駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

これを偏見というのか

2016年02月07日 | 町医者診言

       

 今朝はちょっと眩暈がした。ゆっくり起きれば良かった。十年くらい前から年に二三回左から右へ物が流れる眩暈がすることがある。暫くじっとしていれば収まるので、慌てはしないのだが、今日は大人しくしていようと思う。頭位変換性眩暈の範疇に入る病態だと思うが、こうした軽微な症状は以外に確定診断が難しい。

 Tさんは74才の小柄なお爺さんだ。ごま塩頭の短髪で年よりも少し老けて見える。数ヶ月前から通院してくるようになった。いつもニコニコというかニヤニヤしながら あれこれ訴える。訴えるというよりは、一寸聞いてみようと昨日から便が出ないとか、鼻がぐずぐずするとかやって来る。最初の内は色々な病気を想定して診察していたのだが、これが十回にも及ぶと成る程こういう人かこういうことになっているのかと、カルテの表書きをじっと見てしまう。

 どんな患者さんも、同じように診察したいと考えて何十年やって来たが、100%そうすることは難しい。刺青や多少の智慧遅れには99%等しく心が揺れることもなく診て来れたと思うが、Tさんのような生活保護の人には若干の苛立ちを覚えてしまう。医者に掛かると鼻がむずがゆくても、今日は未だ便が出ないでも、そこそこの料金が掛かる訳で、もし無料でなければ三日と置かず受診することはないだろう。

 Tさんの生活史を知らず、失礼を承知でいい加減にして欲しいと、老いた指の剥げてきているマニキュアを見ながら思ってしまう。悪や狡に比べれば、咎め立てする筋合いのものではないかも知れないが、39Cの発熱や血圧が190の人も待っているのだと思ってしまう。

 駅前の小さな医院にも世の理不尽の旋風が吹いている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする