春の兆し
明日は桃の節句。春四月に先駆ける如月と弥生の二月三月は、梅と桃とが春の兆しの彩りを添える。昨年のブログ日記には桃の節句についての何も記録を残していないけれど、一昨年と一昨々年のブログには何かしら記述している。
月並みだけれど、桃の節句にはいつも芭蕉の俳句が浮かんでくる。
草の戸も 住み替わる代ぞ 雛の家(芭蕉)
世俗を断念した芭蕉の住んでいた「草の戸」の粗末な住居も売り払われて、今は商人の一家妻子が移り住んで、その娘たちの祝う雛飾りが春に華やかな彩りを添えている。芭蕉はこの草の庵を売り払って、遠い東北に奥の細道を辿ってゆく覚悟をしている。果たして無事に生きてふたたび江戸の深川千住に帰り来ることができるかどうかもわからない。
もはや、求道とか世俗とかにこだわるのも妄想に過ぎないのかもしれない。山の畑に麦踏みとジャガイモの畝づくりに行くと、梅の花が清楚にほころびはじめていた。この二三ヶ月はブログの記事の公開を休止するつもりでいたけれど、例外はいつもある。
梅の花にちなんで、山家集を開く。
旅の泊の梅(西行)
43 ひとり寝る 草の枕の 移り香は 垣根の梅の 匂ひなりけり
昔の高貴な女性はその衣裳にお香を薫き染めていた。だから一夜を伴にするといつもその匂いが移った。しかし、漂泊の旅に出ている今の西行には共寝する者もいない。それなのに、どこかしらからよい香りが漂ってくる。気がつくとそれは垣根から咲きこぼれた梅の花の匂いだった。このとき彼は昔に知った人を思い出さざるをえない。時の移ろいのはかなさ、切なさ。