荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

新聞記事「弥生かいわい」−3

2022年10月12日 | 散文

副題は「少年少女魅了した挿絵」です。

 

東京大学弥生門です。

 

 

明るい秋の陽射しです。

 

前面道路は「暗闇坂」です。明るい暗闇坂です。

 

「弥生美術館  竹下夢二美術館」へ行きます。

 

門を入ります。入った左手に喫茶レストランが在ります。

 

「港や」です。黒猫は居ません。代りに店の女主人に呼び止められました。

 

「今日は休館ですよ」

 

「展示入れ替えで臨時休館です」

 

塀のレリーフを眺めます。高島華宵です。彼は宇和島出身です。ついつい故郷贔屓になります。

 

竹下夢二です。

 

こんな散策でした。

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新聞記事「弥生かいわい」ー2

2022年10月12日 | 散文

やって来たのは「弥生式土器発掘ゆかりの地」碑です。

 

 

正面は東京大学農学部の農園です。

 

前面道路は言問通り弥生坂です。こちらは下り坂、根津方面です。

 

上り方面は「東京大学ドーバー海峡」を通って本郷通りに繋がります。

 

さて、石碑の背面に説明板が有ります。

 

 

アップで見ます。弥生式土器第一号発掘の場所はここではなく、この地図のほぼ中央上の、地図から外れた所です。工学部10号館の北の路地を行くと、発掘された異人坂に当たります。・・・さて、地図の右端に「浅野侯爵邸跡地」が在ります。

 

前回報告の、異人坂の上に書かれていた、異人坂を整備した「浅野侯爵」の自宅です。こんな距離感に在ります。

 

以下推測です。異人坂を整備した浅野侯爵とは、忠臣蔵で有名な播州赤穂浅野家の本家、広島浅野家の、「最後の大名」と呼ばれた「浅野長勲」氏だと思います。彼は昭和12年まで生きて、96歳で亡くなりました。坂の建設は、昭和6年2月です。

 

彼は浅田次郎著短編小説「安藝守様御難事」の主人公です。幕府への賄賂届けの作法を面白おかしく書いています。長命だったことで大名の暮らしの一端を後世に語り残しました。

「実際の浅野長勲氏は、第二次長州征伐の斡旋を懸命に行って長州藩の存続を図り、翌年暮れの小御所会議で、薩摩の唱える徳川処分と、土佐の公儀政体論を調停した。この会議が決裂したら、明治維新が実現していたかどうかも怪しいものである。

薩長同盟が具体化すると、広島藩もこれに加わって薩長芸三藩同盟を締結したが、のちに土佐藩に続いて大政奉還の建白をなしたことから薩長の恨みを買い、倒幕の密勅が下りた際には同盟から除外さてれてしまった。つまり、薩長と土佐に挟まれた形で、維新の主流から外されてしまったのである。

しかし、維新当時25歳という年齢を考えると、彼の活躍ぶりはまさに英主の名にふさわしい。この英名なる若殿様がいなければ、たぶんその後の日本はなかった。」(安藝守様御難事より)

 

<余談ですが>

東京大学のドーバー海峡とは、こちら

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