木洩れ陽の下のハチ公と上野博士像です。渋谷駅頭の出迎え風景です。
秋酣の東京大学農学部キャンパスです。
本郷の秋です。
根津神社の西参道へ行きます。乙女稲荷神社です。
秋の陽射しが注ぎます。賑わっています。
七五三の撮影中です。
透かし塀にも陽が注ぎます。
透かし塀を覗きます。
木洩れ陽の本殿です。
いつものアングルです。
視線を上げます。秋酣です。
そして、やっと人が居なくなった瞬間の乙女稲荷です。
空は高いし、気温は穏やかだし、絶好の散策日和です。やって来たのはいつもの根津神社です。
千本鳥居です。
見上げれば抜ける空です。
楼門です。
舞殿から観ます。
拝殿も。
秋酣です。
浅草寺が賑わっていました。
外国人が半分以上居るのじゃないか?と思っていたかつての賑わいには遠いけど、全く人が歩いていなかった時を知っている私には、驚きの光景です。ふと思ったのですが、外国人を除いた正味の日本人観光客って、こんなものではないのでしょうか?
参道が狭くなる光景が蘇りました。
皆さんコロナとコロナの谷間と思っているのでしょうね。
今のうちに、ですね。
大塚のおにぎりぼんごが移転して営業を再開していました。店内は元の店と全く同様で違和感がありません。店先には整理員が居ます。凄いね!と最後尾へ行きました。案内板が有ります。
えっ!?最後尾はここじゃない??店の前の道路の向こうに人が並んだ絵があります。
えっ、あそこ?あの進入禁止の標識のところ?
凄いね!? たかが「おにぎり」なのに? されど「おにぎり」なんですね。
2時間待ちかな? 後ほどTV番組で、最大4〜5時間待ちとのことです。
すっかり陽が低くなった池之端の路地です。もうバスケットゴールの影を色濃く落とす夏の陽射しはありません。ここの主人と約束しました。
柘榴が割れたら、取って食べて良いと。
割れていません。おかしいなあ?あの人は、9月末には割れると言っていました。西洋柘榴じゃないから酸っぱくて美味しいよ、とも言っていました。
裏側を覗いたら、割れています! 柘榴って、陽の当たらない側が割れるのですか?柘榴の生態に疎いです。・・・取って良いと言ってたけど、そうは言ってもなあ。あの人現れないかなあ?家の中からは、尺八の音が聞こえるだけです。あの人の息子さんが教えているのだと思います。
現れないので井戸へ行きます。狭い路地の半分だけ陽が射しています。
初めて見る光景です。面白そうです。
路地の上の空は、青く明るい秋の空です。
半分日が射す井戸を観賞します。
反対側に廻ります。
好いです。
来た方向に戻ります。
・・・あの人が現れないので帰ります。
下校時間の砂町銀座商店街です。曇り空だし、夕方は肌寒いです。
これからお惣菜屋が賑わいます。
大きな揚げ物です。ジャンボミンチカツです。
やっぱりここが賑わっています。寒くなったらおでんです。これから行列が長くなります。
寒くなったら必ずTVに登場する店です。今年ももう何度かTVで観ました。
お父さん達も買い物です。単身赴任者でしょうか?お使いでしょうか?こういうのって、出勤前に頼まれるのでしょうか?それとも勤務中にLINEで指示が来る?
暖かい夜になりますね。
前回の続きです。
長屋に来ました。部屋の正面に大きな鋸が有ります。大木を縦に轢いて板を作る道具です。深川には木場が在ります。
木挽職人大吉の部屋です。小さな部屋です。
向かいは松次郎の部屋です。
部屋には網が有ります。漁師のようです。部屋の奥の囲いの中は寝具です。
松次郎の斜め向かい、大吉の隣はおしずさんの部屋です。
大吉と松次郎の部屋の倍の広さです。三味線の師匠のようです。広い部屋は稽古場を兼ねています。
その斜め向い、松次郎の隣は正助の部屋です。剥き身が商売です。浅草丼屋に売るのでしょうか?
部屋の中は貝殻が有ります。その他は筵ゴザと食器だけです。質素な暮しです。
どぶ板の路地です。
長屋の中央です。住民共同のインフラです。左下はごみ箱です。その向こうは共同トイレです。
共同井戸です。
井戸端会議の賑わいが目に浮かびます。
お稲荷様です。福徳稲荷社です。皆の神様です。仕事に行く前に手を合わせます。事ある毎に祈ります。
稲荷社から見る長屋です。
結構面白かったです。6年前に来た時と何ら変わっていません。このマンネリもまた良しです。
随分久し振りになります。深川江戸資料館にやって来ました。「みゃあ〜」とのんびり、屋根の上のバイオリン弾きならぬ猫が迎えてくれました。あ!昔と変わっていません。
ボランティアガイドが説明しています。お馴染みの光景です。
江戸の商店街です。
八百屋です。
暗いです。こんな光量だったのでしょうね。
隣は米屋です。
精米機です。足踏み式です。ついてみました。「踏むのは3回までです」と書いていました。
見上げるとニワトリです。餌はくず米です。
店から表を見ます。
商店街の突き当りは堀です。今で言う運河です。
ここには船宿が在ります。
堀には舟です。
広場には屋台が有ります。天麩羅屋です。蕎麦と同様、急ぐ時に軽く摘まむ食品でした。
こちらには蕎麦屋です。真ん中の竿を担いで移動していました。
担ごうとしたら、
江戸の町を歩いています。
小名木川の扇橋閘門の中に居ます。今日は隅田川へ行きます。現在の小名木川の水位です。
海抜ゼロメートル地帯です。閘門の壁に囲まれて居ます。
今現在、―70cmの場所です。操作室から「2,2m水位を上げる」とのアナウンスがあります。
底から水が湧いて来ます。カヌーが流される勢いです。
こんなに高くなりました。
これが隅田川の水位です。
前方の扉が上がりました。隅田川に向かって漕ぎ出します。
今日は波が静かです。萬年橋に来ました。運河の街なので多くの橋が架かっています。その中でも有名な橋です。葛飾北斎は「富嶽三十六景」で、萬年橋の橋桁の下に富士山を描きました。
丁度この位置です。当時は、今見えるアーチのような橋が架かっていて、半月状の橋下に左側に富士山が見えました。北斎は舟から富士山を眺めましたが、今はビルしか見えません。
萬年橋を出るとすぐそこが隅田川です。水上バスヒミコが遡上しています。
水上から見る「ケルンの眺め」です。青い清洲橋と隅田川の景色が、ケルン市の眺めに似ているらしいです。背後の岸壁にそんな説明板が有ります。行った事の無い私には、下町から見る都心の眺めです。
また水上バスが行きます。もうすっかりコロナ禍を忘れたというか、今のうちに行動しようという観光客が沢山出ています。最近は一杯人が歩いていて、外国人が目に付くようになりました。
・・・隅田川を眺めて、暫く波に揺られて戻ります。萬年橋を潜ります。
水門に来ました。
「新小名木川水門」です。津波時に遮断して下町を守る(筈の)水門です。
海抜ゼロメートル地帯に戻ります。
晴れ間が少ない東京です。
国立競技場前の五輪マークです。オリンピック開催中は観戦できないジレンマと日本人選手の活躍と相まって、多くの人が行列をなして、ここで写真を撮っていました。今は、訪れる人は居ません。
オリンピックミュージアムにも人が居ません。
ミュージアム前からの風景です。当初のデザインから替わった建てた競技場です。コロナ禍で開催が1年遅れ、招致合戦時の賄賂事件が発覚し、森大会委員会長が舌禍で辞任し等々、紆余曲折を経て無観客で開催されました。日本人選手の活躍で盛りあがりました。「やって良かったのかな」の雰囲気が国民の間に定着しかかった頃、元電通専務の大会理事のオリンピックスポンサー決定時の贈収賄事件が発覚しました。
今日も新たな贈賄事件が発覚しています。まだ出てくる予感がします。元総理まで到達できるか? 完全に興醒めです。「何をやってんだ、もう!」です。
ここには日本で開催された歴代オリンピックの聖火台のレプリカが有ります。縮尺3/4です。先ず、1964年の東京オリンピックです。
1972年の札幌冬季オリンピックです。
1998年の長野冬季オリンピックです。其々のオリンピックの感動を思い出します。日本中が盛り上がりました。経済効果も大きかったです。
・・・今回の、東京オリンピックのが有りません。作るの止めたか?
石のベンチには崇高な言葉が並んでいます。「卓越Excellence 友情 Friendship 敬意・尊重Respect」。贈賄事件の後では空々しいし、恥ずかしいです。
嘉納治五郎先生、既に貴方が思い描いていたオリンピックではなくなりました。2回目の札幌冬季オリンピックに立候補しなくても良いでしょう?
東京の街は秋色です。
カラーマンホールに出逢いました。千駄ヶ谷大通り商店街です。
商店街を行きます。
その先に烏森八幡神社が在ります。
ここに将棋堂が在ります。
中が見えにくいので写真を展示しています。
そして、烏森八幡神社の隣に、将棋会館が在ります。
ここは秋の到来が早いです。
尾久の商店街に非系列のガソリンスタンドが在りました。非系列なので、地域住民が主な顧客だと思います。
ガソリン需要が減退している世相です。経営は大変だろうな、とみていました。
<2021年11月>偶然、解体工事に遭遇しました。
やっぱり廃業しました。でも駅に近い立地なので、住宅需要があると思っていました。
<2021年12月>この店とは偶然のタイミングがよくありました。地下タンクの掘り出し工事に遭遇しました。
<2022年3月>更地になりました。
<2022年4月>建築工事が始まりました。
共同住宅が14戸も経つ計画です。この面積で?マンションだろうか?
<2022年7月>あっという間に建物ができました。
<2022年8>月外観が現れました。戸建てです。これで14戸?
裏のマンションも併せてでしょうか?
<2022年10月>戸建て部分が完成していました。
裏に回りました。もう住んでいました。やっぱり民家の需要が多い場所です。
こうして街の景色が変りました。
深川の路地でいきなり出逢いました。圧巻です。圧倒されました。
なんだ、このビル?富岡八幡宮祭りのラッピングです。
流石は江戸っ子!やることが派手です。気合が入っています。
折角の「富岡八幡宮祭りLOVE」なのに、人通りが少ないのが残念です。