程居た子規の流れを汲む俳諧師達は、誰もここまでお参りしないのですね・・・ 

ただの観光客がワサワサと子規庵に行って、子規の机で俳句を詠んでいただけなのですね・・・

 

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子規も来て 朱花咲きおり 糸瓜忌に

2019年09月19日 | 散文

 

子規庵に来ました。

 

今日は糸瓜忌です。

 

いつものように部屋の中は大勢の俳諧師で混雑しています。今日は表のポスターにあるように「糸瓜忌特別イベント」があって尚更の混雑です。庭にも見学者が沢山居ますが、室内よりましです。

 

毎年藪蚊に対する配慮が嬉しいです。

 

残暑の光溢れる庭に出ます。

 

いつものように手水鉢に花を浮かべています。

 

今年は夏が長かったせいで、毎年咲いているこの彼岸花がまだ咲きません。

 

ごてごてと植えられた庭から子規庵を見ます。

 

子規は朱い花が好きで沢山植えました。写生も腕に覚えがありました。

 

まだ糸瓜の花が咲いています。学芸員も「季節の巡りが遅いです」と言っていました。

 

子規の病室の縁側に残暑の木漏れ日が強く射します。

 

糸瓜もまだまだ元気です。

 

葛の花です。

 

芙蓉です。

 

陽に透けます。

 

姫柘榴です。

 

演劇「糸瓜咲け」講演本読み稽古が始まりました。

 

聴くとはなしに聴いています。

 

出演者は「糸瓜咲け」出演俳優です。病床の子規と律のやり取りです。「羽二重だんごが食べたいと言うたに何んで買うてないぞな」という子規に対して、「食べたいとは聞いたけど、買うておけとは聞いていないぞな」と反論する律の会話から始まりました。

 

入館時に貰ったこれですね。

 

今年も投句しました。

表題に記しました「子規も来て 朱花咲きおり 糸瓜忌に」

 

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御徒町は世界のジュエリー街

2019年09月19日 | 散文

 

御徒町宝飾街の南端です。初めてこの街を報告します。

 

住所は上野3、5丁目丁目界隈ですが、3っつの「御徒町」が付く駅があることから、通称御徒町と呼ばれている街です。「御徒(おかち)」とは足軽のことです。江戸時代に下級武士が住んだ町です。それが今は、世界の金が飛び交う宝石の街です。

上野3丁目を行きます。右手はJRの高架です。高架を潜れば5丁目が同じような景色で、高架に沿って続いています。

通りには換金レートの看板があって、我々庶民には怪しく近寄りがたい雰囲気が漂います。

 

「金・銀・パール」の街です。

 

人通りは少ないです。だから余計に一般人は足が遠退きます。

 

大袈裟でなく、店内には外国人しか居ません。

 

 

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旧「魚 やまちゃん」の解体 ひょっとしたら、

2019年09月18日 | 散文

 

もう取り壊しています。下町の工事にしては仕事が速いです。

 

この路地を行けば東武亀戸線の踏み切りにぶつかります。

 

家屋の跡形もありません。ここは魚屋やまちゃんの以前の店です。

 

(先々週の写真)

当時は「魚 やまちゃん」

 

 

 

「魚屋やまちゃん」は新店舗で商売繁盛のようです。

ひょっとしたらやまちゃん、元の店を建て直して戻るつもりかも? 今の店舗は元クリーニング屋だったので、ここは借り物で仮の店舗かも知れません。そんな気がしてきました。

 

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ある米穀店の風景

2019年09月18日 | 散文

 

昭和の香りのする米屋に出くわしました。

 

民家の前面をモルタルで石造り風にした、昭和に多く建てられた商家の様式です。

 

場所は小台大通りを東に入った所です。

 

自転車を停めました。懐かしい店頭の景色です。

!? ガラス戸に何か貼っています。

閉店のお知らせです。今月末で店を閉めるようです。

 

覗くと、昔の米屋の店内です。勿体ないなあ・・・

 

隣の魚屋は既に閉店したようです。個人商店受難の時代です。

 

特に米屋は日本人の米離れが止まらない環境下、人口減少と相まって明るい将来が見えません。米屋は私が子供の頃はその地域の中心で営む家業でした。

 

また町の名店が廃業します。

 

形あるものはいつか無くなるとは言え、立ち去り難い路地の午後です。

傍観者の勝手な感情ですが、この景色を惜しみます。

 

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